並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 60件

新着順 人気順

R.I.Pの検索結果1 - 40 件 / 60件

タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。

R.I.Pに関するエントリは60件あります。 訃報music音楽 などが関連タグです。 人気エントリには 『R.I.P 鳥山明さん - artfrontworld』などがあります。
  • R.I.P 鳥山明さん - artfrontworld

    初代アシスタントのひすわし君につぎ、二代目アシスタントをさせていただいたのは40年も前の話なのですが、偉大な漫画家さんのお手伝いをさせていただき光栄でした。 「Dr.SLUMP」の連載が少年ジャンプに掲載された頃、その画力にショックを受け大ファンになりました。 まもなく日本デザイナー学院の友人の伝手で、ご本人に会える事になり数人で自宅に伺いました。 その頃、自分はタミヤ模型の「人形改造コンテスト」で何度か受賞をしていたので、模型好きの鳥山さんから「おーっ!君かよ」って言ってもらい感激しました。 その後、自分ひとりで遊びに行くようになった頃に「田中久志くん(ひすわし)が漫画家デビューで辞めるので、良かったらうちに来てくれないかな」と白羽の矢が立ち、もちろん二つ返事で引き受けました。 クルマ、バイク、映画、模型制作と共通の趣味だったので、仕事以外にも楽しい時間を過ごした事を思いだします。 とに

    • R.I.P. 鮎川誠 | ele-king

      連日レジェンド級のアーティストたちの訃報が続き、堪えるなと思っていたところへまたひとり……シーナ&ロケッツの、そして日本を代表するロックンロール・ギタリストの鮎川誠が1月29日午前5時47分(シーナ!)に亡くなった。享年74歳。日本中のロックンロール・ファンがいま、悲しみに暮れている。 昨年5月に膵臓がんで余命5ヶ月を宣告されてからも「一本でも多くライヴをしたい」とツアーを続け、近年ではもっともライヴの多い一年になったという。最後までロックとライヴにこだわった生涯だった。 11月にはシーナ&ロケッツ45周年ワンマンを新宿ロフトで行った。ライヴ中にウィルコ・ジョンソンの訃報が入り、「ウィルコの分までロックするぜぃ!」と叫ぶ姿がYouTubeに投稿されている。 そんなウィルコ・ジョンソンやイギー・ポップといった鮎川とも交流のあったアーティストたちと同様に、鮎川はパンク以前とパンク以後、メジャー

        R.I.P. 鮎川誠 | ele-king
      • R.I.P. Yukihiro Takahashi | ele-king

        MOST READ interview with Sleaford Mods 賢くて笑える、つまり最悪だけど最高 | スリーフォード・モッズ、インタヴュー (interviews)Columns 創造の生命体 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ①アーティストと薬 (columns)Gina Birch - I Play My Bass Loud | ジーナ・バーチ (review)OZmotic & Fennesz - Senzatempo | オズモティック (review)interview with Kid Koala カナダのベテラン・スクラッチDJ、久びさにターンテーブルが主役のアルバム | キッド・コアラ、インタヴュー (interviews)Cornelius ──2023年、私たちはあらためてコーネリアスと出会い直す。6年ぶりのニュー・アルバムとともに (news)R.

          R.I.P. Yukihiro Takahashi | ele-king
        • 【R.I.P.】菅沼孝三氏が死去 | ドラマガWeb

          手数王の異名を持ち、その豊富な手数/足数を駆使したドラミングで、日本はもちろん、世界にもその名を轟かせたドラマー、菅沼孝三氏が11月8日にこの世を去った。享年62歳。 孝三氏の娘で、ドラマーのSATOKOが自身のHP、SNSに公開した声明文は下記の通り。 先日、ステージ4の癌による療養のため 活動休止を発表しました、父、菅沼孝三ですが、 昨日、令和3年11月8日に、 家族に囲まれ、大切に見守られながら、 笑顔で宇宙へと旅立っていきました。 本当は昨年の6月から既にステージ4の大腸がんで余命宣告を受けていましたが、周りには告げずに、懸命に闘病しながら、健康でも困難なペースで、様々な音楽活動、ライブ活動を続けて参りました。 旅立つ1ヶ月前までステージに立ち、生徒を育て、 旅立つ数時間前までビートを刻んでいました。 ここに生前のご厚誼を深謝し、 謹んでお知らせ申し上げます。 尚、通夜・葬儀は下記

