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kyouki.hatenablog.com
いつも読ませていただき、何度も紹介したJames Clearさんが、最新のブログ記事で、3年続けていた月曜日と火曜日の週2回のブログの更新をやめて、これからは週に1回にするという。 ちょうど僕も3年強、毎日、ブログの更新を続けて、最近、不定期に変えることにしたので、偶然とはいえ、ひとつの習慣を3年続けると、多くの人は壁が見えてくるものなのかなと思い、感慨深かった。 Jamesさんは1年間で500万人に読まれるほどの人気ブログなので、僕ごときが親近感を覚えるのは失礼なのだけど、それでも彼がその習慣をやめる決心をした理由は、とても腑に落ちた。 彼がブログを書いてきたミッションは、「どうすれば、自分を含めたみんなが、より良く生きることができるのか」を考えて伝えることにあるという。 僕も、彼のブログから、何かを習慣化することの大切さ、それこそが何かを創りだす、ということを学ばせていただいた。だから
トムさんは英語1965年に大学を卒業して保険会社に就職した。 その会社で7年間働いたあと、代理店に移り8年間働いた。 合計15年間働いたのち、1980年に小さな代理店を買いとった。 しかし、ほんとうにしたいこと、小説を書きたいという思いが強くなってきた。 トムさんは空いた時間で小説を書き始めた。 代理店の仕事は徐々に減らし、書く時間を増やした。空いた時間はすべて小説を書くことに費やした。 その頃、妻のワンダさんは「書いてばかりいないで、保険を売りにいってちょうだい」と彼に文句を言った。 1984年、大学を卒業して20年近く経ったころ、トムさんは最初の本を出版した。 5000部は売りたいと思っていた。 しかし、その本は10年の間に2百万部売れた。 そう、トムさんとは、人気作家トム・クランシーさんであり、その処女作とは『レッド・オクトーバーを追え』である。 僕は20年近く百貨店で働き、15年近
あなたは誰、なにしている人? そういう質問を人はするし、そうやって、職業や学歴や姿形でその人を、いったん把握しようとする。 自分が誰かと知り合ったとき、たいてい、そうやって相手を把握して、できるなら名前を覚えようとする。 そして、そういう人と、いつの間にか、ずっと仕事で顔を合わせることになり、いつの間にか、大事な友達になっている、そんなことがある。 そして、ある時、急に、気がつくのだ。 彼は、彼女は、いま、なぜ、どうやって、そこにいることになったんだろう? なんとなく想像はしていたけど、ちゃんと聞いてみたことがなかったな。 で、僕は、10年以上もいつも顔を合わせていた、藤野さんに訊ねてみた。 藤野さんは、僕が日本向けの商売を始めた時、大島紬の専門的なことをたくさん教えてもらったり、あるいは、出版記念パーティーの時、挫けそうな僕を力いっぱい支えてくれた人である。 僕は、なぜ、いままで、藤野さ
2015-09-13 僕をひきずりこもうとするネガティブな海 僕はここにたいていポジティブなことを書いている。 辛いことを吐き出してしまうこともあるが、たいていはどこかに見つけた光を書いているつもりだ。 気を許すと、僕のすぐ下に待ちかまえているネガティブな海の波頭に足をとられて引きずり込まれそうになる。 そうならないためにも、懸命に上を向いている。 世の中はひどいところだと思う。 生きている価値なんて、ほんとうにあるのか、と思うこともある。 たぶん、その度合は、ある程度大きくて、僕の人生の可能性を縛ってきたのだろう。 大好きだったカート・ボネガットが晩年のエッセイで「絶望しかない。音楽だけが救いだ」と書いていたのを読んだ時、あまりに腑に落ちたので、その言葉はいまもときどき蘇って、僕をネガティブの海へ突き落とそうとする。 しかし、と僕は思う。 世の中の多くの人、人類に多大な
世の中には、長い時間をかけてしか達成できないこともあるが、短い時間で達成できることもある。 おなじことで、そのことを専業でしなければ達成できないこともあるが、副業もしくはサイドプロジェクト的に始めても達成できることがある。 Craiglist(クレイグリスト)ってご存知だろうか? クラシファイドアド(数行程度の簡素な広告を、内容ごとに分類してまとめて表示する広告スタイル、「三行広告」のようなもの)を集めた世界最大のサイトである。 このサイトをつくったのはクレイグ・ニューマークさんという方だが、その成り立ちが面白い。 それを知ったのは、Mediumのこの記事である。 medium.com クレイグさんはIBMに18年間勤めた。 40歳のとき、そろそろ人生を変えるべき時と思い、チャールズシュワッブという証券会社に転職した。 仕事は忙しかったが、サンフランシスコに引越したクレイグさんは、地元のプ
