酒との出逢い 森敦いつもツケで飲んでいたから、借金もだいぶ溜っていたのだろう。ぼくが檀一雄のところに遊びに行っていると、「香蘭」のおかみがちょっとした手土産を持って訪ねて来た。それとあからさまには言わなかったが、借金の催促だとはわかっていた。 檀一雄は笑いながら愛想よく応対していたが、ちょっと額に手をあてるような仕草をすると、机の上から体温計を取って小脇に挟んだ。 「熱がありますの」 と「香蘭」のおかみが訊いた。 「なあに、大したことはありませんよ」 と、檀一雄は平然としていたが、「香蘭」のおかみは無理にとり上げて見て、四十度もあるじゃありませんかと言い、催促もせずに帰って行った。 ぼくも愕(おどろ)いてその体温計を小脇に挟んでみたが、やはり四十度になった。檀一雄はだれがしても四十度になる体温計を持っていたのである。 (226~227ページより) 手紙 昭和十一年 坂口安吾九月三十