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  • 中国最古、5300年前の宮殿跡か 後代の王朝と共通点:朝日新聞デジタル

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      中国最古、5300年前の宮殿跡か 後代の王朝と共通点:朝日新聞デジタル
    • 【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学

      日本で出土する青銅器の鉛の同位体比を調べると、日本最古の経済成長が、戦国七雄の戦乱のおかげだったことが分かった…かもしれないという話。今後の研究の発展で、結論は二転三転するかも。

        【第1回】中国古代史から見た弥生時代の考古学
      • イギリスのバードウォッチャーが2000年前のケルトコインを大量に発見。総額1億2千万円相当 : カラパイア

        昨年9月、イギリスのある男性が趣味のバードウォッチングに出かけたとき、偶然に2000年前のケルトのコインを1300枚も発見した。これらは、総額84万5000ポンド(およそ1億2000万円)もの価値になるお宝だった。 発見場所は、イギリス東部のある田舎町の野原。この匿名の男性が発見した金貨は、紀元40年から50年にさかのぼるもので、2008年にサフォーク州で自動車整備工が、850枚の古代のスタテル金貨を発掘して以来、イギリスで見つかった鉄器時代のケルトコインの最大規模のお宝ということになる。

          イギリスのバードウォッチャーが2000年前のケルトコインを大量に発見。総額1億2千万円相当 : カラパイア
        • 海上の鉄道遺構「高輪築堤」保存めぐりJRと学者が対立:朝日新聞デジタル

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            海上の鉄道遺構「高輪築堤」保存めぐりJRと学者が対立:朝日新聞デジタル
          • マンモス60頭の骨格で構成、謎の建造物を発掘 ロシア

            (CNN) 今からおよそ2万5000年前の氷河期に、マンモス60頭あまりの骨格を集めて作られた円形の構造物が、ロシアで発掘された。どのような目的で作られたのかは誰にも分っていない。 ロシアではこれまでにも同じような「マンモスハウス」が見つかっているが、今回見つかった構造物は年代が最も古く、大きさも全長およそ12メートルと最大だった。 現場はモスクワの南約500キロの地点。同地では1960~70年代にかけて同じような建造物が発見され、「コステンキ11」と命名されて、考古学博物館も開設されている。 研究チームは今回の構造物を2014年に発見し、15年から3年がかりで発掘作業を実施。発見内容をこのほど学会誌に発表した。

              マンモス60頭の骨格で構成、謎の建造物を発掘 ロシア
            • 犬は人間の最も古い「親友」 DNAから判明 - BBCニュース

              人間の「一番の友達」と呼ばれるイヌが、人間と一番古くからのつきあいの動物かもしれないことが、最新のDNA研究で明らかになった。イヌの家畜化は氷河期末期の1万1000年前で遡れるという。

                犬は人間の最も古い「親友」 DNAから判明 - BBCニュース
              • 特別展「古代メキシコ」 公式サイト

                死のディスク石彫 テオティワカン文明、300~550年 テオティワカン、太陽のピラミッド、太陽の広場出土 メキシコ国立人類学博物館蔵 ©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON赤の女王のマスク・冠・首飾り マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵 ©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Michel Zabé鷲の戦士像 アステカ文明、1469~86年 テンプロ・マヨール、鷲の家出土 テンプロ・マヨール博物館蔵 ©Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo May

                  特別展「古代メキシコ」 公式サイト
                • 長崎の大注目史跡『福井洞窟』とファッショニスタの姑

                  1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化や歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。猫とトムヤンクンも好きです。 前の記事:駄菓子「味カレー」のメーカー「大和製菓」は佐世保にある小さな会社だよ > 個人サイト ヤマモトチヒロのブログ 文化財をめぐるツアー、ご一緒しませんか。 実は、洞窟遺跡の数が日本一とされる長崎県佐世保市。「福井洞窟」は、同市(旧北松浦郡)吉井町にある、旧石器時代から縄文時代の過渡期における生活文化が色濃く残る洞窟遺跡である。 佐々川を支流とする福井川の浸食によって作られた砂岩洞窟で、間口は16.4m、庇高4.7m、奥行5.5m。1978年には国の史跡に指定されている。国内にある旧石器時代の洞窟遺跡の中で唯一とのことなのだ。 福井洞窟。福井稲荷神社の本殿がある。近くにあったお城(直谷城)の鬼門にあたる位置のため

                    長崎の大注目史跡『福井洞窟』とファッショニスタの姑
                  • 「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船

