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認識論の検索結果1 - 10 件 / 10件

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認識論に関するエントリは10件あります。 哲学論文美学 などが関連タグです。 人気エントリには 『ティ・グエン「エコーチェンバーと認識論的バブル」 - #EBF6F7』などがあります。
  • ティ・グエン「エコーチェンバーと認識論的バブル」 - #EBF6F7

    Nguyen, C. T. (2020).   Echo Chambers and Epistemic Bubbles Episteme, 17(2), 141-161. 近年、ポストトゥルースの時代が到来したとか、社会の分断が進んでいるとか、SNSが分断を促進しているといったことがよく言われる。 そこで見かけるのが「エコーチェンバー(原義:反響室)」や「フィルターバブル」のような言葉だ。 今回取り上げるティ・グエンの論文「エコーチェンバーと認識論的バブル」はこうした現象/概念を哲学的に考察するものである。 これは社会認識論という分野に位置づけられる研究であり、私の専門ではないのだが、ポストトゥルースや陰謀論に対する見通しをとても良くしてくれるので、議論の一部を紹介したい。 (なお、グエンは美学と社会認識論の両方の分野で活躍する哲学者である。) はじめに 近年、二つの異なるが相互に関連しあ

      ティ・グエン「エコーチェンバーと認識論的バブル」 - #EBF6F7
    • 近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ ~セクストス・エンペイリコスからデカルトへ - 日々是〆〆吟味

      近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ 近世哲学における既成哲学の拒絶 古代懐疑主義による徹底批判 【セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』】 近代哲学における新しい基礎の探求 【デカルト『方法序説』,ロック『人間知性論』,カント『純粋理性批判』】 転換される認識の基礎 前回のお話 古代における懐疑主義と近代の哲学者たちの関心 ~セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』の後世の影響 - 日々是〆〆吟味 近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ 人間知性論 1 (岩波文庫 白 7-1) 作者:ジョン・ロック 発売日: 1972/10/16 メディア: 文庫 古代懐疑主義の本が近世に再び世に出ることによって、本来古代の人々を対象に書かれた哲学が近世の人々にも大きく影響を与えました。それは自分たちの認識の基礎や土台をどうや

        近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ ~セクストス・エンペイリコスからデカルトへ - 日々是〆〆吟味
      • 「認識論はいまどうなっているのか?」/戸田山スケッチブック大公開~下の巻~ - けいそうビブリオフィル

        2020年10月25日に、上枝美典著『現代認識論入門』https://www.keisoshobo.co.jp/book/b524661.htmlとジョン・グレコ(上枝美典訳)『達成としての知識』https://www.keisoshobo.co.jp/book/b529164.htmlの刊行を記念して、本屋B&Bの主催にて行われたオンラインイベント、上枝美典×戸田山和久×伊勢田哲治「認識論はいまどうなっているのか?――過去、現在、そして未来へ」。 上枝美典先生の対談相手として、『現代認識論入門』が刊行されるまで長らく日本で唯一の認識論の入門書だった『知識の哲学』の著者である戸田山和久先生、また司会として『認識論を社会化する』の伊勢田哲治先生をお招きし、非常に豪華な顔ぶれで認識論について語り合う鼎談となりました。 このなかで、戸田山先生が『現代認識論入門』の読みどころをスケッチブックに書い

          「認識論はいまどうなっているのか?」/戸田山スケッチブック大公開~下の巻~ - けいそうビブリオフィル
        • レジュメ|ジョナサン・コーエン&アーロン・メスキン「写真の認識論的価値について」 - obakeweb

          Cohen, Jonathan & Meskin, Aaron (2004). On the epistemic value of photographs. Journal of Aesthetics and Art Criticism 62 (2):197–210. 写真の認識論的価値(epistemic value)*1を巡る、2004年の重要論文。 K.Walton、C.Abell、R.Hopkins、S.Waldenらの論争から、近年の「ニューセオリー」周辺のアップデートまで、写真から得られる「情報」「知識」を巡る議論はいずれもCohen & Meskin 2004の上に成り立っていると言っても過言ではない。コーエン・アンド・メスキンでピンとこないのはモグリです。 やや古い議論ですが、今日的な論争の基盤になる論文なので、分析写真論に関心のある方はぜひ見ていってください。 0.イント

            レジュメ|ジョナサン・コーエン&アーロン・メスキン「写真の認識論的価値について」 - obakeweb
          • 現代認識論入門 上枝 美典著

            英米哲学の確固たる一分野でありながら、問題が多様化し、全体像を見通すことが困難となっていた現代認識論。ゲティア問題とその解決のための試みを軸に、外在主義の流れとその反動としての内在主義、さらに文脈主義や徳認識論、知識第一主義といった最新の動向まで、ダイナミックな展開を一望のもとに描く画期的な入門書が遂に登場。 正誤表(PDF) まえがき 第1章 知識の標準分析 1.1 知識とは正当化された真なる信念である 1.2 真という要素 1.3 信念について 1.4 真の信念は知識に足りない――正当化 1.5 定義をマスターしよう――必要・十分・必要十分 1.6 三つの要素がすべて必要なのか 第2章 ゲティア問題とは何か 2.1 ゲティアはどのように標準分析を批判したか 2.2 正当化された真なる信念が知識でない二つの事例 2.3 ゲティアは二つのことを前提する 2.4 ゲティア問題へ接近してみる

