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詩の検索結果361 - 400 件 / 2878件

  • ドイツから見た「東京2020」 作家・多和田葉子さんの視点

    新型コロナウイルスの感染拡大下で行われた東京オリンピック・パラリンピックがすべての日程を終えて1週間余りが過ぎた。当初予定から1年延期され、ほとんどの競技が無観客で実施された異例の大会は海外の人々にどんな印象を残したのか。ドイツ・ベルリン在住の作家、多和田葉子さん(61)が産経新聞に寄稿した。 ◇ ドイツではサッカーの試合があるとその盛り上がり方は尋常ではなく、重要な試合がある日は通りに人影がなく、シュートが決まると突然、大型スクリーンを入れた酒場などから歓声が聞こえてくる。 六月から七月にかけて欧州選手権があり、連日熱戦が続く中、試合のない日には「鬱」状態に陥る人もいるというほどの盛り上がり方だった。その反面、批判も出た。試合は観客を入れて行われ、マスク着用の規則も守られず、試合が終わってしばらくするとロンドンなどでは明らかにコロナ感染者が急増していた。 それと比べて東京オリンピックはド

      ドイツから見た「東京2020」 作家・多和田葉子さんの視点
    • 角川春樹「父のスケープゴートに」 逆境が生んだ起死回生のヒット

      父の反感を買いつつ成功した『世界の詩集』 アラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンス(T・E・ロレンス)の『砂漠の反乱』発刊後、角川春樹は“翻訳自伝”を手掛けたという。 「その頃から編集会議に出るようになって、レーニン伝とかナポレオン伝とかずいぶんやりました。結構売れましたよ」 角川の編集者の資質として特筆すべきなのは、特定の分野にこだわらないことだ。自伝の翻訳の次に手掛けたのは、「詩」だった。 この経緯は、角川書店にいた鎗田清太郎の『角川源義の時代』(角川書店)が詳しい。 〈一九六六(昭和四一)年春、春樹は全国の小売店からの文庫注文伝票を見ていて、詩集の売れ行きが伸び始めたことに注目した。これは若者の間に詩への関心が高まってきたことを示しているのではなかろうか。この機会に、日本と世界の著名詩人の詩集をシリーズにしたらどうだろうと考えた〉 1967年から全12巻(後に増巻して2

        角川春樹「父のスケープゴートに」 逆境が生んだ起死回生のヒット
      • 寺山修司「没後40年」 いまだ衰えない多分野での人気の秘密に迫る|日刊ゲンダイDIGITAL

        短歌、俳句、詩、演劇、映画、競馬・ボクシング評論……多分野で活躍をし、今も若者を中心に圧倒的な人気を誇る寺山修司が亡くなって2023年で40年。「毛皮のマリー」など演劇作品は途切れることなく上演され、短歌は教科書に採用されている。なぜ今も寺山が人々の心をつかんで離さないのか、その秘密に迫った。 ◇  ◇  ◇ 寺山人気が衰えない最大の理由は、彼がさまざまな顔を持ち、「入り口」が多方面であるため、年齢・性別を超えて支持されたということだ。 ■詩歌 「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」 寺山が10歳の時に、父・八郎はセレベス島で戦病死した。戦後、母はつは寺山を養育するために三沢の米軍基地で働き、寺山が12歳の時にハウスメイドとして九州のベースキャンプに単身移転、寺山は大叔父夫婦の家に残された。父を“殺した”日本と自分の生活を支えるアメリカ。この二律背反が寺山に国家というも

          寺山修司「没後40年」 いまだ衰えない多分野での人気の秘密に迫る|日刊ゲンダイDIGITAL
        • もう一歩 今が一番大事な時だ…よみがえる武者小路実篤の金言の数々 初の名言集を調布の記念館が刊行:東京新聞 TOKYO Web

          小説「友情」「愛と死」などで知られる作家、武者小路実篤(さねあつ)(1885〜1976年)が残した言葉を集めた名言集「生きるなり」を東京都調布市の武者小路実篤記念館が刊行した。実篤の言葉は各種名言集などで取り上げられているが、同館によると、実篤単独の名言集の出版は初めて。編集した学芸員の伊藤陽子さん(58)は「新型コロナ禍で疲れた人々の心を実篤の言葉がほぐし、元気を与えてくれるのではないかと考えた」と話す。(花井勝規)

            もう一歩 今が一番大事な時だ…よみがえる武者小路実篤の金言の数々 初の名言集を調布の記念館が刊行:東京新聞 TOKYO Web
          • 渡辺志保×つやちゃん「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史

            『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』 つやちゃん 2,420円(DU BOOKS) 引く手あまたの文筆家・つやちゃんによる新連載「クリティカル・クリティーク」がスタートするにあたり、初めての著書となる『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』(DU BOOKS)を軸とした特別対談を実施。お相手を務めるのは、同書の帯文を提供した音楽ライター・渡辺志保さん。“フィメールラップ”というキーワードから、作品やムーブメントを多角的に検証しつつ、ミステリアスなイメージがあるつやちゃんご自身も、徹底的に解体しました。 渡辺志保(以下、渡辺) 著書、興味深く拝読いたしました。つやちゃんさんの原稿を読みながら常々感じ、著書を読了して改めて感じたことでもあるんですが、どのような環境でヒップホップを聴かれてきたのかが、とても気になりまして。 つやちゃん もともと