                    リンカーン・バーンウェル、ジュリアン・バーンウェル兄弟は2007年にH.M.S.グロスター号を発見したが、ずっと秘密にされていた。「ある日、潜ってみると、海底に大砲が散乱していたのです」とリンカーンさんは振り返る。「忘れられない光景です」(PHOTOGRAPH COURTESY NORFOLK HISTORIC SHIPWRECKS) のちに英国王ジェームズ2世となるヨーク公を乗せて340年前に難破した英海軍のH.M.S.グロスター号を発見したと、英イーストアングリア大学の研究者らのチームが6月10日に発表した。 「文字通り、歴史を変えるきっかけになった沈没船です」と、海事の歴史を専門とする同大学のクレア・ジョウィット氏は語る。未開封のワインボトルなどがすでに見つかっており、優雅な旅と歴史を物語る遺物の発見への期待が高まっている。 1682年、50門の大砲を備える英海軍のフリゲート、グロス

                      「英国の歴史変えた」340年前の沈没船を発見、未来の国王が乗船
                    • 終戦当日に墜落したゼロ戦の機関銃か 水田で発見 千葉 | NHKニュース

                      千葉県大多喜町の水田から、戦時中の戦闘機に搭載されていたとみられる機関銃などが見つかりました。この付近では終戦の当日、旧日本軍の主力戦闘機のゼロ戦が墜落したという目撃証言が残されていて、専門家は、このゼロ戦の部品の可能性が高く、貴重な発見だとしています。 大多喜町の水田では複数の近所の人たちが、終戦の当日にゼロ戦が墜落するのを目撃する証言が残されていました。 その場所を探す活動を続けている幸治昌秀さん(77)は、睦沢町立歴史民俗資料館の協力を得て1月22日、重機を使って、この水田を掘り起こしました。 その結果、およそ2メートルの地中から長さおよそ1メートル80センチ、重さ23キロの機関銃が見つかりました。 戦前の航空機の機体に詳しい中村泰三さんは「見つかったのは、このゼロ戦の機体の部品の可能性が高い。これだけ大きな部品が見つかるのは珍しく貴重だ」と話しています。 幸治さんは、終戦の日にゼロ

                        終戦当日に墜落したゼロ戦の機関銃か 水田で発見 千葉 | NHKニュース
                      • 縄文時代の関東地方の貝塚分布図から見えてくるもの「千葉県が島のよう」「栃木県民悲願の海」

                        江戸東京博物館 @edohakugibochan 関東沈没?いえいえ、縄文時代の関東地方です。まるで、千葉県が島のようですね。海岸沿いに貝塚が分布しています。皆さんのお家のご近所にも、貝塚があるかも? #縄文2021 #江戸東京博物館 #縄文人 #縄文 #jomon pic.twitter.com/iYHHWkjhR4 2021-11-14 17:00:19 江戸東京博物館 @edohakugibochan 江戸東京博物館の公式アカウントです。2022年4月1日から2025年度中(予定)まで全館休館予定の江戸東京博物館ですが、公式キャラクター「ギボちゃん」が休館中の博物館の様子や活動などについて情報をお届けします。 ※個別のご質問・リプライには対応できませんので、ご質問等はホームページのお問い合せよりお願いします。 edo-tokyo-museum.or.jp

                          縄文時代の関東地方の貝塚分布図から見えてくるもの「千葉県が島のよう」「栃木県民悲願の海」
                        • 歴史に残る謎の集団失踪、北米の「消えた入植者」で新発見

                          1587年、男女子ども合わせて100名以上が船で英国から米ノースカロライナに渡った。新しい植民地を建設するためだ。3年後、彼らの姿は消えており、後にはわずかな手がかりだけが残されていた。(PHOTOGRAPH BY MARK THIESSEN, NATIONAL GEOGRAPHIC) 米ノースカロライナ州で最近発掘された陶器の破片は、英国から初めて米大陸に入植した悲運の「消えた入植者たち」が使っていたものだった。そんな大胆な主張が、ある謎をめぐる長年の議論に新たな火をつけた。1587年、ノースカロライナのロアノーク島に残された男女子ども合わせて115名に、いったい何が起こったのかという謎だ。(参考記事:「消えた16世紀の入植者、115人の影を探して」) ロアノーク島から西へ80キロ、アルベマール湾を見下ろす断崖の上で、「ファースト・コロニー基金」の調査チームは陶器を大量に発見した。英国製

                            歴史に残る謎の集団失踪、北米の「消えた入植者」で新発見
                          • 考古学者、人類学者、作家、アイヌ、さまざまな立場からのコメント、切り抜き|ヘンテコだよねノート

