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石丸元章 『危ない平成史』 #06 「お前こそが全ての元凶だ!!」──ゴンゾな親父とヒップな息子の平成ドグラマグラ|GUEST|MCハピネス GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“父子”。ゲストは弱冠13歳、若きラップスターにして石丸元章のひとり息子であるMCハピネス。 石丸 まず最初にあなたに言っておきたい。今日は、どんな嘘もついていいから。というか、子供は親に嘘をつく自由があるんだね。よく「ママだけには嘘をつかないで」とか言う親もいるんだけど、自分は、まったくそう思わないから。親ってさ、知ってると思うけど一番嘘をついていい相手なわけ。どんな嘘でも赦す、それが親だから。他の人は赦してくれないよ。それにさ、誰でも人は、他ならぬ自分の幼少時代について、好きに虚構を作り出して話していい権利があるんだよ。仮にすごく恵まれた環境に育ったとし
世界中を旅しながら数々の映像作品を制作してきたアーティスト・小鷹拓郎。彼の作品はいつだって「嘘」を起点としていて、その作品制作の根底には「悪意」が漲っている。 小鷹拓郎の映像作品はいつだって「嘘」を起点にしていて、その作品の根底には「悪意」が潜んでいる。 しかし、そうした小鷹の作品に潜む「悪意」に、もし仮に道徳的に非難されるべきことがあるのだとしたら、それは、それが「悪意」であるということにおいてではなく、その「悪意」がまだ十分には足りていないかもしれない、という可能性においてだろう。 「いまの日本で作品を制作する上ではコンセプトシートが一枚では足りない」 そう小鷹拓郎は言う。あるいは、それは自分自身の過去の失敗に基づいた自戒の言葉でもある。 9月、「表現の不自由」をめぐって揺れ続けているアートシーン。すでにある不自由さをかいくぐり、本当の意味で「その後」へと向かうために必要なこととはなに
タトゥー、身体改造、ボディビル、異性装……絶えざる変容の動態に生きるオイルペインター亜鶴の、数奇なるスキンヒストリー。第六回は結果に従属しない「遊び」としての筋トレ論。 「結果にコミット」しない 気がつけば前回の連載より2カ月近くが経過していた。 本来であれば今回の連載記事の発表は、とある方のインタビュー記事をリリースする予定であったのだが、いかんせん言語が英語であること、なかなかに複雑なコンテクストをもった方であること、そして自身の日常に忙殺されていたことにより筆が進まず、今回の内容は僕にとって書きやすいテーマを優先させることとする。 元来、僕は重度のアトピー持ちであった。中学受験を終えるまでの間、僕自身はそこまでストレスには思っていなかったはずなのだが、お受験への圧などによって、皮膚は本当にひどい状態になっていた。顔にアトピーの症状が出たら嫌だ、と自分では思っていたものの、残念ながら身
あいちトリエンナーレ 2019の全ての展示が再開することの意味を確認しておきたい。それは表現の自由を勝ち取るのみに留まらず、「平和の少女像」を日本人の手で立ち上げることであり、この出来事を拠点にして日韓の友好親善を再び深めてゆきたいという日本の市民からの国際的な意志の表明なのである。 あいちトリエンナーレの8月 8月、もう何回目の名古屋入りだろうか。幾度となく訪れ、あいちトリエンナーレ2019の問題について議論し、事態の把握と問題の解決にむけて動いている。私は8月1日にインスタレーションとパフォーマンスを完遂して、短い夏休みをとるつもりだったのだが。 愛知県美術館10F 第4展示室で、私はパフォーマンス/ビデオインスタレーションを展示している。私がようやく展示作業とパフォーマンスから解放されて、ずっと詰めていた愛知県美術館10階フロアから8階へ展覧会を観に降りて行ったのは、8月2日のことだ
世界ではなぜいま伝統的タトゥーが復興しようとしているのか──台湾、琉球、アイヌの文身をめぐって|大島托×山本芳美 2019年10月に沖縄県立博物館・美術館で開催される「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」を前に、タトゥーイストの大島托と、同展示の企画発起人である文化人類学者の山本芳美が、伝統的タトゥーの復興状況を巡って対談した。 蘇りつつあるパイワン族のタトゥー HZ 今年の10月5日から11月4日までの約一ヶ月間、沖縄県立博物館・美術館で「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」展が開催されます。今日はお二人に、その展覧会においてもテーマになっているトライバルタトゥー、つまり少数民族の伝統的なタトゥーのリバイバル(復興)の今日的な状況についてお伺いしたいと思っています。 今回展示される台湾原住民族のタトゥーについて、なかでもパイワン族のタトゥーに関しては、大島さんはタ
