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黒田東彦の検索結果1 - 40 件 / 51件

  • 黒田東彦・前日銀総裁に瑞宝大綬章 「功績に対する叙勲と考え感謝」 | 毎日新聞

    春の叙勲では、前日銀総裁で財務省財務官なども歴任した黒田東彦氏(79)が瑞宝大綬章を受章した。「私の勤務した財務省、アジア開発銀行(ADB)、日本銀行の功績に対する叙勲と考え、感謝いたします」。金融政策運営でリーダーシップを発揮し、その大胆さから「黒田バズーカ」とも称されたが、受章に際して寄せたコメントでは、功績を所属機関に帰する気配りをのぞかせた。 東大を卒業後、1967年に大蔵省(現財務省)に入省。99年、大蔵省の国際部門を統括する財務官に就任した。退官後の2005年からADB総裁となり、国際金融の分野で活躍した。 安倍晋三政権のもと、13年に日銀総裁に就任。経済政策「アベノミクス」の一環となった大規模な金融緩和(異次元緩和)を主導し、デフレ脱却を目指した。 総裁在任期間は歴代最長の2期10年。異次元緩和は企業業績や株価を後押しする一方、円安を通じ生活負担の増加を招くなど功罪両面が指摘

      黒田東彦・前日銀総裁に瑞宝大綬章 「功績に対する叙勲と考え感謝」 | 毎日新聞
    • 黒田東彦・前日銀総裁の「私の履歴書」は1年早過ぎた

      58年北海道生まれ。81年東京大学経済学部卒。三菱商事、野村投信、住友信託銀行、メリルリンチ証券、山一證券、UFJ総研など12社を経て、2005年に楽天証券経済研究所客員研究員、23年3月から現職。 山崎元のマルチスコープ 旬のニュースをマクロからミクロまで、マルチな視点で山崎元氏が解説。経済・金融は言うに及ばず、世相・社会問題・事件まで、話題のネタを取り上げます。 バックナンバー一覧 金融関係者の間で日本経済新聞の「私の履歴書」が話題になっている。日本銀行の前総裁である黒田東彦氏が、退任早々に書き手として登場したからだ。大いに歓迎すべき点も多いが、「黒田履歴書」を読んでいて常識的に「1年は早かったのでないか」と思う箇所があった。読者はどう思うだろうか?(経済評論家 山崎 元) 日銀前総裁の黒田東彦氏が 「私の履歴書」に話題の登場 日本銀行の前総裁である黒田東彦氏が、日本経済新聞の連載コラ

        黒田東彦・前日銀総裁の「私の履歴書」は1年早過ぎた
      • 黒田東彦(1) 国益を追って - 日本経済新聞

        2013年2月21日だったと思う。マニラのアジア開発銀行(ADB)総裁室で補佐官がつないだ電話の驚きを、鮮明に覚えている。「白川方明日本銀行総裁の後任として、黒田さんを指名したい」。安倍晋三元首相の声だった。安倍氏にはADB総裁として二、三度アジア経済について説明しただけだ。総裁候補との噂はマニラにも届いたが、ADB総裁に3選されて1年しかたっていなかった。一瞬は戸惑ったものの、私は指名を受

          黒田東彦(1) 国益を追って - 日本経済新聞
        • 黒田東彦・前日銀総裁に瑞宝大綬章、政府発表の日に1ドル=160円 「この人がもらっていいの?」「何の冗談だ」怒りの声:中日スポーツ・東京中日スポーツ

          黒田東彦・前日銀総裁に瑞宝大綬章、政府発表の日に1ドル=160円 「この人がもらっていいの?」「何の冗談だ」怒りの声 2024年4月29日 13時06分 政府は29日、ことしの春の叙勲で黒田東彦前日銀総裁(79)が瑞宝大綬章を受章すると発表した。総裁を歴代最長の10年超務めた黒田前総裁による「異次元の金融緩和」は円安基調を生み出した。くしくもこの日の外国為替市場外国為替市場の円相場は対ドルで急落し、一時1ドル=160円台を付けた。このタイミングでの受章にネット上では「この人がもらっていいの?」「『日本を貧乏にしたで賞』かな?」などと怒りの声が挙がった。 「デフレからの脱却」を目指し、「黒田バズーカ」と呼ばれた大幅な金融緩和は、長期的に続く円安基調を生み出した。後任の植田和男総裁は「マイナス金利政策」の解除には踏み切ったものの、黒田前総裁が取ってきた金融政策の大幅な見直しには至っていない。2