                            本項は考古学者や人類学者、作家、またはアイヌがどのようにアイヌ、北海道の歴史や文化、現代のアイヌ民族を捉えているかを、紹介するnoteです。 あえてこのようなページを設けるのにも意味があり、今回紹介した研究者の方やアイヌ民族の方の何人かは、時に前後の文脈を無視してあたかもアイヌ民族に対して否定的な言説を言っているかのように切り取られることがあるからだ。 そうです。読めば、考古学者や研究者の立場からは、皆さんほとんど同じことを言われている。 また、さまざまな立場からのコメントは物事が立体的になり、直接的に差別の現状を語ったコメントはなくても、行間からその憂いや深い傷が浮かぶ。 ページの最後に『明日に向かって/アイヌの人びとは訴える』のnoteへのリンクを載せた。50年前のアイヌ民族の苦労と厳しい差別を当事者たちから聞き取った勇気ある先住民たちの記述書だ。人間同士が差別し合うようなことが二度と

                              考古学者、人類学者、作家、アイヌ、さまざまな立場からのコメント、切り抜き|ヘンテコだよねノート
                            • 死海文書の断片16点は「すべて偽物」 米聖書図書館

                              聖書図書館は、所有する死海文書の断片16点についてすべてが偽物だったと明らかにした/SAUL LOEB/AFP/Getty Images (CNN) 米首都ワシントンにある聖書図書館は16日までに、所有する「死海文書」の断片16点がすべて偽物だったことが分かったと明らかにした。2018年には断片5点について偽物だと判明していたが、今回の調査で本物は1点もなかったことが確認された。 死海文書は約70年前、ヨルダン川西岸にあるクムランの洞窟群で900点を超える写本が見つかった。ヘブライ語聖書の最古の写本を含むなど、聖書に関するものとしては考古学上最大の発見のひとつとされる。 聖書図書館が所有する死海文書の断片について、CNNは17年に偽物である可能性を報じていた。偽の断片をめぐっては、02年以降最大70点が市場に出回ったと推計する専門家もいる。 今回、図書館所有の断片を調べた研究チームは声明を

                                死海文書の断片16点は「すべて偽物」 米聖書図書館
                              • 人類の祖先は約90万年前に約98.7%減少し絶滅しかけていたことが明らかに

                                現在地球上で暮らす我々人間は「ホモ・サピエンス」と呼ばれる、約20万年~10万年前に誕生したヒト属の一種です。しかし現代から約90万年前に、人類の祖先となる種がわずか1280頭にまで激減し、絶滅の危機にひんしていた可能性があることが報告されています。 Genomic inference of a severe human bottleneck during the Early to Middle Pleistocene transition | Science https://www.science.org/doi/10.1126/science.abq7487 Human ancestors nearly went extinct 900,000 years ago https://www.nature.com/articles/d41586-023-02712-4 これまでの研究では、

                                  人類の祖先は約90万年前に約98.7%減少し絶滅しかけていたことが明らかに
                                • 3600年前の超巨大「ミノア噴火」、津波の犠牲者をついに発見

                                  19世紀に近くで噴火した時のティラ島(サントリーニ島)の様子。手前がティラ島で、カルデラの縁の一部だ。ここから160キロ以上離れた場所で、青銅器時代の噴火とそれによって引き起こされた津波の新たな証拠が見つかった。(COLOUR-PRINTED ENGRAVING VIA UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/UIG/BRIDGEMAN IMAGES) 約3600年前の後期青銅器時代、エーゲ海の火山島が噴火し、破壊的な津波を引き起こした。その津波による犠牲者の遺骨が、最近になって、噴火したティラ火山(現在のサントリーニ島)から160キロ以上離れたトルコの海岸で初めて見つかり、12月27日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。 史上最大級の火山被害をもたらしたと推定されるこの「ミノア噴火」は、火山爆発指数で「超巨大」の7に区分され(最大指数は8)、その規

                                    3600年前の超巨大「ミノア噴火」、津波の犠牲者をついに発見
                                  • 古代の人類の親戚が殺し合ってお互いを食べていた最古の痕跡が見つかる、145万年前の骨の化石に石器による切り傷

