【読売新聞】 那覇市の首里城火災から31日で2年を迎える。再建に向けた検討が進む中で、琉球王国末期の1877年(明治10年)に撮影された、現存最古の正殿の写真が確認された。2019年に焼失した平成復元の正殿と違って、正面階段脇の「大
今回見つかった首里城の写真の拡大画像。向かって右側の大龍柱は根元しか写っていない(〇で囲った部分)。左側の柱は正面を向いている。撮影は1896年とみられる=共同 1896(明治29)年に撮影されたとみられる沖縄県・那覇の首里城の写真が見つかった。正殿前に一対で立つ石彫りの大龍柱のうち、向かって右側の柱は根元部分だけ残し、写っていない。 明治政府が琉球処分のため派遣した軍隊が撤収する時に大龍柱の1本を切断した、という古老らの証言が伝わっているが、明確な文献資料はなかった。今回発見された写真は、この伝聞を裏付ける証拠になりそうだ。 古写真を見つけたのは、東京都国分寺市の美術商、秋山弘道さん(72)。父親から引き継いだ大量の写真の中にあった。秋山さんは「首里城は正面から撮った写真が多いが、これは少し斜めから撮影しており、大龍柱が1本しかないので不思議だと思った」と話す。
首里城公園近くにある円鑑池(えんかんち)で1日から6日までに90匹以上の魚が死んでいたことが分かった。池を管理する那覇市文化財課によると、大量死の発生は首里城火災の後。市の担当者は「高いところから池に水が流れ込む構造になっており、焼けた木材の灰が池に入った可能性がある」とみている。一方、魚に詳しい専門家は「炭自体は観賞用で水槽に入れることもあり無毒。火事が原因だとすれば、首里城の資材に塗られた油などが原因ではないか」と推測している。(社会部・比嘉桃乃、松田麗香) 【写真】異変が起きる前の円鑑池 大量死が発見されたのは5~10センチ程度のテラピア約90匹や、20~30センチのサイズのコイ3匹。7日以降、死んだ魚は見つかっていない。 市が5日に池の水質を調査したところ、酸性・アルカリ性を示すpH値は「7・8」で中性を示した。担当者は「魚が水面まで上がってきて口をぱくぱくさせている姿が見られた。
2019.10.31 14:25 「首里城火災は中学生の放火」「犯人は外国人」と拡散、無根拠のデマやヘイトに注意を 10月31日午前2時40分頃、沖縄県の世界遺産・首里城で火災が発生した。那覇署によると、正殿から煙が出ていることを目撃した警備員が通報したという。通報から約8時間後に鎮火されたが、正殿から延焼して北殿、南殿など6棟約4200平方メートルをほぼ全焼している。けが人はいなかった。 31日明け方から、複数のテレビ局が首里城火災を報道。しかし全容がわからぬ中での放送となり、激しく燃え盛る首里城や消火活動の様子を中継した『あさチャン』(TBS系)では、不確かな情報が流れた。 スタジオの夏目三久アナが出火原因について質問すると、現地リポーターは「近隣住民によると(首里城の)近くで焚火をしていた中学生がいたという情報もある。情報の確認が急がれます」「夜の12時前後に(焚火を)見たという話も
31日未明に発生した首里城の火災を受け、那覇市は同日午前、会見を開いた。城間幹子市長は「県民にとって象徴的な世界遺産であり、観光業界にとっても財産だ。琉球の歴史を物語るシンボルを失ったという落胆の思い」と述べた。早期の再建を希望した上で「県主導で国にあおぎながら進んでいくのではないか。市も最大限の協力をする」と述べた。市によると、屋内に自動で放水、消火する設備はなかったという。島袋弘樹消防局長は「消防設備が維持されていたのか確認し、どのように延焼拡大したのか検証する」とした。 一般の市民の負傷者はないが、応援の消防職員1人が脱水症状を起こしたという。市が開設した避難所には一時最大33人が避難したが、午前7時半までに帰宅した。 市によると、首里城正殿の軒下には「ドレンチャー」という外側からの延焼を防ぐ放水設備が付いているほか、外側から放水する「放水銃」もあった。正常に作動したか今後確認する。
