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ブックレビュー
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昭和三十年に関東軍の自作自演に書き換えられた柳条湖事件 満州事変は1931年(昭和6年)9月18日に奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、日露戦争で大日本帝国に譲渡された南満州鉄道の線路が爆破された事件 (柳条湖事件)を機に日支間の武力闘争がはじまり、関東軍が満州全土を占領するに至る事変を言うが、今日の教科書などの叙述やマスコミなどの解説も概ね同様で、戦争原因となった満鉄線路の爆破は関東軍の自作自演と記されている。しかし当時の記録や解説書では、満鉄線路を爆破したのは支那兵であると書かれていた。もちろん支那は日本兵がやったと主張し続けたのだが、世界的は日本の主張を認めていたのである。 しかしながら、以前このブログで書いた通り、昭和30年に発行された雑誌『別冊 知性』の12月号に、元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されたことが契機となって満鉄線路を爆破したのは
支那の排日を仕掛けたのは英米である 前回まで山中峯太郎の『日本を予言す』(GHQ焚書)のなかで、わが国が支那や英米やソ連の宣伝戦、思想戦に振り回されていたことが書かれている部分を紹介させていただいた。今のわが国の新聞とは違い、当時の新聞には各国からわが国に宣伝戦、思想戦が仕掛けられていたことについて数多く報じられているので、戦前の日本人の多くがその点についてある程度理解していたものと考えられる。最初に紹介したいのは第一次世界大戦以降本格化していった支那の排日だが、以前にもこのブログで紹介させていただいたように、当初は英米が仕掛けたものである。 第一次世界大戦中の一九一七年にロシアで革命が起こり、一九一八年三月にソ連新政府はドイツと単独講和を行い戦線を離脱。五月にはアメリカが参戦することでドイツの敗北は決定的となり、十一月に休戦協定が結ばれて、第一次大戦は終戦した。 四年以上続いた大戦で、欧
洗練されていないわが国の宣伝戦対応 ロンドン軍縮会議でイギリスの仕掛けた宣伝戦を報じる大阪毎日新聞 「神戸大学新聞記事文庫」軍事(国防)39-145 「宣伝戦」対策で、連合国主要国は第一次大戦勃発後に対外宣伝のための機関を組織したのに対し、わが国は支那事変勃発後「内閣情報委員会」を「内閣情報部」に格上げした程度で、この組織は対外宣伝ではなく対内宣伝に従事するものであったという。わが国では対外宣伝は「外務省情報部」の担当で、陸軍省の「新聞班」も海軍省の「軍事普及部」その他諸省に宣伝担当部門があったが、主たる業務は対内宣伝であったという。 また外国に対する「宣伝戦」の原則の一つに、相手国によって宣伝内容を変えるというのがあるのだが、イギリスはわが国に対しては、「興奮しやすい日本国民だから、刺激を与えてはならない。」という方針で臨み、支那に対しては「支那人の特性に呼び掛けるように、利害関係から事
中国大陸におけるコミンテルン・ソ連の対日戦略 前回に引き続き山中峯太郎の『日本を予言す』(GHQ焚書)を読み進んでいく。日本の戦後の歴史叙述ではほとんど触れられることのない、盧溝橋事件以降の中国大陸に於けるコミンテルンの動きについて、山中は次のように述べている。 盧溝橋畔から、戦火が河北に挙がった。その直後、コミンテルンは計画していた指令を、中国人民青年団、護綏工作団、反帝同盟などに発して、「冀東除偽団」なる秘密結社を成立させ、中国共産党の有力分子が、これを指導した。この秘密団体の潜行勃発させたものが、残虐なる通州の乱であり、同時に、彼らの宣伝と煽動は、同時に天津市内の奇襲を計画通りに敢行させたのだ。 コミンテルンの秘密指令は、同時に満州へも飛んだ。紅軍匪に軍資と武器をソ満国境から給与し、一方、満州国内鉄道従業員の約一万人に、 「日本は北支*を侵撃し、さらにその戈(ほこ)をソ連に向けて、全
今回紹介させていただくGHQ焚書は、昭和12年に出版された山中峯太郎著『日本を予言す』である。彼の詳しい経歴などは、昨年末に彼の書いた『日本的人間』(GHQ焚書)という本を紹介させていただいた時に書いたので省略させていただくが、彼の著作の十六点がGHQによって焚書処分されており、焚書された点数の多さは野依秀市、仲小路彰、長野朗に次ぐ水準にある。 なぜわが国が第二次世界大戦に巻き込まれたについては、戦後出版された解説書の類を読んでも腑に落ちない人が多いと思うのだが、その理由は、GHQにとって都合の悪い史実を記された本の多くが焚書処分され、そのような史実を語ることが戦後の長きにわたりタブーにされてきたことと無関係ではないであろう。GHQにかなり嫌われた彼の著作に何が書かれていて、焚書された原因がどのあたりにあったかを考えることで、より真実に近づけるのではないだろうか。 山中峯太郎はこの本の序文
古代に日本に渡来したユダヤ人は日本に同化した 今回紹介したいGHQ焚書は中山忠直(なかやま ただなお)という人物の著した『我が日本学』である。タイトルの書かれたページを開くと「本書を二十一世紀に捧ぐ 中山忠直」と書かれており、我々のような二十一世紀に生きる日本や世界の人々に著者の思いが託された書物であることがわかる。しかしながら、この書物は内務省が発禁処分を下し、戦後はGHQが焚書処分したために、この人物については戦後はほとんど知られていない。ウィキペディアには次のように記されているのだが、この解説は彼の本を読まずに書いたことはすぐにわかる。 日本の詩人、著作家。宇宙のイメージを盛り込んだ詩作品などによってサイエンス・フィクション (SF) に連なる先駆的なものと評価されている。マルクス主義を経て、勤皇社会主義と称する極右思想に拠り、さらに日本人=ユダヤ人同祖説に立って天皇はユダヤ人の血