                                    スミソニアン国立自然史博物館の研究者らが、人類の近縁の種族が同じく人類の近縁種を殺害し、食料にしていた可能性が高いことを示す最古の決定的証拠を発見したと発表しました。この研究は、2023年6月26日付の学術雑誌・Scientific Reportsに掲載された論文により報告されました。 Early Pleistocene cut marked hominin fossil from Koobi Fora, Kenya | Scientific Reports https://doi.org/10.1038/s41598-023-35702-7 Humans’ Evolutionary Relatives Butchered One Another 1.45 Million Years Ago | Smithsonian Institution https://www.si.edu/news

                                      古代の人類の親戚が殺し合ってお互いを食べていた最古の痕跡が見つかる、145万年前の骨の化石に石器による切り傷
                                    • アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見

                                      南アメリカ・ボリビアの熱帯雨林に覆われた「古代都市」の存在が、ヘリコプターに搭載したレーザースキャナーを用いたLight Detection and Ranging(光検出と測距/LIDAR)による調査で明らかになりました。古代都市を建設した人々はかなり高い文明を持っており、巨大なピラミッドを中心に道路や運河のネットワークを築き、農耕や魚の養殖を行っていたとみられています。 Lidar reveals pre-Hispanic low-density urbanism in the Bolivian Amazon | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-022-04780-4 Large-scale early urban settlements in Amazonia https://doi.org/10.1038/d41586-022-01367

                                        アマゾン奥地でこれまで知られていなかった「古代都市」の遺跡を上空からのLIDAR調査で発見
                                      • 日本農業新聞 - 弥生時代稲作は不耕起? 復元農具使い実証 通説覆る可能性も 山形大などの研究グループ

                                        弥生時代の木製農具は水田を耕すことができたのか──。山形大などの研究グループが、弥生時代と古墳時代の復元農具を用いた実証実験を始めた。それぞれの時代で異なる木刃と鉄刃の農具を用いて耕作し、生産性などを比較する。稲作が伝来した当初から耕起が行われていたとする通説が覆る可能性もあり、注目が集まっている。 実証実験は山形大の他、東京都立大、静岡大、岡山理科大など各地の教育機関などが協力する全国規模の研究の一環。 山形大の白石哲也准教授(考古学)によると、一般的には稲作文化は弥生時代(紀元前8~3世紀ごろ)に中国・朝鮮半島から伝来し、耕起などを含む完成された形でかんがい農法が導入されたと考えられてきた。しかし近年の研究によると、その後の古墳時代(3~7世紀ごろ)と比べ弥生時代は農具を使用した跡が不明瞭な場合が多く、不耕起栽培で稲作をしていた可能性があるという。 そこで、弥生時代に使われていたとされ

                                          日本農業新聞 - 弥生時代稲作は不耕起? 復元農具使い実証 通説覆る可能性も 山形大などの研究グループ
                                        • 『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社) - 著者:デヴィッド・グレーバー,デヴィッド・ウェングロウ 翻訳:酒井 隆史 - 松原 隆一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

                                          『負債論』『ブルシット・ジョブ』のグレーバーの遺作、ついに邦訳。「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史!私たちの祖先は… 『負債論』『ブルシット・ジョブ』のグレーバーの遺作、ついに邦訳。 「ニューヨーク・タイムズ」ベストセラー。 考古学、人類学の画期的な研究成果に基づく新・真・世界史! 私たちの祖先は、自由で平等な無邪気な存在(byルソー)か、凶暴で戦争好きな存在(byホッブズ)として扱われてきた。そして文明とは、本来の自由を犠牲にする(byルソー)か、あるいは人間の卑しい本能を手なずける(byホッブズ)ことによってのみ達成されると教えられてきた。実はこのような言説は、18世紀、アメリカ大陸の先住民の観察者や知識人たちによる、ヨーロッパ社会への強力な批判に対するバックラッシュとして初めて登場したものなのである。 人類の歴史は、これまで

                                            『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』(光文社) - 著者:デヴィッド・グレーバー,デヴィッド・ウェングロウ 翻訳:酒井 隆史 - 松原 隆一郎による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
                                          • 隕石から作られた3000年前の矢じり、スイスの湖近くで見つかる

                                            スイス・メーリゲンで見つかった隕鉄製の矢じり。紀元前900~800年に遡るという/Courtesy Journal of Archaeological Science (CNN) スイスで発掘された青銅器時代の矢じりは、隕石(いんせき)から作られていたことが新たな研究で分かった。 ベルン自然史博物館の研究者チームが実施した調査によると、 紀元前900~800年に作られたとみられる長さ3.9センチのこの矢じりは、スイスのビール湖に面したメーリゲンにある先史時代の杭上住居群で見つかった。19世紀に行われた発掘作業でのことだ。 3000年近い歴史を持つこの加工品は、エストニアに落下した隕石に由来する鉄で作られていると、当該の研究は指摘する。これは隕石由来の隕鉄が紀元前800年かそれ以前までには欧州で交易の対象になっていたことを示唆すると研究者らは述べ、それほど早い年代に隕鉄の使用が確認されるのは