              渡辺志保×つやちゃん「私の中ではAwich以降」日本語ラップが迎えた新時代と裏面史
            • <2714>「熱のなかではじまれ、お前の泥」 - そうだろうね、いやどうでしょう

              おいお前の身体から先に外れろ、、 わたしていけ、 あちこちからさわげ、、 でて、、 ものとものとの愉快さ、 あなたはなかに入れ、、 なかに入って溶けてしまえ、 溶けたままはじまるあたり、、 はじまるあたりのヒのよばい、、 よんでくる、、 あたしはいくつもいくつもよんでくる、、 ついている、、 わけもわからないままついている、 はこんでいる、 からだなどないのに、、 ここに放つ熱を、、熱を・・・ あたしはしずかに焼け焦げて、、 まだ卵でもないのに、、 歓喜して、 しずかに走り出して、、 また一量の風、 からだの世界、 あなたは表面にいて、 なにとはなく、 見つめている世界、、 時間にただあらわれて、、 ものがめくれてくる世界、 どうぞ、 どうぞあなたの、 その体温の内部、、 からだばかり生まれるところへ、 あたしは、どうぞ、、 どうぞと、 あたりまえにふくらんでははじまる、、 その彼方にはじ

              • <2636>「あぶらならばだ、かぞええぬからさ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                これはまだはて、か、 からだの、なかへ、なかへ、と来る、、 声ぬ、はてか、、 あい、え、さわってください、、 どこへ通じるの、 これを、 さわってください、、 あたしの肌中に、 すっかり入って、 もろもろを、、 あたしは遠い気持ちになるかしら、、 これで安心する訳では、 ないのだろうか、 あたしは胚胎した、、 長く、細く、、 そこから垂れたものを、いくつも、 本当にいくつも掴んで、、 あたしは声の下の、、 この、ごうとなる箇所の、 なかに、住んで、、 ものを踊らせてきました、、 あたしは機械油を、、 どこからか、、持ってきて、 そうして、 自身とはどこか遠いものとして、つかまえる、、 あたしはあぶらだったらいいな、、 かぞえて、 かぞええぬ、さ、、 このあぶらだったら、、 はたして、 それはそうだろうか、、 望んでいたことが、 声になるとは、限らぬ場所で、、 あなたはそこに骨を、 骨ととも

                • <2655>「私は一日を作る、人は死ぬ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                  私は一日を作ろうとしているのだ、 何日もかけて、、 私は一日を、 一日以外にはいないから、、 徐々に一日を、 私は上手くなる、、 私は生活者だという妄想に、 全面的に入ろうとする、、 しかし生活者なのは一部だ、 全的ではない、、 現に、こうして、、 この場から離れて、 文字が見せる夢の中へ行くではないか、 私は空間を見た、、 ひとつの身体が死んだ、、 またなにかあると思っていたら、 いきなり消えてしまった、、 他者というものの死が、 なんとなくそんな感じだ、、 あの人も、あの人も、、 文句の続きがあると思えば、 次の瞬間には死んでしまう、 決着をつける必要があるかと思えば、 次の瞬間には消えてしまう、、 私は同じ風景に、 あなたがたがいないのを、 何度か見に行って、、 なぜだ、 これはどこまで来た、 とひとり問うてみたくなる、、 あたしは風力を、 ここにひとつ置いていく、、 違う時間に手を

                  • <2637>「時間の断片で、映る皮膚」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                    なかにいる、 からだばかりのところで、、 私は隙間に来る、 そのことばかりを、 ひとつの映像の、はじまりとして、眺め、 回転する、、 はじまる、、 私はここにつくからだを、 少し理解した、 あたしは日々の回転を、 少しばかり、 しずかにここにいる、、 私は生活であるということが、 徐々に分かってくる、、 あたしはまだ液もしらない、 方向も、、 動いて止まないでしょう、、 声をまた掴まえて、、 育てて止まないでしょう、、 あたしは奥へ、 あなたは順に、声を聞いていたはずなんだ、、 道具と近くなる、、 あたしが細かくなる、、 あたしは線を走らせて、 しずかに、 ひとつずつをまとめあげてしまう、 感慨はない、、 ひとつひとつが出来上がる、、 あたしははてのない道に来ている、、 ひとつひとつをつまむ、 つまんで、まとめる、、 その場所に来ている、、 お連れの方は、 うん、 あたしはほうける、、 そ

