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阪神大震災の検索結果1 - 14 件 / 14件

  • 阪神大震災の時に家族死亡者向け給付金の手続きをしている小学生の少女に誰が亡くなったかと確認したら自分以外の家族全員だった話

    Fumio Namba @nanbafumio2 阪神大震災では確かに被災し、家は全焼したけど、その時は自分のことを可哀想な被災者だとは全く思っていなかった。誰かから同情されたり励まされたりしても、本気で否定した。家族がしっかりしていたという点もあるが、やっぱり生存者罪悪があったと思う。自分の家族は誰も死んでいない、という。 2024-01-13 11:57:28 Fumio Namba @nanbafumio2 生存者罪悪なんて感じなくていいと思うかもしれないし、私も他人に対してはそう思うかもしれない。でも、それがあることで頑張れることもある。それだけ生きているということは重い。命が大事。誰が何と言おうと、これは揺るがないドグマ。 2024-01-13 12:09:45 Fumio Namba @nanbafumio2 震災当時、灘区役所で勤めていた母から聞いた話。 家族が死亡した者に市

      阪神大震災の時に家族死亡者向け給付金の手続きをしている小学生の少女に誰が亡くなったかと確認したら自分以外の家族全員だった話
    • 輪島の倒壊ビル、土台が地中の杭から抜けたか…東大教授「同様の被害は阪神大震災で見て以来」

      【読売新聞】 石川県能登地方で最大震度7を観測した地震では、耐震性の高い鉄筋コンクリート(RC)造のビルでも倒壊が起きた。現地調査に入った東京大地震研究所の楠浩一教授(耐震工学)に同行した。(科学部 林尭志) 輪島市中心部・河井町で

        輪島の倒壊ビル、土台が地中の杭から抜けたか…東大教授「同様の被害は阪神大震災で見て以来」
      • 奥能登の断水が解消されるのは何年後に…阪神大震災や熊本地震のようなスピード復旧が望めない背景とは:東京新聞 TOKYO Web

        能登半島地震の発生から2週間が過ぎた石川県内では、まだ5万戸以上で断水が続く。奥能登地域ではほぼ全域で水が出ず、住民たちは風呂やトイレを我慢するなど不自由な生活を強いられ、健康状態の悪化も懸念される。浄水場や配水管の被害が大きく、完全復旧へのめどが立たない中、各市町は応急措置でしのぐなど試行錯誤を続けている。(福本英司、三宅駿平、山口登史、稲垣達成) 被災各地に設置された給水所では、容器に水をくみに訪れる住民たちの姿が途絶えることがない。「ぜいたくは言ってられないが、定期的に入浴したい」。輪島市立鳳至小学校の避難所に身を寄せる女性(40)がこぼした。自衛隊が風呂を用意したものの長蛇の列が続く。「一度も入れていない人もいる」と明かす。 同市大野町で倒壊を免れた自宅に住む50代女性は、雨水をためトイレを流す。それでも貯水量に限りがあり「健康に悪いと分かっているが、トイレをできるだけ使わないよう

          奥能登の断水が解消されるのは何年後に…阪神大震災や熊本地震のようなスピード復旧が望めない背景とは:東京新聞 TOKYO Web
        • 5歳のあの日、大切な母を失った けれど… 阪神大震災遺族代表 | 毎日新聞

          震災で亡くなった母の形見のマフラーを首に巻き、遺族代表として追悼のことばを述べる鈴木佑一さん=神戸市中央区の東遊園地で2024年1月17日午前5時59分、山本康介撮影 1995年の阪神大震災から29年となった17日、神戸市中央区の東遊園地で追悼行事「1・17のつどい」が営まれた。母富代さん(当時44歳)を亡くした鈴木佑一さん(34)=同市須磨区=が遺族代表として、追悼のことばを述べた。 ことばは次の通り。 追悼のことば 震災の日5歳の私と母と兄の3人は2階建ての神戸母子寮の建物の1階で生活していました。 地震で建物が倒壊して私は生き埋めになっており、知らない人たちが私を助け出してくれて、靴を渡してくれました。

            5歳のあの日、大切な母を失った けれど… 阪神大震災遺族代表 | 毎日新聞
          • 能登地震でもやっぱり出た、根拠のない「人工地震」 デマはなぜ広がる?  かつてはオウム真理教も「阪神大震災は地震兵器の攻撃」 | 47NEWS

            天災や大事故といった出来事に見舞われると、その原因や関連の出来事を巡って、さまざまな臆測が飛び交う。それらには、デマやうわさなど根拠のなく無責任なものが少なくないが、拡散することで社会不安や暴力を生み出す危険性もはらんでいる。 震災のたびに頭をもたげる、根拠のない情報のひとつが「人工地震」だ。また、外国人による「窃盗団」といった噂も、被災地に広がる。なぜ広まり、信じるのか。その背景を探った。(共同通信=佐藤大介) ▽「うわさ」の拡散 最大震度7を観測した能登半島地震が発生する前日の2023年12月31日、X(旧ツイッター)に「リンクが全部消えている謎」との書き込みが投稿された。この日、石川県能登町の変電所で「3回爆発音」との報道が、インターネットのニュースサイトであったが、すぐに記事が削除された。これを疑問視する内容だった。 この投稿は元日の地震発生直後から注目を集め、閲覧回数は200万回