            黒田東彦・前日銀総裁に瑞宝大綬章、政府発表の日に1ドル=160円 「この人がもらっていいの?」「何の冗談だ」怒りの声:中日スポーツ・東京中日スポーツ
          • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(4)「教駒」の6年 - 日本経済新聞

            東京教育大学(現筑波大学)付属駒場中・高等学校は男子校で「教駒」と呼ばれた。当時は今のような難関ではなかったが、中学の入試倍率は7〜8倍だったようだ。入学すると驚くべき同級生がいた。後に通産省(現経済産業省)に進んだ松本厚治君。アインシュタインの複雑な「相対性理論」を立て板に水で説明してくれる。「子供の科学」や「科学画報」くらいしか読んだことがない私にはまったく理解できない。大いに刺激を受け、

              黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(4)「教駒」の6年 - 日本経済新聞
            • 日銀の黒田東彦前総裁、足元の円安「行き過ぎ」 NYで講演 - 日本経済新聞

              【ニューヨーク=三島大地】日銀の黒田東彦前総裁は1日、米コロンビア大学で講演した。日銀が3月の金融政策決定会合で決めたマイナス金利政策の解除について、正常化への第一歩だと評価した。足元の円安は行き過ぎとも指摘した。中長期的には為替相場の基調が円高に回帰するとの見通しを示した。「日本経済の展望と金融政策の正常化」と題した講演で述べた。講演は非公開で開かれた。複数の参加者によると、足元の円安は行

                日銀の黒田東彦前総裁、足元の円安「行き過ぎ」 NYで講演 - 日本経済新聞
              • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(1)国益を追って - 日本経済新聞

                2013年2月21日だったと思う。マニラのアジア開発銀行(ADB)総裁室で補佐官がつないだ電話の驚きを、鮮明に覚えている。「白川方明日本銀行総裁の後任として、黒田さんを指名したい」。安倍晋三元首相の声だった。安倍氏にはADB総裁として二、三度アジア経済について説明しただけだ。総裁候補との噂はマニラにも届いたが、ADB総裁に3選されて1年しかたっていなかった。一瞬は戸惑ったものの、私は指名を受

                  黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(1)国益を追って - 日本経済新聞
                • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(7)英国留学 - 日本経済新聞

                  大蔵省秘書課の勤務を終え、人事院の在外研究員として1969年6月から2年間、英国に留学した。江田五月東京地裁判事補(後の参院議長)や林康夫通産省事務官(後の中小企業庁長官)ら合計6人の英国留学組がヒースロー空港に入った。ところが、迎えてくれるはずのブリティッシュ・カウンシルの人がいない。やむなく6人で語学研修を受けるケンブリッジに向かった。ケンブリッジ駅で別れ、下宿先の家に行ったが、誰もいない

                    黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(7)英国留学 - 日本経済新聞
                  • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(6)大蔵省秘書課 - 日本経済新聞

                    1967年4月に大蔵省(現財務省)に入り、大臣官房秘書課調査係に配属された。主な仕事は職員の海外出張の世話だった。大臣までの決裁を取って発令し、会計課から旅費の支出官負担証明をもらい、外務省から公用旅券を取り付ける。大蔵本省、財務局、税関の海外出張事務を一手に引き受け、旅費予算の要求から管理まで担当した。このころ、国際会議での海外出張が増えていた。係長と2人の係員による事務が膨大になり、翌年

                      黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(6)大蔵省秘書課 - 日本経済新聞
                    • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(10)幻の一般消費税 - 日本経済新聞

                      国際金融とともに、大蔵省で私が携わったのが税制の仕事だ。1978年7月、米国から帰任して主税局調査課の課長補佐となり、現在の消費税の一昔前に浮上した「一般消費税」の導入を準備した。当時は第1次石油危機後の経済不振に対応する景気対策などで財政赤字が増え、国債残高が急増して財政再建が喫緊の課題だった。政府税制調査会は77年の中期答申で新たな間接税として一般消費税の導入を求め、特別部会で具体的な検討

                        黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(10)幻の一般消費税 - 日本経済新聞
                      • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(23)異次元緩和 - 日本経済新聞