            【R.I.P.】菅沼孝三氏が死去 | ドラマガWeb
          • R.I.P. Manuel Göttsching | ele-king

            ベルリン市内の、わりと街中の古いアパートメントの一室だったマニュエル・ゲッチングの家を訪れたのは、1995年7月のことだった。「外が騒がしくて申し訳ないね。ちょうどこの週末はラヴパレードをやっているから。ふだんのベルリンはもっと静かなんだけどね」と彼は苦笑しながら、日本から取材にやって来た数名を部屋に迎えい入れてくれた。「いや、ぼくらはそのラヴパレードのためにベルリンに来たんです」と正直に即答できなかったのは、それをあまり良きモノとは捉えていないのであろうゲッチングの表情を見てしまったからである。言うまでもなく当時彼の作品を強烈に欲していたのは、ラヴパレードの根幹にあるハウス/テクノの聴衆だったのだけれど。 すでにこの頃、ハウス/テクノの文脈で再評価された70年代以降のドイツのロックはいろいろあった。『フューチャー・デイズ』や『ゼロ・セット』、クラスターやハルモニア、初期のポポル・ヴーやタ

              R.I.P. Manuel Göttsching | ele-king
            • R.I.P. Sophie | ele-king

              野田努 スコットランド出身のエレクトロニック・ミュージッシャン/DJのソフィー(Sophie Xeon)が2021年1月30日、事故によって亡くなった。アテネの自宅で満月を見るため手すりに登った際、バルコニーから滑り落ちたという。没年34歳。なんということか。 ソフィーの並外れた才能はひと言で言い表すことができるだろう。オウテカと〈PCミュージック〉の溝を埋めることができるおそらく唯一の存在だったと。トランス・ジェンダーの彼女は10年代におけるクイア・エレクトロニカ(アルカないしはロティックなど)を代表するひとりでもあったが、同時にヴェイパーウェイヴと並走していた、“楽器としてのPC” を使う世代によるエレクトロニック・ポップ・ダンス・ミュージックにおけるもっとも前衛的なアーティストでもあった。 アンダーグラウンドにおける彼女の最初の名声は、グラスゴーのダンス・レーベル〈Numbers〉の

                R.I.P. Sophie | ele-king
              • R.I.P. Andrew Weatherall | ele-king

                MOST READ Kazufumi Kodama & Undefined - 2 Years / 2 Years In Silence (review)interview with Mount Kimbie マウント・キンビー、3.5枚目にして特殊な新作について語る (interviews)Loraine James - Building Something Beautiful For Me (review)Natalie Beridze - Of Which One Knows (review)Lucrecia Dalt - ¡ay! (review)Salamanda - ashbalkum (review)Babyfather ——ディーン・ブラントのプロジェクト、ベイビーファーザーの新曲にティルザがフィーチャー (news)interview with Gilles Peters

                  R.I.P. Andrew Weatherall | ele-king
                • 「Google ツールバー」の提供がいつの間にか終わったらしい……R.I.P./IEツールバーが閲覧画面を圧迫しまくっていたのも今や昔【やじうまの杜】

                    「Google ツールバー」の提供がいつの間にか終わったらしい……R.I.P./IEツールバーが閲覧画面を圧迫しまくっていたのも今や昔【やじうまの杜】
                  • R.I.P.山本アキヲ | ele-king

                    すでにニュースになっているように、山本アキヲが亡くなった。3月15日だから3ヶ月ほど前のことではあるが、ご親族の事情があったのだろう、発表されたのは昨日(6月20日)だったようだ。アキヲにとって最後のプロジェクトになったAUTORAのメンバー、高山純がSNSに投稿したことで彼の訃報がいま拡散している。 ぼくが彼の死を知ったのは、数週間前だ。6月の上旬、いま京都で開かれているイーノの展覧会のために、久しぶりに関西に行くのだから、京都のオヒキデの蕎麦屋に顔を出して、それから大阪まで足を延ばして山本アキヲに会おうと、連絡を取るために動いて、その過程において知ってしまった。 アキヲに最後に会ったのはかれこれ10年以上前の話で、宮城健人の案内で、ぼくが大阪は十三にある彼の実家を訪ねたときだった。アキヲの自家製スタジオのなかで、当時好きだった音楽の話しで盛り上がったものだ。変んねぇなーこいつ、と思った

                      R.I.P.山本アキヲ | ele-king
                    • R.I.P. Vivienne Westwood | ele-king

                      MOST READ interview with Sleaford Mods 賢くて笑える、つまり最悪だけど最高 | スリーフォード・モッズ、インタヴュー (interviews)Columns 創造の生命体 〜 KPTMとBZDとアートのはなし ①アーティストと薬 (columns)R.I.P. Mark Stewart 追悼:マーク・スチュワート (news)Cornelius ──2023年、私たちはあらためてコーネリアスと出会い直す。6年ぶりのニュー・アルバムとともに (news)interview with Kid Koala カナダのベテラン・スクラッチDJ、久びさにターンテーブルが主役のアルバム | キッド・コアラ、インタヴュー (interviews)OZmotic & Fennesz - Senzatempo | オズモティック (review)Gina Birch -