炎上する首里城の正殿=31日午前、那覇市 31日未明、沖縄県那覇市の首里城正殿で火災が発生した。同午前2時41分、首里城の警備員から那覇市消防に通報があった。同午前7時現在、鎮火していない。正殿と北殿がほぼ全焼し、南殿など城内のほかの建物に燃え広がっている。那覇消防などから消防車両が約40台が出て、消火活動をしている。これまでのところ、けが人の情報は入っていない。消防が原因を調べている。 那覇市は防災無線や広報車両などを使い、首里城で火災が発生していることや、火の粉が遠くまで飛ぶ恐れがあることから窓を閉めることなど警戒を呼び掛けている。また、首里城周辺は規制線が張られ交通規制も行われており、県警が周辺一帯の住民に対して避難するよう呼び掛けている。那覇市は城南小学校と首里公民館、石嶺公民館に避難所を設置。石嶺公民館に3人が避難している。那覇市は31日午前7時半めどに災害警戒本部の会議を開く。
首里城火災を受け、設置者の国、管理者の沖縄県、運営管理する沖縄美ら島財団の3者が6日、初めてそろって会見した。財団側は、出火元の正殿から最後に関係者が退出した時間を当初の説明から訂正するなどちぐはぐな回答。一方、高台にあり二重の城壁に囲まれ、消防による消火が困難を極めた首里城の屋内には自動消火設備がなかった。妥当性を問われても、国側は「法令を順守した」との見解に終始した。 【多数の内部写真を入手】建物内や収蔵庫…甚大な被害が明らかに 火災の経緯で、配布資料には「31日午前1時20分 警備員巡回開始(城郭内)」と明記。この時間、警備員は正殿を巡回しておらず、最後の退出は財団職員の「30日午後9時35分」で、火災に気付くまで約5時間の空白があった。しかし1日の財団の会見では、警備員は午前1時20分に正殿を巡回し、空白の時間は50分との説明だった。 「前回の説明の根拠は何か」。報道陣から質問が集
那覇市の「首里城」の火災について、県外で暮らす沖縄出身者や首里城を訪れたことがある外国人などからも、SNS上などに「朝から涙が止まらない」などと悲痛な声が寄せられています。 今回の火災のニュースを知って、SNS上では沖縄県外に暮らす人からも投稿が相次いでいます。 「あまりにもショックがでかくて職場の沖縄出身の後輩と抜け殻になってます…」 「琉球の誇りであり、皆に寄り添ってくれる存在の首里城が…」 「上京前に家族3人で思い出作りのために行ったけれど、もう行けないのだと思うと悔しくてならない…」 このうち、沖縄出身で東京に住む44歳の女性は「朝から涙が止まらない」と言います。朝6時すぎにスマートフォンでこのニュースに気付き、テレビをつけると「正殿」が崩れていく様子が流れていたと言うことです。 女性は首里城を復元する時の経緯をテレビのドキュメンタリーで見ていて、「資料が極めて少ない中で苦労して復
沖縄のシンボルでもあり、世界遺産にも登録されている那覇市の首里城跡に復元された首里城で火災が発生しました 那覇市消防局は出火原因の特定を急いでいるようですが、出火時間が深夜だったため、火災の原因は放火ではないかという情報もあります。 仮に放火が出火原因だとすると、火事を防ぐことは難しいでしょう。 放火が火事の原因だとしたら、「放火された場合でも火災保険で自宅の建物や家財は補償されるのか?」と不安に感じる方も多いと思います。 そこで今回は、放火された場合と類焼した場合の火災保険の補償について解説します。 1.首里城が火災で全焼|出火原因は放火?焚き火?タバコ? 出火原因は焚き火? 出火原因は天井裏の電気? 出火原因は放火? 出火の原因はイベント準備中の失火? 出火原因はタバコの不始末? 2.首里城は火災保険に加入していたのか? 首里城の再建に向けた動き 3.放火が原因で火災が発生した場合も火
好きなところに自由に出かけられないのは想像以上に退屈だ。GWが明け、聞こえてくるのは外出の自粛をお互いに確認し合う会話ばかり。 僕は"旅行好き"と人に断言できるほどではないけれど、さすがにずっと近場にだけ出掛けていると、たまには遠くへ旅行に行きたくなる。 コロナの終焉×沖縄旅行 「また自由に旅行に出られるようになったら、どこへ行こう?」ついつい、そんな妄想にふけてしまう。 日本中、行ったことがない場所はたくさんある。一度は行ってみたい場所が山ほどあるけど、できることなら最初は一番楽しかった場所にもう一度行きたい。 そこで旅行の楽しさを、自由に行動できるようになった喜びを、思いっきり感じてみたい。 旅行で一番楽しかった場所。少し考えれば答えは出てくる。「沖縄だ 沖縄に行きたい!」 小さな恋のうた 先日も美容室で流れていたラジオから沖縄に馴染みのある曲が聞こえてきた。沖縄のバンド、モンゴル80
