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近現代史の検索結果321 - 360 件 / 556件

  • 沖縄返還の〝密使〟若泉敬、重み増す憂国の叫び

    京都産業大学の学生へ講話する若泉敬=昭和59年5月(吉村信二さん提供)昭和47年5月の沖縄返還を巡る米国との外交交渉で、日本政府の〝密使〟として水面下で折衝に当たった国際政治学者がいる。平成8年に66歳で死去した若泉敬は、領土返還に関する自身の役割について長く口を閉ざした一方、晩年は祖国の安全保障政策を「愚者の楽園」と痛烈に批判。ロシアのウクライナ侵攻を機に、日本を取り巻く国際情勢が一層混沌(こんとん)とする今、関係者の証言や著書に残された「憂国の士」の言葉は重みを増している。 若泉は昭和40年代初頭、英米留学の経験などから米政権中枢にも太い人脈を持つ気鋭の国際政治学者として注目を集めた。42年秋から佐藤栄作首相の要請を受け、秘密裏に米高官と交渉を担当。沖縄返還決定を盛り込んだ日米共同声明の草案づくりに尽力した。 敗戦で失った領土を取り返すことは容易ではない。若泉は米国の強硬な姿勢と佐藤首

      沖縄返還の〝密使〟若泉敬、重み増す憂国の叫び
    • 【あさま山荘事件50年】弱体化立て直し 「連合赤軍」先鋭化の果てに

      あさま山荘事件が起きた昭和40年代は、日米安保条約延長に反対する70年安保闘争を背景に、ベトナム反戦や沖縄返還など反体制運動が高まっていた。特定党派に属さない一般学生が多く参加した学生組織「全学共闘会議(全共闘)」の運動は全国の大学に拡大。デモにとどまらず、「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶による闘争が繰り広げられた。 44年1月、全共闘などが東京大学の安田講堂などを占拠した「東大安田講堂事件」を契機に学生運動への世論の支持は急速に低下。一部の学生は政治に不満を持つ労働者らと結びつき、組織の分裂を繰り返しながら、より過激なテロやゲリラに移行した。 中でも先鋭的な武装闘争を展開したのが60年安保の中核だった「共産主義者同盟(ブント)」の一部が44年に結成した「共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)」だ。45年3月に一部のメンバーが「国外に革命戦争の根拠地をつくる」として日航機「よど

        【あさま山荘事件50年】弱体化立て直し 「連合赤軍」先鋭化の果てに
      • 分断の克服 1989-1990 ――統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦 板橋 拓己(著/文) - 中央公論新社

        紹介 一九八九年に「ベルリンの壁」が崩壊し、ドイツ統一への機運が高まる。だがソ連のゴルバチョフは統一に反対。英仏やポーランドも大国ドイツの復活を危惧し、米国のブッシュは冷戦の勝利とNATOの維持拡大を優先する。冷戦後の国際秩序について各国の思惑が交錯する中、「ヨーロッパの分断」を克服する外交を展開したのが、西ドイツ外相ゲンシャーだった。本書はドイツ統一をめぐる激動の国際政治を、最新の史料を駆使し描き出す。 板橋 拓己 (イタバシタクミ)  (著/文) 板橋拓己 1978年栃木県生まれ。2001年北海道大学法学部卒業、08年同大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。成蹊大学法学部助教、准教授などを経て、16年より教授。22年より東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授。専攻は国際政治史。著書に『中欧の模索――ドイツ・ナショナリズムの一系譜』(創文社、2010年)、『アデナウアー――

          分断の克服 1989-1990 ――統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦 板橋 拓己(著/文) - 中央公論新社
        • 【日曜に書く】論説顧問・斎藤勉 プーチン黙認の「虐殺映画」

          ノボチェルカッスク60年プーチン露大統領がウクライナ侵略を続ける最中、「ソ連時代で最大級」とされる労働者蜂起の残虐な弾圧事件を描いたロシア映画に出くわした。 事件現場は、ロシア軍がまさに今、「完全制圧」に血道を上げるウクライナ東部・ドンバス地方のすぐ東隣、ロシア南西部・ロストフ州の古都、ノボチェルカッスクだ。ちょうど60年前、フルシチョフ治世下の1962年6月2日の惨劇で、「血の日曜日事件」とも呼ばれる。 『親愛なる同志たちへ』と題したこの作品は、ロシア映画界の巨匠で『暴走機関車』(85年)などの名作で知られるコンチャロフスキー監督がメガホンをとり、2年前のベネチア国際映画祭で初公開された。驚くのは、反体制派の暗殺が相次いでいるプーチン独裁体制下で、ロシア文化省が事件を忠実に辿(たど)った国内での撮影も、作品の国内公開もともに許可したことだ。 当時の文化相はプーチン氏の「思想」的バックボー