                        R.I.P. Vivienne Westwood | ele-king
                      • 【R.I.P.】現代に通じる新たなドラマー像を確立した世界的なアーティスト、高橋幸宏急逝 | ドラマガWeb

                        Photo:Taichi Nishimaki Text:Satoshi Kishida/Rhythm & Drums Magazine サディスティック・ミカ・バンド、Yellow Magic Orchestraのメンバーで、世界にその名を轟かせた日本を代表するドラマー、高橋幸宏氏が誤嚥性肺炎のため1月11日に死去していたことが発表された。 幸宏氏は1952年6月6日、東京都出身。成毛 滋らとザ・フィンガーズというバンドを組んでいた兄・高橋信之の影響で音楽に目覚め、12歳でドラムを始める。好きなドラマーはメル・テイラー(ザ・ベンチャーズ)、リンゴ・スター(ザ・ビートルズ)、アル・ジャクソン(ブッカーT&ザMG’s)バーナード・パーディ、スティーヴ・ガッド、カーマイン・アピスなど。 立教高校時代からスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。69年、フォーク・グループ、ガロのバック・バンドに加入

                        • R.I.P. Phil Spector | ele-king

                          新型コロナウイルス感染による合併症でフィル・スペクターが亡くなった。命日は2021年1月16日、享年81、女優ラナ・クラークスン殺人容疑で有罪となり、キャーフォーニャ州立刑務所の薬物中毒治療施設に収監されていた(*1)。 合掌。……お直り下さい。 前世紀末1980年代半ばのある晩、行きつけの呑み屋でザ・ルーベッツの “シュガー・ベイビー・ラヴ” が有線放送から流れた。それを聞きながら「フィル・スペクターの流儀は時代を超えて続いているのだな」と、わたしはひとり納得していた。ところが同曲は1973年のイギリス人たちによる録音作品であり、彼の遺産は20年以上の歳月だけでなく、大西洋も超えていたのだ。 永遠の循環進行で「シュバッシュバリバリ」とスキャットを繰り返す男声ハーモニー多重層、前面には「アハー」と高音域のファルセトーが出て来る。他愛のない、しかし永遠に揺るがない愛の真実が唄われ、後半には低

                            R.I.P. Phil Spector | ele-king
                          • R.I.P. Mark Stewart | ele-king

                            文:野田努 「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドフ

                              R.I.P. Mark Stewart | ele-king
                            • R.I.P. Gabi Delgado(ガビ・デルガド) | ele-king

                              ガブリエル・デルガド・ロペス、通称ガビ・デルガドが3月22日に死去していたことが複数の海外メディアで報じられた。61歳だった。死因は現在のところ公表されていないようだが、彼のキャリアにおけるもっとも有名なプロジェクト、DAFの相方だったロベルト・ゲイルが彼の死を確認しているという。 ガビがヴォーカルを務めたバンド、DAF(ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト )は、1978年にドイツで結成されたパンク・バンドであり、やがて磨かれるその際だったサウンド──言うなればジョルジオ・モロダーのパンク・ヴァージョンとも喩えられるエロティックかつパンキッシュなエレクトロニック・サウンドによって一世を風靡した。その影響はボディー・ミュージックからデトロイト・テクノ、ウェストバムから石野卓球などじつに広範囲にわたっている。 DAFに関しては、1979年のファースト・アルバム『Produkt Der

                                R.I.P. Gabi Delgado(ガビ・デルガド) | ele-king
                              • R.I.P. Damo Suzuki | ele-king

                                「今」だけを生ききった旅人 松山晋也 昨日(2024年2月10日)の深夜にダモ鈴木さんの訃報をツイッターで知った時、まっさきに思ったのは、やっぱりダモさんの最新インタヴューもとっておくべきだったな、ということだった。2020年秋に私の編集・監修で出た『カン大全――永遠の未来派』には、本人の回顧録『I Am Damo Suzuki』の紹介記事(崎山和弥)と、セレクテッド・ディスコグラフィ(小柳カヲル)、そして私が96年にやったインタヴュー原稿を掲載したが、総ページ数に制限があったため、最新情報までは載せられなかった。まあ、ガン治療で大変そうだと聞いていた上、インタヴューしても肝心なポイント(言葉)はだいたい予想できるという思いもあったわけだが。 ダモさんには過去4回インタヴューした。「日本でのちゃんとしたインタヴューは初めて」だと言っていた最初の取材はたぶん88年だったと思う。70年代後半か

                                  R.I.P. Damo Suzuki | ele-king
                                • R.I.P Florian Schneider | ele-king