              能登地震でもやっぱり出た、根拠のない「人工地震」 デマはなぜ広がる?  かつてはオウム真理教も「阪神大震災は地震兵器の攻撃」 | 47NEWS
            • 輪島の倒壊ビル、土台が地中の杭から抜けたか…東大教授「同様の被害は阪神大震災で見て以来」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

              横倒しになった地上7階建てのビル。あらわになった土台の底側からは杭が抜けていた(3日、石川県輪島市で) 石川県能登地方で最大震度7を観測した地震では、耐震性の高い鉄筋コンクリート(RC)造のビルでも倒壊が起きた。現地調査に入った東京大地震研究所の楠浩一教授(耐震工学)に同行した。(科学部 林尭志) 【写真】闇夜に浮かび上がる地震で倒壊したビル(1日午後7時8分、石川県輪島市河井町で

                輪島の倒壊ビル、土台が地中の杭から抜けたか…東大教授「同様の被害は阪神大震災で見て以来」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
              • 阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか

                阪神大震災のとき精神科医は何を考え、どのように行動したか トップページ 中井久夫「災害がほんとうに襲った時」電子データの公開および無償頒布につきまして(最相葉月) 令和6年能登半島地震で被害に遭われた方に心より御見舞い申し上げます。 阪神淡路大震災で、心のケア活動にあたった精神科医、中井久夫神戸大学名誉教授の文 書を引き続き無料公開しております。東日本大震災の際、ご本人とみすず書房の許可を 得て電子化したものです。 被害の全容も明らかではありませんが、現地へ支援に入るボランティアの皆様のお役に 立てれば幸いです。 (2024年1月2日 最相葉月) 熊本、大分を始め九州地方で地震に遭われた方に心より御見舞い申し上げます。 阪神淡路大震災で、心のケア活動にあたった精神科医、中井久夫神戸大学名誉教授の文書を引き続き無料公開しております。 予断を許さぬ状況ですが、現地へ支援に入るボランティアの皆様

                • 阪神大震災級の強い揺れ 軟弱な地盤、被害拡大か 能登半島地震 | 毎日新聞

                  1日に発生した能登半島地震では木造住宅の倒壊が相次いだ。激しい揺れに襲われた石川県輪島市、珠洲市の街は壊滅的な状態で、いまだ被害の全容は明らかになっていない。これほどまでに甚大な被害をもたらした要因は何だったのか。 能登半島地震では、木造家屋や中低層建物の全壊や倒壊を引き起こしやすい周期の地震波が発生し、被害を拡大させた可能性が指摘されている。 地震波の周期とは、揺れが1往復するのにかかる時間を指す。人が感じやすい揺れは0・1~1秒で、その周期の揺れだけでは建物自体の被害は出にくいとされる。一方、1~2秒周期の揺れは木造建物の破壊をもたらしやすい。2秒を超えるような周期の場合は高層ビルが大きく揺れる。

                    阪神大震災級の強い揺れ 軟弱な地盤、被害拡大か 能登半島地震 | 毎日新聞
                  • 阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演

                    阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演 – 記事詳細|Infoseekニュース17日で発生から29年を迎える阪神淡路大震災。この日、来年30年の節目での公開を目指す映画「港に灯(ひ)がともる」(監督安達もじり)の製作が、映像制作会社「合同会社ミナトスタジオ」から発表された。阪神淡路大震災の1カ月後に神戸市長田区で生まれ、被災を機に荒れた生活となった家族や国籍に悩み、双極性障が… 25年前、困難な状況だったにもかかわらず、多くの被災者が真摯に答えた言葉の数々。 映像から得られる教訓を未来につなげます。 1995年1月17日5時46分、阪神淡路大震災が起こりました。 三連休明けの朝、テレビが普及して初めて日本が経験した大災害でした。 同時に、この震災は発生の瞬間から、その後の復興プロセスまで映像でつぶさに記録された、世界で初めての大

                      阪神大震災の記憶をつなぐ…30年の節目迎える来年1月公開を目指す映画の製作決定、富田望生が映画初主演
                    • 「鶴橋駅のホームは歩きたくない」という方がいたが構造を見てみたらたしかに不安になる「こんな構造だったんだ!?」「阪神大震災をくぐり抜けている」

                      ニュー伊吹 @ibukiinterpress ドヤ街探訪家🏮 昭和|アングラ|ハレンチ|ネオン|赤線|路地裏|スラム|貧民窟 |アジア旅行|深夜の慰みもの|悪質な冗談はやめて下さい! bsky.app/profile/ibukii…

                        「鶴橋駅のホームは歩きたくない」という方がいたが構造を見てみたらたしかに不安になる「こんな構造だったんだ!?」「阪神大震災をくぐり抜けている」
                      • 阪神大震災とは?