                    • 今週の本棚:湯川豊・評 『音楽の肖像』=堀内誠一、谷川俊太郎・著 | 毎日新聞

                      (小学館・2750円) 楽しい絵と詩が描く作曲家たち ページをめくるのが楽しい本。かけねなしに、そう思える。 堀内誠一が描く、クラシックの作曲家二十八人の肖像が次々に現われる。主として水彩画の色があたたかく、懐かしい。その裏ページから、谷川俊太郎の作曲家にまつわる詩が展開する。例によって、平明な言葉から、深い思いが響いてくる。 ところで、堀内誠一とは何者か。もう知っている人も少ないだろう。一九八七年、五十四歳の若さでなくなった、天才的なアートディレクター。雑誌『アンアン』の創刊時のデザイナーをつとめた。谷川俊太郎との共作では、『マザー・グースのうた』があり、これはベストセラーになった。

                        今週の本棚:湯川豊・評 『音楽の肖像』=堀内誠一、谷川俊太郎・著 | 毎日新聞
                      • <2954>「帰るの、興味だよ、いいの」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                        もう帰るの? うん、そうだよ、、 まだ身体も出来ていないのに、 どこへ、 どこへかは分からないよ、、 でも、、 まだしずかに、 道が見える限りは、 あたしは帰る、 帰り直すよ、、 私はすごく暗い場所から出てきた、 それは、 私だけではないということ、、 それと、 この感じを共有しうるのは、 私だけであるということ、 人間として、同じ空間に居、、 訳も分からないまま、すれ違い、 そして別れるということ、、 良いことばかりでもなく、 悪いこと、いや、、 本当にそんなに悪いことが、 私に起きたりしたろうか、、 私は生命の一歩から、、 灰と、埃しか舞わないところまで、 しずかに移動を続ける、 そういった存在の、 ひとつでありたいと思っている、、 ねえ、 興味、 ただの興味だけで、 その扉が重たそうだから、 あけてみたいという興味だけで、 あなたはあけようとしているね、、 その、 閉じたり開いたりす

                        • 文学館を「体験型」に 萩原朔美さんの展示技法とは:朝日新聞デジタル

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                            文学館を「体験型」に 萩原朔美さんの展示技法とは:朝日新聞デジタル
                          • <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(15)祈り許された気がした:東京新聞 TOKYO Web

                            震災後、和合亮一さん(52)は、最後まで避難を呼び掛け津波で亡くなった宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん=当時(24)=の両親が、津波が押し寄せてきた時の映像を見ているニュースを見た。黒い波が押し寄せる中、防災無線で避難を促す声を聞き、お母さんが「まだ言っている、まだ言っている」とぽろぽろ泣いていた。多くの命を救った彼女の声を聞いた後、和合さんは南三陸を訪れた。 二〇一一年十二月六日は、オーケストラが演奏する大阪のホールと中継をつなぎ、多くの職員が津波で亡くなった南三陸の防災対策庁舎前で、和合さんは「詩ノ黙礼」を朗読することになっていた。

                              <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(15)祈り許された気がした:東京新聞 TOKYO Web
                            • <2825>「このヒのただなかにはじまるよはいれ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                              お前がそこで迷う、、 あたしが潜る、 潜る音を、 順にきいているのでは、ないかしら、、 あたしはなかへ、なかへ、 静かに、 身体をつくりながら、 お前の熱に合わさる、、 身体派手だから、 お前は火になる、、 火になれば、、 お前は生きていく、 後ほども、ずっと、、 あなたはすっと、身体を、 この火の中心に投げてみせた、、 生まれた、、 しらない、 私の粒のことなどは、 もう、どれも、 このヒのただなかに放って、、 私はわめく、、 わいて、わいて、 続いて、、 もっと、もっと、 さわがしい場所へ、、 あなたは存在ごと、 まるごと押していく、、 からだなど分かれたまま、 あたしは押していく、、 あたしは手のひら、、 ある、あなたの集中を、、 からだに見ながら、 次から、次へ、 きこえるよう、、 あたしをおしてくること、、 ねえ、 もう転げないで、、 あたしなど、時刻へ、、 いくつも挟まって、

                              • <2830>「1日と1人生はフラクタル構造」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                私には心臓の音もただ、、 羽根をひろげているだけのように思え、 私は未来の、、 なにかある晴れた華やかな点へそっとおりるのではなく、、 内的に、 見えないものが少しずつ変わっていき、、 気がついたら到達しているということ、、 私はそのために狡猾になる、 ぼうっとして、 外側にまず膜を張る、、 膜のなかで視線は、 どこにも向かない、、 あたしは時間を見る、、 これを、どう配置するか、 私なりにゆっくりと考えてみる、、 おい児童期、 お前は作業が足らないことにどこかいらいらしていて、、 しかしまさか作業が足らないからだ、 などということは思いもよらず、 それを脚のさわぎ、 むずがゆさとしてしか感覚出来なかったな、、 1日と1年はフラクタル構造、 1日と1人生はフラクタル構造、、 私は1日の中にしかいないのに、 人生があるとは何だろうか、、 私は、 生活というものが全ての基本だと考えると、、 こ