焼損した屋根の一部が撤去され、仮設通路が設置された首里城の奉神門=4月19日、那覇市(首里城公園提供) 首里城公園(那覇市)は12日、昨年10月末の火災で焼失した首里城正殿の地下遺構周辺の写真をフェイスブックで公開した。「見せる復興」を進める方針で、4月下旬からプレハブ建物の窓越しに遺構を見学してもらう予定だったが、新型コロナウイルス禍で延期になったための窮余の策。 正殿前の御庭に整備された見学用通路や、焼損した奉神門の屋根の一部が撤去されて仮設通路が設置された様子も掲載した。公園は感染拡大防止のため4月19日から休園しており、今後も定期的に更新するという。 担当者は「感染状況が落ち着いたら、全国各地から多くの方に見に来てほしい」と話している。
首里城再建、本格化へ 来月初旬に正殿着工―31日で火災3年・沖縄 2022年10月31日07時02分 大きく炎を上げて燃える首里城=2019年10月31日、那覇市 那覇市の首里城が炎上し、正殿などが焼失した火災から31日で3年となった。全焼した正殿は11月3日に起工式が行われ、再建に向けた作業が本格化する。新しい正殿は最新式の防火設備を取り入れ、2026年秋の完成を予定。国と沖縄県は再建の過程も公開することで、新型コロナウイルスの影響で落ち込んだ観光の回復を目指す。 「二度と火災起こさない」 消防が早朝訓練―首里城火災3年 起工式に向け、29日には正殿に使われる材木が産地の沖縄本島北部・国頭村を出発。材木を運ぶ際にはパレードが実施され、沿道には大勢の人が詰め掛けた。 正殿の復元作業は国が主導する。内閣府によると、復元費用は総額約120億円で、平成の復元時の約33億円を大幅に上回る。防火対策
那覇市の首里城焼失で、市消防局は7日、記者会見を開き、正殿北東部の配線と延長コードが溶けたショート痕のようなものが数十カ所見つかったと発表した。また、首里城関係者が消防の調べに対し、正殿内部のLED照明について「スイッチを入れたままだったかもしれない」と証言していることも分かった。延長コードを通じて電気が通ったままの可能性があるという。 調べによると、ショート痕のようなものが見つかったのは、床下や壁の中で分電盤とつながる配線と、分電盤から電源をとっていた延長コード。延長コードは約30本に細切れとなっていたという。経年劣化や小動物がかんでショートを起こした可能性もあり、消防と沖縄県警は出火との関連を調べている。 ただ、配線やコードが溶けているのはショート痕ではなく、火災の熱でできた可能性もある。市消防局は消防庁の消防研究センターに鑑定を依頼する方針。 正殿内部のLED照明をめぐっては、首里城
炎上する首里城の正殿=31日、那覇市 火災で全焼した首里城正殿について、琉球史に詳しい県立博物館・美術館館長の田名真之さんは31日午前、「首里城は沖縄文化や琉球王国の象徴であり、ある種の魂だ。大きなショックを受けている。県民にとっても大きな損失だ」と衝撃を隠しきれない様子だった。1992年の首里城正殿復元に当たっては、沖縄戦で失われた資料が多い中で関係者が調査・研究を重ねたことに触れ「鎌倉芳太郎氏が残した記録など、戦前の資料を寄せ集め、一つ一つ造り上げた」と振り返る。 首里城正殿の特徴について「ヤマトでもない、中国でもない、沖縄唯一の様式だ。何百年の歴史を振り返りながらの作業だった。職人たちも、技術を学びながら造り、再確認にもつながっていた」と指摘。「数日後には首里城では組踊の上演も予定されていた。新たな文化が発信されていく舞台だった」と声を落とした。 今後の修復へ向けては「復元当時には分
