新刊無料公開『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』 その2「第一章 煉瓦亭という名のモンスター 」1.煉瓦亭という名のモンスター 新刊『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』発売中です。 (無料公開その1「序」はこちら→) 銀座を南北に貫く目抜き通り、銀座通りを一本西に入った静かな路地、銀座ガス灯通りに、煉瓦亭という名の老舗西洋料理店がある。 とんかつの原型たるポークカツレツは、この煉瓦亭で誕生したというのが、現時点(2022年)において広く信じられている「定説」である。 四代目店主木田明利の妻、木田和子の著書『煉瓦亭いまむかし』によると、明治28年6月16日に山本音次郎というコックが創業したフランス料理店が、そもそもの煉瓦亭のはじまり。 ところが開店して2~3年たった頃、山本音次郎は体調不良により引退。その後、山本の縁者であった木田元次郎が二代目として店を引き継いだ。 この木田元次郎の
新刊『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』発売中です。 新刊ではカツレツ、とんかつ、魚のフライ、コロッケの様々な謎を解き明かすとともに、嘘・デタラメだらけの日本西洋料理近代史を、膨大な資料をもとにゼロから書き直します。 それでは『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』、冒頭部分をお楽しみください。 1853年7月8日、黒船来航。1858年7月29日に日米修好通商条約が結ばれ、翌年横浜が開港することとなる。 外国人を迎えるにあたってまず日本人がしたこと。それは遊女街すなわち遊郭の設置であった。 日本各地から横浜に遊女を集めるとともに、饗応の場(揚屋)において西洋料理も提供されることとなり、メニュー表「横浜揚屋料理献立」が作成された。 (「横濱揚屋料理献立」 画像提供:京都の古書店・青羽古書店様)雑誌『食道楽 昭和6年5月号』記事「横濱開港當時の西洋料理」(高岸拓川)に、横浜開港の年、185
親切の人類史――ヒトはいかにして利他の心を獲得したか 作者:マイケル・E・マカローみすず書房Amazon 以前私が書評した「The Kindness of Strangers」が「親切の人類史」という邦題で12月に邦訳出版されるようだ.本書は実験心理学者であるマイケル・マカローによるヒトの見知らぬ他人に対する利他性がどのように説明されるのかを扱ったものだ.前半は進化的な視点から包括適応度理論(血縁淘汰),マルチレベル淘汰,直接互恵,(社会淘汰を含む)間接互恵からどこまで説明できるのかを扱い,後半では共感のサークルの拡大が理性の役割とともに歴史的に語られている. 前半部分は非常に簡潔かつ明晰な良いまとめになっている.特に現在筋悪のマルチレベル淘汰論者が偏狭な利他主義仮説をもてはやしていることに対して,そもそもマルチレベル淘汰と包括適応度理論(血縁淘汰)は数理的に等価であり,マルチレベル淘汰で
就職氷河期世代とは? 就職氷河期とは、俗にいうバブル崩壊後の1993年から2005年卒業で就職活動に差し掛かった年代を指します。 1994年に流行語大賞に選ばれたことから世間に広まった造語です。バブルの崩壊を受けてほとんどの企業の有効求人倍率が1を割り、この後約10年近く就職難が続くことになります。 この期間に就職活動を強いられた世代を就職氷河期世代と呼び、高卒では、75年から85年ごろに、大卒者では70年から80年に生まれた人たちが該当します。 (就職氷河期世代とは?当時の問題から今後の求人動向・採用支援について-クリエイト転職より) 以前作成したゆとり世代換算表を利用して上記世代を作成してみる。留年および浪人なしの場合は以下のとおり。小学校~高校の「第X世代」というのは、ゆとり教育の世代数を指している。 誕生年度 小学校 中学校 高校 大学進学率 大学新卒求人倍率 備考 1968年度