                                • <2863>「所感」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                  私は気がついているのか、 気がついていないのか、 迷うまま、、 からだはしずかにあり、、 日々はあり、 水は流れ、 あなたはともにあり、 別の作業をし、、 私は歳を取り、 頭がしずかになる、、 しずかな営みに目を向ける、 外に出ていきたくなる、、 師匠にあたる人の言葉が、 今も残り、、 私はまず、 出来上がるかどうかではなく、、 一度そうしてみるという姿勢の方が、 大事なのではあるまいか、 牛河さんも、 一度は試していたでしょう、、 関係に入らないことにより、 私は間違いをしていないと考えるのは、 大きな間違いなのだと、 この頃気がつきはじめるのです、、 お前はそういう、 道端で暮らしてもいいから、 などという、 自分を捨てる話をせないで、、 まともに生き、 ひとりの人を愛しなさい、、 私はまず、 一郎さんに共感していくまえに、 共感しながら、 現実を生きてみることが大事なのではないか、、

                                  • <2842>「それが、お前が生まれようとする際の言葉だ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                    映像が四方に飛ぶ、、 あたしは窪みにいて、、 ただ、 これらを生み出し受信する、、 ひとつの皮の中の運動に、 ぴったりとくっついていた、、 具体的な、 骨組みを作る仕事がまた、 皮膚の外にあり、、 あたしは水を浴び、、 内と外との、 連絡係をつとめる、 その水に、 しずかな温度を向けている、、 ねえ、裂ける、、 裂ける裂ける、 水が落ちていく、 落ちていく落ちていく、 どんどん落ちていく、、 あたしの、暗の、 根の辺りに、 黙って立っている、、 そこから何かが生まれるとは思えない、 黙った、 しずかな暗部に、 そこは、水を含んでいるはずなのに、 さわっても、 ちっともしめらない、 つやつやとしている、、 機械が体操しているの? つめたい、 コンクリートのような匂い、 それからつたや葉や、 木の匂い、、 生きものはいない、、 私は発声してみる、、 すみません、 私を発してみてくれませんか、、

                                    • <2697>「わたしの部屋はどこなの」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                      なにが肌に付くのだ、、 なにげなく、触れえた、、 あたしは違う記憶、 私が、ただ、、 ここに挟まり得るのを、知る、、 知ることで、ここは、 無限の呼吸に向かい、ひらかれていく、、 私は、ここにいて、、 無限の呼吸の、入口になっている、、 通路は、どこだ、、 あたしの、色のついた、、 その部屋はどこだ、、 そのわたしの定めはどこだ、、 見事にそこにある、、 ひとつひとつのながさに捕まりながら、、 あたしは来ていて、、 ものに来ていて、 よくかぶさりな、 よくかぶさっていきな、と、、 私に寄越す、、 私にいくらかのその答えを寄越す、、 あたしはそのなか、 かどがいくらも生まれて、、 あたしはかけていく、、 ものにずっと合わさり、 それは駆けていく、、 それは形をする、、 ずっと肌だけをする、 あなたの映像をする、、 そのなかの部屋はどこだ、、 ぐっと、ぐっと、、 あたしの集中の、 その丸い、揺

                                      • <2723>「立ち尽くし、記憶を繋ぐ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                        かどへ、 次々にぶつかり、、 あたしはさめて、 さめたあと、、 しばらく何も、分からなくなる、、 二、三、思い出してみて、 ああそれはどこか、 辿れない場所になった、 内化するより、 仕方のないことになりました、、 だからあたしはなかへ入ります、、 あたしは、それぞれの地点で、 立ち尽くしていた、、 ここが、記憶を繋ぐ場所になる、、 ね、 あなたはおそろしく違う人間です、 でもこうして立っています、、 そこから何故、 波がくるの、、 あなたに合わせて、 呼吸がくるのだろう、、 私には分からない、 時刻を経過させてみよう、、 全ての回転体、、 あたしの肌の中、 うたううた、、 きこえているのかな、、 どうか、 はだに通していよう、、 うそなのか、 これはあたしのからだなのか、、 しずかな問いかけに対して、 部品は、溶けていくだけだ、、 あなたは隙間、、 あなたはいつになる、、 あなたはこの、

                                        • <2888>「薄暗い部屋」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                          静かな姿勢、 文字のなかに、 いるのはあなたかもしれない、、 あ、来ちゃう、 来ちゃう、来ちゃう、、 私は、、 暗い情念に、 ぐっとひかれていく瞬間の、前に立っていた、 こわい、 こわいこわい、、 私は、 身体の層の、一番古い部分が、 ふるえるのをきいた、、 あたしは、ぐっと、 そのふるえに耐えている、、 内世界を見るんだ、、 ふたりで成す、 内世界を、、 私の汗は冷たい、、 どうしたんだろう、、 どうして、 あの人の言葉が発される空間は、 こんなにも薄暗いの、、 私は、 身体の回復のためではなく、 このままだと、 精神も何もかも、 すべて溶けてしまいそうだ、 という妄想に乗り、、 深く、深く眠る、 今いる場所など、 全く分からなくなればいい、 そう思い、 深く深く眠る、、 あなたが醒めたとき、、 私は、 この声があなたをここに招び寄せたことの、 違和感として居る、、 どうしてあなたは、