                                  談:ダニエル・ミラー クラフトワークがいなければ、いま巷で聞かれるようなタッチのサウンドや音楽はなかっただろうし、彼らなしにはMUTEも存在しなかったでしょう。彼らは単に私にインスピレーションを与えただけでなく、エレクトロニック・ミュージックを生み出すプロセスそれ自体を理解させてくれたのです。 私はここ数年、フローリアンと数多く会うことが出来てすごく幸運でした。彼と最後に会ったのはデュッセルドルフで、彼が持っているスタジオ近辺を熱心にしかも面白おかしく案内してくれたのでした。例えば彼が見せてくれたのは戦前に作られた電子機器で、それは当時ひと山幾らといったガラクタのなかから買ったそうなのですが、結局一度もちゃんと動かなかったそうです。 また私がフローリアンからオリジナルのクラフトワークのヴォコーダーを購入したのも、とても幸運な出来事でした。実は、そのヴォコーダーはイーベイを通して購入したので

                                    R.I.P Florian Schneider | ele-king
                                  • R.I.P.飯島直樹 | ele-king

                                    MOST READ Bob Marley & The Wailers ──ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのTシャツが期間限定受注販売 (news)idiolatry ──C.Eの最新カセットテープは貴重なグライム音源集 (news)Ben Vida, Yarn/Wire & Nina Dante - The Beat My Head Hit (review)Kelela ──話題の新作を送り出したオルタナティヴR&Bシンガー、ケレラの来日公演が決定 (news)Columns グレッグ・テイト『フライボーイ2』日本版に寄せて、それからグレッグを師とした、東京在住のKinnara : Desi Laとの対話へ (columns)YoshimiOizumikiYoshiduO - To The Forest To Live A Truer Life | YoshimiO, 和泉希洋志 (re

                                      R.I.P.飯島直樹 | ele-king
                                    • R.I.P. Yoshi Wada | ele-king

                                      去る5月18日、ヨシ・ワダとして知られる作曲家が77歳で永眠した。1945年生まれのヨシ・ワダ(本名・和田義正)の本格的な音楽活動は、京都の芸術大学卒業後の1960年代の後半、ニューヨークでフルクサスと関わったことにはじまっている。ワダはラ・モンテ・ヤングに共鳴し、そしてヤング&マリアン・ザジーラの作品で知られるプラン・ナートに作曲を学んだ。 ミニマル/ドローン・ミュージックの始祖のひとりであるワダは、70年代には配管工の仕事をしながらその仕事で手に入れたオブジェを楽器に改造して使用していたという。その後もアメリカに在住し活動を続けていたためか、日本には多くの情報が入ってこなかったようだが、〈FMP〉や〈EM Records〉、東京の〈Edition Omega Point〉などといったレーベルから作品を出している。 また、2000年代からは息子であるTashiとのコラボレーションもやって

                                        R.I.P. Yoshi Wada | ele-king
                                      • R.I.P. Shane MacGowan | ele-king

                                        野田努 2002年の日韓ワールドカップのときのことだ。抽選でチケットの買えた試合が、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)で行われたアイルランド・サウジアラビア戦だった。緑色のユニフォームを着た大勢のアイルランド人たちのほぼひとりひとりが、缶ビール500mlの6缶入りのパックを手にぶら下げて、あるいは、スタジオ周辺の道ばたで試合開始の数時間前から座って飲んでいる。道中にあった立ち食いそば屋も缶ビールを手にしたアイルランド人たちで占拠され、なかばパブと化していた。こうなれば頭のなかはザ・ポーグスだ。このバンドからはいくつかのアイルランド民謡を教えてもらった。“ウイスキー・イン・ザ・ジャー”、それから“アイリッシュ・ローバー”。初めてロンドンを訪れたときは、ソーホーを歩きながら“ソーホーの雨の夜”を思い出した。映画『ストレート・トゥ・ヘル』も忘れられない。ご多分に漏れず、クリスマスには何回も

                                          R.I.P. Shane MacGowan | ele-king
                                        • 【R.I.P.】唯一無二のビートを“発明”したHi-STANDARDのドラマー、恒岡 章急逝 | ドラマガWeb

                                          Hi-STANDARD、summertimeのドラマーとして活躍した恒岡 章氏が2月14日に急逝。Hi-STANDARDの所属レーベルであるPIZZA OF DEATHのSNSにて発表された。享年51歳。 恒岡氏は1971年生まれ。もともとはギターを弾いていたそうだが、中学3年生のときに初めてドラムを叩き、そこから一気にハマっていったという。高校卒業後に難波章浩に誘われ、横山 健らと共にスタジオに入り、その後、Hi-STANDARDを結成。 当初は4人組だったそうだが、ヴォーカルが脱退し、現在に続くトリオ編成となった。氏が表紙を飾った2018年1月号のインタビューでは、「3人でできることは何か、3人がやりたいことは何かを考えて、どんどんシェイプ・アップされていきました」と3人になった当時について振り返っている。 1994年にファースト・ミニ・アルバム『LAST OF SUNNY DAY』を