1984年、歌舞伎町のディスコを舞台に中高生たちが起こした“幻”のムーブメント── Back To The 80’s 東亜|中村保夫 1984年、歌舞伎町で中高生による自発的で爆発的なディスコブームが発生した。その舞台は東亜会館。東京の中高生の間で一世を風靡した大ムーブメントなのだが、実はこれまでほとんど語られていない。あらためて、あの熱かった時代を振り返る。(Collaborate with 東京キララ社) 歌舞伎町のビルの密室にて 1984年、歌舞伎町で中高生による自発的で爆発的なディスコブームが発生した。その舞台は東亜会館(現在の第二東亜会館)。週末になると、全身パステルカラーの服に身を包んだ中高生男女が東亜会館に大挙押し寄せ、踊って叫んで酒飲んでタバコ吸ってナンパしてとやりたい放題。しかもオープンは昼の12時で、非常階段には開店待ちの長蛇の列ができていた。それから数年間に及び、東京
肌の色、国籍? そんなもの関係ない。“大和魂”をレペゼンするネオ右翼として、東京をハイセンスな街にしていくだけ──ストリートワイズが語る新宿オーバー・グラウンド・エリア|漢 a.k.a. GAMI × TABOO1 新宿エリアを地元に育ち、小学校からの幼馴染である漢 a.k.a GAMIとTABOO1の二人は、ヒップホップとこの街を、今どのように考えているのだろうか。彼らの拠点「9SARI OFFICE」で、中島晴矢が話を聞いた。 印象深いライブがある。新宿歌舞伎町にある解体寸前の廃ビルで、アートグループ・Chim↑Pomの展示「また明日も観てくれるかな?」関連イベントとして行われた、漢 a.k.a. GAMIと菊地成孔のセッションだ。混沌とした雰囲気の中、新宿を根城とする二人のアーティスト──ラッパーとジャズメン──の声を、新宿のど真ん中で体感した。あの夜のあの空間には、土地と音と言葉が
旧共産遺産は「僕たちの想像力がいかに制限されているか」ということを僕たちに思い知らせてくれる ── 対談|星野藍 × 中村保夫 旧共産圏に遺る奇抜な廃墟と朽ちゆくスポメニックの写真集『旧共産遺産』。冷戦体制が崩壊し30年近くになる現在、旧共産圏の建造物たちを前に僕たちはなにを感じるのか。同書の著者である写真家・星野藍と、編集を務めた中村保夫が語る。 スポメニックの衝撃 中村 今日は写真集『旧共産遺産』についてあらためて星野さんとお話する機会をいただいたわけですが、僕はこの本の編集を務めさせていただいたものの、いわゆる旧共産圏の国々にはこれまで行ったことがないんですよね。はっきり言ってしまえば、そこに関する知識がない。だからこそ、星野さんの写真を初めて観たときには大きなショックを受けたんです。 もちろん、空港や工場の廃墟写真にも魅せられたんですが、特に僕の目を引いたのはスポメニックでした。「
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第七回はボルネオトライバルについて。多部族が密集するボルネオ島をバラエティ豊かに彩るフラクタル文様に魅せられて。 ボルネオトライバルの流行 90年代のトランスミュージックシーンで流行していた模様にフラクタルというものがあった。 これは幾何学上の概念で、部分と全体とが果てしなく同じパターン(自己相似という)となる非常にトリッピーな図像のことだ。当時はコンピューターグラフィックスの一般への普及によって様々なバージョンの高精度なフラクタル図像が出回り、これを蛍光色でアウトプットしたものがパーティーコスチュームやフライヤーのデザインとして広く使われていたのだ。 よく分からないが、トランスミュージックの誕生もコンピューターによる音源作成技術の普及と関わっていることを考えると、それ自体が音楽のフラクタルみたいなものを想定したもので
7月21日、参議院議員選挙が行われます。今回はHAGAZINEの代表として、また芳賀書店の代表として、この参院選に関連して、少しだけ皆さんにお話させて頂きたいことがあります。 ✴︎✴︎✴︎ 7月21日、参議院議員選挙が行われます。 今回はHAGAZINEの代表として、また芳賀書店の代表として、この参院選に関連して、少しだけ皆さんにお話させて頂きたいことがあります。 現在、日本の状況は決して明るくありません。私自身、豊かさを求め続けた結果、逆に豊かさが失われていってしまっているということを、常日頃、暮らしの中で実感しております。私のように感じている方も、決して少なくないだろうと想像します。 しかし、ここでいう「豊かさ」とはなんのことでしょうか。求人倍率、失業率、貧困率のことなどではありません。あるいはGDPやGNPなど、国民経済の指標の話でもありません。よくメディアでも取り上げられる、幸福度