                                          • 『一九二〇年代モダニズム詩集』刊行 切実に言葉紡いだ50の個性 関学磁場、表現と人生紹介 詩人・季村敏夫さんら | 毎日新聞

                                            さまざまな芸術思潮が日本に入ってきた1920年代のモダニズム詩に注目したアンソロジー『一九二〇年代モダニズム詩集』(思潮社・2200円)が刊行された。編者は、神戸在住の詩人で、自身の創作と同時に近代詩の研究を続けてきた季村敏夫さんと、龍谷大講師の高木彬さん。ほぼ無名の詩人らを含む50人の詩166編と児童詩10編を収録。季村さんに刊行までの経緯を聞いた。 まず、「真夏の日光と樹木」という詩を紹介したい。縦書きと横書き、字の大きさや書体も複数が交じり合い、最後は細かな波線の後に「G」1文字で終わる驚きの構成だ。2回登場する「ダダ」の単語をヒントに詩の意味に迫りたいが、途方に暮れるしかない。とはいえ、単なる視覚造形としても十分魅力的だ。

                                              『一九二〇年代モダニズム詩集』刊行 切実に言葉紡いだ50の個性 関学磁場、表現と人生紹介 詩人・季村敏夫さんら | 毎日新聞
                                            • <2846>「砂を、下へ、下へ、」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                              あなたの水泡から、 声がやってくる、、 ひとり出迎える、 あたしは気恥ずかしい、、 全て、裏に帰り、 あたしは難しい、、 しずかな泡の底、 しずかな海の底に、 あなたを置いて、、 ものが足りない、 あたしはものとの付き合い、、 方法もない、、 視界が暗くなる、、 夜、 ひとりで走っていて、、 周りの物音も、なにもしなくなるとき、、 私は街灯の下に置かれている、 私を初めて回復するという気がする、、 あたし走る、 あたしまた走る、、 これがある時間、 無限に繰り返されてゆくと見る、、 それぞれの光景に、 あなたは招待されていると見る、、 どこから来て、 どこからこぼれ続けてゆくのか、、 私に知り得ることはないまま、 からだからたちきえるまま、、 あなた水の中へとかされていくの、、 声などしないまま、、 情報が、 あたしその線に乗って駆けてくるのをきいて、 全てを理解した、 あなたのその無音の

                                              • <2927>「土地と風と私と記憶」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                僅かな身体の振動数から、、 ここに、 生まれては溶けてしまう、 ひとつの感慨をはかる、、 あたしは、その、 ひとつひとつのものの重さを見ている、、 からだのなかで見ている、、 からだには、 あなたのフォームが映り、、 私には、 静かな回転の時刻が映る、、 わたしは構えている、 時間に向けて、 何に向けて、、 ひとつの時刻が、 私に対する、 構えを出してくる、、 私はそんなヒのなかざまで、、 しずかに垂れたあと、、 ここで私が過ごすことを、 いちいち確かめている、、 からだに歴史を残すため、 あたしは、 先頭に立つという気概ではない、、 ここから、、 新しく波を打ちつづけ、 この響きがどこにでも届くよう、、 あたしは何かを恨んでいるだろうか、 あたしは何かを許せていないのだろうか、 どうもそうではないような気がする、 あたしは自分の時刻に出ただけだ、、 軽々と、 この風に乗り、 そういえば、

                                                • 「千の風になって」訳詞・作曲の新井満さん、生前に言っていた「死んだら僕は風になる」

                                                  【読売新聞】 ヒット曲「千の風になって」の訳詞と作曲などを手掛けた芥川賞作家の新井満(あらい・まん、本名・みつる)さんが昨年12月、 誤嚥 ( ごえん ) 性肺炎で亡くなった。75歳だった。 万能の人だった。広告会社員として環境映像

                                                    「千の風になって」訳詞・作曲の新井満さん、生前に言っていた「死んだら僕は風になる」
                                                  • 茨木のり子さん、生母思う脚本 1966年ラジオドラマ「電話」発見:中日新聞Web

                                                    日本を代表する詩人の一人で、愛知県西尾市ゆかりの茨木のり子さん(一九二六〜二〇〇六年)の作品で、詳細が分からなくなっていたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本が残っていたことが分かった。母を亡くした実体験を投影したような内容で、識者は「この主題の作品はほかにない」と語る。論文誌「名古屋大学国語国文学」に、脚本の全文が新資料として収録された。