            【日曜に書く】論説顧問・斎藤勉 プーチン黙認の「虐殺映画」
          • 【知論考論】韓国の主張に根拠なし 竹島問題あきらめるな

            島根県・竹島(聯合=共同)韓国が1952年、島根県隠岐の島町の竹島を取り込む「李承晩ライン」を一方的に設定してから、今年で70年。その翌年から始まった韓国による不法占拠は今も続く。地元の島根県は、竹島の領土編入100年に当たる2005年、2月22日を「竹島の日」とする条例を制定し、領有権をめぐり韓国側の批判の矢面に立たされてきた。日韓の領土紛争を解決する道はあるのか、島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二氏と、南山大教授の平岩俊司氏に聞いた。 資料発掘で再確認

              【知論考論】韓国の主張に根拠なし 竹島問題あきらめるな
            • ノルマンディー上陸作戦80年 改めて試される専制主義との対決意志 世界を知るキーワード

              第二次世界大戦で連合軍を勝利に導く一大転換点となったノルマンディー上陸作戦から6月6日で80年を迎える。米英などの自由主義陣営はナチス・ドイツを打倒した後、共に大戦を戦ったソ連と約45年間にわたった東西冷戦に突入した。そしてロシアと中国が冷戦終結後の国際秩序の変更に動く現在、自由主義陣営は80年前と同様、力を合わせて専制主義勢力に立ち向かう決意を試されている。 13万人超が海岸に敵前上陸「私は諸君の勇気と任務への献身、戦闘の技術に全幅の信頼を置いている。完全勝利以外は認めない。幸運を祈る!」 第二次大戦末期の1944年6月6日、米英やカナダなど連合国軍を束ねるドワイト・アイゼンハワー連合国遠征軍最高司令官(後の第34代米大統領)は、ノルマンディー上陸作戦の決行を全軍に命じるメッセージでこう述べ、戦争の行方を決定づける作戦の完遂を訴えた。

                ノルマンディー上陸作戦80年 改めて試される専制主義との対決意志 世界を知るキーワード
              • 戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(9)砲術長の独断

                戦艦(手前)の上空を飛ぶ九七式艦上攻撃機(昭和53年8月号収載。筆者は戦艦「大和」前部射撃指揮所員) 最初の編隊が「大和」に襲いかかり、それぞれ爆弾、魚雷を投下して飛び去ると、すぐつぎの一団が襲いかかってくる。息つくひまもないとはこういうことをいうのであろう。 しかも、一団の編成はいずれも百機内外の数であるが、それは私たちには無数に感じられた。それにしても、彼らはじつに勇敢に突入してくる。すて身の急降下爆撃は日本のお家芸と思っていたら大まちがいで、私たちの考えていた米国人にあらず、思い切りわれをめざしてとび込んでくるのだ。

                  戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(9)砲術長の独断
                • 多くの学校で見られる二宮金次郎石像 | 日本石材工業新聞

                  日本各地に様々な石彫刻が設置されていますが、小学校などでよく目にするのが二宮金次郎の石像でしょう。弊社のある愛知県・岡崎産地でも戦前より二宮金次郎の石像が多く製作され、岡崎市内はもとより全国各地へと納められていきました。 二宮金次郎は江戸時代末期を生きた方で、幼い頃は比較的裕福な農家の家庭で育ったようですが、14歳で父親を、16歳で母親を亡くされ、無一文の孤児になってしまった。そのような中でも、前を向き、しっかりと生きていくために、背中に薪を背負って懸命に働きつつ、人生の指針を手にするために本を読む。石像などでもよく見る勤労・勤勉を示す姿ですが、それと共に、一歩踏み出して「どんな時も行動する」ことを示す姿勢も、金次郎の生き方を表す大切な要素となっているようです。 金次郎の名が全国に知られるようになったきっかけは明治期の教科書にその生き方が紹介されたこと。それにより全国の子供たちや保護者に知

                  • [戦世のあと]<中>焦土から故郷再生…野ざらしの遺骨 拾い集め

                    【読売新聞】 約2年ぶりに戻った島には一軒の家もなく、サトウキビ畑だった場所には重機のわだちが刻まれていた。 沖縄本島北部沖の伊江島(伊江村)。「沖縄戦の縮図」と呼ばれる激しい戦いを生き延びた島民は全員、島外退去となり、米軍は本土攻

                      [戦世のあと]<中>焦土から故郷再生…野ざらしの遺骨 拾い集め
                    • 焼夷弾に機銃掃射の雨…必死に逃げた 87歳が見た「伊勢崎空襲」 | 毎日新聞