                                            【R.I.P.】唯一無二のビートを“発明”したHi-STANDARDのドラマー、恒岡 章急逝 | ドラマガWeb
                                          • R.I.P. Daniel Johnston | ele-king

                                            私はかつて外国人にサインをねだられたことがある。ひとりはサーストン・ムーア、もうひとりがダニエル・ジョンストンである。最初にサインしたのはダニエルだった。21世紀になってはいたが、もう何年も前のことだ。だれかにサインを書いたのはじつはこのときがはじめてだった。サイン処女というものがあるなら、この言い方はいまだとジェンダー的によろしくないかもしれないが、私はそれをダニエルに捧げた。私は当時雑誌の編集部員で、取材でダニエルに会ったとき、彼は手渡した号の表紙をしげしげと眺め、この本はあなたが書いたのですかとたずねた。正確にはダニエルが隣のオヤジさんに耳打ちし、オヤジさんが通訳の方に訊ねたのを彼だか彼女だかが私にそう伝えたのだった。私はその質問に、雑誌なので全部私が書いたのではありませんが、編集はしましたと答えた、するとまたオヤジさんがサインをしてくださいとにこやかに述べられた。私はサインなどした

                                              R.I.P. Daniel Johnston | ele-king
                                            • R.I.P. Tom Verlaine | ele-king

                                              まあ、いまとなってはこっぱずかしい話ではある、中高生のときにロック、ことパンク周辺に夢中になってしまったぼくは、昼も夜も音楽のことばかり考えて、好きになった曲の意味をなんとしてでも知ってやろうと、辞書を引きながら一生懸命日本語訳に挑戦したものだった。テレヴィジョンはサウンドはもちろんだが、ぼくにとっては歌詞の世界にもどっぷりはまったバンドだった。 “Marquee Moon” の出だしの言葉を、これまでの人生でなんど反芻したことだろう。「I remember how the darkness doubled/ぼくは憶えている。その暗闇がいかにして重なったのかを」 それだけで充分だった。暗闇は前提であって、それがどうしてさらに暗くなったのかが問題だった。冷たさや夜の空しさだけが真実だった。 そりゃあ私だって幸運だったこともある まやかしだったけれどね ローラはそう言った 彼女は目を閉じてしま

                                                R.I.P. Tom Verlaine | ele-king
                                              • R.I.P. Pelé | ele-king

                                                ペレは、世界初のサッカーにおけるスーパースターだったが、マラドーナと同じく、いちサッカー選手以上の存在だった。モハメッド・アリやマイケル・ジョーダンなどと並べて語られるように、スポーツをもって頂点に上り詰めた黒人でもあった。影響力の大きさから、その無邪気な言動は、ときに政治的にも解釈された。だいたい、戦争を止めることができたスポーツ選手などほかにいたのだろうか。60年代末、内戦状態だったナイジェリアとビアフラはペレのプレイを見るために休戦したのである。 ペレの全盛期は、1958年のスウェーデン大会から1970年のメキシコ大会までの間だと言われている。彼はブラジル代表としてW杯で三度、クラブ・チーム「サントス」の一員として二度の世界王者に輝き、23年間の選手生活において世界80カ国でおよそ計1300試合以上の試合に出場し、公式としてはいまのところ最高の1300近いゴールを記録している。ぼくが

                                                  R.I.P. Pelé | ele-king
                                                • R.I.P. Ras G | ele-king

                                                  LAのビート・シーンを代表するアーティストのひとり、Ras G こと Gregory Shorter Jr. が7月29日に亡くなった。直接の死因は発表されていないが、昨年12月、呼吸に異常を感じて救急搬送され、肺炎、高血圧、糖尿病、甲状腺機能低下、心不全と診断されたことを自らの Instagram で公表している。体の不安を抱えながらも、今年に入ってからは2月にハウス・アルバム『Dance Of The Cosmos』をリリースし、続いてビート集『Down 2 Earth, Vol.3』、『Down 2 Earth, Vol.4』を相次いでリリース。またLAローカルのイベントにもいままで通りに出演し続け、さらに今年6月に長野・こだまの森で開催されたフェス『FFKT』への出演も開催の約1ヶ月前に発表されていたが、しかし、健康上の理由で来日はキャンセルとなっていた。 突然の訃報に際し、Ras

                                                    R.I.P. Ras G | ele-king
                                                  • R.I.P. Terry Hall | ele-king

                                                    野田努 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはF

                                                      R.I.P. Terry Hall | ele-king
                                                    • 【R.I.P.】世界一賢い犬と言われていたボーダーコリーのチェイサーが永眠。享年15歳(アメリカ) : カラパイア

