#自衛官に言われたこと 自衛官「阪神淡路大震災の被災者でして、あの時に助けてもらった事がきっかけで入隊しました」 ぼく「なるほど、他の組織に入る可能性はなかったんですか」 自衛官「実は山□組の炊き出しに助けられまして、危うく道を踏み外すところでした」 一同「ワハハハハ」
25年前の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたあとも利用を続けていた神戸市役所の庁舎が建て替えに向けて解体されることになり、29日、お別れの式典が開かれました。 解体工事が来月から始まるのを前に29日開かれたお別れの式典には、久元市長や矢田前市長が参加し、まず、市役所の歴史を振り返るスライドショーが流されました。 そして、久元市長が「震災で被害を受けた庁舎で職員は余震が続く中、懐中電灯を照らしながら働いていたと聞いています。新しい施設で官民共同でにぎわいを創出し、未来にチャレンジしていく」とあいさつしました。 市によりますと、解体工事は1年ほどかかる予定です。 新しい庁舎は延べ床面積が6万平方メートルで、市役所のオフィスのほか、商業施設や音楽ホールの入居を想定しています。 式典のあと、矢田前市長は「この庁舎は震災復興のシンボルで、震災後も役割をしっかり果たしてくれたので、新しい庁舎も市民に
丈(たけ)さんのツイート 今日から関東で赤十字コラボキャンペーン開始です イラストでもよかったんですけどクリアファイルは両面使えるので今回は2ページカラー漫画にしてみました 続きの裏面は献血後にお読みください 今回も皆様の献血のご協力よろしくお願いいたします 今日から関東で赤十字コラボキャンペーン開始です イラストでもよかったんですけどクリアファイルは両面使えるので今回は2ページカラー漫画にしてみました 続きの裏面は献血後にお読みください 今回も皆様の献血のご協力よろしくお願いいたします pic.twitter.com/Qd7FlxJXv9 — 丈(たけ)■宇崎4巻2/7 (@syokumutaiman) 2020年2月1日 いろいろご意見あるの知ってますが全部答えてるとキリがないのでひとつだけ 「なぜ赤十字コラボキャンペーンに協力したのか」と言う質問にだけお答えします 僕が阪神淡路大震災
神戸市が主催して中央区の東遊園地で開いた追悼行事では、震災で母親を亡くした神戸市の男性が遺族代表で追悼のことばを述べました。 今では両親から受け継いだすし店を営んでいます。 上野さんは次のように追悼のことばを述べました。 「お母さんへ。お母さんが天国へ旅立ってから今日でちょうど25年。いやな地震があった日やね。あの日の夜中にスキーから帰ってきて電話したん覚えてる?『正月、神戸に帰ってなかったから1月末に帰る』って言おうと思ってん。 お母さん股関節骨折してて、1階で寝てたな。『そろそろ2階でお父さんと一緒に寝えへんの』って聞いたよね。『お父さんかぜ気味でうつったらあかんからきょうは下で寝るわ』って言ってたよね。僕も『そうし』って言うてしもた。こん時のこと、今もやっぱり後悔してんねん。 まさか、そのあと地震がくるなんて思ってなかったし、まさか、自分の家がつぶれるなんて思ってなかってん。怖かった
高さ2メートルほどのフェンス。設置されているのは公園です。 この場所で毎年、神戸市民にとって大切な行事が開かれてきました。 しかし11月から再開発の工事がスタート。 市民が守り続けてきた“祈りの場”はどうなるのでしょうか? (神戸放送局 井出瑞葉) 1月17日午前5時46分。夜明け前の神戸の街は、毎年この時間、静かな祈りとろうそくのほのかな明かりに包まれます。 6434人が亡くなった1995年の阪神・淡路大震災。 毎年『1.17』の形に灯ろうが並べられ、集まった多くの人たちが震災の発生時刻に合わせて犠牲者を悼み、震災を語り継ぐ場となってきました。 その会場が神戸の中心部にある公園「東遊園地」です。 市民などで作る実行委員会が主催してきた「阪神淡路大震災1.17のつどい」。 新型コロナの感染が急拡大し、緊急事態宣言が出されていたことし1月も、分散しての来場を呼びかけるなど感染対策を徹底して、