僕らの業界には、高齢になっても引退せずに死ぬまで働くような人が多い。 僕の師匠のひとり(Kさん)は、ひとりは弘法さんの店をしまい家に帰って寝て翌朝冷たくなっていた。もうひとりは、ガンがみつかって、それでも仕事をしていたが、入院されたあと、何か月も持たずに亡くなった。 今朝、この記事を読んで、そんな先輩たちを思い出した。(以下、記事の要約) www.bbc.com この記事の女性は91才で、有名なIDEOというデザインコンサルタント会社で働いている。 高齢者や低視力の方々のためのプロダクトデザインのアドバイザーなのである。 彼女は89才の時、IDEOの創業者を紹介した1時間番組を見て、彼と彼の会社に惚れ込んでしまった。黄斑変性症の彼女はパソコンを使えないので、タイプライターで手紙を書いて郵便で送った。自分なら彼らの力になれると。そうして、彼女は採用されたのである。 そもそも、彼女は、10才の
オプティミズム(楽観主義)とペシミスティック(悲観主義)の間で揺れ動くのが、人間というものだと思う。 そして、なにかを成し遂げる時に、オプティミスティック(楽観的)であることが必須であることは言うまでもない。 その兄弟、バートとジョン・ジェイコブは、毎晩、母に尋ねられたという。 ”今日、起きた、なにか素敵なことを話して(Tell me something good that happened today” 1989年、24才と21才だったふたりは、200ドル(約24,000円)を、もうひとりの兄弟から借りて、自分たちのビジネスを始めた。アートとデザインが好きだったので、オリジナルのTシャツを売り始めた。 自分たちのビジネスを始めると、すぐに彼らは気づいた。きちんとしていて(nice)で、尋ねることを恐れなければ、人々はしばしば助けの手を差し伸べてくれることを。 プリント業者は支払いを60日
アマゾンの自分の本から、著者のページというところへ飛んでみて、昨日、自分の2作目の本が予約できるようになっていることに気がついた。 発売は14日と聞いていたが、アマゾンでは18日のようだ。 僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語 (自分のビジネスを始めたい人に贈る二〇のエピソード) 作者: 和田一郎 出版社/メーカー: バジリコ 発売日: 2015/09/18 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログを見る タイトルが長い。 なんていう本?って聞かれたら、自分でもそのタイトルを噛まずに言い切れる自信がない。 いや、もちろん、タイトルについて、出版社の社長さんと意見交換をしたのだが、最終的にはお任せした。 やっぱり、長すぎると思うのだが、本を売ることについては、もちろん、相手がプロフェッショナルである。 きっと、勝算があるのだろう。 いちおう、僕的には、この本の
、 ブルース・リーと私は毎日3マイルを良いペースで走っていた。3マイル(約4.8キロ)を21分か22分で。1マイル(約1.6キロ)をちょうど8分。(ブルースは1968年頃は6分半程度で走ることができた) ある朝、彼は私に言った「5マイル走ろう」。 「ブルース、僕には無理だよ。君よりめちゃくちゃ年寄りだし、5マイルも走れない」 「3マイル過ぎたら、ギアを入れ替えよう、あとたった2マイルだ、君にはできるさ」 「オッケー、やってみる」 そうやっていつものように3マイル走り、4マイル目にはいった。3,4分は大丈夫だったけど、すぐにとてもしんどくなってきた。私は疲れきり、心臓の鼓動が激しくなった。もう無理だった。彼に言った。 「ブルース、もう走れない」私はそう言いながらもまだ走っていた「これ以上走ったら心臓発作で死んじゃうかもしれない」 彼はこう答えた。 「じゃあ、死ね」 その言葉は私を奮い立たせ、
あと2週間前後で、2作目の本が発売されるようだ。 著者の責任として、また、頑張って売る努力をしないといけない。 本の内容は、(1)僕と妻が会社を辞めてなんとか自立するまでの実話と、(2)普通の人が自分のビジネスをみつけるときのヒントの2本立てになっている。 (2)の方は普段ブログを読んでくださっている方には、重複する内容になっている部分も多いが、半分以上を占める(1)の方は、このブログには書いたことのない話がほとんどだから、楽しんでいただけるのではないかと思っている(数年前に別のブログサービスで書いた内容を加筆訂正したもの。当時はほとんど読んで貰えなかった)。 前回も、多くの皆さんが、宣伝してくださったり、ブログで紹介してくださったり、あるいは献本先を教えてくださったりした。 ほんとうにありがたかった。 今回は、ブログなどで紹介記事を書いやろうと思ってくださる方には、献本させていただければ