マームット・ミスキ氏の手のひらに置かれたフェルラ・ドルデアナの花。トルコ中央部ハッサン山の近くで採取したもの。(PHOTOGRAPH BY ALICE ZOO) 黄金の花を咲かせる植物「シルフィウム」は、古代ギリシャの勃興前からローマ帝国の最盛期まで、地中海世界で最も愛された食材のひとつだった。 腹痛からイボの除去まであらゆる症状に効く万能薬とされたほか、レンズマメを煮込む際に香辛料として使われたり、最高級のフラミンゴ料理に添えられたりもした。ユリウス・カエサルがローマに君臨した時代には、黄金とともに500キロ以上のシルフィウムが宝物庫に貯蔵され、その苗には銀と同等の値がつけられたという。(参考記事:「古代ローマで大人気、万能調味料「ガルム」とは」) シルフィウムに関する最古の記録は、紀元前638年のもの。北アフリカ、現在のリビアがあるキレナイカの沿岸で「黒い雨」が降った後にこれが生えたと
アイヌ語のあいさつ「イランカラプテ」(「こんにちは」の意)を、「北海道のおもてなし」のキーワードとして普及させるキャンペーンを展開することとしました。
沖縄語学習サイトを開発したクレストの池原稔代表=16日、嘉手納町 【嘉手納】しまくとぅば普及事業を展開するクレスト(嘉手納町、池原稔代表)はこのほど、インターネット上で手軽に楽しく沖縄語を学習してもらおうと、沖縄語学習サイト「しまくとぅば.okinawa」を開発した。同サイトは共通語(日本語)で記された沖縄の童話や、教科書などでも扱われている物語を紹介し、物語中の単語や文章を変換機能を使って沖縄語に翻訳しながらしまくとぅばを学ぶことができる。 ▼「しまくとぅばを日常に」琉歌が流れる自販機を設置 池原代表(72)は「しまくとぅば話者が年々減少し、言葉そのものが消滅に向かっていることに寂しさを感じる」と語る。さらに、沖縄文化の根底には「歴史を紡いできた人々が話した言葉がある」として、しまくとぅばの普及啓発に取り組んでいる。 同サイトは加えて、チャットや掲示板の機能も取り入れた。利用者同士でコミ
ウチナーグチの「重に語」をまとめた資料を手に普及への思いを語る国吉朝政さん=14日、那覇市泉崎の琉球新報社 毎年9月18日は「しまくとぅばの日」。「しまくとぅば」の普及、継承を図ることを目的に、沖縄県条例が制定されている。しまくとぅばは沖縄の文化の基層であり、心のよりどころ。年々、「しまくとぅばを使う人が減り、消滅の危機にある中、地道にこつこつと継承に取り組んでいる人がいる。 県沖縄語普及協議会の会長を務める国吉朝政さん(82)は、「ニーブイカーブイ(眠気に襲われること)」や「ピリンパラン(ぺちゃくちゃおしゃべりする様子)」など、ウチナーグチには同じか似た音・意味を繰り返す言葉が豊かにあることに気づき、言葉を書きためている。集まった言葉は約600語。辞書のようになった資料を前に「若い人に使ってもらいたいけど、どうしたらいいかねー」と、「アリウミークリウミー(あれこれ思い悩むこと)」している
メキシコ、パレンケの「碑文の神殿」で発見されたマヤ戦士の頭部像。この神殿は7世紀の君主キニチ・ハナーブ・パカルの墓で、最大かつ最も保存状態が良いマヤのピラミッドのひとつだ。(DE AGOSTINI VIA GETTY IMAGES) 長く忘れられていた文明の痕跡は、中米ユカタン半島のあちこちに残されていた。スペイン植民地時代の修道院の地下にも、道路の下にも。その大半は草木に覆われ、ジャングルに埋もれていた。だが1830〜40年代、ユカタン半島を詳細に調査した英国人と米国人の探検家はすぐに、これらの謎に満ちた遺跡が考古学上の重要な宝であることを確信した。 発見された遺跡や工芸品は放棄されて荒廃しており、寺院やピラミッド、芸術品や文字といったそれらの役割は、当時はほとんど不明だった。それでも、米国人探検家のジョン・ロイド・スティーブンスは1841年に、これらは同一集団の人々が生み出したもののよ