石丸元章 『危ない平成史』 #05「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・後編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“イデオロギーとカルチャー”。ゲストは今年結成30年を迎えたバンド「太陽肛門スパパーン」のバンマスにして、ノンセクト左翼活動家である花咲政之輔。前後編の後編。 <<「反資本主義リアリズム」左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な関係・前編を読む マクロンかルペンか、困難な二者択一 石丸 カルチャーの世界ではいわゆる正統派本格左翼の流れはかなり後退してしまったという話でしたが、一方で、左翼活動家は平成になって以降も存在していましたよね。 花咲 まあ、中核派も革マルも、日本共産党の地方でがんばっている人々もまだ沢山いますからね
石丸元章 『危ない平成史』 #04「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・前編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“イデオロギーとカルチャー”。ゲストは今年結成30年を迎えたバンド「太陽肛門スパパーン」のバンマスにして、ノンセクト左翼活動家である花咲政之輔。前後編の前編。 平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を振り返る当シリーズ。 今回のテーマは、米ソ冷戦体制が崩壊し、フランシス・フクヤマがいうところの「歴史の終わり」と共に始まった平成という時代において、イデオロギーとカルチ
東京キララ社代表の中村保夫が綴る、バブル期の神保町を襲った「侵略者」たちの実態。ある日、家に帰ると母ときょうだいの姿がなく、父が一人、居間のテーブルに座っていた。下野のシナリオがいよいよ動き出す。 前回から少し時間が空いてしまい、多くの読者から「次回はいつアップされるんですか?」と聞かれていました。パリ人肉事件佐川一政の実弟、佐川純さんの著書『カニバの弟』など東京キララ社が新刊ラッシュだったため、どうにもなりませんでしたが、これからはアップの頻度を高めていきますので、よろしくお願いします。お待たせしました。第4回です。 と、始める前にもう一言。最近、「自分の家も同じような経験をしている」と声を掛けられることが非常に多い。特に東京生まれの人は大なり小なり同じような目に遭っているようだ。そのほとんどが過去の話だが、もし現在進行形でお悩みの方がいれば気軽に声を掛けてほしい。この連載の大きな目的は
精神科医・遠迫憲英と現代魔術実践家のBangi vanz Abdulの、大麻、魔女文化、VR技術を巡る、アメリカ西海岸紀行。2019年、西海岸の「いま」に迫る。 <<プロローグ1「エデンの西 LA大麻ツアー2019」を読む fnord 暗闇が戻ってくる。私は暗闇を眺めている、ということを憶いだす。 体液に浸されて静止した一点が、最初は弱く不安定に瞬き、次第に強く安定した輝きを取り戻す。 暗闇に包まれた一点の光は、ロサンゼルス南郊外のフローティングチャンバーに焦点する。 エージェントよりE.C.C.O.へ。転送完了。fnord. フローティングタンク ソファに深く腰掛けた私が、濡れた長髪を垂らしロビーに入ってくる院長を見たのか、ロビーに入室する私がソファーに沈む院長を見たのか、記憶は曖昧だ。フロートセッションの前後の記憶が錯綜しがちなのは、岡山でもロサンゼルスでも変わらない。 旅先でフローテ
1990年代に一つのシーンを作り出した悪趣味・鬼畜系カルチャー。そもそも「悪趣味」をあえて称揚する文化的態度は、そのはるか以前から存在した。SNSとネット炎上が一般化し、気安く「悪趣味」を遊べなくなったかのように見える今、「バッドテイスト」の新地平を3人のクリエイターが探る。 バッドテイスト生存戦略会議・前編を読む 地下へと潜行することで失われる「テイスト」 ヌケメ ここまでの話を少し整理しておくと、まず、ネット人口が増えたことで、様々なコンフリクトが生じ、なおかつ、そのコンフリクトによる炎上を享楽している人がいっぱいいる、という現状があるわけですよね。で、そうした状況はある意味すごく「バッドテイスト」なものでもあって(笑)、すると90年代に雑誌カルチャーの中で栄えたバッドテイストというものは、実はインターネットのインタラクティビティによって遍在化したとも言えるんじゃないか、と。 QUE