本が人の人生を変える力をもっていることを否定する人はいないだろう。 だけど、今朝知ったこの話は、あまりにそれが現実的なもので、感心してしまった。 南アフリカ、ヨハネスブルグに住む24才のフィラニ(Philani)さん。子供のころから本が好きだったが、街に出てきて仕事を始めると、ドラッグ中毒になってしまう。 仕事も住む場所も失い、路上生活者となる。 多くの路上生活者がただ物乞いをして暮らしているのを見て、フィラニさんはもう少し違うことができるのではないかと考えた。 彼は路上で古本を売ることを始めたのである。 しかも、自分で読んだ本だけを売る。 それを、7段階に評価して、その内容を詳しく伝えながら売るのである。 価格は定価とは関係なく、その評価によって決める。 最低が10ランド(約1ドル)、最高が80ランド(約6ドル)である。 こちらに、現在彼が評価して販売している(在庫がないかもしれなが)本
「学校はこの大切なことを教えてくれない(Schools Aren’t Teaching this Crucial Life Skill)」 そういうタイトルのコラムをみかけたら、あなたは、その「この大切なこと」ってなんだと思うだろうか? そのコラムはいつも読ませて頂いているGeofferey Jamesさんの最新記事で、いったい何の話だろうと興味深く読んだ。 それは、「売ること」だ、とGeoffreyさんは書いている。 売ることは世界共通のビジネススキルである。あまり言われないが、売る能力はすべての仕事において成功するために必須のものになっている。(中略) たとえば、ジャーナリズムを例にとろう。9か月の間に、何千という人がジャーナリズムの学位を取るが、その間に一時間といえどもどうやって売るかということに時間をさかない。 それは馬鹿げている。なぜなら、現代のジャーナリズムの仕事のほとんどはフ
自分の毎日を誰かに晒すことに慣れている。 なにかをいいことがあったり、なにかを達成したりすると、SNSに書き込む。 文章を書いて、ブログを公開する。 いつの間にか、どんなことも、どんな努力も、誰かに見てもらっていることが、最大のモチベーションになっている。 でも、みんな、知っている。 SNSで語られたシーンをつなげても、その人の真実の毎日は伝わってこない。 まったく、他人の知らないところで、何年も懸命に努力を続けている人もいる。 僕の毎日の時間の多くは、着物を触りそのものの良さを見出したり、それをスタッフに教えたり、値段を考えることに費やされる。 たまに、素敵な発見があるが、そうやって毎日百数十枚の着物を手に取り、ただ淡々と時間が過ぎていく。 なにも面白いことはない。 SNSでつぶやくようなことは何もない。 20年振りに小説に挑戦している。 現在11万語強。 書いても、誰かが面白がってくれ
年会費とか月会費というものが嫌いだ。 僕は気が小さいので、年会費が~とか月会費は~とか言われると、そこでそのサービスを受けるのを諦めることも多い。 今日、アマゾンのプライム会員向けに無料の動画配信を行うというニュースが話題になっていた。 我が家はけっこうなアマゾンのヘビーユーザーだ。 たしかに、アマゾンで買い物をする度に、プライムなんとかという文字がちらついていた。 しかし、僕は自分でプライム会員というサービスの特典を調べて、それに加入しますと宣誓した覚えはない。 じゃあ、プライム会員になったらいいのかな。 僕はアマゾンのページに行って、自分のアカウントを調べてみた。 僕はすでにプライム会員であった。 いつの間にか、僕か妻が、「プライム会員になりますか?」「はい、ぜひお願いします!」というようなやりとりをアマゾンさんと交わしていたようだ。 そして、年会費3,900円をすでに支払ってきたよう