                                                      「世界一賢い天才犬」と呼ばれたボーダーコリーのチェイサー(メス)が15歳で永眠したそうだ。 チェイサーは、心理学者で犬の認識と言語学習の研究者であるジョン・ピリー博士の飼い犬で、2004年から言語訓練をし、1000を超える英単語を記憶し、その意味をすべて理解していたという。 ピリー博士は、2018年6月17日に既に他界しており、虹の橋のたもとで再会を果たしたことだろう。

                                                        【R.I.P.】世界一賢い犬と言われていたボーダーコリーのチェイサーが永眠。享年15歳(アメリカ) : カラパイア
                                                      • R.I.P. Genesis P-Orridge | ele-king

                                                        MOST READ Bob Marley & The Wailers ──ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのTシャツが期間限定受注販売 (news)idiolatry ──C.Eの最新カセットテープは貴重なグライム音源集 (news)Ben Vida, Yarn/Wire & Nina Dante - The Beat My Head Hit (review)Kelela ──話題の新作を送り出したオルタナティヴR&Bシンガー、ケレラの来日公演が決定 (news)Columns グレッグ・テイト『フライボーイ2』日本版に寄せて、それからグレッグを師とした、東京在住のKinnara : Desi Laとの対話へ (columns)YoshimiOizumikiYoshiduO - To The Forest To Live A Truer Life | YoshimiO, 和泉希洋志 (re

                                                          R.I.P. Genesis P-Orridge | ele-king
                                                        • R.I.P. BIG-O / OSUMI | ele-king

                                                          Home > News > RIP > R.I.P. BIG-O / OSUMI - 追悼 オオスミタケシ(BIG-O/OSUMI) 90年代の日本のヒップホップ・シーンを代表するグループのひとつ、SHAKKAZOMBIE のメンバーとして活躍し、その後、進出したファッション業界でもデザイナーとして大きな成功を収めた BIG-O ことオオスミタケシ氏が、2021年1月24日、敗血症にて亡くなった。享年47歳であった。 ファッション・ブランド「MISTERGENTLEMAN」のデザイナーとして世界的にも知られる存在であったオオスミ氏だが、本稿では彼のルーツであるラッパー、BIG-O/OSUMIとしてのキャリアを振り返ってみたい。 ヒップホップ誌『FRONT』の1996年6月号に掲載されたインタヴュー記事によると、彼がDJの TSUTCHIE と組んで活動していたところに二つ歳上の HIDE-

                                                            R.I.P. BIG-O / OSUMI | ele-king
                                                          • R.I.P. Mira Calix | ele-king

                                                            こういう仕事をして、いろんな人と会って話したりするなかで、この人の性格はうらやましいなと思えるような人と会うことがある。ミラ・カリックスはそんなひとりだった。彼女のからっとした感じ、テキパキとした感じ、頭の回転の速さ、そしておそらくは、困難にぶち当たっても可能な限りに前向きに思考し、突破してしまいそうな明るさ——そうした彼女の属性は、彼女が南アフリカ生まれでロンドンに移住したコスモポリタンであるがゆえなのかどうかはわからないし、そもそもぼくが彼女と会ったのはわずか2回なので、まあ、365日そんな感じだったのかどうかもわからない。ただ、彼女にはどこか竹を割ったような、さっぱりした感じがあって、その感覚は彼女の音楽作品からもぼくは感じていた。どんなに彼女が実験的なことをやろうが、遊び心があって、ユーモアもあった。遺作となったアルバム『Absent Origin』のアートワークがそうであったよう

                                                              R.I.P. Mira Calix | ele-king
                                                            • 【R.I.P】もふもふ羊のクリス。ギネス世界記録に認定された「世界で最も毛が多い」羊が天命を全うしこの世を去る(オーストラリア) : カラパイア

                                                              2015年に、オーストラリアのキャンベラ郊外で、大量の羊毛に覆われて荒野をさまよっているところを救助・保護されたメリノ種のクリスが、老衰のため10月22日に死亡した。 ヒツジの平均寿命は10年から12年とされている。クリスの推定年齢10歳とされている。 クリスの羊毛の多さは、ギネス世界記録に認定されるほどだった。 クリスが旅立ったことをフェイスブックでシェアした、キャンベラの家畜保護慈善団体が経営する農場「リトル・オーク・サンクチュアリ(Little Oak Sanctuary)」のスタッフは、「羊毛の重さで注目を集めた羊だったが、それ以上に大きな存在だった」とその死を悼んだ。

                                                                【R.I.P】もふもふ羊のクリス。ギネス世界記録に認定された「世界で最も毛が多い」羊が天命を全うしこの世を去る(オーストラリア) : カラパイア
                                                              • R.I.P. U-Roy | ele-king