                        2013年3月20日、私は白川方明氏の後任として、第31代の日銀総裁に就任した。初めて率いる組織で、日本経済の懸案であるデフレ克服に全力を尽くす決意を自分の言葉で伝えたい。そう思い、翌21日の就任挨拶を考えた。「いま、日本銀行は岐路に立たされています」。副総裁や審議委員、理事、幹部職員などを前に、まず私は危機感を語った。日本経済は1998年以来、15年も続くデフレに悩む。世界中でこんな国は1つ

                          黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(23)異次元緩和 - 日本経済新聞
                        • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(26)新型コロナ禍 - 日本経済新聞

                          2020年の初頭、新型コロナウイルスの感染拡大が世界を揺るがした。日本も例外ではなく、経済や社会、そして我々の行動様式を変えていった。日銀総裁の私にとっても未知の挑戦だった。日本政府は国民にマスク着用を勧め、緊急に開発されたワクチンの輸入に努めた。だが、その強い感染力はとまらない。政府は緊急事態宣言などで飲食店や店舗の営業を規制し、外食や旅行の需要が急減した。感染抑止のために経済活動を意図的

                            黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(26)新型コロナ禍 - 日本経済新聞
                          • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(14)冷戦の終結 - 日本経済新聞

                            1990年代初頭、東西冷戦が終結した。私はドイツ、旧ソ連、北朝鮮の変化に政策現場で触れる機会があった。ドイツは90年7月1日、約3カ月後の統一に先立って東西の通貨マルクを一対一の比率で統一した。その日を東ベルリンで迎えた。国際租税課長の私は尾崎護主税局長とパリでの経済協力開発機構(OECD)租税委員会に出席後、ボンでドイツ大蔵省の主税局長に会った。通貨統一と同時に東ドイツは西ドイツの付加価値

                              黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(14)冷戦の終結 - 日本経済新聞
                            • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(13)バブル崩壊 - 日本経済新聞

                              戦後の日本経済で大きな転機となったのが、資産バブルの膨張と崩壊だった。1982年11月から5年間の中曽根内閣の時代、日本では日米円ドル委員会、プラザ合意、主要7カ国(G7)会議の創設、ルーブル合意などを通じ、対米配慮から財政・金融の拡張策が続けられた。円高圧力のもとで景気回復を助けたのは確かだ。だが、87年の6兆円規模の景気対策(1兆円の減税策を含む)をみて、官房参事官や国際機構課長をしてい

                                黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(13)バブル崩壊 - 日本経済新聞
                              • 黒田東彦氏が解説「いま、ポパー『歴史主義の貧困』を読む意味とは何か」

                                【解説】いま、ポパーを読む意味とは何か 黒田東彦 カール・ライムント・ポパーは、一九〇二年にオーストリアのウィーンでユダヤ人の家庭に生まれ、ナチス政権の成立とともにニュージーランドに逃れたのち、戦後は英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの教授を長く務め、一九九四年に英国で亡くなった哲学者である。広く、科学哲学、社会哲学、政治哲学の分野で活躍し、とくに、英米の分析的な哲学に大きな影響を与えた。戦前・戦中には、ファシズムなどの社会哲学に対する鋭い批判により、また、戦後の冷戦期には、マルクス主義哲学に対する本源的な批判により、一般社会にもインパクトがあったと思われる。 しかしながら、近年、ポパーの書が読まれることは少なくなり、その影響力は大きく低下したように見える。その最大の理由は、一九九一年にソ連が崩壊し、主要な論敵だったマルクス主義哲学がほとんど壊滅してしまったことにある。本書「歴史

                                  黒田東彦氏が解説「いま、ポパー『歴史主義の貧困』を読む意味とは何か」
                                • 黒田東彦(29) 学者生活 - 日本経済新聞

                                  今年4月に日銀総裁を退任した私は、学者生活を始めた。7月には政策研究大学院大学の特任教授に就き、政策研究院シニア・フェローと兼務する。白石隆元学長の勧めもあり、公共部門の仕事を辞めた後は、大学で教育と研究に従事しようと考えていた。10月からの秋学期で「構造変化の下での財政金融政策」の講義を始めた。2024年の春学期には、留学生に英語で同様の講義をする。24年1~4月には、米コロンビア大学大学院

                                    黒田東彦(29) 学者生活 - 日本経済新聞
                                  • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(29)学者生活 - 日本経済新聞

