前回の「GHQ焚書」で、長野朗著『民族戦』の一節を紹介したが、今回は、同じ著者の『支那三十年』(昭和十七年刊)の文章を紹介したい。長野朗は、中国で排日運動が始まった大正八年(1919年)に北京にいて、身近でその動きを観察した人物である。この本には、戦後の一般的な歴史書には絶対に書かれていない、中国の排日運動の実態が描かれている。文中の「欧州戦争」は、「第一次世界大戦」のことで、「休戦ラッパが鳴り響」いたのは、第一次大戦が終わった大正七年(1918年)十一月のことである。 私は北京で日本人の居留地から離れ、一人で支那人の家に下宿していたが、私のいたすぐ近所で排日の第一声が起こり、それから排日が抗日になるまで見物していたから、ここには北京政府時代の排日の起こった時から私の実見記を簡単に述べてみよう。 排日が起こったのは大正八年の五月四日であるから、五四運動(ごしうんどう)といわれている。やった