1990年代に一つのシーンを作り出した悪趣味・鬼畜系カルチャー。そもそも「悪趣味」をあえて称揚する文化的態度は、そのはるか以前から存在した。SNSとネット炎上が一般化し、気安く「悪趣味」を遊べなくなったかのように見える今、「バッドテイスト」の新地平を3人のクリエイターが探る。 1990年代、雑誌メディアを舞台に花開いた悪趣味・鬼畜系カルチャーは、スカムカルチャーやゴア表現、さらにドラッグカルチャーや過激なポルノまでをも巻き込んで、世紀末の日本に異形のシーンを形成した。ここ数年、そうした90年代の、ともすれば「行き過ぎ」であった文化表象に対する反省的な見直しが盛んに行われているが、そもそも一般的に悪趣味であったり鬼畜であったりと呼ばれるものをあえて愛でる、実践するという文化的態度自体は、1990年代に特有のものではなく、そのはるか以前から連綿と存在し続けている。 たとえば、『90年代サブカル
子どもではなく類縁関係をつくろう──サイボーグ、伴侶種、堆肥体、クトゥルー新世|ダナ・ハラウェイが次なる千年紀に向けて語る 2016年に出版されたダナ・ハラウェイ氏の二冊の本『Manifestly Haraway』、『Staying with the Trouble』をめぐって、同年8月に行われたハラウェイ氏本人へのインタビュー。次なる千年紀を「今ここ」にあるものとして生きること、そのための指針を探る。 “Make kin not babies(子どもではなく類縁関係をつくろう)” これはサイボーグや伴侶種などで知られる思想家ダナ・ハラウェイ氏がここ数年提示しつづけてきたスローガンである。その念頭にあるのは、2000年代に大気化学者のパウル・クルッツェンらによって完新世に続く地質学的年代として提唱された「人新世」という言葉、そして、その言葉が端的に示している、人間を主たるアクターとする、大
私の子だからって私だけが面倒を見る必要ないよね? ──エチオピアの農村を支える基盤的コミュニズムと自治の精神|松村圭一郎インタビュー 移民と出稼ぎが多く流入するエチオピアの農村においては、家と家との垣根が低く、システムに多くを頼ることのない、自律的で相互浸透的な生が営まれているという。90年代末よりエチオピアの農村をフィールドワークしてきた文化人類学者・松村圭一郎氏に話を訊いた。 現代社会の生きづらさを、政治や社会、法律やルールなど「システム」のせいにして語ることは、とても簡単だ。あるいは人類学の本などを読んで、その本が記述する「遠く」の人々の暮らしをロマンチックに憧憬し、あたかもそこがユートピアであるかのように賛美した上、そうなってはいない自分たちの暮らしを社会のせいにして失望することもまた、同様に簡単だろう。もちろん、そうした見方にも一理はある。しかし、それはともするとシステム依存的な
精神科医・遠迫憲英が精神世界の迷宮を綴った虚構手記。音楽とドラッグと精神分析。交錯していく現実と妄想。1988年、少年たちはペパーランドにいた。その日、初めて岡山でライブをするボアダムズを観るためだった。 ワーンツースリーフォオ、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガーーーーーーーーーー! ワンツスリフォ! ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガーーーーーーーーーーーガガガガーーーーーーーーー! ガガガガーーーーーーーーー!!!!!!!!!!! 爆発したような髪型はドレッドともアフロともつかなかった。小柄で、しかし引き締まった身体には古着のスエットが何枚も重ね着されている。下半身にはタイトなジーンズ、そしてスニーカー。全身をくの字に曲げながら、アスリート並の瞬発力で、その日、山塚アイはジャンプしていた。 フェーギャー! オッ! オッ! フェーギャー! オッ! オッ! ラバーマン! ラバーマ