                                    今年4月に日銀総裁を退任した私は、学者生活を始めた。7月には政策研究大学院大学の特任教授に就き、政策研究院シニア・フェローと兼務する。白石隆元学長の勧めもあり、公共部門の仕事を辞めた後は、大学で教育と研究に従事しようと考えていた。10月からの秋学期で「構造変化の下での財政金融政策」の講義を始めた。2024年の春学期には、留学生に英語で同様の講義をする。24年1〜4月には、米コロンビア大学大学院

                                      黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(29)学者生活 - 日本経済新聞
                                    • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(21)2020年戦略 - 日本経済新聞

                                      アジア開発銀行(ADB)が地域統合を展開する中で、話題となったのが地球環境、特に気候変動への姿勢だ。アジアは巨大な人口を抱え、経済成長も著しい。一方で二酸化炭素(CO2)の排出が急増し、地域での気候変動の緩和(ミティゲーション)が重大な課題になった。太平洋やインド洋の島しょ国では高波や海水面上昇などへの対応が迫られていた。そこでADBに専門家会合を設けることにした。気候変動問題の権威である米

                                        黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(21)2020年戦略 - 日本経済新聞
                                      • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(22)リーマン危機 - 日本経済新聞

                                        新長期戦略の「ストラテジー2020」を掲げたアジア開発銀行(ADB)の次の懸案は、支援体力を高めるための15年ぶりの増資だった。アジアの発展途上国にとって体制強化は切実だ。アジア諸国の理事は200%の増資を支持。オーストラリアの理事も賛同し、日本の大村雅基理事も本国の指示を超えて200%増資を支持した。だが、増資の率を巡って、加盟国間の議論は混迷した。欧米出身の理事が150%増資を支持し、ア

                                          黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(22)リーマン危機 - 日本経済新聞
                                        • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(5)分析哲学 - 日本経済新聞

                                          1963年4月に東京大学教養学部に入学し、ドイツ語既習クラスに入った。高校の時にドイツ語を少し学び、マルクスやポパーの原書を読んでみたいと思ったからだ。担任教授は小宮曠三(こうぞう)教授。夏目漱石の弟子で「三四郎」のモデルになった小宮豊隆教授の子息だ。ゲーテやシラーの文章より、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」を1学期かけて読ませたり、独紙「フランクフルター・アルゲマイネ」の切り抜きを教材に

                                            黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(5)分析哲学 - 日本経済新聞
                                          • 黒田東彦・日銀前総裁「円安は一時的」…NYの講演で見解、マイナス金利解除・利上げは「当然のこと」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

                                            【ニューヨーク=小林泰裕】日本銀行の黒田東彦(はるひこ)前総裁は2日、米ニューヨークで講演し、現在の円相場について「円安は一時的なものだと思う」と述べ、歴史的な円安水準は長続きしないとの見方を示した。 【一覧】最新の円相場 円相場は4月29日に約34年ぶりに1ドル=160円台に下落するなど、歴史的な円安・ドル高の状況が続いている。黒田氏は「円安が一時的」と見なす具体的な理由については明言しなかったが、円安の背景には日米の金利差があるとも指摘した。米連邦準備制度理事会(FRB)が利下げを開始すれば状況が変わるとの見方を示したとみられる。

                                              黒田東彦・日銀前総裁「円安は一時的」…NYの講演で見解、マイナス金利解除・利上げは「当然のこと」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
                                            • 日銀の黒田東彦前総裁「円安は一時的」 NYで講演 - 日本経済新聞

                                              【ニューヨーク=三島大地】日銀の黒田東彦前総裁は2日、ニューヨークで講演し、「円安は一時的だと思う」と述べた。黒田氏は歴史的な円安が通常よりも企業業績を押し上げている面がある一方、実体経済の力強さを踏まえれば株式市場の活況はバブル期とは異なると指摘した。「日本経済の展望と金融政策の正常化」と題し、日米交流機関「ジャパン・ソサエティー」で講演した。黒田前総裁は1970年代や80年代の円安局面と

                                                日銀の黒田東彦前総裁「円安は一時的」 NYで講演 - 日本経済新聞
                                              • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(18)デフレの始まり - 日本経済新聞

                                                1998年4月、56年ぶりに改正した日本銀行法が施行された。新日銀法では総裁、副総裁2人、審議委員6人による金融政策決定会合で政策を決める仕組みにした。99年に通貨政策の責任者である財務官となった私も当然、日銀の政策に意見をいう立場にはない。だが98年ごろから消費者物価の下落が始まるなど日本経済がデフレに陥るなか、政策の迷走に何度も、もどかしい気持ちを抱いた。98年3月、速水優日銀総裁が就任