                      知人の出征時、国旗にした寄せ書きのコピーを手に戦時中を振り返る中津川賢三さん=群馬県伊勢崎市南千木町で2023年7月31日午後2時26分、大澤孝二撮影 群馬県伊勢崎市の中津川賢三さん(87)には忘れられない記憶がある。1945年8月15日未明にかけて米軍により攻撃された「伊勢崎空襲」で、夕日のように燃えさかる集落を目にした。戦闘機は低空飛行しながら機銃掃射を浴びせかけた。「ダッダッダッダッ」とうなる音におびえながら、命からがら逃げ延びた。「少しでも動いていたら撃ち抜かれていたかも、と今でもぞっとする」と振り返る。15日は終戦の日。【大澤孝二】 突然の出来事だった。当時住んでいた同市内の自宅で空襲警報のサイレンが聞こえ、地響きのような衝撃が走った。9歳だった。父の常平さんが草津の硫黄鉱山の採掘作業から3カ月ぶりに戻り、家族でゆっくり過ごして就寝したばかりだった。

                        焼夷弾に機銃掃射の雨…必死に逃げた 87歳が見た「伊勢崎空襲」 | 毎日新聞
                      • 昭憲皇太后が「大礼服」に込めた近代化への思い 崩御110年、修復終え明治神宮で初展示

                        明治天皇の后(きさき)、昭憲皇太后の崩御から110年を迎える今月、その事績を改めて振り返る催しが明治神宮(東京都渋谷区)で開催される。6日から始まる展覧会では、昭憲皇太后が着用し、昨年、修復が完了した「大礼服(たいれいふく)」を東京で初めて展示。5年に及んだ修復プロジェクトの集大成となるシンポジウムも開催予定で、関係者は「日本の近代化に尽力した昭憲皇太后の思いを感じてもらえたら」と話している。 現存最古のドレスバラの花や葉の文様に沿い、金属製のモール糸で施された立体的な刺繍(ししゅう)。華麗な長さ約3・5メートルのトレーン(引き裾)の先には、小柄な体に強い意志を携えた女性の姿が浮かぶ-。 明治期、近代化の中で宮中改革を牽引(けんいん)し、皇后として初めて洋装を取り入れたことで知られる昭憲皇太后の貴重なドレスが6日から、明治神宮ミュージアムの展覧会「受け継がれし明治のドレス」でお披露目される

                          昭憲皇太后が「大礼服」に込めた近代化への思い 崩御110年、修復終え明治神宮で初展示
                        • 【新聞に喝!】「新しい戦前」類比は適切か 日本大教授・小谷賢

                          終戦から78年を迎えた8月15日の各紙では例年のごとく、戦争に関するさまざまな論説が掲載された。日本が二度と戦争を起こしてはならない、という主張に異論はないが、個人的に気になったのは、「毎日」と「日経」がタレントのタモリ氏の「新しい戦前」という発言を引用して、現在の日本が太平洋戦争の直前に似ていると指摘し、警鐘を鳴らした点だ。 この発言は昨年末のテレビ番組において、2023年がどのような年になるか尋ねられた際のもののようだが、氏はこの言葉について具体的に説明していないので、その真意は測りかねる。ただかつて氏は戦争がなくならない理由として、「LOVEさえなければ、PEACEなんだよ」と発言されている。これは争いが愛する者を守ることから生じるという核心をついており、深みのある言葉だと思う。そう考えると「新しい戦前」という言葉も深掘りしたくなる。 戦前昭和期についてわれわれが連想するのは、世界恐

                            【新聞に喝!】「新しい戦前」類比は適切か 日本大教授・小谷賢
                          • 「地下鉄サリン事件」から26年、教祖「麻原彰晃」が演出したハルマゲドン(全文) | デイリー新潮

                            400人以上の逮捕者 平成7(1995)年のGWは、連日のようにオウム真理教の逮捕者が相次いだ。3月の山梨県上九一色村・教団施設の強制捜査を皮切りに、全国25カ所、その数は400人以上に及んだのである。それから24年後の2019年、平成最後となったその夏に、麻原彰晃以下、幹部13名には死刑が執行されることになる。 (週刊新潮別冊「さよなら平成」2019年1月25日発行より再掲) *** 速報「山崎製パン」約10年で4人の死者が… 大手スポンサーにメディアは忖度、取材に笑いながら「調査いつ終わるかも分かっていません」 速報上皇陛下の姉君・池田厚子さん(93)と「ジューC」カバヤ代表が “異例”の養子縁組をしていた 40歳差「親子」になった理由とは 平成の日常からは縁遠いはずだった「テロ」を、一気に身近へと引き寄せてしまったオウム真理教。平成2年2月の衆院選では、首魁・麻原彰晃(34=当時)自

                              「地下鉄サリン事件」から26年、教祖「麻原彰晃」が演出したハルマゲドン(全文) | デイリー新潮
                            • 【現代を問う】天皇の島・ペリリュー慰霊の旅 「真の日本の近現代史」を学ぶきっかけに 岡山学芸館高・清秀中学園長 森靖喜(1/3ページ)