                                              隕石から作られた3000年前の矢じり、スイスの湖近くで見つかる
                                            • 洪水で4000年の眠りから目覚めたジーロフト文化、イラン

                                              ジーロフトから出土した緑泥石の工芸品。足にひづめのある人間が、左右にサソリを従え、2頭のチーターの尾をつかむ姿が表現されている。(PEJMAN AKBARZADEH/PERSIAN DUTCH NETWORK) 2001年、骨董品市場に突然、大量の考古学的遺物が売られはじめた。独特な宝石や、武器、精巧な作りの陶器、酒器、ゲームボードなど、いずれも芸術性が非常に高く、カーネリアン(紅玉髄)とラピスラズリの見事な象眼細工が施されていた。 作品には、動物が象徴的に表現されており、動物どうしや人間との戦いも描かれていたが、常に人間が勝利していた。動物たちが広大なヤシの木立の中で草をはむ牧歌的な風景や、寺院や宮殿などを描いた作品もあった。 謎の工芸品に関するデータは競売会社からはほとんど提供されず、しばしば「中央アジアで出土」とだけ説明されていた。当初はプロの作った偽造品と思われていたが、その後も出

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                                              • ペルシア帝国の古代の都「ペルセポリス」の3D復元図をじっくり体験できる「Persepolis Reimagined」

                                                紀元前550年頃に存在したアケメネス朝ペルシア帝国の都、ペルセポリスを復元し、3D空間としてよみがえらせた「Persepolis Reimagined」が公開されています。 Persepolis Reimagined https://persepolis.getty.edu/ 上記のURLにアクセスすると、以下のように「2500年前、現在のイラン南部に、畏敬の念を抱かせるような美しい古代都市がありました」という導入文が表示されます。ページをスクロールすることで読み進められます。 「強力な王によって建てられ、当時最大の帝国であったアケメネス朝の儀式の首都として機能しました」「今日、そこはペルセポリスとして知られています」と続いたあと、「Enter」と表示されるのでそれをクリック。ツアーが始まります。 「紀元前518年頃、ダレイオス1世によって建てられました」「ペルセポリスはアケメネス朝の力の

                                                  ペルシア帝国の古代の都「ペルセポリス」の3D復元図をじっくり体験できる「Persepolis Reimagined」
                                                • 「哲学者プラトンが埋葬された場所」が古代の火山噴火で黒焦げになった巻物から判明

                                                  古代ギリシアの哲学者であるプラトンは西洋哲学の基礎を作った人物のひとりであり、「国家」や「ソクラテスの弁明」などの著作で知られます。そんなプラトンが埋葬された正確な場所が、火山噴火によって黒焦げになった古代の巻物が解読されて明らかになりました。 Lo 'sguardo' tecnologico legge i papiri carbonizzati | Consiglio Nazionale delle Ricerche https://www.cnr.it/it/nota-stampa/n-12655/lo-sguardo-tecnologico-legge-i-papiri-carbonizzati Plato's burial place finally revealed after AI deciphers ancient scroll carbonized in Mount Ve

                                                    「哲学者プラトンが埋葬された場所」が古代の火山噴火で黒焦げになった巻物から判明
                                                  • 奥州市・胆沢城跡の出土墨書解読 蝦夷が正門を守衛 中央政権、豪族懐柔か | 河北新報オンライン

                                                    奥州市の国史跡「胆沢城跡」で出土したすずりに残る文字が、城の正門を蝦夷(えみし)の豪族が守衛していたことを示す墨書だったと分かり、奥州市埋蔵文化財調査センターが5日、発表した。東北を統治する胆沢城と、抵抗勢力だった蝦夷との結び付きを示す画期的な発見だという。 すずりは1976年度の発掘調査で、南正…

                                                      奥州市・胆沢城跡の出土墨書解読 蝦夷が正門を守衛 中央政権、豪族懐柔か | 河北新報オンライン
                                                    • ベストセラー『土偶を読む』が評価された背景にあった専門知批判のストーリー あえて『土偶を読むを読む』を出版した望月昭秀氏が伝えたかったこと【後編】 | JBpress (ジェイビープレス)