                                                  黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(18)デフレの始まり - 日本経済新聞
                                                • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(19)小泉官邸 - 日本経済新聞

                                                  私は2003年1月、35年半を超す大蔵省・財務省の勤務を終えて退官した。財務官の在任が3年半と異例の長期に及んだのは、塩川正十郎財務相が「もう少し長くやってもらおう」と言い、退官が半年延びたからのようだ。3月からは内閣官房参与になった。首相官邸に呼ばれた背景はおそらく01年9月11日の米同時多発テロ後の議論だろう。その夜、小泉純一郎首相や田中真紀子外相が出席する危機管理室の会議に呼ばれ、福田康

                                                    黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(19)小泉官邸 - 日本経済新聞
                                                  • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(9)石油危機 - 日本経済新聞

                                                    1973年7月、私は国際金融局(現国際局)の企画課課長補佐になった。当時は円高・ドル安が1ドル=260円まで進んでいた。外国為替管理法による為替管理を主管する企画課の仕事は、日本からの資金流出を促し、資金の流入を抑えることだった。73年10月に起きた第1次石油危機で事態が一変した。第4次中東戦争の勃発をきっかけに、石油輸出国機構(OPEC)の湾岸諸国が原油価格を1バレル約3ドルから約12ドルへ

                                                      黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(9)石油危機 - 日本経済新聞
                                                    • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(12)米国対日独 - 日本経済新聞

                                                      1986年6月に大蔵省に戻り、官房調査企画課の参事官を拝命した。日本や西ドイツと米国の間で貿易摩擦や経済対立が深刻になっていた。日独は米国の保護主義の高まりをおそれ、85年9月の「プラザ合意」で、ドル相場を下げて円とマルクを上昇させる為替介入で合意した。ドルは1ドル=230円から直後に200円、1年後に150円まで下落した。それでも日独の対米黒字は減らなかった。86年5月の先進国首脳会議(東

                                                        黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(12)米国対日独 - 日本経済新聞
                                                      • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(25)YCC導入 - 日本経済新聞

                                                        2016年9月、3年余りにわたる日銀の量的・質的金融緩和やマイナス金利政策などの「総括的検証」が金融政策決定会合に示された。2カ月近くをかけ、経済モデルなどを総動員して分析した力作だ。日銀スタッフがこうした場で発揮する能力の高さには感心する。まず、異次元緩和は人々が予想する物価上昇率を押し上げ、名目金利を下げる効果があったと記した。実質金利の低下で経済・物価が好転し、デフレでない状況になった。

                                                          黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(25)YCC導入 - 日本経済新聞
                                                        • 黒田東彦(25) YCC導入 - 日本経済新聞

                                                          2016年9月、3年余りにわたる日銀の量的・質的金融緩和やマイナス金利政策などの「総括的検証」が金融政策決定会合に示された。2カ月近くをかけ、経済モデルなどを総動員して分析した力作だ。日銀スタッフがこうした場で発揮する能力の高さには感心する。まず、異次元緩和は人々が予想する物価上昇率を押し上げ、名目金利を下げる効果があったと記した。実質金利の低下で経済・物価が好転し、デフレでない状況になった。

                                                            黒田東彦(25) YCC導入 - 日本経済新聞
                                                          • 黒田東彦・日銀前総裁「円安は一時的」…NYの講演で見解、マイナス金利解除・利上げは「当然のこと」

                                                            【読売新聞】 【ニューヨーク=小林泰裕】日本銀行の黒田 東彦 ( はるひこ ) 前総裁は2日、米ニューヨークで講演し、現在の円相場について「円安は一時的なものだと思う」と述べ、歴史的な円安水準は長続きしないとの見方を示した。 円相場

                                                              黒田東彦・日銀前総裁「円安は一時的」…NYの講演で見解、マイナス金利解除・利上げは「当然のこと」
                                                            • 春の叙勲、黒田東彦前日銀総裁ら4108人受章 桐花大綬章に大谷直人氏 - 日本経済新聞