                              12月14日から日本の真南約3000キロ、フィリピンの東800キロの太平洋に浮かぶ「マリモ」のような美しい島、パラオ共和国のペリリュー島を生徒10人とともに訪れた。同行してくれた元気で戦史に詳しい元自衛隊員の平野雅人君の解説はすばらしいものだった。 目的は、先の大戦で1万500人余の日本軍守備隊が全滅(終戦2年後34人が帰還)したのであるが、その戦没者に感謝の意を表し、追悼・慰霊することが一つ。二つ目は、大東亜戦争(太平洋戦争)は日本が望んだ戦争ではなく、アジアや米国を侵略した戦争でもない。米国の人種差別主義者で、ソ連を支援した社会主義者である国際金融資本家に担がれたルーズベルト大統領とその側近が理不尽にも日本を追い詰めたのが原因である、と学ぶきっかけにするためであった。 ルーズベルトが侵略したという事実は、ルーズベルトの前のフーバー大統領の『回顧録』で、また、米国歴史学会会長であったチャ

                                【現代を問う】天皇の島・ペリリュー慰霊の旅 「真の日本の近現代史」を学ぶきっかけに 岡山学芸館高・清秀中学園長 森靖喜(1/3ページ)
                              • そろって大目玉をくらった3人の「総理大臣」

                                【読売新聞】編集委員 吉田清久 政治家や官僚の回顧録を読み重ねると、時々思いがけない事実に遭遇する。 敗戦直後の1945年9月のことだ。霞が関の大蔵省大臣室で、突然、津島寿一蔵相(1888~1967年)のカミナリが落ちた。 「近頃の

                                  そろって大目玉をくらった3人の「総理大臣」
                                • 元公安警察官は見た シベリア抑留の日本人38名をスパイにしたソ連外交官の変節(全文) | デイリー新潮

                                  日本の公安警察は、アメリカのCIAやFBIのように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年歩き、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、太平洋戦争後、シベリア抑留された日本人をスパイにした旧ソ連のラストボロフについて聞いた。 *** 【写真】CIAでスパイを養成した日本人女性教官 戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留された日本人は57万5000人、死者は5万5000人にものぼったと言われる。駐日旧ソ連大使館のラストボロフ二等書記官は、抑留者の中から38人をスパイに仕立てた男として知られている。 「日本語が堪能だったラストボロフは、抑留者から目ぼしい人物をスパイとして選抜するKGBの秘密委員会に所属していました」 と解説するのは、勝丸氏。 「彼は、知的水準が高く旧ソ連に協力的

                                    元公安警察官は見た シベリア抑留の日本人38名をスパイにしたソ連外交官の変節(全文) | デイリー新潮
                                  • 『西郷隆盛と明治維新』(坂野 潤治):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部

                                    日本近代史の第一人者が、日本を近代国家に導いた人物を描き出す! 征韓論、西南戦争……、「軍部独裁と侵略戦争の元祖」はつくられた虚像だった!幕末期に「議会制」を構想し、封建制の打破に尽力し、江華島事件を卑劣と非難した、幕末維新の巨人の実像に迫る一冊。 日本近代史の第一人者が、日本を近代国家に導いた人物を描き出す! 征韓論、西南戦争……、「軍部独裁と侵略戦争の元祖」はつくられた虚像だった!幕末期に「議会制」を構想し、封建制の打破に尽力し、江華島事件を卑劣と非難した、幕末維新の巨人の実像に迫る一冊。

                                      『西郷隆盛と明治維新』(坂野 潤治):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
                                    • 【正論】「平和憲法」の呪縛が解ける時 東京大学名誉教授・平川祐弘

                                      一九四五年、敗戦国日本は武装を解かれ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」(前文)、戦力は「保持しない」(九条)という憲法が翌年公布された。以後、二大主張が対立し、今日に及んでいる。多数派は、占領軍の日本非武装化に賛成し、『朝日新聞』『公明新聞』『赤旗』など憲法護持である。 日本人の精神的武装解除「平和憲法」の夢は美しい。この幻想にすがるのは、日本人の精神的武装解除を意図した占領政策に端を発するが、主権回復後もその呪縛がさらに続いたのは、その理想に憧れたからだ。平和は憲法のおかげのような報道もあった。 東京大学名誉教授、平川祐弘氏だが、そんな日本の安全神話は、国際情勢の険悪化により、シャボン玉のごとく破れた。自分も血を流そうとせぬ日本を、米国は本当に守るのか。そんな疑念がかすめたからである。

                                        【正論】「平和憲法」の呪縛が解ける時 東京大学名誉教授・平川祐弘
                                      • 戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(13)大爆発の果て

                                        昭和20年4月7日、海上特攻作戦で沖縄に向かう途中、米軍機の猛攻を受ける「大和」。急降下爆撃機の100ポンド爆弾が周囲に落下し、巨大な水柱をあげる中、大和は右に急回頭し、背後の魚雷をうまく避けた。だが米軍機の波状攻撃は執拗かつ熾烈で、このあと少なくとも魚雷10本以上、爆弾5~7発が命中、大和は大爆発とともに沈没した=鹿児島県の坊のノ岬沖(昭和53年8月号収載。筆者は戦艦「大和」前部射撃指揮所員) その一つというのは、「総員退避、上甲板!」で右舷の手すりにすずなりになって、しがみついていた何百人の人たちのことである。この人たちは爆発とどうじに、一瞬のうちに木っ葉みじんになって吹きとばされるという結果になったことと思われる。 上甲板に退避し、これで助かったと安心していた将兵が多かったにちがいないが、激しい戦いを生きながらえてきたこの人たちも、つぎの段階で吹きとばされる悲しい運命の人たちであった