平成7年2月8日・・・当時の日記より 再び須磨区名谷と姫路に出張だ。陸路は途絶しているので、午前9時00分の天保山発神戸行きの高速艇に乗るべく8時前に大阪港に出向いたが、すでに満席。 【ニッチな話題かもしれないが、震災の後、凄く短い期間だったが、大阪港の遊覧船サンタマリアが大阪港を飛び出して、大阪・神戸間の定期航路船として勇猛果敢に働いていた。今では遠来の観光客を乗せて日がな一日大阪港内を周遊しているが、あのときは、ほんと必死の運用だったのだろう。よく運輸省が認可したなと思うほどの大胆な措置だった。】 仕方なく9時30分発のサンタマリア号に乗船することになる。 高速艇が40分で行くところを1時間半かかる。 あれこれ言っても仕方がないので、とりあえず船中の人となる。 定刻に出帆するが、そもそも遊覧船ゆえ、フラフラとよく揺れるし、とにかくのろい。 また、船内を眺めてみると、室内装飾の華麗さとリ
2020年1月17日に25年の節目を迎える阪神淡路大震災をテーマにしたシンポジウム「SNS・AIで大災害から命を守る」が兵庫県公館で開催された。三部構成のプログラムでは、全国の自治体やネット企業が進める、SNSやAI(人工知能)などのデジタル技術を防災や減災につなげる取り組みが紹介され、今後の活用についてヤフー、LINE、Facebookの取締役が参加して議論した。 基調講演では慶応義塾大学環境情報学部教授の山口真吾氏が、災害時の「情報」の重要性について語った。阪神淡路大震災以降、日本では災害関連死として約5000人が認定されており、それだけでも巨大災害に匹敵する死者数になっている。「防止には被災者と避難所の状況を把握する情報が必須だが、膨大すぎるため人力では情報収集も処理も対応不可能なため、SNSをはじめAIやスマートスピーカー、チャットボット、コミュニケーションロボットなどの技術を活用
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。 記憶の風化を防ぐために大きな役割を果たしてきたのが「語り部」の存在です。 しかし、その「語り部」の高齢化は進み、担い手の育成が課題となっています。 ある80歳の語り部は言います。 「体が許す限り語り続けたいが、このままでは団体の存続が厳しい」 一方で、震災の記憶がなくても語り継いでいこうと動きだした若い世代の動きも見えてきました。 29歳の語り部は、1月1日に起きた能登半島地震の被害の様子を見て、「いま、何ができるのか考える日々です」と言葉少なに語ります。 あの日から29年、語り部の“現在地”を追いました。 (神戸放送局記者 小田和正) 阪神・淡路大震災を経験した自治体の元職員などでつくる神戸市のNPO法人「神戸の絆2005」。 行政の立場から当時の経験を語り継ぐ活動を続けています。 これまで19年にわたって語り部の活動を行っている大濱義弘
▽昨日、1月17日で阪神淡路大震災から25年となった。私はまだ10代のクソガキだったし、今と変わらず埼玉に暮らしていたので直接体験したわけではなく、何を思ったのかもあまり覚えてはいない。その頃はテレビをよく見ていたので、映像で何かとんでもないことが起きているなと思ったくらいで、その日に会った友人とも震災について軽く触れた程度だった。自分自身もクソガキ、というか未熟だったので完全に他人事で自分の意識も変わることはなかった。 6434人。これほどの人が阪神淡路大震災で亡くなっている。それに20万棟以上の家屋が被害を受け、経済的な損失も莫大、高速道路が倒壊している様子は衝撃だった。大きな被害を受けた地域は25年が経ち、復興はほとんど終わっている。けれど、きっと被災者の方々の心は完全に癒えてはいない。ラジオから流れてきた被災者の声はまるで昨日の出来事を語っているようだった。悲しみは一生背負っていか
祈りと希望の折り鶴先週、母と歩くと人知れず置かれた、新しい花束をいくつか見ました。 1995年1月17日に5時46分に発生した阪神淡路大震災から 今日で26年が経ちました。 その花束は、亡くなった方達に手向けられた花束でしょう。 私の知人でなくなられた方もいらっしゃいました。 息子のお稽古で知り合った、2人のお嬢さんとそのお母様です。 お姉ちゃんの手を引いて、妹ちゃんを自転車の後ろに乗せてお稽古に来ていました。 明るく、お会いするといつも私や友人JJを笑わせて下さいました。 あの日、きっと崩れ行く建物の中でお嬢さん2人を抱きしめて逝かれたと思います。 お兄ちゃんとご主人は別の部屋で休まれていたそうでご無事でしたが、 残されたお2人のお心を察すると、今も胸が痛いです。 彼女たちの住んでいた場所には、新しい建物が建ち、 そこで3人がお亡くなりになった事を知る人も少なくなったかもしれませんが、
