三国志の群雄の一人、袁術(えんじゅつ)。一時はかなりの勢力圏を築くものの、唐突に自ら「皇帝」を名乗って、「仲(ちゅう)」という王朝を勝手に立ち上げるという珍妙な行動をとり、 それを諌めた家臣を冷遇したために続々と配下に離反され、その勢力は瓦解し、落ち延びる中でゆきだおれのような最期を遂げたとされています。 ですが今回はこの袁術のことをよく考えてみましょう。彼の「皇帝僭称(こうていせんしょう)」は、本当に無謀だったのでしょうか? 彼が皇帝として群雄達にも認められる道はなかったのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組