                                          戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(13)大爆発の果て
                                        • 払下げ事件で失墜、五代友厚の名誉回復へ 教科書記述に変化も

                                          五代友厚公の像=大阪市中央区一本の新聞記事に、晩節をけがされた男がいる。明治維新期に活躍した旧薩摩藩出身の実業家、五代友厚だ。大阪経済の礎を築いたと評価される一方、北海道の官有物について不当に安く払い下げを受けようとしたとの悪評がつきまとい、歴史教科書でも〝史実〟としての記載がみられる。ただ、批判の端緒となった新聞記事を否定する史料もあり、政争に巻き込まれた側面も浮かぶ。関係者が名誉回復を求め続けてきた中、一部の教科書の記述に大きな前進があった。 〝密約〟を否定NHKの連続テレビ小説「あさが来た」で俳優のディーン・フジオカが演じて再注目された五代。大阪取引所や大阪商工会議所などの設立に尽力し、「東の渋沢(栄一) 西の五代」と並び称される一方、その人物評に黒い影を落とすのが、明治14年夏に世間を騒がせた「開拓使官有物払下げ事件」だ。

                                            払下げ事件で失墜、五代友厚の名誉回復へ 教科書記述に変化も
                                          • 太平洋の試練 レイテから終戦まで 上 イアン・トール(著/文) - 文藝春秋

                                            紹介 史上最大の海の戦いは悲劇のクライマックスへ。 前人未踏の太平洋戦史トリロジー、遂に完結――。 第一部『真珠湾からミッドウェイまで』、第二部『ガダルカナルからサイパン陥落まで』に続き、5年の執筆期間と、前作・前々作の1.5倍の紙幅を費やして描き切られた、太平洋戦争最後の1年間。あまりに巨大かつ濃密なドラマが、かつてなかった戦史の掉尾を飾る。 太平洋戦争はその最終盤においては、初期よりもはるかに大規模に、そしてはるかに政治的になっていた。真珠湾、ミッドウェイ、ガダルカナルといったそれぞれの海戦戦記だけでは決してわからない、終戦に向かう巨大なうねりを可視化するには、本書が描き出す無数の人々の群像劇が必要不可欠だった。 それを象徴するエピソードが、本書上巻冒頭で描かれる、1944年7月のホノルル戦略会議である。ローズヴェルト大統領がハワイを訪れ、太平洋戦域指揮官たちと日本との戦いの最終戦略を

                                              太平洋の試練 レイテから終戦まで 上 イアン・トール(著/文) - 文藝春秋
                                            • 【広島「正論」友の会】「大東亜戦争の教訓生かせ」 久野潤・日本経済大准教授が講演

                                              広島「正論」友の会の第23回講演会が28日、広島市中区の合人社ウェンディひと・まちプラザで開かれ、日本経済大准教授の久野潤氏が「アジア解放と防共の大東亜戦争―大東亜会議から80年―」と題して講演した。 久野氏は、欧州各国による20世紀のアジア諸地域における植民地支配の過酷さを紹介するとともに「大東亜戦争の目的は日本の自存自衛に加え、共産主義の拡大防止だった」と強調した。 昭和18年に東京で開かれた大東亜会議について「日本、中華民国(南京政府)、タイなど7カ国が参加した世界初の非白人のみによる国際会議」として「大東亜の共存共栄を宣言した」と説明。日本は結果として敗戦したが、日本が戦わなければアジアが史実以上に共産化しかねなかったと指摘し、「共産化を防ごうとした教訓を今の国際社会で生かすべきだ」と述べた。

                                                【広島「正論」友の会】「大東亜戦争の教訓生かせ」 久野潤・日本経済大准教授が講演
                                              • 敗戦後も中国共産党軍と4年近く戦っていた日本兵たちを知っていますか(全文) | デイリー新潮

                                                澄田は山西省中原の司令部で8月15日の玉音放送を聴いた。 しかし、澄田の第1軍は、その日をもって武装解除することはなかった。軍としての統制も保っていたし、戦闘を交える準備さえしていた。ただし、その相手は国民党軍ではなく、中国共産党軍だった。 一方で、支那派遣軍の総司令官である岡村寧次が8月15日以降中国および台湾各地の司令官に発した命令は、国民党軍に降伏し、武装解除したのち、帰国せよというものだった。 ところが、日本軍の降伏を受け入れる国民党軍の将軍たちは、現地にはいなかった。というのも、彼らの多くは重慶など中国南部に拠点をおいていた。 そのため、日本軍のいる現地に到着するまで時間がかかったのだ。岡村は、国民党軍の将軍が現地に到着するまでは、降伏せず、共産党軍やソ連が来て国民党軍への降伏を妨げるならば、これを撃退せよとも命じていた。国際法では降伏するときは現地で戦っている相手に降伏すること