今年6月以降、神奈川県内で続いている異臭騒ぎで、12日にもJR横浜駅やみなとみらい地区など横浜市内で「ガスのような臭いがする」との通報が相次いだ。原因は不明だが、過去の文献には大震災の際、ガスの発生を想起させる記述がある。関連性はあるのか。 JR東日本横浜支社によると、横浜駅の利用客から「異臭がする」との申告を受け、社員が消防や警察に通報。一時は入場規制を行った。 神奈川の異臭騒ぎは南東部の三浦半島でも続いている。6月4日夜、三浦市南下浦町金田地区から横須賀市追浜地区にかけ、「ゴムの焼けたようなにおいがする」などとする通報が約2時間弱で約200件にのぼった。 同市消防局によると、その後も「7~9月にかけて『ガスのような臭いがする』といった通報が月に1度のペースである」という。 三浦半島は1923年9月1日の関東大震災の震源に近いが、当時、周辺でガスが噴出したという記録が残っている。 26年
阪神・淡路大震災当時の性被害を仮設住宅に暮らしていたシングルマザーが明かした 阪神・淡路大震災だけでなく、東日本大震災や熊本地震でも性犯罪はあったという 震災時は人命救助が優先で警察の取締が手薄になるため、そうした隙をついた犯罪も 「まいどなニュース」が1月16日、95年1月に発生した阪神・淡路大震災当時の性被害について取り上げた。この特集が、注目を集めている。これまで指摘されることの少なかった問題であり、25年という時が経過しながらも残された課題といえそうだ。 記事には、仮設住宅に暮らしていたシングルマザーの話が明かされていた。ある初老の男性が手厚く世話を焼いてくれていたが、彼女がお礼として夕食に誘うと突然「抱かせろ」と態度を豹変させたというのだ。 「阪神・淡路大震災や11年3月の東日本大震災では、レイプ事件も伝えられています。震災が発生すると人命救助が優先となり、警察や消防の取り締まり
「西日本は南海トラフ発生前の地震活動期」能登半島地震 “流体の影響”研究する専門家指摘 阪神・淡路大震災前より “切迫”評価 危険度「最高ランク」の活断層とは 活断層の危険度を4つのランクに 最高ランクは全国31の活断層 主要活断層帯の長期評価(算定基準日:2023年1月1日) 地震調査研究推進本部発表 この内陸地震を引き起こす主な要因となるのが活断層です。政府の地震調査研究推進本部(=地震本部)によると、全国にはおよそ2000の活断層があるとされていますが、このうち全国114の活断層について地震発生の危険度を以下の4つのランクに分けて評価しています。 今後30年以内の地震発生確率 Sランク 3%以上 Aランク 0.1~3%未満 Zランク 0.1%未満 Xランク 不明 最も危険度が高いものが「Sランク」です。今後30年以内に地震が発生する確率が「3%以上」と評価した活断層が該当します。20
皆さん、こんにちは。 今年も1月17日を迎えました。 26年前のこの日、私にとって、一生忘れられない、出来事が起こりました。 そう、阪神・淡路大震災が発生した日です。 絶望と恐怖、何より焦燥感というものを初めて経験した出来事でした。 当時、私が住んでいた地域は、ライフラインの寸断はありましたが、建物が倒壊するほ どの被害はありませんでした。 ただ、以前、記事にもしましたが、職を失い、仲間とも離れ離れになりました。 数十秒の揺れが、私たちの生活を一変させてしまいました。 阪神・淡路大震災 1.17 今年も行ってきました 数年前から、「追悼の集い」に参加しております。 前職の仲間から声を掛けてもらい、参加するようになったのですが、 今年はコロナの影響で、三宮の東遊園地には行かず、前の職場近くへ行ってきました。 元同僚とA先輩と3人で追悼の意を捧げて来ました。 コロナの影響もあってか今日は、人も