                                                      2021年に刊行されるやいなや、NHKをはじめとするメディアや著名識者が絶賛、ベストセラーとなり、サントリー学芸賞を受賞した『土偶を読む』(竹倉史人著、晶文社)。土偶は人ではなく、植物をモチーフにしている、という新説を提示したこの本は、土偶解釈の大胆さやユニークさとともに、専門家や専門知に果敢に挑戦したことが高い評価につながった。考古学の専門家ではない竹倉氏が、考古学の権威と闘うというストーリーが、識者や読者の共感を得たのだ。 この本へのいわば“アンサー本”が、今年、専門家の立場から出た。縄文時代をテーマにした雑誌『縄文ZINE』の編集人・望月昭秀氏と9人の考古学研究者らによる『土偶を読むを読む』(文学通信)である。望月氏らは、竹倉説が「皆目見当違い」であることを最新の研究に基づいて論証したうえで、自由な発想は歓迎すべきものだが、専門知には専門知の役割があることを示す。 視野が狭く難しいと

                                                        ベストセラー『土偶を読む』が評価された背景にあった専門知批判のストーリー あえて『土偶を読むを読む』を出版した望月昭秀氏が伝えたかったこと【後編】 | JBpress (ジェイビープレス)
                                                      • 古代ローマの水道で使われていた「バルブ」はどのようなものだったのか?

                                                        by Avius Quovis 液体や気体など流体が通る配管で、流体の方向や圧力、流量の制御を行う装置のことを「バルブ(弁)」と呼びます。高度な水道システムが構築されていた古代ローマで使われていた「バルブ」について、古代文明における水資源管理やインフラ設計の研究を行う「Wright Paleohydrological Institute(ライト古代治水工学研究所)」でディレクターを務める、ウェイン・ローレンツ氏が解説しています。 Ancient Roman Valves | Valve Magazine https://www.valvemagazine.com/articles/ancient-roman-valves 古代ローマでは都市や工場に淡水を供給するために数多くの水道が建設されており、ローマ水道ともいわれる一連の水道は、古代ローマが繁栄した要因の一つとされています。豊富な水は公

                                                          古代ローマの水道で使われていた「バルブ」はどのようなものだったのか?
                                                        • ベズビオ山噴火の犠牲者から黒い「石」、正体は破裂した脳 研究

                                                          イタリアの古代ローマ都市ポンペイの近くのヘルクラネウム遺跡で見つかった黒く、つやのある石のような物体。ベズビオ火山噴火の犠牲者の脳の一部と確認された(2020年1月23日提供)。(c)AFP PHOTO / PRESS OFFICE OF THE HERCULANEUM ARCHAEOLOGICAL SITE 【1月24日 AFP】イタリアの古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)の近くのヘルクラネウム(Herculaneum)遺跡で数年前に発見された、黒く、つやのある石のような物体が、西暦79年に起きたベズビオ火山(Mount Vesuvius)噴火の犠牲者の脳の一部であることがこのほど判明した。詳細を記載した論文が23日、米医学誌「ニューイングランド医学ジャーナル(New England Journal of Medicine)」に掲載された。研究者らは、今回の成果は考古学では極めて希

                                                            ベズビオ山噴火の犠牲者から黒い「石」、正体は破裂した脳 研究
                                                          • ぶどう畑の下から美しい古代ローマの屋敷跡が見つかる

                                                            イタリア北部のヴェローナ県県で、3世紀ごろのものとみられる美しいモザイクタイルの床が発見されました。ぶどう畑の下から発掘されたこの屋敷跡は、1世紀近くも考古学者たちによって探し続けられたものでした。 Scoperto a Negrar il pavimento di una villa romana | Negrar https://www.larena.it/territori/valpolicella/negrar/scoperto-a-negrar-il-pavimento-di-una-villa-romana-1.8097306 Ancient Roman mosaic floor discovered under vines in Italy | World news | The Guardian https://www.theguardian.com/world/2020/m

                                                              ぶどう畑の下から美しい古代ローマの屋敷跡が見つかる
                                                            • 78万年前の人類、焼き魚食べていた イスラエル研究論文

                                                              イスラエル・テルアビブ大学のスタインハルト自然史博物館に展示されたコイの頭の骨。同大提供(撮影日不明、2022年11月14日公開)。(c)AFP PHOTO / HO / TEL AVIV UNIVERSITY 【11月16日 AFP】78万年前の人類の祖先は、火をしっかりと通した魚を好んで食べていたする研究論文が14日、公開された。調理に火が使われたことを示す最も古い証拠だと説明している。 論文は、学術誌「ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション(Nature Ecology and Evolution)」に掲載された。筆頭著者はテルアビブ大学(Tel Aviv University)スタインハルト自然史博物館(Steinhardt Museum of Natural History)の考古学者、イリット・ゾーハル(Irit Zohar)氏。 火が暖を取るためではなく調理に使われ