                                                  敗戦後も中国共産党軍と4年近く戦っていた日本兵たちを知っていますか(全文) | デイリー新潮
                                                • 死者10万人 東京大空襲を忘れないために

                                                  【読売新聞】

                                                    死者10万人 東京大空襲を忘れないために
                                                  • 近代日本外交史 -佐々木雄一 著|新書|中央公論新社

                                                    幕末の開国から太平洋戦争まで 佐々木雄一 著 1853年にペリーが来航し、日本は開国へと向かう。明治維新後、条約改正や日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て、世界の大国となった。だが1930年代以降、満州事変、日中戦争、太平洋戦争に突入し、悲惨な敗戦に終わる。日本は世界とどう関わってきたのか。破局の道を回避する術はなかったのか。国際秩序との関係を軸に、幕末の開国から太平洋戦争まで、日本外交の歩みをたどる。近年の研究をふまえた最新の通史。 書誌データ 初版刊行日2022/10/20 判型新書判 ページ数256ページ 定価924円(10%税込) ISBNコードISBN978-4-12-102719-1 書店の在庫を確認 ❑紀伊國屋書店 ❑丸善&ジュンク堂書店 ❑旭屋書店  ❑有隣堂  ❑TSUTAYA

                                                      近代日本外交史 -佐々木雄一 著|新書|中央公論新社
                                                    • 【一筆多論】晴れて大河に「五代様」を 山上直子

                                                      現在システムメンテナンス中です 会員記事の閲覧など一部サービスがご利用できません。 ご迷惑をおかけしますがご理解のほどよろしくお願いいたします。 2月27日(日)午前5時頃まで サービス再開時間が前後する場合があります。 →詳細へ

                                                        【一筆多論】晴れて大河に「五代様」を 山上直子
                                                      • 地軸|ニュース|愛媛新聞ONLINE

                                                        「インスタ映え」が新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれたのは2017年。「映える」被写体は絶景にスイーツ、しばしば撮影者自身も。特に若い女性は自分の見せ方を心得ているかのよう。 今どきはそういうものか。いや、自らの「映え」を気にしながら楽しむ思春期の心情は昔も同じだった。それこそ戦争の時代も。沖縄県のひめゆり平和祈念資料館で、そう思わせる写真を見た。 ひめゆりは、校舎も校歌も一緒だった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の愛称。13~19歳が学んだ。たとえば日米開戦の1941年ごろ、寄宿舎の窓から13人が顔を出す一枚。みんな空を見上げ、いたずらっぽく笑うのは示し合わせたのだろうか。「はいオーケー」の声でわっと盛り上がって…想像を誘う。 同じ展示室では先生に付けたニックネームを紹介する。「ピーエージジョウ」はPA二乗。おばあさんを表す方言「パーパー」をもじったという。なんだ、センスも今と変わ

                                                        • (一) 学術の発展:文部科学省

                                                          わが国においては幕末期に新しい学問としての洋学に注目し外国の近代科学を導入することを始めた。しかし、当時の洋学は語学が中心であって、近代科学の一面は理解できたが、これを摂取して学術的研究を展開するまでには至らなかった。近代科学の発展は教育の充実と深い関係があり、特に大学における研究と切り離してみることはできない。しかし、明治維新後における近代科学は文部省所管の施設以外の機関においても研究に着手し、近代的な学術発展への萌(ほう)芽となった。たとえば、工部省は欧米の科学技術を導入することに対して積極的であって、工部大学校を設けて近代的な科学と技術の基礎を急速に築こうとしていた。そのほかの省においても近代科学を導入するために方策を立てて、積極的に学術的研究を進める情勢となっていた。明治二十年代までは全般として近代科学発展への創始時代であった。 文部省はこの創始時代に三つの方策によって近代科学の導

                                                          • 戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(11)艦底からの声

                                                            現在システムメンテナンス中です 会員記事の閲覧など一部サービスがご利用できません。 ご迷惑をおかけしますがご理解のほどよろしくお願いいたします。 2月27日(日)午前5時頃まで サービス再開時間が前後する場合があります。 →詳細へ

                                                              戦艦「大和」主砲指揮所に地獄を見た(11)艦底からの声
                                                            • 【日本の道統】倫理退廃と戦った乃木希典の殉死