ダブルツリーバイヒルトン那覇首里城 今回は沖縄で頻繁に利用しているホテルの1つダブルツリーバイヒルトン那覇首里城 についてレポートします♪ ダブルツリーバイヒルトンはヒルトン系列の中級~やや高級ホテルにあたります。 【公式HP】 doubletree.hiltonhotels.jp ダブルツリーバイヒルトン那覇首里城に関しては、2021年にもホテルレポートを投稿しています。 前回レポートしたお部屋のバスルームが2022年リニューアルされているので、今回のレポートは最新版です^^ 前回はヤクルトスワローズの春季キャンプ最終日と重なったことを書いていました。 3年近く前になりますが、まだコロナ禍で真っ暗なトンネルの中にいた頃でしたね...↓ www.solo-butterfly.com 今回は写真がたくさんあるので2回に分けます。 ①ヒルトンダイヤモンド特典・お部屋 ←今回はこちら ②朝食・
10月31日の火災で正殿など主要建造物を失った首里城。その早期再建を願い、募金の呼び掛けが始まっている。2日現在、募金受け付けを決定した団体などは以下の通り。 沖縄県内マスコミ 県民募金 琉球新報社をはじめ県内マスコミ10社(琉球新報社、沖縄タイムス社、沖縄テレビ放送、琉球放送、琉球朝日放送、NHK沖縄放送局、ラジオ沖縄、エフエム沖縄、八重山毎日新聞社、沖縄ケーブルネットワーク)は焼失した首里城再建のための募金を始めた。県内外に広く寄付を呼び掛け、銀行口座への振り込みのほか、各社で寄付金を受け付ける。集まった浄財は関係機関・団体に託して再建に活用してもらう予定。 「首里城再建」支援のための県民募金の受付窓口は次の通り。 ■受付開始 2019年11月5日(火) ■受付時間 土・日曜日、祝日を除く午前10時~午後5時 ■現金受付窓口 ・琉球新報本社読者サービス室 〒900―8525那覇市泉崎1
10月最後の日。 今朝、起きてすぐのニュースで、沖縄県の首里城が燃えている映像が飛び込んできました。 驚きと、悲しさとで一日が過ぎていきました。 遠く離れている私でさえ、こんな気持ちになるのですから、沖縄の方々の悲しみは途方もないものでしょう。 今までに数度、沖縄へ旅行に行きました。 行けば必ず、そこにあるもの。 迎えてくれるものが、もう無くなってしまったという現実。 少し前には、フランスのノートルダム大聖堂が・・・ そして東日本大震災・・・ 9.11では、アメリカのツインタワーが。 今日と同じ明日が、必ず来るとは限らない事を思い知らされます。 復元までにどれくらいの年月を要するのでしょう。 歳のせいか、災害続きのせいか。 今日は悲しい気持ちですごした1日でした。 明日からは、また元気でがんばります! 首里城がりっぱに復元出来る事を祈ってます。
今日はグループの全休… ロリポップも後輩社長も…渋々被災した実家の様子を見に行き…… お子ちゃま達は、営業に付いて行ったご褒美に、金曜日の夕方から両親共に全額会社負担で、北海道旅行に行ってる…… (希望する他のグループ全体のお子ちゃま達や、その両親は一家族10000円負担で…) 旭山動物園や美瑛町の丘陵地帯や…… ……青い池を見るそうだ。 私はノエルちゃんとのんびり朝ごはん…… 今……ノエちゃんは、私のお腹の上でゴロゴロ鳴らしながら寝てる ………この間、首里城が燃えて… 『残念』がるコメントやニュース、募金活動が伝えられているが… デニー知事が平気で…いや、当たり前の顔で政府に復帰資金援助を求めてる。 こちらの言及記事を是非お読み頂きたい。 本当はもう一つ記事があったけど削除されている デニーが「辺野古移転反対」を止めれば出してやっても良い。 (私がカネを出すわけではないがね。 (-_-;
彩色や金箔(きんぱく)を修復し、漆を塗り直した作業後の首里城正殿=2018年3月(沖縄総合事務局提供) 青い空にパッと目を引く鮮やかな朱色。月夜は神秘的に輝く。3回の火災と沖縄戦を乗り越えて復元された首里城の正殿が、10月31日未明、大規模火災で焼失した。1992年に復元されるまでの様子、県民や国内外の観光客から愛されてきた様子を今、改めて琉球新報の写真で振り返る。(田吹遥子) ライトアップする首里城=2012年 3度の火事、沖縄戦… 昭和初期頃の首里城 首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。戦前に3度焼失。再建されてきたが沖縄戦で壊滅的になった。 陥落後の崩壊した首里城=1945年(県公文書館所蔵) 復元へ 大観衆の中を