                                                                78万年前の人類、焼き魚食べていた イスラエル研究論文
                                                              • 「角付き兜」の年代、バイキングより前の3千年前 青銅器時代が起源

                                                                兜は当初、泥炭で発見された/H.W.Nørgaard/The National Museum of Denmark (CNN) 漫画シリーズ「アステリックス」から人気音楽番組「ザ・マスクド・シンガー」のアバター(分身)まで、ポップカルチャーではバイキングは凶暴さや権力を象徴する角付きの兜(かぶと)をかぶって登場することが多い。 しかしこのほど、デンマークのビクスで見つかった2つの角付き兜について、青銅器時代のサルデーニャ島にさかのぼるものだと指摘する研究結果が発表され、バイキング時代が起源だとする説に終止符が打たれた。 この論文は昨年12月の歴史学誌「プレヒストリッシュ・ツァイトシュリフト」に掲載された。 研究にかかわったデンマーク・オーフス大学の考古学者はCNNに寄せた声明で、「大衆文化では長年、ビクスの兜がバイキングと結びつけられてきた。だが我々の調査の結果、これらの兜は今から3000

                                                                  「角付き兜」の年代、バイキングより前の3千年前 青銅器時代が起源
                                                                • 備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!

                                                                  岡山県東部の備前市に位置する伊部(いんべ)地区は、備前焼の窯元が集まる陶器の生産地だ。 中世末期から近世にかけて操業していた古い窯跡があるというので見に行ってみたら、陶片が文字通り山積みになっていて驚いた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県綾瀬市は「どこにでもある風景」を強みにロケ誘致が盛ん > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter 備前焼の里「伊部」を歩く 先日中国地方を旅行したのだが、その帰りに少し時間があったので伊部に寄ってみることにした。 以前から備前焼のタンブラーが欲しいと思っていたので

                                                                    備前焼の里に残る窯跡が陶片山積みで凄い!
                                                                  • 藤原京でブタ食べた? 便所跡から国内最古級の寄生虫卵:朝日新聞デジタル

                                                                    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                      藤原京でブタ食べた? 便所跡から国内最古級の寄生虫卵:朝日新聞デジタル
                                                                    • エジプト古代神殿から釈迦像出土 インドと交易の印

                                                                      ローマ帝国時代のエジプトの港湾都市ベレニケで発掘された釈迦像。エジプト観光・考古省提供(撮影日不明、2023年4月27日公開)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【4月28日 AFP】エジプトの観光・考古省は26日、紅海(Red Sea)に面する古代の港湾都市ベレニケ(Berenice)で釈迦(しゃか)像が見つかったと発表した。インドとローマ帝国時代のエジプトの交易活動を知る手掛かりになるとみられている。 像はローマ帝国時代のもので、ポーランドと米国のチームが「ベレニケの古代神殿の発掘調査中に見つけた」という。 エジプト考古最高評議会(Egyptian Supreme Council of Antiquities)のムスタファ・ワジリ(Mostafa al-Waziri)事務局長は、今回の発見について「ローマ帝国時代の

                                                                        エジプト古代神殿から釈迦像出土 インドと交易の印
                                                                      • 「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?

                                                                        ユダヤ教はいつ生まれたのか? 伝承によれば、3000年以上も前にシナイ山で生まれた。聖書の最初の五書である律法(トーラー)に収められている十戒とその他もろもろの法を、神がモーセに授けたときだ。 大方の研究者はずいぶん前から、「出エジプト」とシナイ山での啓示を創設神話として片づけてきた。そのため、この最初の主要な一神教がいつ、どのように生じたのかという問いが残されている。さていま、その問いにまつわる新説が学界に衝撃を与えている。 紀元前2世紀になるまで、古代ユダヤ人が律法を守っていた、あるいはそもそも知っていたという歴史的・考古学的な証拠はないことが大規模な再調査からわかったと言うのは、イスラエルのアリエル大学で考古学を研究するヨナタン・アドラー教授だ。米イェール大学出版局から出版されたばかりの『ユダヤ教の起源』(未邦訳)の著者でもある。 そこから示唆されるのは、われわれがいま知るユダヤ教が

                                                                          「ユダヤ教」はいつ生まれたのか? 新説を提示したイスラエルの考古学者に聞く | 「聖書に書かれていることだって、必ずしもそうとは限らない」?
                                                                        • 約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に