ちょっと事情があって、あるお客様の荷物を査定引取に行った。 その時、着物とか鉄瓶ではなく、こんなチラシをみつけて、大コーフンしてしまった。 それは僕の古巣の大丸百貨店心斎橋店の新聞サイズの大きな折り込みチラシだ。 未来を開く万博 明日をつくる大丸 とロゴ横にあり、地図には「万博見学のあと ぜひ大丸にお立ち寄りください」とあるから、大阪万博の開催された1970年のものである。 大丸は1961年から1968年まで小売業売上NO1の座にあった。 すでに売上一位の座は奪われていたが、心斎橋店を、南館を「大丸こども館」とするなどして、首位奪還を目指し全館改装した時のチラシのようだ。 僕は大丸に長年勤めながら、心斎橋店の南館が「大丸こども館」だったという話は聞いたことがなかった。 このチラシによると、その名も「ブルジョン」と言う。 「ブルジョン」とはフランス語で<萌え出づる芽> すくすくと育たれるお子
子供の頃、豊中の服部というところに住んでいた。 週に一回、庄内の豊南市場へ自転車で買い出しにいくのが、我が家の習慣であった。 当時、我が家には自家用車はなく、母が自転車で30分ぐらいかけて庄内まで行く。庄内には、豊南市場だけでなく当時流行っていたスーパーもあり、野菜やトイレットペーパーなどを目一杯買い荷台にくくりつけて帰ってくる。 時々、僕も一緒についていった。 母の漕ぐ自転車の後を僕も自転車で追う。 最短距離を通るため、母はいつも国道176号線を通った。 荷物をいっぱいにくくりつけた自転車で、車道の端を走る。 その横を乗用車やトラックがかすめるように通り過ぎて行く。 いまでも覚えているぐらいだから、僕はその後ろを自転車でついていきながら、とても怖い思いをしていたんだと思う。 そんな僕に母が言ったものだ。 「よろよろせんと、まっすぐに走っていたら、車にひっかけられることはないよ。自信もって
ビートルズの話は子供の頃にたくさん読んだ。 今さらだけど、今朝知ったこの話がとても良かったので紹介したい。 下積み時代の彼らは、稼ぎが良いからと誘われてドイツのハンブルグのクラブに出演することになった。 行ってみたら客も店も相当に厳しいところだった。 演奏は一晩8時間のぶっ続け、それを1週間7日間続ける。 それを1960年から1962年まで。 世界的なブレイクする1964年までには、彼らがこなしたコンサートは1200回に達したという。 もちろん、彼らのブレイクにはレノン=マッカートニーという稀有な才能があった。 だが、その才能を最速で磨いたのは、この下積み時代のコンサートだったという。 彼らのような才能を持った人もめったにいないが、2年間で彼らほどのコンサートをこなすひともまた、めったにいないそうだ。 彼らはガレージの中で練習を重ねるよりも、実際にステージに立って演奏して、お客様のフィード
今朝から急に欲しくて仕方がなくなったものがある。 クロスバイクだ。*1 まず、今書いている小説の鍵になる小道具が自転車なのだ。 クロスバイクで通勤したら気持ちいいだろうなとか、奥さんがロードバイクに乗っていて、ご主人の主人公がクロスバイクで並走したらどんな感じだろうかとか、色々と想像しながら書いているのだが、最近、ほとんど自転車に乗らないので、その爽快感とか、ちょっと面倒なところとかが、実感として書けない。 で、小説にリアリティを持たせるために、買うか、とふと思った。 そしたら、そういえば、運動量が足りなくて、もうすぐコレステロールを下げる薬をもう一錠増やされそうなことを思い出し(31日の検査結果による)、その自転車で主人公みたいに通勤したら、健康にもいいじゃんと思い始めた。 娘に聞いてみたら、会社への往路が20分弱、復路が25分強だと言う。坂道がけっこうきついのである。 たしかに運動には
最近はビジネスのSNS活用についてことさらに強調されている気がしないでもない。その流れに思考を任せていると、とにかくSNS上で有名になることが自分のビジネスの成功に直結すると考えてしまう。 しかし、冷静に考えてみると、ふたつの道があることに気がつく。 1.ブログを書いたり、Twitterで面白いことを呟いて、フォロアーや読者を増やす。その方々に、なにかを買ってもらう。 2.自分しかできない特別なものをつくったり、サービスを提供する。 さて、1の場合、簡単に言うと、とにかく先に有名になるということだ。有名になりさえすれば、どこにでもあるものでも、自分から買ってくれる可能性が高くなる。 2の場合は、自分しかできないこと、自分が最も得意なことを磨きに磨き、それを少数のお客様、あるいは、向こうから探してきてくれるようなお客様に提供する。SNSなどで有名になることは必要ではない。 どちらもある程度の