                                                              現在システムメンテナンス中です 会員記事の閲覧など一部サービスがご利用できません。 ご迷惑をおかけしますがご理解のほどよろしくお願いいたします。 2月27日(日)午前5時頃まで サービス再開時間が前後する場合があります。 →詳細へ 乃木公園の一角に立つ「乃木大将と辻占(つじうら)売りの少年像」=東京・乃木坂われゆかば人もゆくらむ皇国のたゞ一すぢの平らけき道 『乃木将軍詩歌集』 長府藩(現山口県下関市)藩士の子として江戸藩邸に生まれた乃木希典(まれすけ)(1849~1912年)は、儒学者の結城香崖(ゆうきこうがい)、玉木文之進(ぶんのしん)に漢学を学び、一時は学者の道を志したほど文才に恵まれた少年だった。ただ、長府藩報国隊に属して小倉城一番乗りを果たした後は戊辰戦争、秋月の乱、萩の乱、西南戦争などに従軍、軍人としての道を歩む。 明治20(1887)年、ドイツに留学し、帰国後は日清戦争、台湾出

                                                                【日本の道統】倫理退廃と戦った乃木希典の殉死
                                                              • 諜報・謀略の中国現代史 国家安全省の指導者にみる権力闘争 柴田哲雄著:東京新聞 TOKYO Web

                                                                地下活動と武装蜂起の歴史を持つ中国共産党は、本質的に秘密結社的な性質がある。ゆえに対立する国民党のスパイや、党内の反主流派につながる人間をいちはやく見つけ、排除せねばならない。また国土を列強に瓜分(かぶん)された悲惨な近現代史を克服した「新中国」は、常に西側による体制転覆の策動を警戒している。ゆえに、西側式の民主主義を求めたり海外メディアに情報を漏らしたりする自国民は監視の対象だ。そんな中国という国家において諜報機関の持つ重要性は言うまでもない。 本書は第一次国共内戦期から大戦期にかけて情報部門の要職を歴任した潘漢年(はんかんねん)、土地改革や文化大革命における党内異分子の陰惨な迫害から「中国のベリヤ」「地獄の王」の異名を取った怪人・康生(こうせい)、建国後の国家安全部(書中では「国家安全省」)のトップを務めた喬石(きょうせき)、国家安全部を含む中国の政治法制部門を牛耳るものの二〇一五年に

                                                                  諜報・謀略の中国現代史 国家安全省の指導者にみる権力闘争 柴田哲雄著:東京新聞 TOKYO Web
                                                                • 「アナタハンの女王」と呼ばれた女性の生涯 日本兵32人に囲まれ、そのうち5人と“結婚”、4人は不審死か別の男に殺害され…異様な孤島生活とは(全文) | デイリー新潮

                                                                  太平洋戦争の終結から数年後、南洋の孤島から日本に生還した沖縄出身の女性。日本の敗戦も知らず、32人の男性兵士とジャングルで暮らしていたという身の上は、世間に大きな衝撃を与えた。しかもその間も12人が命を落とし、うち数人は彼女をめぐって殺害されたという。想像を絶する過酷な状況のなか、生き抜くことを決意した彼女が選んだ生き方とは――。 (前後編記事の前編・「新潮45」2005年8月号特集「昭和史七大『猛女怪女』列伝」掲載記事をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記は執筆当時のものです) *** 【写真】喜びと緊張が混じった表情で前を見据え…アナタハンから救助された際の比嘉さん 帰国後のおだやかな表情も 「女王蜂」の生還 「帰ってください! お話しすることは何もありません。私の知る和子さんは近所の子供たちから『カズおバア、カズおバア』と慕われた優しい女性でした。もう、帰ってください」 今年(

                                                                    「アナタハンの女王」と呼ばれた女性の生涯 日本兵32人に囲まれ、そのうち5人と“結婚”、4人は不審死か別の男に殺害され…異様な孤島生活とは(全文) | デイリー新潮
                                                                  • 気温40度、湿度98%で働くフンドシ姿の男たち……過酷な炭鉱労働の現場を70年前の貴重写真で振り返る(全文) | デイリー新潮

                                                                    若き日の渡部雄吉から声をかけられ… SDGsなど脱炭素の風潮により嫌厭(けんえん)されていた石炭だが、いま燃料費高騰やロシアのウクライナ侵攻により再び関心が高まっている。かつてのにぎやかな炭鉱の思い出を、70年前の貴重写真で振り返る。 *** 【貴重写真】ふんどし姿で過酷な環境で働く炭鉱夫たち 女性は商品を選別する仕事に従事していた 先月、石炭が過去最高値を記録した。折からの燃料費高騰に加え、大きなシェアを占めるロシア産の供給がウクライナ侵攻によりストップ。また、不足している天然ガスの代替として需要が高まるなか、冬の到来を前に、さらなる値上がりが予想される。 日本にも、かつて多くの炭鉱が存在した。その一つ、常磐炭鉱は第2次世界大戦中から、福島県の一大産業として、活況を呈していた。 そんな繁栄まっただ中の常磐炭鉱を撮影したカメラマン・高岩震氏(94)はこう回想する。 「1952年、新宿のキャ

                                                                      気温40度、湿度98%で働くフンドシ姿の男たち……過酷な炭鉱労働の現場を70年前の貴重写真で振り返る(全文) | デイリー新潮
                                                                    • 戦後、徴用工の未払い賃金を回収した「朝連」 労働者に返還されず政治資金に転用?(全文) | デイリー新潮