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首里城正殿=2018年12月撮影 首里城は1429年から1879年までの約450年間、琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。首里城公園の公式ホームページによると、内郭(内側城郭)と外郭(外側城郭)に大きく分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成している。 昭和初期頃の首里城正殿 公式ホームページによると、首里城は国王とその家族が居住する「王宮」であると同時に、王国を統治する行政機関である「首里王府」の本部でもあった。各地に配置された神女たちを通じて、王国祭祀を運営する宗教上のネットワークの拠点でもあった。首里城とその周辺では芸能・音楽が盛んに演じられ、美術・工芸の専門家が数多く活躍。首里城は文化芸術の中心でもあった。 陥落後の崩壊した首里城=1945年(県公文書館所蔵) 首里城正殿は1925年に「沖縄神社拝殿」として国宝に指定されたが、1945年の沖縄戦で焼失。戦
ダブルツリーバイヒルトン那覇首里城 前回につづき今回もダブルツリーバイヒルトン那覇首里城 についてレポートします♪ 今回は朝食・ハッピーアワー・ランチビュッフェなどお食事編です。 ダブルツリーバイヒルトンはヒルトン系列の中級~やや高級ホテルにあたります。 【公式HP】 doubletree.hiltonhotels.jp ダブルツリーバイヒルトン那覇首里城に関しては、2021年にもホテルレポートを投稿しています。 前回レポートしたお部屋のバスルームが2022年リニューアルされているので、今回のレポートは最新版です^^ 前回はヤクルトスワローズの春季キャンプ最終日と重なったことを書いていました。 3年近く前になりますが、まだコロナ禍で真っ暗なトンネルの中にいた頃でしたね...↓ www.solo-butterfly.com 今回は写真がたくさんあるので2回に分けます。 ①ヒルトンダイヤモンド
火災現場となった首里城の北殿(左)、正殿(中央)、南殿(右)、奉神門(手前の燃えていない建物)=31日午後1時32分、那覇市首里 【東京】31日の首里城焼失を受け、政府内では再建に向けた検討が加速している。内閣府によると、焼失前の首里城の復元にかかった総事業費は1986~2018年度の33年間で約240億円に上る。再建には相当の期間と費用がかかることも予想される。沖縄観光の面でも首里城の存在は大きいため、政府関係者は「絶対に復元させないといけない」と話し、早期再建に意欲を示している。 再建に向けては多額に上ることが見込まれる費用負担が大きな焦点になる。 内閣府によると、今年2月に首里城の管理許可を県に与えるに当たって県と国が結んだ取り決めでは、小規模な修繕は県が、大規模な修繕は国が担うこととされた。内閣府関係者は「今回はどう見ても大規模だ」との認識を示し、国が前面に出て再建に取り組む意向を
Zackey98です草間彌生さんの作品って あちこちにありますけど 正直良さがあまり分かりません 集合体恐怖症というか あの水玉模様を見ると なんとなくゾワッとします 海外でも作品があるのを 見ましたがなんであんなに 幅広く展示されてるんですかね 現代芸術って素人には 意味不明なものが多いので 良さが分からないのは 草間彌生さんに限りませんけど 沖縄といえば外せないのが首里城 ですが御存知の通り 2019年に歴史上5度目となる 火災で消失してしまっています 前回は戦時中の1945年で 沖縄戦で燃えました かなり激しい火災で 正殿と北殿・南殿が ほぼ全焼しており 見るも無残な姿です 沖縄に友人がいますが やはり首里城は沖縄のシンボル ということで老若男女 みなさん悲しみに暮れたそうです そんなわけで残念ながら メインの見どころは ほぼ無くなっています こういった門や石垣など 外郭をグルっと眺