                                                                          10日にSNSで急上昇し、番組が注目したワードは「古代都市出現」です。3400年ほど前に栄えた王国の遺跡がある理由で突如姿を現して、注目を集めています。一体、どういうことなのでしょうか。 イラクのクルディスタン地方で撮影されたおよそ3400年前の古代都市は元々、チグリス川の中にありましたが、突如として出現したのです。 発掘現場からは陶器の器…。さらに、くさび形文字が刻まれた100枚以上の粘土板などが発見されました。これらは紀元前1550年から栄えたミタンニ帝国の時代のものだといいます。 国士舘大学・21世紀アジア学部附属イラク古代文化研究所、小口裕通さん:「ミタンニというのは北イラク、北シリア、トルコも含めて、あと地中海、東地中海方面も含めてかなり広大な領域を持って、支配していた王国」 発掘したドイツ人らの考古学者のチームによると、この遺跡は高層の建物や宮殿などで構成された古代都市だといい

                                                                            約3400年前の“王国の遺跡”が突如出現! 歴史的発見に
                                                                          • 禁止令も出た奈良時代のボードゲーム復元 記者もやってみた:朝日新聞デジタル

                                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                              禁止令も出た奈良時代のボードゲーム復元 記者もやってみた:朝日新聞デジタル
                                                                            • 約2000年前の馬車 ほぼ完全な形で発掘 古代遺跡ポンペイ近く | NHKニュース

                                                                              イタリア南部の古代遺跡ポンペイの近くで、およそ2000年前の装飾を施した4輪の馬車がほぼ完全な形で発掘され、考古学者は「すぐれた保存状態で、古代への理解を深める驚くべき発見だ」としています。 ポンペイで遺跡の発掘調査を続けている考古学者らのチームの発表によりますと、馬車は、西暦79年にベスビオ火山の噴火で火山灰に埋もれたイタリア南部の古代都市遺跡ポンペイ近くの発掘現場で見つかりました。 4つの車輪がついた馬車で、鉄の部品のほか、青銅やすずで細かな装飾が施され、ほぼ完全な形で発掘されたということです。 また、ロープや花で飾られていた痕跡も確認されたということです。 専門家によりますと、馬車は祭りやパレードなどの儀式で使われたとみられるということです。 発掘チームの考古学者は「すぐれた保存状態で、古代への理解を深める驚くべき発見だ」としています。

                                                                                約2000年前の馬車 ほぼ完全な形で発掘 古代遺跡ポンペイ近く | NHKニュース
                                                                              • 世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17箇所全巡り

                                                                                青森県青森市「三内丸山遺跡」 まず最初に紹介するのは、青森市の河岸段丘上に広がる「三内丸山(さんないまるやま)遺跡」である。 縄文時代の前期から中期(約5900~4200年前)にかけて営まれた大規模な集落遺跡で、史跡の中でも特に価値が高い「特別史跡」に指定されている。日本を代表する縄文遺跡のひとつだ。 様々な建物、墓地、道路などが計画的に配置されていたことが分かっている 1700年もの長きに渡り人々が暮らしていた拠点的な集落であり、厚く堆積した盛土遺構(不用品の捨て場)からは土器や石器のみならず土偶など祭祀の道具が大量に出土している。 また低湿地からは漆塗りの鉢やクシ、小型カゴなどの編物、骨で作った釣針や縫針など多種多様な品々が出土しており、当時の人々の生活や周辺環境を知る上で欠かせない遺跡である。 復元された竪穴住居の屋根素材は萱・樹皮・土と様々だ(その理由はのちほど) 広大な三内丸山遺

                                                                                  世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の17箇所全巡り
                                                                                • 『土器って、お湯が沸かせるんだよ。すごくない?』→土器の発明が人間の文化を大きく変化させたのはお湯が沸かせるようになった事にある

                                                                                  縄文の里・朝日 @okumiomote 縄文の里・朝日の公式アカウント。縄文の里・朝日の情報と縄文あるあるをお伝えします。 楽しくご活用いただくため、事前に縄文の里・朝日HP「このサイトについて」をご覧ください。 note(note.com/joumon_note)にて、縄文土器、土偶、奥三面遺跡群のことを発信しています。見に来てね~ iwafune.ne.jp/~joumon/

                                                                                    『土器って、お湯が沸かせるんだよ。すごくない?』→土器の発明が人間の文化を大きく変化させたのはお湯が沸かせるようになった事にある