                        阪神大震災は、1995年1月17日に日本の兵庫県南部を襲った、大規模な地震です。 阪神大震災は、震源地が兵庫県淡路市の南海トラフ沖で発生し、震度7を超える揺れが広範囲に及びました。この地震は、午前5時46分に発生し、大阪や神戸を含む関西地方全体に影響を与えました。 地震による建物の倒壊や火災が多数発生し、特に神戸市内では高層ビルや住宅が崩壊し、火災が広がるなど大きな被害が発生しました。また、淡路島でも建物の崩壊や液状化現象が発生し、被害が広がりました。 死者・行方不明者は約6,400人に上り、負傷者も約4万人に達しました。地域経済や交通網にも甚大な影響を及ぼし、被災地の社会・経済構造が大きく揺れました。 震災後、復興のための努力が行われましたが、被害の大きさや複雑さから復興は容易ではありませんでした。被災地の建物やインフラの復旧・再建、被災者の生活の再建などが必要でした。国内外からの支援や

                          阪神大震災とは?
                        • 「この街は終わりですか」…震災直後の不安に、阪神大震災経験者がくれたアドバイスは 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(2) | 47NEWS

                          家族や親戚のだんらんを一瞬で奪った能登半島地震。間もなく発生13年となる東日本大震災の経験者たちは何を思うのか。一人一人を訪ねると、大切な人を亡くし、ふるさとから離れることを余儀なくされた体験を、能登の現状と重ねるように語り始めた。(共同通信=東日本大震災取材班) ▽恋愛や勉強…「気を使いすぎず周りの大人頼って」 原発事故当時は中学生だった語り部の小泉良空さん(27) 東京電力福島第1原発がある福島県大熊町で生まれ育ちましたが、中学2年の終わりに原発事故が起き、県内外に避難しました。今は大熊町の隣町、双葉町のまちづくり公社「ふたばプロジェクト」で働きながら、東日本大震災と原発事故の経験を伝える語り部活動をしています。 原発事故のニュースには専門用語が使われ、自分の町の話題なのに何が何だか分からず、混乱しました。通っていた中学校が再開されたのは、100キロ離れた避難先の同県会津若松市です。部

                            「この街は終わりですか」…震災直後の不安に、阪神大震災経験者がくれたアドバイスは 東日本大震災の経験者を訪ねたら、能登半島地震被災地へのメッセージであふれていた(2) | 47NEWS
                          • 5歳で生き別れた兄 29年ぶり再会 阪神大震災で死亡した母の墓へ | 毎日新聞

                            あの日から29年を迎えた17日、阪神大震災から復興を遂げた被災地で当時の記憶が引き継がれた。「風化させてはならない」。能登半島地震で災害への備えの大切さを改めてかみしめた体験者から、次の世代を担う若者へバトンが託された。 止まっていた時間が動き出した。神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼行事「1・17のつどい」に、遺族代表として臨んだ鈴木佑一さん(34)=神戸市須磨区=はこの冬、生き別れとなった八つ上の兄と再会した。「多くの支えで今があることに感謝したい」。読み上げた追悼のことばに、そんな思いを寄せた。 17日午前5時46分。母の形見であるチェック柄の赤いマフラーを身に着け、祈りをささげた。ことばを語る最中、孤独だった過去が頭をよぎり、涙が止まらなかった。

                              5歳で生き別れた兄 29年ぶり再会 阪神大震災で死亡した母の墓へ | 毎日新聞
                            • 能登半島地震、自衛隊の派遣期間が102日に 阪神大震災を超えて史上2番目の長さ

                              能登半島地震での自衛隊の派遣期間が11日で開始から102日となり、平成7年に起きた阪神大震災を超えた。23年の東日本大震災に次いで、地震災害への派遣期間としては史上2番目の長さになるとみられる。上下水道の復旧に時間がかかり、被災者への入浴支援活動でのニーズが続いていることが要因だ。 自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は11日の記者会見で、能登半島への派遣が長期化していることについて、「ニーズがある限り、被災者に寄り添って生活支援活動を続けていきたい」と話した。 一方、長期化による部隊への影響について、吉田氏は「計画していた訓練を取りやめることで練度などに影響が出てくることはあるが、最小限にするため活動部隊を中部方面隊の中で収めようとしている」と述べた。 自衛隊統合幕僚監部によると、地震災害での派遣としては、東日本大震災が174日で過去最長とみられる。阪神大震災では101日間だった。

                                能登半島地震、自衛隊の派遣期間が102日に 阪神大震災を超えて史上2番目の長さ
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