「報われない努力はある」というのは昨年末に出版した本で書いたことで、それは誰にとっても当たり前の事実だと思っていた。何に置いても無駄に悲観することなく、なるべく冷静に考える癖をなんとか保って思考している。だからもちろんあの言葉も悲観ゆえにひねり出した卑屈名言集の一節などではなかったし、なんというか本当にただの普通のことだった。 本を読んでくれた人に「努力は、たとえ失敗しても経験として体内に蓄積されるのだから、報われないなんてことは絶対にないんだよ」と熱く話をされたとき、私は今励まされようとしているのだろうか、と感じた。その主張は一理あるのだけれど、私の言っている「努力」はたぶん、誰かのためにした努力というもののみを指して居て、逆に言うと、誰かのため以外だったら努力なんてできっこないのだった。 そして、優しくしたいと思って接して来た相手に、最後にはすごく嫌われてしまうということがたまにある。