                                                                2月17日、ジャマイカのキングストンでEwart Beckford──音楽の世界ではU-ロイの名前で知られる偉人が亡くなった。没年78。 U-ロイは、ジャマイカのDeeJay(DJ)カルチャーのオリジネイター──厳密にオリジナル=いちばん最初ではないが、もっとも最初にその人気と影響力をもったことからほぼオリジネイターと言われている。U-ロイとは、マイクを握って音楽に合わせて喋る(トースティングする/ラップする)ことの古典である。 実際の話、ジャマイカのDeeJay(DJ)カルチャーは今日ぼくたちが親しんでいる音楽の始原と言える。そもそもDeeJay/ディージェイは、サウンドシステム(=強力なスピーカーとアンプを擁する、レコードに合わせたダンス・パーティ)において場を盛り上げるために喋りを入れる司会者めいた役のことで、マイクを手に取り曲間に曲を紹介したりキャッチフレーズを入れたりしたという。

                                                                  R.I.P. U-Roy | ele-king
                                                                • R.I.P. Little Richard | ele-king

                                                                  スパイダースのマネージャーだった奥田義行は高校生の忌野清志郎が歌っているところを見て「リトル・リチャードだ!」と思ったという。ラジオで週に1時間しか洋楽が流れなかった時代、奥田さんは日劇(現有楽町マリオン)の地下に米兵しか入ることができないバーがあり、その店に潜り込むとジュークボックスの裏に隠れてアメリカン・ポップスを聴き漁ったと言っていた。和田アキ子や萩原健一がデビュー前にどれだけ人の噂になっていたかなど60年代のことをあれこれと話してくれた奥田さんは、同じように若き忌野清志郎のインパクトがさらに凄まじく、思わず「君はリトル・リチャードだ!」と本人に告げたところ、清志郎からは「違うよ、オーティス・レディングだよ」と未知のソウル・シンガーの存在を教えられ、それに共感したことでRCサクセションのマネージメントをすることになったという。しかし、若き忌野清志郎を見てリトル・リチャードを連想すると

                                                                    R.I.P. Little Richard | ele-king
                                                                  • 梅田香子 🇺🇸「ヒトラーと握手した日本の少女 稲田悦子伝」 on Twitter: "日本のプロ野球は「女を担当記者にするなんて、うちをバカにしているんですか?」と怒ってしまう時代が長かった。でも、野村監督は私の原稿をよく読んでくださっていて、自分から「○○を獲得しようと思うんだけど、あっちでの評判はどう?」話しかけてくださった。R.I.P."

                                                                    日本のプロ野球は「女を担当記者にするなんて、うちをバカにしているんですか?」と怒ってしまう時代が長かった。でも、野村監督は私の原稿をよく読んでくださっていて、自分から「○○を獲得しようと思うんだけど、あっちでの評判はどう?」話しかけてくださった。R.I.P.

                                                                      梅田香子 🇺🇸「ヒトラーと握手した日本の少女 稲田悦子伝」 on Twitter: "日本のプロ野球は「女を担当記者にするなんて、うちをバカにしているんですか?」と怒ってしまう時代が長かった。でも、野村監督は私の原稿をよく読んでくださっていて、自分から「○○を獲得しようと思うんだけど、あっちでの評判はどう?」話しかけてくださった。R.I.P."
                                                                    • R.I.P. Peter Rehberg | ele-king

                                                                      7月23日、ピタことピーター・レーバーグが逝去。明け方に見たガーディアンの見出しには53歳とあった。心臓発作だったという。レーバーグはエレクトロニック・ミュージックをダンスフロアから引き剥がし、エレクトロニカを先導したラップ・トップ・ミュージシャンの先駆者である。フェネスとともに現代音楽やミュジーク・コンクレートをリヴァイヴァルさせた中心人物といっていい。ウィーンを拠点にラモン・バウアーらと共同で運営していた〈メゴ〉からは自らの作品だけでなく、フェネスやヘッカーなど実験的なエレクトロニック・ミュージック(=ジム・オルークいわく「パンク・コンピュータ・ミュージック」)を矢継ぎ早にリリースすることでエレクトロニカというタームを引き寄せ、1999年には彼自身のソロ作『Get Out』と、フェネス及びジム・オルークと組んだ『The Magic Sound Of Fenn O'Berg』によってテク

                                                                        R.I.P. Peter Rehberg | ele-king
                                                                      • r.i.p. - 面白情報探し旅!?