どうも 貧乏サラリーマンでうちなーんちゅのチップです。 皆さんご存知のように世界遺産に登録されていた「首里城が全焼」してしまいました... ケガ人がいないのがせめての救いですね。 沖縄県民としてはショックでどこにいっても首里城の話題です。 火災前 現在 沖縄の首里城が燃えている...。 これは観光に大打撃だ! すごい火事、周辺は大丈夫なのかな。 pic.twitter.com/7bnm1lCxW1— 貧乏サラリーマンのチップ@弱小ブロガー (@chip393939) 2019年10月30日 私は勤務先が近くということもあり、毎日のように首里城を眺めていました。 正直な所、私も含めて「沖縄県民は首里城に興味がなかった」と思っています。 感覚としては「いつでもいけるから普段行かないし、観光客がいく所」という認識でした。 東京の方が「東京タワーにいかない」といえば分かりやすいかな。 ただ失ったか
毎度のことだが、沖縄のこととなると、右派はこういうミスリーディングを仕掛けてくる。 ■ 県が要請しなかったせいで消火に陸自ヘリが使われなかった? 【首里城火災で陸自ヘリ投入できず】 陸自ヘリが消火活動に参加するためには沖縄県が災害派遣要請を行う必要がありますが、県防災危機管理課は要請を検討しなかったといいます。https://t.co/18uMep9vIF — 産経ニュース (@Sankei_news) November 1, 2019 これだけ読むと、あたかも沖縄県が自衛隊に派遣を要請しなかったためにヘリが投入されず、消火活動に支障をきたしたみたいだが、実際にはそんな状況ではなかった。 www.sankei.com 消火活動を心配そうに見守った住民からは「なぜ自衛隊のヘリコプターを使わないのか」と不満の声も上がった。平成23年の東京電力福島第1原発の際には、陸上自衛隊のCH47大型ヘリコ
7棟が全半焼した首里城では沖縄県警や那覇市消防局による実況見分が始まり、火元とみられる正殿付近が念入りに調べられていた=那覇市で2019年11月1日午後3時36分、本社ヘリから 那覇市の首里城の正殿などが全焼した火災で、約1500点の収蔵品や展示物のうち琉球王国の資料など約400点が焼失したことが判明した。首里城を管理する「沖縄美(ちゅ)ら島財団」が1日記者会見し、明らかにした。沖縄県指定の文化財3点を含む残る約1100点についても無事が確認できていないという。花城良広理事長は「初期消火ができなかった。防火体制を検証したい」と述べた。 会見の冒頭、花城理事長は「近隣の方々、県民、国民、関係各位、観光客の皆様へご心配と、ご迷惑をかけていることに深くおわび申し上げます」と謝罪した。
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こんにちはツバメです。 生まれも育ちも沖縄、沖縄から出て生活したことのない根っからのうちなーんちゅです。でも首里から遠く離れた田舎の生まれですけどね。 昨日首里城に起きた衝撃的な事件の後、かなり落ち込んでいます。 首里んちゅでも那覇んちゅでもないのに結構落ち込んでいます。 沖縄県民が首里城火災を知って 10月31日の朝5時頃、スマホのニュースで火災が起きていることを知ってすぐにベランダに出ました。私が住んでいるのは那覇からはなれていますが、首里方面の空が赤く染まっていて尋常でないことがわかりました。 結局、首里城公園の正殿を含む主要7棟が消失したそうです。 つい2週間まえに観光ガイドさんが2時間あまりかけて首里城を案内してくださったのです。そのときのガイドさんの誇らしげに紹介してくださった様子を思い出すと胸が苦しくて涙が出てきます。ガイドさんはどんなに傷ついていることでしょう。 南殿の貴重
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