              現代認識論入門 上枝 美典著
            • 【あとがきたちよみ】 ダンカン・プリチャード 著、笠木雅史 訳『知識とは何だろうか 認識論入門』 - けいそうビブリオフィル

              あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 ダンカン・プリチャード 著 笠木雅史 訳 『知識とは何だろうか 認識論入門』 →〈「訳者解説」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。「訳者解説」本文はサンプル画像の下に続いています。 訳者解説 笠木雅史 本書は、Routledge が刊行している分野別の哲学入門書シリーズ「〜と呼ばれるものは何だろうか(What is This Thing Called 〜)」の一冊として刊行された、Pritchard, Duncan (2018) What is This Thing Called Knowledge, 4th Edit

                【あとがきたちよみ】 ダンカン・プリチャード 著、笠木雅史 訳『知識とは何だろうか 認識論入門』 - けいそうビブリオフィル
              • Aya M. O on Twitter: "陰謀論を信じることに関する心理学的な研究をレビューした下記論文の一部(認識論的、実存的、社会的動機による説明)を短くまとめたんだった。日本ではどうかな。The Psychology of Conspiracy Theories -… https://t.co/TWKy6aiCUf"

                陰謀論を信じることに関する心理学的な研究をレビューした下記論文の一部(認識論的、実存的、社会的動機による説明)を短くまとめたんだった。日本ではどうかな。The Psychology of Conspiracy Theories -… https://t.co/TWKy6aiCUf

                  Aya M. O on Twitter: "陰謀論を信じることに関する心理学的な研究をレビューした下記論文の一部(認識論的、実存的、社会的動機による説明)を短くまとめたんだった。日本ではどうかな。The Psychology of Conspiracy Theories -… https://t.co/TWKy6aiCUf"
                • 徳認識論/知的徳

                  徳認識論(virtue epistemology)とは、近年盛んに研究が進んでいる認識論の一分野である。徳認識論を特徴づけているのは、認識論的な研究の焦点を主体(agent)のもつ性質である知的徳(intellectual virtue)ないし認識的徳(epistemic virtue)に当てるという点だ。徳認識論においても従来の認識論と同じく主体の信念(belief)は依然として重要な位置にあるものの、そこでの信念が認識的に重要な身分をもつ――たとえばその信念が単なる信念ではなく「知識(knowledge)」と尊称されるに値する――ときに焦点が当てられるのが、信念形成(belief-forming)の主体が知的に有徳である(intellectually virtuous)という点なのだ。知的徳の代表的な例として直観的に理解しやすいのは、開かれた心をもっていること(open-mindedn

                    徳認識論/知的徳
                  • 認識論を心理学に代入する - はてなブログ大学文学部

                    「飽きる」とは何だろう。 「あそこは行き飽きた」と人は言う。 しかし、、、 毎日毎日、そこにいる人も、流れる音楽も、並んでる商品も、気温も、何もかも変わる。 何が「飽きた」のだろう。 いつも同じ道だから?否。 道ですら、毎日毎日、何もかも変わる。 もうわかるはずである。 認識の問題である。 つまり、何もかも「変わらない」という認識である以外に何であろう。 認識は奥が深い。 まだまだ気付けない事がたくさんありそうである。

                      認識論を心理学に代入する - はてなブログ大学文学部
                    • 外界の認識論と懐疑論の根深さ――バリー・ストラウド『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』(永井均監訳、岩沢宏和・壁谷彰慶・清水将吾・土屋陽介訳、春秋社、2006年)|山口尚

                      外界の認識論と懐疑論の根深さ――バリー・ストラウド『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』(永井均監訳、岩沢宏和・壁谷彰慶・清水将吾・土屋陽介訳、春秋社、2006年) バリー・ストラウドの著書『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』は、言ってみれば、知識にかんするひとつの宿命を語るような本である。ではその宿命は何か。それは或る種の「懐疑論」が払拭されないという不可避性である。「知識」概念をどのように構想しようとも懐疑論はつねに残響する。逆から言えば、懐疑論の息の根を止めることはできない、ということだ。 同書はデカルト、オースティン、ムーア、カント、カルナップ、クワインを取り上げる――本ノートでは《各々の哲学者がどのような仕方で懐疑論と関わっているか》についてのストラウドの理解をひとつずつ押さえていく。6人のうちで懐疑論に最も好意的な者として描かれるのはデカルトであり、それ以外の

                        外界の認識論と懐疑論の根深さ――バリー・ストラウド『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』(永井均監訳、岩沢宏和・壁谷彰慶・清水将吾・土屋陽介訳、春秋社、2006年)|山口尚
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