                                                              政府は2024年春の叙勲受章者を29日付で発表した。今回最高位の桐花大綬章は大谷直人前最高裁長官(71)に授与。旭日大綬章に石井隆一元富山県知事(78)や平野博文元官房長官(75)ら8人が選ばれた。黒田東彦前日銀総裁(79)らに瑞宝大綬章が贈られる。受章者は桐花大綬章1人、旭日章984人、瑞宝章3123人で計4108人。このうち女性は旭日双光章の義太夫節演奏家の竹本越孝(本名・高橋孝子)さん(

                                                                春の叙勲、黒田東彦前日銀総裁ら4108人受章 桐花大綬章に大谷直人氏 - 日本経済新聞
                                                              • なぜ辞退しない? 円安物価高の“A級戦犯”黒田東彦・前日銀総裁に「叙勲」のブラックジョーク|日刊ゲンダイDIGITAL

                                                                よりによって、である。一時、1ドル=160円を突破するほどの超円安が加速する中で、この事態を招いた“A級戦犯”に勲章が授与される。黒田東彦・前日銀総裁のことである。 政府は29日付で春の叙勲を発表。4108人が受章し、「公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方」が対象となる瑞宝大綬章の1人が黒田氏だった。本人は「私の勤務した財務省、アジア開発銀行、日本銀行の功績に対する叙勲と考え、感謝いたします」とコメントしたが、このニュースが流れるとSNSは、ほぼブーイング一色。 《アベノミクスで、国債を買いまくって政府の財政ファイナンスを助けて、日本円を棄損させた黒田に、叙勲なんて、この国どうなっているんだ?》《黒田だけは無いよね。むしろ国を混乱させた罰を受けるべき》など、「叙勲に納得いかない」という意見があふれた。 当然だ。底ナシの円安・物価高地獄は黒田氏が10年も続けた異次元緩和の副作用に他なら

                                                                  なぜ辞退しない? 円安物価高の“A級戦犯”黒田東彦・前日銀総裁に「叙勲」のブラックジョーク|日刊ゲンダイDIGITAL
                                                                • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(27)総裁を退任 - 日本経済新聞

                                                                  日銀総裁の任期終盤に直面したのが、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻だった。ロシアは侵攻前にクリミア半島を併合し、ウクライナ東部を親ロシア勢が占拠。ドイツやフランスが仲介した2度の停戦協定も破った。国際法違反の侵攻に、主要7カ国(G7)は徹底した経済・金融上の制裁とウクライナ支援拡大で極めて迅速に結束した。国際銀行間通信協会(Swift)の対象からロシアの銀行を排除してロシアの

                                                                    黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(27)総裁を退任 - 日本経済新聞
                                                                  • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(11)三重県庁勤務 - 日本経済新聞

                                                                    1984年から2年間、三重県総務部長の仕事を担った。この期間は私の人生にとって特別な意味がある。大蔵省の外に出て、全く異なる地方行政の面白さと難しさを現場で体験できたからだ。県総務部には人事、厚生、財政、税務、管財、営繕、地方、消防防災、学事文書の9課があった。大半が私にとって経験のない分野だった。着任早々の記憶は鮮明だ。田川亮三知事に挨拶をし、前任で大蔵省の2年先輩の薄井信明部長(後に大蔵

                                                                      黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(11)三重県庁勤務 - 日本経済新聞
                                                                    • eudunda on X: "「誤算は賃金の上昇率が低迷し、物価上昇の勢いが不十分だったことだ。」誤算だとしたら御粗末過ぎるし、当時は賃金の上昇ってあまり言ってなくて、ただ物価を上げさえ出来れば万事解決という感じだったような…。🤔 黒田東彦 私の履歴書(23)異次元緩和:日本経済新聞 https://t.co/U10vLpCVv8"

                                                                      • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(2)独立のサイレン - 日本経済新聞

                                                                        私は1944年10月25日、父・黒田聖三郎と母・安子の長男として、福岡県大牟田市で生まれた。生まれてすぐに空襲警報が鳴り、母は、私を抱いて病院から近くの防空壕(ごう)に逃げたそうだ。福岡県出身という経歴だが思い出はほとんどない。3歳ごろ、母の買い出しで載せられた乳母車から美しい夕焼けを見た。自身の記憶なのか、母から聞いた話の再現なのか、いまもあいまいなままだ。「東彦」の名前は漢字に詳しい父の

                                                                          黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(2)独立のサイレン - 日本経済新聞
                                                                        • 令和6年春の叙勲 黒田東彦前日銀総裁ら4108人が受章