                                                                        鮎川誠さんの訃報を聞き、一つの時代が終わったように感じました。 www.youtube.com シーナ&ザ・ロケッツ、結構好きでした。 www.youtube.com SHEENA's YA-ON シーナ&ロケッツ35周年ライブ (完全ノーカット・ライブ/初回限定版) [DVD] シーナ&ロケッツAmazon r.i.p. ランキング参加中音楽室

                                                                          r.i.p. - 面白情報探し旅!?
                                                                        • R.I.P. MF DOOM | ele-king

                                                                          30年以上にわたってヒップホップ・アーティストとして活動し、アンダーグラウンド・シーンのスーパースターとしてカリスマ的な人気を誇ってきたラッパー、MF DOOM (本名:Daniel Dumile)が2020年10月31日に亡くなった。彼の死が明らかになったのは死後から2ヶ月経った12月31日のことで、MF DOOM の公式インスタグラム・アカウントにて妻の Jasmine 名義での声明が発表され、偉大なラッパーの訃報は瞬く間にインターネット上で拡散された。享年49歳で、死因は明らかになっていない。 MF DOOM が初めてヒップホップ・シーンでその存在を知られるようになったのは、彼がまだ Zev Love X と名乗っていた1989年のことで、当時、シーンのトップ・レーベルであった〈Def Jam〉からリリースされた 3rd Bass 「The Gas Face」への客演によって、彼自身

                                                                            R.I.P. MF DOOM | ele-king
                                                                          • r.i.p. マリー・クワント - 面白情報探し旅!?

                                                                            マリー・クワント 2023年4月13日、英国の著名なファッションデザイナー マリー・クワントさんが、この世を去りました。 93歳でした。 【MARY QUANT】【WEB限定色】マリークヮント 保冷バッグ (アイボリー) 婦人 レディース マリークワント/マリクワ 192101-0003-01 マリークワントAmazon ブランドのアイコンとして知られる黒いデイジーは若かりし頃の落書きから生まれたもの。 【MARY QUANT】マリークヮント タオルハンカチ (ブラック) 婦人 ハンドタオル 25cm マリークヮント/マリクワ 抗菌 防臭 192005-2202-60 マリークワントAmazon 1960年代に大流行したミニスカートは、元々は1950年代に20代だったマリー・クワントが発表したもの。 フランスの大御所 ココ・シャネル が辛辣に批判しているのを何かのテレビ番組で見かけました。

                                                                              r.i.p. マリー・クワント - 面白情報探し旅!?
                                                                            • R.I.P. 近藤等則 | ele-king

                                                                              Home > News > RIP > R.I.P. 近藤等則 - 月に吠えたラッパ極道 ──トランペッター近藤等則の格闘半世紀 近藤等則にインタヴューする機会はたった1度しかなかったが、その時の印象は今なお鮮烈に残っている。とにかく、目力の強い人なのだ。そして語気も荒い。会った瞬間に「極道」という文字が頭をよぎった。本人は普通にしゃべっているのだろうが、あの鋭い眼光と話し方は、傍から見ればケンカをふっかけているように思われるはずだ。私のひとつ前のインタヴュワーだった知人と後日会った時、彼は「ビビッちゃって何を話したのか全然記憶にない」と笑っていた。もちろん私も緊張マックスだった。この時の取材(2015年2月)は、“枯葉” や “サマータイム” といったお馴染みのスタンダード・ナンバーばかりを近藤のエレクトリック・トランペットとイタリア人トラックメイカーのエレクトロニク・サウンドでカヴァし

                                                                                R.I.P. 近藤等則 | ele-king
                                                                              • 香村かをり(Hyang) on X: "G.I.S.M.の横山茂久くんが亡くなったと聞いた。 ギズムができる前からの友だちで、ドラマーが決まらない時にG.I.S.M.で叩いた時もあった(1980.11.28日大文理gig)。次の新宿ロフトでギズムを辞めた。その辺のことを改めて書いてみようと思ってたのに😱 R.I.P. 写真は日大文理gig #GISM #横山Sakevi https://t.co/my26F5qhzp"

                                                                                • R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) | ele-king

                                                                                  Home > News > RIP > R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) - 追悼:ウェイン・クレイマー ぼくの世代でMC5といえば、たとえばザ・KLFの大ヒット曲 “What Time is Love” でサンプリングされた “Kick Out the Jams” の冒頭のMCだったりする。「キック・アウト・ザ・ジャムス、マザーフ**カー!」。もっともこれは、ザ・KLFの前身ザ・JAMsにひっかけた洒落でもあるわけだが、それはそれとて、このフレーズが60年代カウンター・カルチャーのもっとも威勢が良く、もっともぶっ飛んで、もっとも有名な掛け声であることは間違いない。だいたいこれは、音楽史上最初に録音された「マザーフ**カー」であり 「フ**ク」であるという名誉から、リリースからしばらくして問題の部分は「ブラザーズ&シスターズ」に差し替えられている。いまspo

                                                                                    R.I.P. Wayne Kramer(1948 - 2024) | ele-king

                                                                                  新着記事