                                                      茨木のり子さん、生母思う脚本 1966年ラジオドラマ「電話」発見:中日新聞Web
                                                    • <2924>「細胞のはじめ、挨拶したい」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                      何だ、彼は、 用意されたことがない、 不思議な、 真白な天井のもとで、 生まれて、、 私は、 まだこのようなものを、 見たことも、 きいたこともない、、 それを、記憶として、 膜に、 ひとつひとつ憶え込ませ、 染み込ませ、でいくんだな、 私は、 そういう世界に来た、、 そういう世界が、 まるで夢のようだというのは なかば当たり前で、 私には、この陽気も、、 この、 生まれた声がところどころから響く空間も、 私が、生きて、、 使い尽くしてほしい、、 私を、 搾って、 搾りきってほしい、 と思っているものたちの声も、 一緒に、 この場に混ざっていくことに、、 いくらか、 困惑しながら、 私は、 細胞のはじめに、 あなたから教わった、 こわいということや、 さびしいということを、、 そっくり、 呑み込んでしまうんだ、、 それはなくならないものだけど、 そっくり、 私になってしまうんだ、 と言って

                                                      • 「表現することで人は変わる」 大阪・西成の市民大学で学んだこと | 毎日新聞

                                                        NPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」の代表で詩人の上田假奈代さん=大阪市西成区のココルームで2021年4月23日午後3時9分、日高七海撮影 日雇い労働者の街として知られる大阪市西成区の釜ケ崎で地域の住民と共にさまざまな表現活動に取り組んでいるNPO法人「こえとことばとこころの部屋」(通称・ココルーム)。毎年開催している市民大学「釜ケ崎芸術大学」(釜芸)では、労働者たちも講師となり、市民と一緒に作品を作る。同法人の代表で詩人の上田假奈代(かなよ)さん(51)は「表現をできる場を作るのがとても大事な仕事」と目を細める。【まとめ・日高七海】

                                                          「表現することで人は変わる」 大阪・西成の市民大学で学んだこと | 毎日新聞
                                                        • 奇縁が堺にミュシャ招く 時を刻む - 日本経済新聞

                                                          優美な曲線で描かれた、うっとりとした表情の女性の絵が並ぶ。堺市にあるアルフォンス・ミュシャの美術館には、癒やしを求めて訪れる人が多い。チェコの国民的芸術家だったミュシャの作品は、あわやすれ違いという場面を重ねながら、堺にやってきた。ミュシャは19世紀末に花開いた美術様式、アール・ヌーボーを代表する画家で、壮大な歴史画の連作「スラヴ叙事詩」でも知られる。堺市は約500点を所蔵、2000年に開館し

                                                            奇縁が堺にミュシャ招く 時を刻む - 日本経済新聞
                                                          • <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(12)言葉で橋をかけたい:東京新聞 TOKYO Web

                                                            福島県南相馬市のクリーニング業の高橋美加子さん=当時(63)=は、電気のついていない真っ暗な町に戻り「別の生きものが住んでいるようですごく恐ろしかった」という。でも旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の汚染地で暮らす高齢者たちの映画を思い出し「ここでいい、ここで生きていこうと思った」と語った。 富岡町から郡山市に避難していた理容業の遠藤千代子さん=当時(67)=は、避難所で人を励まそうと声を掛けたが、みな気がめいっていて応じてもらえず、自分の存在価値に悩み思い詰めた。でもボランティアの人が「全部聞くよ」と一日中話を聞いてくれてようやく眠れ、悩んでいる人の話を聞くようになったという。「言葉には橋『言の橋』がある。よい架け橋をつくれば人と人をつなぐんだよ」

                                                              <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(12)言葉で橋をかけたい:東京新聞 TOKYO Web
                                                            • 『暗やみの色』で谷川俊太郎、レイ・ハラカミらは何を見せたのか | CINRA

                                                              「見えるもの、見えないもの」をコンセプトにしたプラネタリウム作品『暗やみの色』。2005年に初上映がなされた本作は、音楽を担当したレイ・ハラカミの没後10年を機に、2021年6月末からリバイバル上映が日本科学未来館で行われている(上映は7月25日まで)。 7月3日、四度目となる今回の上映にあたって、『暗やみの色』に当時書き下ろしの詩『闇は光の母』を提供した谷川俊太郎、作品のナレーションと詩の朗読を担当したクラムボンの原田郁子、企画プロデューサーである森田菜絵によるトークセッションが実施された。そこで谷川俊太郎は以下のように語った。 「一緒に仕事をする仲間が次々と消えていく……それが心もとない。でもいなくなった人は、普通にその場にいてくれる人よりも存在が濃くなるところがある」(谷川俊太郎) トークイベント『「暗やみの色」から生まれることば』より 『暗やみの色』のコンセプト、私たちがレイ・ハラ

                                                                『暗やみの色』で谷川俊太郎、レイ・ハラカミらは何を見せたのか | CINRA
                                                              • 言葉の断片に出会い、自分だけの詩を見つける「詩の展示」ーー最果タヒ展『われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』東名阪を巡回 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