                                                                      「週刊新潮」の発売前日に速報が届く! メールマガジン登録 デイリー新潮とは? 広告掲載について お問い合わせ 著作権・リンクについて ご購入について 免責事項 プライバシーポリシー データポリシー 運営:株式会社新潮社 Copyright © SHINCHOSHA All Rights Reserved. すべての画像・データについて無断転用・無断転載を禁じます。

                                                                        戦後、徴用工の未払い賃金を回収した「朝連」 労働者に返還されず政治資金に転用?(全文) | デイリー新潮
                                                                      • 戦前の検閲フィルム上映会…キスや過度の暴力シーン削除

                                                                        【読売新聞】

                                                                          戦前の検閲フィルム上映会…キスや過度の暴力シーン削除
                                                                        • 関東大震災から99年、公的救護の“空白”から学ぶ教訓…いまの私たちの心構えは大丈夫?

                                                                          【読売新聞】編集委員 丸山淳一 10万人を超える犠牲者を出した大正12年(1923年)9月1日の関東大震災から99年がたつ。この震災は当初「大正大震火災」と名付けられたほど、火災による被害が大きかった。当時の東京市の4割にあたる34

                                                                            関東大震災から99年、公的救護の“空白”から学ぶ教訓…いまの私たちの心構えは大丈夫?
                                                                          • 【沖縄復帰50年の葛藤】(3)自衛隊協力者に襲撃予告 「日本軍上陸、阻止粉砕」

                                                                            昭和45年10月、元自衛官でつくる沖縄隊友会会長の石嶺邦夫は、約20人の隊友とともに那覇空港で一人の男の到着を待っていた。やがて飛行機が着陸し、タラップから姿をみせたのは防衛庁長官、中曽根康弘だ。中曽根は、出迎えの琉球政府高官や米軍将校らの前を素通りし、末席に並ぶ石嶺らの前に来ると、一人一人の手をがっしりと握った。空港の外では、自衛隊に反対するデモ隊のシュプレヒコールが響いていた。 退職余儀なく「長官ならではのパフォーマンスだろう。そうと分かっていても、とても勇気づけられた」 88歳になった石嶺が、遠い目で語る。

                                                                              【沖縄復帰50年の葛藤】(3)自衛隊協力者に襲撃予告 「日本軍上陸、阻止粉砕」
                                                                            • 【歴史写真館#1】 真珠湾攻撃 よみがえる記憶

                                                                                【歴史写真館#1】 真珠湾攻撃 よみがえる記憶
                                                                              • 【あさま山荘50年の証言】(6)隣の独房で響いた坂口弘死刑囚の一喝 作家の佐藤優さん(62)

                                                                                インタビューに応じる元外交官で作家の佐藤優=14日午後、東京都千代田区(三尾郁恵撮影)元外交官の作家、佐藤優(62)は、外務省をめぐる背任事件で東京拘置所に勾留中、あさま山荘事件の実行犯の1人で死刑囚の坂口弘(75)と隣房になった経験を持つ。決して交差することのない壁越しでの無言の交流。事件から50年がたち、佐藤はかつての〝隣人〟の面影を思い起こしながら、その教訓をくみ取ろうとする。 《平成15年4月、勾留中だった佐藤は、東京拘置所の「三十二房」に移った》 週に1、2回、隣房の人が映画を見ていることに気づいた。看守に訊くと「確定者だけ。わかるでしょ」と言われ、死刑囚だと理解した。ある日、ひげそりをするために房に電気カミソリを入れてもらうと「三十一房 坂口弘」と書かれたものが来た。今思えば、私が隣のことを気にかけていることを知っていた看守がそっと教えてくれたのかもしれない。

                                                                                  【あさま山荘50年の証言】(6)隣の独房で響いた坂口弘死刑囚の一喝 作家の佐藤優さん(62)
                                                                                • 近代世界の誕生 « 名古屋大学出版会

                                                                                  2024年5月8日出来予定 中国共産党の神経系 周 俊 著 A5判・上製・478頁 税込6,930円/本体6,300円 ISBN 978-4-8158-1152-5 Cコード 3031 詳細を見る 2024年5月10日出来予定 銀行監督の歴史 邉 英治 著 A5判・上製・416頁 税込6,930円/本体6,300円 ISBN 978-4-8158-1155-6 Cコード 3033 詳細を見る 2024年6月12日出来予定 日本統治下の台湾 平井健介 著 四六判・上製・400頁 税込3,960円/本体3,600円 ISBN 978-4-8158-1158-7 Cコード 3022 詳細を見る 2024年4月1日出来 教育原理を組みなおす(第2刷) 松下晴彦・伊藤彰浩・服部美奈 編 A5判・並製・336頁 税込2,970円/本体2,700円 ISBN 978-4-8158-1045-0 Cコード