ブログが書けない日々が続いている。 休みの日、今のように夏休みで時間に余裕があると、さらに書けない。書けない日は書かなくても良いという自分のルールを変えたので、まあ、いいかと思うと、さらに書けない。 「制約」こそが人間の創造性を解き放つとよく言われるけれど、たしかに、僕の場合は、ブログを書くために最高に恵まれた日は、ブログを書くのが一番むずかしい日だ。 ところで、ブログのネタをさがして、ああでもないこうでもないと考えていると、じりじりと時間が過ぎる。 考えている時って、たとえば話している時と同じ時間が過ぎていくのだろうか。 喋るには息継ぎとかも必要だし、実際に喋るより早い速度で考えているような気がするのだが、かと言って 10倍も20倍も早いことはないような気もする。 きっと、そういうことはどこかで調べられているんだろうなと思っていたら、さっき、興味深いページをみつけた。 このページによると
夏休みだ。 たくさんの子供達が親に連れられて里帰りしたり、海水浴に行ったり、海外旅行に連れて行ってもらったりするのだろう。 僕の子供の頃の夏休みの旅行の記憶は悲しいものばかりだ。 僕は中学校高学年まで泳げなかった。 水泳の授業はなんだかんだと言ってサボった。夏が来るのがとにかく苦痛だった。 両親の出身は福知山で、小学校の頃は、夏休みに山陰の海水浴場に連れて行ってくれることが多かった。 泳げない僕は、今年こそ!と意気込んで海に行く。 海は塩分があって浮きやすく、きっと泳げるようになれるから、と言われて。 しかし、顔を水につける度にパニックになる僕は、いつまで経っても泳げなかった。 ずっと、浮き輪の世話になり、劣等感を抱きながら波に揺られていた。 この子はまだ泳げないのか。 そんな父の視線が、苦虫を噛み潰したような表情が怖かった。 夜になると、カブトムシやクワガタを捕まえてやると父は言った。
成功した起業家の話にはちょっと食傷気味の方もおられるだろう。 短期間で大きな成功をおさめるには、本人の努力や資質も必須だが、運に左右される面もあるとは思う。 しかし、やはり、そのストーリーには血沸き肉踊るような気持ちにさせられるし、そこから学べることもある。 中国の女性起業家、周群飛(Zhou Qunfei)のことを知っている人は少ないのではないだろうか。僕も今朝はじめて知った。 44才の彼女はアップルなどにタッチスクリーンを提供するレンズテクノロジーという会社のオーナーで、今年株式公開された時の株式総額は72億ドル(約8640億円)に達したという(夫婦で99%を所有)。 現在、彼女は、裸一貫から資産をつくった女性億万長者のひとりとして、世界で大きな注目を集めている。 彼女の話はとても面白いのだが、最近までメディアに登場してこなかったのであまり知られておらず、日本語の記事もあまりないように
早朝に起きてもっとも重要な事をする習慣をつけるのが、成功の鍵であるという話はよく聞く。 英語ではMorning Person(モーニングパーソン)というのだが、あちらでもライフハック記事としてよくあがってくる。 一方、夜型でも成功している人はいっぱいいるよ、それはモーニングパーソンの決めつけだよという人もいて、これまた人気記事としてよくあがってくる。 ちなみに、僕がこれから書くこと(「モーニングパーソンであることよりも重要なことがあるよ」)も、すでに言いつくされていることで、とくにオリジナリティがあるわけではないので、モーニングパーソンについて食傷気味の人には、意味のない記事であることを先にお断りしておく。 さて、僕はモーニングパーソンである。 ここ13年ぐらいは。 なぜそうなったかというと、海外のお客様にモノを売ってきた関係で、4時半起きが習慣になったのである。 ライフハック記事を読んで
もう30年以上前のことになる。 マネージャー向けのある研修で、こんな質問が出された。 「たとえば自部門の売上の3分の1を占めるような大きな業績を上げている部下が、職場で決められたルールを守らないとしたらどうするか」 ざっくりとしか覚えていないがそういう質問だった。 ああ、そういう部下を抱えながら、どうすべきか悩むのが管理職というものなんだなと、その時、管理職の仕事の難しさに震えた。 選択肢がふたつしかないとする。 A. その部下を叱責しルールを守らないなら他部への放出も辞さない構えで対応する B. その部下の業績に注目し、ルールを守らないことには目をつぶる その時の講師の答えは、いくつかの付帯条件がついていたが、基本的にBであった。 いや、しかし、ほんとうにそうなのかな、とも僕は思った。 たしかに、その部下を放出すれば、売上は3割下がる。 だけど、その部下が評価されて昇進していくにしても、
