ヨルダンとフランスの考古学チーム「「南東バディア考古学プロジェクト(SEBAP)」が、ヨルダン東部の人里離れた砂漠にある新石器時代の遺跡で、およそ9000年前の祭祀場を発見したと発表した。 祭祀場からは、石像や祭壇、動物の像や貝殻など、100を超える遺物が発見された。 祭祀場の近くには、大型の人造構造物が発見された。これは「砂漠の凧(デザート・カイト)」と呼ばれる、猟師たちが野生のガゼルを追い込むために使用していたとされる大型の罠で、これまで発見された中で最も古いという。
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一般に、儀式や祭祀と言えば前例踏襲が当たり前で、ましてや皇室の神聖・尊厳な祭祀においては先例からの変更などあり得ない、というイメージを持っている人が多いのではないか。 しかし、改めて言うまでもなく宮中祭祀の場である「宮中三殿」自体が、明治時代に新しく造られている(明治初め以来の変遷を経て、明治22年1月9日に現在地に造営)。 ここでは、天皇ご自身のご見識とご判断、主体性・自発性がダイレクトに祭祀に反映された、比較的近年の事例を紹介しておく。それは、(以前も別の取り上げ方で紹介したはずだが)平成26年4月11日に宮中三殿の皇霊殿で執り行われた「昭憲皇太后百年式年祭」だ。 “式年祭”というのは旧「皇室祭祀令」(明治41年)に規定された臨時祭祀の1つで、神武天皇以来の代々の天皇の崩御(ほうぎょ)から3年・5年・10年・20年・30年・40年・50年・100年、以後は100年ごと(そうした節目の年
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ハルダー, 「芸術と祭祀」, Halder, Alois, Kunst und Kult. Zur Asthetik und Philosophie der Kunst in der Wende vom 19. zum 20. Jahrhundert. Verlag Karl Alber Freiburg, Munchen, 1964. 95S.
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マウリヤ朝第三代のアショカ王については、仏教に関心のある方の多くがご存じだろう。今回はこれまで折に触れて言及してきた『内なる祭祀』問題について、アショカ王のリアルな『肉声』を手掛かりに考えていきたい。 紀元前268年、マウリヤ帝国第三代として即位したアショーカ王は、祖父チャンドラグプタ、父ビンドゥサーラの帝国建設の遺業を引き継ぎ、最後の抵抗勢力・カリンガ国に侵攻する。 戦いは凄惨なものとなった。その暴虐な性格によって自国民からさえも恐れられていたアショーカ王の攻撃は苛烈を極め、一方、マウリア朝より遥かに長い歴史を持つ大国カリンガは、当時世界最強とも謳われたアショカ軍に対して、徹底抗戦で応じたからだ。 目を覆うような殲滅戦の末、アショーカ軍はついにカリンガを征服した。伝承によれば犠牲者は民間人を含めて数十万に達したという。 勝利に酔いしれるはずのアショーカ王は、しかし死屍累々たる戦場に立って
The Tenno system is Japanese monarchy. The construction of this essay is as follows. (1) concept of the Tenno system, (2) concept of monarchy, (3) characteristic of modern constitutional monarchy, (4) the first characteristic of the Tenno system - the Imperial eternal line, (5) the second characteristic of the Tenno system - religious service, (6) the third characteristic of the Tenno system - Imp
深谷市の欠下台古墳の南東約700m、市境を跨いだ熊谷市の湯殿神社を参拝して、西別府祭祀遺跡を見学した。 湯殿神社 幡羅官衙遺跡群(はらかんがいせきぐん) 所在地 熊谷市西別府字西方、天神、瀧下 幡羅官衙遺跡群は、古代幡羅郡家(ぐうけ)に係わる遺跡群で、深谷市幡羅遺跡から続く幡羅郡家の一部である西別府遺跡・古代寺院跡の西別府廃寺・湧泉祭祀跡の西別府祭祀遺跡の3遺跡からなる飛鳥時代〜平安時代(7世紀後半〜11世紀前半)の遺跡群です。郡家・寺院・祭祀の3要素が有機的に機能していたことが確認された郡家は、岐阜県勒寺(みろくじ)官衙遺跡群 (美濃国武義郡家)に次いで全国で2番目です。 現在、これら遺跡群の範囲はそのほとんどが農地として利用されており、湯殿神社境内地を含めて当時の景観を今に非常に良く残していることから、郡家の実態に迫ることができる情報が豊富に含まれる貴重かつ重要な遺跡群です。 西別府遺