                                                                11月26日(木)に8作目の詩集『夜景座生まれ』を上梓した詩人・最果タヒ。スマートフォンで詩を書き、本やインターネット上にとどまらず、SNS、作詞、詩集の映画化、商業施設とのコラボレーションといった幅広い活動によって、これまで詩に触れる機会が少なかった若い世代からも絶大な支持を獲得している。そんな最果の詩の展示『われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』が、12月4日(金)より渋谷パルコ 4F パルコミュージアムトーキョーで開催される。本展は、2019年2月に横浜美術館で行われた『氷になる直前の、氷点下の水は、蝶になる直前の、さなぎの中は、詩になる直前の、横浜美術館は。――最果タヒ 詩の展示』を引き継いだもので、来場者が会場を歩き回り、モビールに吊るされた言葉の断片をはじめ空間全体で言葉を体感するインスタレーション型の展示だ。2020年8月に福岡・三菱地所アルテ

                                                                  言葉の断片に出会い、自分だけの詩を見つける「詩の展示」ーー最果タヒ展『われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』東名阪を巡回 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
                                                                • 【詩人・黒川隆介のアンサーポエム】第2回 荒井由実 “翳りゆく部屋” | Mikiki by TOWER RECORDS

                                                                  気鋭の若手詩人・黒川隆介が毎回、洋邦/新旧を問わず、気になるアーティストの楽曲を1曲ピックアップし、その歌詞を咀嚼して、アンサーソングならぬ〈アンサーポエム〉を書き下ろすこの連載。2回目に取り上げるのは、ご存知、荒井由美の7枚目のシングル表題曲“翳りゆく部屋”です。黒川氏が楽曲を浴びた結果生まれたアンサーポエム、ぜひ楽曲を聴きながらお楽しみください。 *Mikiki編集部

                                                                    【詩人・黒川隆介のアンサーポエム】第2回 荒井由実 “翳りゆく部屋” | Mikiki by TOWER RECORDS
                                                                  • 絵本で旅する宮沢賢治の世界 シリーズの編集者が語る「謎」:朝日新聞デジタル

                                                                    現代を代表する絵本作家らが、宮沢賢治の物語世界を描く三起商行(ミキハウス)の絵本シリーズ。絵本編集者の松田素子さん(66)は、その編集に約20年間にわたって携わってきた。10月に「北守将軍と三人兄弟の医者」(絵・スズキコージ)など2作品を出版し、シリーズは全36冊に。今後も刊行が続く。 絵本雑誌「MOE」の創刊に携わった松田さんは、編集長も務めた後に独立。1999年から関わる同シリーズでは、長年の経験と直感に基づき、賢治の童話や詩にそれぞれ異なる画家を引き合わせた。 子どもから大人まで楽しめる絵本だからこそ「今まで賢治を読んだことがない人でも、絵が想像や解釈の助けになってくれるはず」。数ある賢治作品の絵本化の試みの中でも、作品と画家が出会うべくして出会っていると、業界内での評価も高い。 「銀河鉄道の夜」(絵・金井一郎)や「風の又三郎」(絵・やぎたみこ)といった誰もが知る物語から、国家批判め

                                                                      絵本で旅する宮沢賢治の世界 シリーズの編集者が語る「謎」:朝日新聞デジタル
                                                                    • <2711>「あぶらを流し込む私、これは骨だ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                                      なあ、骨のあたたまりだよなあ、 あれはさ、軽くて、、 どこまでも無言で転げていくんだよ、、 なあ、その身、 その水、、 その皮膚の辺りに、 あなたもまた、住んでいるように思うぞ、 私は、そうなんだ、、 これは果てなどない、 なあそうなんだ、、 お前の体温はきこえない、 そこで無言だからな、 風が吹き、 雨が滲み込んでも、お前は、 悲鳴ひとつあげない、 身体なのか、、 あたり前に、そうして、白く放られて、、 わたしはあぶらを流し込んでいるよ、、 肉が、 さまざまの方向に、がっちりと組み合わさって、 お前は、 あぶらの匂いで見えない、 でも、 かくれているわけでは、ないのだよな、、 ものといい、 お前はお前のことを ものと名指すのか、、 からだであれと 願うのか、 そうではないだろうな、、 お前はひとつひとつ染みてく、 その信号を、、 いわば、身体を支える、、 ひとつの要素に、無言でかえていく

                                                                      • <2893>「あらたなゆだね、微量時、微量時」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                                        あたしはまだ微量時に向かい、、 静かに、 からだの型や、 風景や、何かに、 歩を合わせていくこととなる、 それから、 わずかな隙間や、、 くらいえきのかたまりが、、 あなたの方法で流れてくる、、 わたしは振り向き、 こんだからだのさなかへ、 ねがいをあつめてくる、、 わたしは振り向き、 からだのなかにひどく、 はじまる音を立てる、、 なぜといいながら、 なぜからだといいながら、 あなた新しい液、 あなた永遠の興奮時、 永遠の都へ、、 なにや、 千里や、、からだや、、 水が溶けたもの、 記憶や、、 方向感覚の欠如が、 私の方へ来る、、 私はいろを失う、、 からだを失う、、 あらたなゆだねに、、 私は満ちており、 満ちたまま、、 この地球の回転の、、 そのさなかへと進む、、 あたしははてにおり、、 からだの糸とともにもおり、、 まぶしい夜明け、、 ながされて、、 これが複数の身体であることも、

