京都産業大学の学生へ講話する若泉敬=昭和59年5月(吉村信二さん提供)昭和47年5月の沖縄返還を巡る米国との外交交渉で、日本政府の〝密使〟として水面下で折衝に当たった国際政治学者がいる。平成8年に66歳で死去した若泉敬は、領土返還に関する自身の役割について長く口を閉ざした一方、晩年は祖国の安全保障政策を「愚者の楽園」と痛烈に批判。ロシアのウクライナ侵攻を機に、日本を取り巻く国際情勢が一層混沌(こんとん)とする今、関係者の証言や著書に残された「憂国の士」の言葉は重みを増している。 若泉は昭和40年代初頭、英米留学の経験などから米政権中枢にも太い人脈を持つ気鋭の国際政治学者として注目を集めた。42年秋から佐藤栄作首相の要請を受け、秘密裏に米高官と交渉を担当。沖縄返還決定を盛り込んだ日米共同声明の草案づくりに尽力した。 敗戦で失った領土を取り返すことは容易ではない。若泉は米国の強硬な姿勢と佐藤首