2冊目となる本を脱稿した。 僕が会社を辞めて自営の道に歩みだした頃、会社員から自営業者への転身をはかったころの話と、僕が考える起業に関するヒントを集めたものだ。 1冊目は組織の中で生きるなら、成熟した組織人となって欲しい。僕のような失敗をして欲しくないというメッセージを。 2冊目は、それでもどうしても組織の中で生きるのが難しければ、組織の外で生きる方法もあるよ、というメッセージを渾身の力を込めて書いた。 1冊目は大ベストセラーというわけにはいかなかったけど、アマゾンのカテゴリーでは瞬間的に1位になったし、半年近く経った現在もカテゴリーの8位~50位ぐらいでウロウロしている。韓国での翻訳出版の契約料も入ってきたし、3刷目に入っているので、僕としてはとても嬉しく思っている(応援ありがとうございます!)。 いまは口コミで売れているのだと思う。おそらく、読んでいただいた方が、そのメッセージを誰か伝
いつも読んでいるClearさんのブログの過去記事にとても印象的な話が紹介されていた。それは「Art & Fear」という本の中で紹介されている陶芸の先生の話である。 Art & Fear: Observations on the Perils (And Rewards) of Artmaking 作者: David Bayles,Ted Orland 出版社/メーカー: Image Continuum Pr 発売日: 2001/04/01 メディア: ペーパーバック クリック: 1回 この商品を含むブログ (1件) を見る あまりに印象的な話なので、何も付け加えせずにそのまま紹介したい。 おそらく、いろいろなことで思い当たったり、現在続けていることにさらに燃料をいただけたりするのではないだろうか。 では、どうぞ。 ある時、陶芸の先生はクラスをふたつに分けた。 ひとつのクラスには、その日、で
先日、応募した補助金に採択された!と喜んで記事を書いた。 その後、わかったことがあるので、追記しておきたい。 応募後にしかわからないこともあるので、今後応募しようというひとは、参考にしていただければと思う。 僕の下記の記事を読んで、この補助金に応募しようと思われた方が、僕と同じような勘違いをしては気の毒であるので、書いておく。 なお、僕は今、かなりがっかりしていて、補助金を受けるか、辞退するか迷っており、辞退して自前の資金でやる方向に傾いている。 kyouki.hatenablog.com 1.ソフトやウェッブサービスの構築費は補助金の対象にならない。 補助金対象経費のなかに、機械装置費という項目があり、そこにはこう説明されている。 機械装置等(専ら補助事業のたまに使用される機械・装置、工具・器具(測定工具・検査工具、電子計算機、デジタル複合機等)及び専用ソフトウェア(クラウド利用費を除く
娘がふたりいる。 ふたりとも車の免許を取り運転する。 次女の場合、仕入れに京都などへ行く時、運転してもらって僕が助手席でいろいろと注意をして安全な運転を教えた。最初はひやりとすることが時々あったが、最近ではほとんど意識しなくても良くなってきた。 彼女も長女も、もう、ひとりで運転する。 でも、とくに次女は、運転に慣れた段階だから、事故を起こさないかと心配だ。 おそらく、世の親たちは、子どもたちが危険な運転をしないか、事故に巻き込まれないかと心配しているだろう。 しかし、いつまでも庇護できるわけでもないし、大人相手に口うるさくなんやかんや言うのも気が引ける。 もう、心配はやめようと思い、最近、ドライブレコーダーをプレゼントした。 それがあれば、事故に巻き込まれた時、少なくとも事実を主張することはできるだろう。 で、最後に、一言だけ、この場を借りて、アドバイスしたい。 僕はプロのドライバーではな
うちの会社は20人強の小さな所帯で、自分で始めたものだから、チームのルールや組織を僕が一から決めることができる。 お客様には最高のサービスが提供できるよう、かつ、働いてくれている人が、なるべく仕事を楽しんでくれるよう(少なくとも、苦痛な時間ではなく、働く意義が実感でき、充実感が感じられるような)職場でありたいと思っている。 10年以上やってきて、まだまだ試行錯誤中だ。 それぞれの事情や環境があるので、チームのあり方にはたったひとつの公式はないのだろうけれど、共通する心理学みたいなものもありそうだなとぼんやりと考えてはいる。 いつも読ませて頂いているGeoffrey Jamesさんが、「チームに関する驚くべき10に科学的事実」という最新記事を書かれていて、興味深く読ませていただいた。 この記事に挙げられている項目はJamesさんのオリジナルではなく 「Team Genius: The New
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