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社会学-エスニシティに関するrrmmjjffのブックマーク (2)

  • ゼミ生向けの講義を、ゼミ生がテープ起こししてくれました:特別講義「裁判員制度の是非」 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > ゼミ生向けの講義を、ゼミ生がテープ起こししてくれました « [videonews.com] マル激トーク・オン・ディマンド更新しました | (上にアップロードしたものの続き[容量限界ゆえ]) » 一ヶ月ほど前にゼミ生の希望でやった特別講義です。 大学での僕のゼミの難易度がよく分かるだろうと思います。 ただ、僕のゼミの標準からいうと、やや平易だろうと思います。 というのは、ゼミ生とは違うお客さんが何人かいたからです。 ──────────────────────── 宮台真司 特別講義「裁判員制度の是非」 ──────────────────────── 【原則と運用の板挟み】 ■裁判員制度を考えると二つの問題に突き当たります。第一に、近代法の原則を知らないので、制度を評価する際の物差しがメチャクチャになるという問題。もう一つは、裁判

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/07/12
    教科書を見ると衆議院の解散権が首相にあることを以て三権分立だというようですが、間違いです。「
  • エスニシティ

    エスニシティ 「エスニシティの定義は,研究者の数だけある」と言われるが,稿は「エスニシティとは何か」を説明しようとするものではない。ただ「エスニシティ」が論じられる際の理論的な関心について,いくつかの注意を促すことだけが目的である。 エスニシティ研究とナショナリズム研究とは,多くの場合重なっていない。この研究上の分断は興味深い現象だが,これは両者の関心の方向がそもそもかなりの程度異なっていることを予想させる。ナショナリズム研究は「過去」をいかに相対化するかという点に理論的な関心を寄せるが,「エスニシティ」の研究は,おそらくより同時代的な関心に基づくものだ。まず,「民族」を論じるのは主に人類学の領域だろうが,「エスニシティ」はむしろ政治学の用語であることを押さえておきたい。さらに,「エスニシティ」は「民族性」(national character)ではない。むしろ古典的な「民族」論が通用し

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    rrmmjjff 2009/02/12
    ナショナリズム研究は「過去」をいかに相対化するかという点に理論的な関心を寄せるが,「エスニシティ」の研究は,おそらくより同時代的な関心に基づくものだ。まず,「民族」を論じるのは主に人類学の領域だろうが,「エスニシティ」はむしろ政治学の用語であることを押さえておきたい。さらに,「エスニシティ」は「民族性」(national character)ではない。むしろ古典的な「民族」論が通用しなくなってきた,1960年代以降のアメリカ合州国をはじめとする世界各国の状況から,「エスニシティ」という術語は登場したのだと解するべきだろう。その状況とは,世界的な民族解放・独立の波を背景とし,公民権闘争をはじめとするマイノリティの政治的要求が噴出し,先進国におけるエスニック紛争が顕在化してきたこと,そして移民・難民問題が国際的に大きな議題となってきたことなどが挙げられる。最後のものを別にすれば,これらはいずれも「人種」「民族」として考えられてきたものが,政治的な存在として前面に出てきた状況として特徴づけられるかもしれない。
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