タトゥー・アーティスト大島托が世界中の「タトゥー」を追い求めた旅の記録。第四回は東南アジアのハブであるタイ国を巡る。古くから伝わる幸運のタトゥー・サクヤン、そして闇の呪術的タトゥーについて。 タイの僧侶に伝わる伝統的な刺青「サクヤン」 タイの空港にランディングするといつもホッとする。 インドのいっときも気を許せない喧騒の後はもちろん、ヨーロッパのあか抜けた空気にちょっと感化された後でも、あるいは東南アジアの似たような雰囲気の国から戻ってきたときでも、およそどんなところから着いても、とりあえずはホッとするのだ。去年タトゥーコンベンションのために渡ったときは、拠点にしてすでに10年以上経つ日本の勝手知ったる便利三昧の後だったにもかかわらず、やっぱりホッとしていた。いったい何度訪れたことだろうか。単純に出入国回数で言ったら日本よりも多い。 様々なお愉しみで有名なこの国なのだが、自分自身が何に特に
GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは1990年代“裏原宿”。ゲストは平成前期にブランド「20471120」によってシーンを席巻したパリコレデザイナー・中川正博。 平成前期のアンダーグラウンドに異形の花を咲かせたバッドテイスト・カルチャー。その立役者のひとりであるGONZO作家・石丸元章が、毎回、ひと癖もふた癖もある客人を招いて、過ぎ去りし平成の「危ない歴史」を振り返る当シリーズ。 今回のテーマは、1990年代初頭の原宿ストリートに端を発し、やがて日本中のユースを巻き込む一大ブームへと発展した“裏原宿”ファッションについて。ゲストは、百花繚乱たる当時の裏原シーンにおいてひときわの異彩を放ち、時代を先駆するアニメポップな意匠を携え、瞬く間にパリコレまで上り詰めたブランド「20471120」の代表・中川正博だ。 シーンにたしかな足跡を残した時代
元SIMI LABのラッパーであり小説家の檀廬影(DyyPRIDE)と、ジャズメンでありエッセイストの菊地成孔による往復書簡。 *** 拝啓 檀廬影先生 自分は坂口安吾の生まれ変わりだと公言する野田秀樹氏をはじめ、無頼派というセクトは、移入や同一化を起こさせる特別な力を持っていたようです。太宰治などは、読者に移入させる力が強すぎて、小説のハイスキルが伝わる暇がないと言われました。檀先生よりも些か歳を取っている、そして無頼派の作家たちが存命中に思春期前期後期を過ごした人々よりも些か若い私ですが、自分の世代だと、小説家に限定するならば、筒井康隆先生が最高のもので、先生の小説を読んでいると、だんだんと自分のことが書かれているような、更には自分自身がその小説を書いているような気分になったものですが、先日、実際にお会いした際に、全く移入が断ち切られ、完全な別人化が起こり、まるで夢から覚めたような感覚
東京キララ社代表の中村保夫が綴る、バブル期、古書の街・神保町を襲った「侵略者」たちの実態。第二回は事業の失敗に伴う中村家の崩壊、そして、東大出の事件屋、乗っ取り屋である下野順一郎(増尾由太郎)による“乗っ取り”の手口について。 長い悪夢の始まり この連載の第一回が3月20日にアップされてから、ありがたいことに予想を超える多くの方々から応援の言葉をいただいた。いくら事情が事情とは言え、肉親の醜悪な姿を晒すことに葛藤はあったが、そんな僕の背中を押すように様々な縁とタイミングが重なり、30年以上に渡る孤独で壮絶な闘いをやっと公にすることができた。この機会を与えてくれたHAGAZINEには心から感謝している。 HAGAZINEの〆切が迫る3月6日。僕はどうしても外せない用事があって湘南へと向かっていた。4月26日から公開されるドキュメンタリー映画『HOMIE KEI〜チカーノになった日本人〜』の取
文化人類学の“静かなる革命”がもたらした「多自然主義」という視座は、現代において最も馴染み深い「多文化主義」の諸問題を炙りだした。僕たちはなぜ「多文化主義」から「多自然主義」へと向かうべきなのか。人類学者・奥野克巳に訊いた。 いかにして「存在論的転回」は起こったか HZ 近年、文化人類学において注目を集めている「存在論的転回」、あるいは“人類学の静かなる革命”については、僕もまた門外漢ながら関心を抱いてきました。とりわけ、ヴィヴェイロス・デ・カストロが「多文化主義」に対置する形で提出した「多自然主義」というアイディアには、それが人類学という学術領域を越えてもちうる可能性という点からも強く惹かれています。 この存在論的転回に関して、奥野さんはレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ』、エドゥアルド・コーンの『森は考える』を始め、重要な研究書の翻訳を多く手がけられています。さらに昨年に奥野