17日行われる中曽根康弘元首相の内閣・自民党の合同葬儀。 菅政権が、国立大学や自治体に対して「弔旗の掲揚」と「黙祷」を求めたために「思想統制だ」と批判が噴出しているが、神社関係者や右翼関係者からも「なぜ、この日にやるのか」と不満の声があがっているという。10月17日は、皇室や神社関係者にとって大切な「神嘗祭」が行われる日だからだ。 ウィキペディアによると「神嘗祭」は宮中祭祀のひとつ。宮中および神宮(伊勢神宮)で祭祀が行われる。その年に収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げる感謝祭。神宮では神嘗祭が最も重要な祭祀だという。 それだけに、どうして特別な日にわざわざ葬儀を行うのか、と疑問の声が出ているという。「神社新報」の元取締役、前田孝和氏はこう言う。 「神嘗祭は皇室にもつながる大切なお祭りです。神社関係者にとって特別な日。祈りと感謝という日本人を象徴するお祭りの日とも言えます。中曽根元首相に
1-1:青銅器の種類 日本の弥生時代の青銅器にはさまざまな種類が存在しました。さらに現代では、その1つ1つの種類のなかにも、製作地の違いや時期差による細かな区分(=型式分類)がなされています。この記事では、細かな型式分類には立ち入らずに、主な種類・区分を紹介します。 まず、青銅器は大きく「武器形」とそれ以外とで区分されてきました。前者の例としては主に銅戈・銅矛・銅剣が挙げられ、後者の代表例は銅鐸です(図1)。 図1「青銅器の種類と型式変化」(春成秀爾「日本の青銅器文化と東アジア」『国立歴史民俗博物館研究報告』 第119集 37頁) 武器形青銅器ははじめ実用品としての意味合いが強く、実際に武器・利器として使用されるか、または故人の葬送儀礼に使用されるものでした。そこから徐々に祭器(「まつり」に使用する道具)としての意味合いが強くなっていったと考えられています。 国立歴史民俗博物館の弥生時代研
Online ISSN : 2424-2519 Print ISSN : 1341-2086 ISSN-L : 1341-2086
本社の一角に建立されているのは鳥居と祠(ほこら)を持つ神社だ。祠に納められた白龍大明神はもともと松下家ゆかりの守護神。松下氏が1918年に大阪市内で創業した際、和歌山市内の生家で祀られていたのを「御霊分け」し、以来、本社に祀られているという。 同社は全国の事業所に約100カ所の社を設置。全ての社で幹部・管理職が同席する月例祭を営む。田中さんは言う。 「こうした神事は直接、会社の利益にはつながりません。会社にとって利益をあげることは当然重要ですが、そればかりに目を向けていたら大事なことが見えなくなることもあります」 国内製造業では昨年、検査データの偽装が相次いで発覚した。こうした世情であればなおさら、利益追求や効率一辺倒ではない宗教的価値観は社員のモラルを育み、長期的な企業の信頼醸成に寄与するものとして見直されるのかもしれない。田中さんはこう強調する。 「時代の変化によって私が立ち位置を変え
奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)北池で飛鳥時代の天皇祭祀(さいし)に関係する流水施設が出土したことが分かり一夜明けた9日、発掘現場には現地説明会(10日)を前に、県内外から続々と考古学ファンらが訪れた。 見つかった遺構は水が今も湧き出る湧水池と、湧水を使った天皇らによる祭りの儀式が行われた石敷きなど。遺跡整備を目的に橿原考古学研究所が発掘調査を続けている。 厳しい暑さの中、訪れた人たちはロープがはられた発掘現場の周辺から遺構を見学。石敷きなどの遺構に熱心に見入った。 橿原市内から訪れた男性(73)は「水の利用の仕方がすごいと思う。石敷きも立派で、ロマンがありすぎます」と感動した様子。大阪府河内長野市の男性(75)は「今まで見てきた苑池の南池の遺構などよりもインパクトが大きい。見学することができて良かった」と話した。 また、明日香村内の女性(65)は「本当に飛鳥は歴史ロマンの多い所だと
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