                                                                        • <2787>「落下する、秘密を作る」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                                          私を落として、、 ね、 どうしてもこの静かな場所で、 あたしを、 しずかに落としてほしいの、、 そうしたら、、 からだのにおいもなにもない、、 あたしは電気のようになる、、 いつまでもいつまでも走る、 うん、 順番に、、 そこから、また、 私は、、 存在するままにのびるよ、、 ほら、 液を拭いて、、 何かこの絡みは遠い、、 あたしはこれは誰、 とひとり思っていた、、 うもれるに違いない、 いくつもの場所から、 声を出してくるに違いがない、、 いまからだに入ってくるに違いがない、 、 これは何、、 これは誰、、 まともな液がひたすらに流れる、、 あたしはなかをのぞいている、、 しだいに遠ざかる、、 しだいにうつわのなかに、、 からだが漏れてくる、、 あたしは吸いたいのか、、 口に含みながら、、 これはのちのこと、 どこの時間に含まれるのかと、、 ひとりで考えていた、、 あるまとまったにおい、

                                                                          • <2793>「語りを逸らせ」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                                            しかしあなた、、 あたしはそこでかわききり、、 誰の手にも触れやすい、 奥で、 水の気配だけがする、、 あたしはそのかわいた壁、そのひとつの面に、、 近づいて、、 ずっと奥の、 その語りをきいている、、 あなた不可解かな、 いんや、どこにでもある、、 どこにでも、ころがっている、、 からだなど、はじまったばかりだのに、、 あなたはここらへんを見て、、 しずかに転がってきている、、 私はあなたを手にするでしょう、、 何も思わないまま、、 現実の、成分が、、 あなたに流れていくでしょう、、 私にはこれがどこの時刻かが分からない、、 私にはこれがどのざわめきなのかが、、 私はいつ冷えるの、、 ねえ、 これが欲望だとして、 あたしはどこを、満足させているのだろう、、 徐々に、 徐々に徐々に、はてへ、 しらない場所へ逸れてゆく、、 あたしは、 あらゆるものを内化して、、 そのことについて無意識になる

                                                                            • 唐揚げが足りない

                                                                              唐揚げをもっと 揚げ物をもっと カツではダメなんだ フライはまだまだ 唐揚げじゃないとダメなんだ 唐揚げをもっと 揚げ物をもっと タコの唐揚げ カレイの唐揚げ 海産物はたくさんだ 唐揚げをもっと 揚げ物をもっと ああ ああ 春巻きだけは正義だった

                                                                                唐揚げが足りない
                                                                              • <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(13)被害を伝えたいんだ:東京新聞 TOKYO Web

                                                                                亡くなった人への鎮魂「詩ノ黙礼」を一カ月半ツイッターで書き続けた後、和合亮一さん(52)は二〇一一年五月二十五日に「詩の礫(つぶて)」を再開した。この日は原発から二十キロ圏内の福島県南相馬市と富岡町の住民が、初めて一時帰宅した日だった。家にいるのが許された二時間、泣いただけで戻ってきた人もいた。 震災後、頭に浮かぶ言葉を次々投稿した「詩の礫」は、他の詩人や評論家から「これは詩ではない」「詩の被災だ」「詩のだだ漏れ」「人の不幸を題材にした稚拙な作品」などと酷評された。「震災を利用して有名になろうとしている」と言う人もいた。一方で文学者らは「もともと技術力のある詩人。そこへ向かう理由が、震災にも和合さんにもあった」と反発。新聞では賛否を並べた特集が組まれた。 和合さんは深く傷ついたが、これほどのことを経験して今、書かなかったらいつ書くんだと思った。以前は一、二カ月で書いた詩を即興で次々発信した

                                                                                  <ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(13)被害を伝えたいんだ:東京新聞 TOKYO Web
                                                                                • <2940>「やさしい歌じゃないか、ねえ、」 - そうだろうね、いやどうでしょう

                                                                                  通る人々の声があった、、 私にはホールがあった、、 受けいれていく器、 あなたには振動があった、 あなたには声があった、、 よくきこえている、、 生命のために、 あなたは振るえている、、 あなたはこちらに存在の全てを渡している、、 存在の下方から、 こちらに声を振ってくる、、 あたしは手で掴む、 (あたしはビールを飲む)、、 その場にいたこと、 その場で振動粒の、 ひとつやふたつを持ち帰ったこと、、 私はどこに住み、 何の仕事をして、、 どうやって生きているか、 一瞬分からなくなる、 そんな空間に出ていたようですよ、、 あなたの姿が、 はっきりとここへ出てくる、、 そんな場所にいたようなんですよ、、 あたしは震えていた、、 思いのいくらかが、 自然にここらへんに流れてしまって、、 あたしは新しい、、 からだの膜を欲する、、 やさしい時間、 やさしい歌だったじゃないか、 ねえ、、 あなたの温