ABCテレビ×サンテレビジョン ウエビナー企画「トリアージ・・・命を救うために」 3月26日(日)15:00-16:30 参加無料 オンライン形式(Zoom登録が必要です) ⇒ https://us06web.zoom.us/meeting/register/tZMkdeGqqTgoGtNLObbFv3BGOFL0fAhuCsAl 【登壇者(予定)】 水谷和郎医師 六甲アイランド甲南病院 循環器内科部長 石田岳史医師 さいたま市民医療センター 副院長 藤岡勇貴 サンテレビ 報道キャスター 佐藤江里子 ABCテレビ 報道記者 など 阪神淡路大震災から、きょうで27年です。地震発生当日、淡路島の病院で、「トリアージ」の様子を記録した貴重な映像が残っています。その映像を使って震災を伝える、医師の姿を取材しました。 (2021年1月17日放送) #ABCテレビ #キャスト #特集
阪神・淡路大震災が発生した28年前の1月17日に、兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオ。震災当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像には、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。 【写真で見る】震災当日の午前9時前…次々と運び込まれる傷病者 そしてトリアージ=命の選択の瞬間 県立淡路病院で撮影された阪神・淡路大震災『当日の映像』 (栗栖茂医師) 「これが私が撮ったオリジナルのフルカセットのテープです。(Q撮影した時のことは覚えていますか?)非常に新鮮に、というか鮮烈に覚えていますね」 当時の県立淡路病院で外科医として勤務していた栗栖茂さん。普段から手術や治療を記録用に撮影していたという。あの日も何気なくカメラを回し始めた。 震災当日の午前9時前、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師たち。震災で北部を中心に大きな被害が出た淡路島で、唯一の救命救急病
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『佐倉葉ウェブ文化研究室』トップページ ■ウェブ文化史: |阪神・淡路大震災とインターネット |登録型ウェブ日記リンク集の動乱 |個人ニュースサイト史 |テキストサイトの歴史 |Flash動画史 |ウェブ文化から見たラグナロクオンラインの歴史 |アイマスMAD動画の黎明期| ■表: |個人サイトが多めなインターネットの歴史年表 |「東日本大震災発生に伴うインターネット上の出来事と話題」日表| ■企画もの: |自己顕示欲充足システムに飲み込まれる登山者と事故の危険性 ~インターネットの普及による山行への影響について『ヤマレコ』を事例にして~ |私のウェブ文化史の書き方 ~「個人ニュースサイト史」を例にとって~ |倉庫| ▼目次 ■1.序文 ■2.阪神・淡路大震災とインターネット ◆被害情報の共有、◆情報ボランティアの勃興、◆インターVネットの稼働 ■3.評価 ■4.評論 ■参考文献 ★この記
火がともされ、浮かび上がった紙灯籠の「むすぶ」の文字=17日午前4時51分、神戸市中央区加納町6、東遊園地 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から28年となる朝を迎えた。地震発生時刻の午前5時46分に合わせ、追悼施設のある神戸市中央区の東遊園地をはじめ、被災各地では亡き人をしのび、鎮魂の祈りがささげられる。 追悼行事「1・17のつどい」が行われる東遊園地では未明から準備が進み、人々が訪れ始めた。この日の来場者は新型コロナウイルス感染拡大前とほぼ同じ約5万人が見込まれている。 「1995 むすぶ 1・17」の文字をかたどった灯籠約1万本に火がともされ、暗闇に浮かび上がる。「むすぶ」は公募で選ばれた文字で、過去と未来、震災経験者と知らない世代、被災者と支える人らを「むすぶ」という思いが込められる。 このほか、各地の公園でも住民たちがそれぞれ追悼行事を行い
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