                                                                          瑞宝大綬章に決まった前日銀総裁の黒田東彦さん政府は令和6年春の叙勲受章者を29日付で発表した。今回最高位の桐花大綬章は大谷直人前最高裁長官(71)に授与。旭日大綬章に石井隆一元富山県知事(78)や平野博文元官房長官(75)ら8人が選ばれた。黒田東彦前日銀総裁(79)らに瑞宝大綬章が贈られる。 受章者は桐花大綬章1人、旭日章984人、瑞宝章3123人で計4108人。このうち女性は旭日双光章の義太夫節演奏家の竹本越孝(本名・高橋孝子)さん(70)ら435人で全体の10・6%。民間人は1888人で46・0%を占めた。 旭日大綬章は他に菅野博之元最高裁判事(71)、清野智元JR東日本社長(76)、佃和夫元三菱重工業社長(80)、富田茂之元財務副大臣(70)、三村明夫前日本商工会議所会頭(83)、森田富治郎元第一生命保険社長(83)。瑞宝大綬章には井上明久元東北大学長(76)、西川克行元検事総長(7

                                                                            令和6年春の叙勲 黒田東彦前日銀総裁ら4108人が受章
                                                                          • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(15)政策対話 - 日本経済新聞

                                                                            1996年、大蔵省財政金融研究所(現財務総合政策研究所)の所長に就いた。アジア諸国を訪ね、当局者と政策を巡る対話に力を注いだ。ウズベキスタン訪問は千野忠男元財務官の勧めだった。ソ連崩壊後、スムという自国通貨が流通したが、為替管理と同時に複数為替相場が定着していた。首都タシケントでスルタノフ首相兼商務相や蔵相に会い、複数相場が貿易投資を阻害していると指摘したが、反応は鈍かった。印象的な反応があ

                                                                              黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(15)政策対話 - 日本経済新聞
                                                                            • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(16)アジア通貨危機 - 日本経済新聞

                                                                              大蔵省の国際金融局長に就いた1997年7月はタイでアジア通貨危機が始まった時だった。通貨バーツの防衛へ実施した先物のドル売り・バーツ買いが成功せず、外貨準備が枯渇した。バーツはドルとのペッグ(相場の固定)を保てずフロート(変動相場制)移行を迫られ、急落した。タイのタノン蔵相が支援を求めて急きょ来日し、榊原英資財務官とともに会った。榊原財務官は「国際通貨基金(IMF)のプログラムで短期の外貨債務

                                                                                黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(16)アジア通貨危機 - 日本経済新聞
                                                                              • 黒田東彦・前日銀総裁の「私の履歴書」は1年早過ぎた

                                                                                58年北海道生まれ。81年東京大学経済学部卒。三菱商事、野村投信、住友信託銀行、メリルリンチ証券、山一證券、UFJ総研など12社を経て、2005年に楽天証券経済研究所客員研究員、23年3月から現職。 山崎元のマルチスコープ 旬のニュースをマクロからミクロまで、マルチな視点で山崎元氏が解説。経済・金融は言うに及ばず、世相・社会問題・事件まで、話題のネタを取り上げます。 バックナンバー一覧 「私の履歴書」登場は “常識的には”1年早かった 11月14日掲載までの黒田履歴書では、時代がバブル崩壊の頃で、黒田氏は旧大蔵省主税局の国際租税課長まで進んでいるが、日銀総裁になるまでには、もうしばらく時間を進めなければならない。 ただ、ここまでの黒田履歴書を読んで、「常識的には」黒田氏が「私の履歴書」に登場するのは1年早過ぎたのかもしれないと思った箇所があった。 英国留学のことを書いた第7回のコラムにある

                                                                                  黒田東彦・前日銀総裁の「私の履歴書」は1年早過ぎた
                                                                                • 黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(8)固定相場崩壊 - 日本経済新聞

                                                                                  英国留学から帰ると大蔵省理財局国債課の企画係に配属された。国債の新規発行額は4300億円と、数十兆円台の現在とは2ケタ違う。資金需給を踏まえ、金融機関の国債引受シンジケート団(シ団)と毎月の発行額を決める。それも禿河徹映国債課長の下で、竹内克伸課長補佐と相談するだけだ。留学帰りでも難しくない仕事だと思った。だが、1971年8月15日のニクソン・ショックで状況は激変する。各国が平価を定めた米ドル

                                                                                    黒田東彦(前日本銀行総裁) 私の履歴書(8)固定相場崩壊 - 日本経済新聞