精神科医・遠迫憲英が精神世界の迷宮を綴った虚構手記。音楽とドラッグと精神分析。交錯していく現実と妄想。1980年代初頭、少年時代の現の意識を撃ち抜いたのは、当時の西洋において最も実験的で凶暴な知性“サイキックTV”だった。 オーディオ・ヴィジュアルの衝撃 「俺はディスチャージのほうが格好ええな。現ちゃんのほうがエクスプロイテッド担当な」 80年代初頭、初期オリジナルパンクの終焉とともに、労働者階級の闘争のための音楽として新しいパンクの潮流となろうとしていたハードコアパンクの日本版のリリースが、VAPレコードから開始された。リリース第一弾から、エクスプロイテッド、ディスチャージ、カオスUKと、どれも歴史的名盤となる素晴らしいラインナップのなかで、ディスチャージはメタリックなギターと疾走感のある演奏で、その漆黒のジャケットとともに男前な名盤、一方、エクスプロイテッドは格好こそマッドマックスの悪
ここ数年でポリアモリーという言葉はかなり人口に膾炙した。しかし、果たしてポリアモリーが正しく広まっているかと言えば、どうにも微妙なところである。ここらであらためて確認しておいた方がよさそうだ。「リアルポリアモリー」とはなにか? INTRODUCTION 新しい概念に誤解はつきものである。それが外来の概念であればなおさらだ。しかし、そうとはいえ、その誤解を誤解のまま見過ごしてしまうわけにも、またいかない。 1990年代にアメリカ西海岸で誕生した、“Poly”+“Amor”からなる“Polyamory(ポリアモリー)”という言葉がある。この言葉もまた、日本へ輸入されると同時に、たちまち表層的な理解、あるいは曲解によって、その意味するところを大幅に捻じ曲げられてしまった。 現在、ポリアモリーをめぐって多く見られる誤解として、たとえば次の二つがある。 ひとつは、ポリアモリーを「複数の異性を同時に愛
衣食住にまつわる固定観念をあきらめることこそ、「将来に対する漠然とした不安」に対抗できる唯一の手段なのではないか。ワクサカソウヘイによるおおよそ“真っ当”ではない生活クエストの記録。 「不安」という名の怪物 私はアダムとイヴに怒っている。 ご存じのとおり、アダムとイヴは楽園で禁断の果実をかじった。それにより「恥」を知ってしまい、裸を隠すようになった。神の怒りに触れたふたりはそして、苦しみ溢れる地上へと追放され、そこで生きることを余儀なくされた。 ああ、なにしてくれてるんだ。 つまりいま、私たちが服を着たり、三度三度の食事をとったり、風雨をしのぐために屋根のあるところで眠ったりしなければならないのは、すべてアダムとイヴが禁断の果実を口にしてしまったからなのである。 おい、アダムとイヴ、どう責任をとるつもりだ。お前たちのせいで、こっちは1LDKの部屋に住むために月々8万円とか払わなきゃいけなく
石丸元章 『危ない平成史』#08 サイバースペースからの挑戦状、その後 ──あの「1995」から四半世紀を経て・ 後編|GUEST|松永英明 GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。松永英明(旧名:河上イチロー)をゲストに迎えての「平成のサイバースペース」対談の後編は、1990年代になぜあんなにも多くの人たちが「教団」に魅せられてしまったのか、をめぐって。 2019.12.16 石丸元章 『危ない平成史』#07 サイバースペースからの挑戦状、その後 ──あの「1995」から四半世紀を経て・ 前編|GUEST|松永英明 GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“サイバースペース”。ゲストは松永英明(旧名:河上イチロー)。暴露サイト「デア・アングリフ」の元運営者であり、1995年にあのテロ事件を起こした宗教
石丸元章 『危ない平成史』 #02 絶望から始まり絶望で終わった平成の音楽産業・後編 Guest:sinner-yang a.k.a. 代沢五郎 from O.L.H. GONZO作家・石丸元章が異形の客人を招いて平成の「危ない」歴史を語り合う。前回に引き続き、X-RATEDノワールファンクバンド〈Only Love Hurts a.k.a. 面影ラッキーホール〉の主催者・sinner-yangとともに平成の危ない音楽産業を振り返る。 絶望から始まり絶望で終わった平成の音楽産業・前編はこちら エクストリーム化する応援ソング sinner-yang こうして平成以降、マーケットでは応援ソングが量産されることとなったわけですが、そのサブカテゴリとして、僕が個人的に「カラ手形型」と呼んでいるジャンルも2000年頃より登場します。わかりやすいところでは三木道三の『Lifetime Respect』
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