SPEECH! How Language Made Us Human (English Edition) 作者:Prentis, SimonhogsaloftAmazon 本書は通訳兼翻訳家(何カ国語も扱うが特に日本語通訳としてのキャリアが長い)であるサイモン・プレンティスによる言語が使えることによりヒトは何を成し遂げてきたのかを論じる本になる.プレンティスは言語学や進化生物学の専門家というわけではないが,ドーキンスやピンカーが推薦文を寄せているというので読んでみたものだ.副題は「How Language Made Us Human」 冒頭には「ウクライナのための序文」がおかれている.これは本書脱稿後にロシアのウクライナ侵攻が生じたことを受けているもので,(実は本書ではその最終章で,言語により世界が平和に向かってきたが,それはなお未完であり,国連の改革が必要であることを論じている)どうして
<KCIAとアメリカが後ろ盾となった、旧統一教会。そこから派生した「サンクチュアリ教会」はトランプと銃所持を熱烈に支持するなど、今やコントロール不能で、アメリカ社会にも刃向かうという皮肉> ※正確を期すため文章中の表現を一部改めました(2022年7月28日午前10時47分)。 安倍晋三元首相の銃撃事件で逮捕された山上徹也容疑者のゆがんだ心理を読み解こうとすると、アメリカと日本の民主主義および個人の自由に深刻な脅威を及ぼすアメリカ社会の暗部に行き着く。 山上は、母親が旧統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」に改称)に寄付を続けたために一家が経済的に破綻したことを恨んでいて、安倍が同教団を支援してきたと考えて犯行に及んだとしている。 実は、山上が語った犯行動機と、昨年1月6日に米連邦議会議事堂襲撃事件を起こしたトランプ支持派が抱く社会への不満、アメリカのリバタリアニズム(自由意思論)と狂信的
明治中期から後期の #多摩川 は上流部の森林が荒廃しており、渇水や濁水が頻繁に発生していました。そのため #尾崎行雄 東京市長は東京市が水源林の経営を行うべきと決断し、水源地帯の買収、植栽や崩壊地の復旧などの施策を講じました。その結果現在の豊かな水道水源林が形成されることとなりました。 pic.twitter.com/U8qHfdIXFm — 東京水道株式会社【公式】 (@Tokyo_Water_Co) July 19, 2022 先日、東京都の持っている巨大な水源林にいってきた。 デジタル技術も都市を支えるインフラの一つになりたい。その際、水道局、下水道局、港湾局、交通局などの既存の都市インフラの先輩部局の在り方が参考になるのではと思いインフラ系部門の現場に時間をみては行って話をきいてる。 これが毎回、滅法、面白い。今回は水道局の奥多摩から山梨県甲州市にかかる水源林に行ってきた。以前に行
地図で岩木川沿いの水路をたどっていると、左岸側に岩木川に並行して流れているような水色の線が目に入りました。 大きな川には河岸段丘に沿って支流が並行して流れていることは、これまでも多摩川沿いの散歩などでもありました。それにしても途中で合流することもなく長い水色の線です。 しかも、途中で川の上か下を通ったり、幾つもの水色の線が複雑に交差している場所が描かれています。 何川なのだろうと地図を拡大すると、「土淵堰」でした。 読み方もわからず、「土」「淵」「堰」で構成されている水路は何なのか皆目見当がつきません。 たどっていくと、弘前市の中心部から西へ数キロほどの岩木川から取水されているように見えます。 複雑な水路を整理して津軽平野の排水を良くしたのは1970年代ですから、その時に造られたものでしょうか。 それにしてはちょっと古風な名称です。 検索したところ、なんと津軽藩時代に造られた水路でした。
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