「国立国会図書館デジタルコレクション」の全文検索で何ができるか このブログの読者から時々、「大量の書籍の中からどうやって本をみつけるのか」との質問を受けることがよくある。昔なら何度も図書館に通い分厚い書籍の目次や本文を丹念に読まないとできなかったことが、今ではネット環境とパソコンがあれば、「国立国会図書館デジタルコレクション」の「個人向けデジタル化資料送信サービス」を用いることによって容易にできるようになっている。 例えば「都名所図会」で、京都の五条大橋のことがどのように記されているかを調べたいと思ったときには、昔なら「都名所図会」の復刻本がある図書館に行き、まず目次を開いて「五条橋」がどこにあるかを探し、該当のページを開けて読むという手順になるのだが、令和4年12月21日に「国立国会図書館デジタルコレクション」が全面的にリニューアルされ、「個人向けデジタル化資料送信サービス」を利用するこ
新年 あけましておめでとうございます。 旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。 楊谷寺 龍の花手水 何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄やメールなどで貴重な情報や感想のメッセージを送っていただいた方、また拙著を買っていただいた方、皆さん本当に有難うございました。とても嬉しかったです。 満願寺 仁王門 一昨年の二月以来悪性リンパ腫が悪化し、何度も入退院を繰り返して様々な治療方法を試みましたが、結局完治せず、昨年七月に腸閉塞の後下血したあと緊急入院となり、小腸に残っていた病変部を一メートル近く切除する手術をして八月に退院しました。その後二度PET検査を行いましたが、最近の検査でも消化器官などの悪性リンパ腫が消えているとの診断を得ることが出来ました。血液検査ではいくつかの項目で正常でない値が出てい
最近GHQ焚書の復刻が相次いでおり、原文の表記を尊重しつつ読みやすいように現代仮名遣いに改められたり、旧字体の漢字を新字体に改められて出版されているものも多いので、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、戦前・戦中の本が読みづらい方は復刻本の購入をお勧めします。また最近は復刻された本が電子書籍化されているケースが多くなっています。 復刻された本については、このブログで何度か紹介させていただきました。このブログで記事を書いたのちに復刻された本がいくつかあるようです。 倭寇はなぜ元寇のあとから頻発するようになったのか~~倭寇19世紀から11世紀にかけて、九州沿岸地方には外国の海賊による襲撃・略奪を何度も受けた記録が残されている。特に有名な事件が刀伊の入寇であり、13世紀に元寇があって、多くの住民が虐殺され拉致された。倭寇は元寇の復讐との見方があるが、南朝勢力が倭寇に関わっていたという記録もあ
前回に引き続き『日本的人間』に書かれているエピソードをいくつか紹介していきたい。 正直であること 加藤清正 実直 加藤清正、晩年に、自分の生涯をかえりみて言う。 「三歳の時に私は、父を失い、母の手ひとつで育てられた。母が太閤の御母と従姉妹どうしであったところから、三つの私は母につれられて、折柄、長浜にござった太閤を頼って行った。その時太閤は、夜叉若といっていた私の幼名を、虎之助と改められて、その上、 『正直者になれよ』 との一語を訓えられた。 このお言葉は、一生私の耳をつらぬいていて、今なお忘れずにいる。爾来幾十年、日本はおろか、朝鮮へかけて、数知れぬ戦場の働きに、武運めでたく御奉公申したのは、この御一言を肚にきざみつけて、行住坐臥、いつも正直に、正直にと念じたからである。 総じて世の大勇といわれる人を見るのに、悧巧、才覚な者は一人もおらぬ。平生無事の時には、悧巧才覚が、用に立つかに見える
山中峯太郎 山中峯太郎は陸軍士官学校に学び、陸軍大学校に進んだのだが、陸軍士官学校で山中と交流を深めた清国からの留学生の多くが辛亥革命後に孫文から政権を奪った袁世凱の専制政治に反対していることを知り、大正二年(1913年)七月に、同志たる中国青年将校たちを助けるために陸大を中退して自ら第二革命に身を投じている。革命が失敗した後は山中は日本に戻り、陸軍を辞めて東京朝日新聞の記者となる一方、『中央公論』『東方時論』『新小説』などに評論や読みもの、小説を発表していた。ところが大正六年(1917年)に、虚偽報道事件(淡路丸偽電事件)に関与したことで逮捕され朝日新聞社を退社。大正八年(1919年)に出獄後は、『少年倶楽部』『雄弁』など講談社の雑誌を中心に多くの小説や評論を寄稿したほか、戦前戦中で八十点に近い単行本も出していて、そのうちの十六点がGHQによって焚書処分されている。 戦後は公職追放され、
GHQ焚書の全リストの第二十八回目で、今回はタイトルが「り」から「わ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。今回が「GHQ焚書 全リスト」の最終回になる。 今回のリストの中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
今回紹介するGHQ焚書は、昭和十八年に大文館書店から刊行された、佐藤定勝著『世界石油史物語』という本である。著者の佐藤定勝についてはネットの情報はほとんどなくどのような経歴の人物であるかはよくわからないのだが、著者が戦前に著した本で『太平洋 : 島の解剖』『傷痍軍人更生感話』があり、著者が編集を手掛けた本として『最新満洲帝国大観』『最新ロシア大観』という本がある。(太字はGHQ焚書) 佐藤が編集した二冊の本は、昭和五年から十年にかけて誠文堂新光社が予約者に向けて『世界地理風俗大系』を刊行したところ、満州とロシアに関する分冊については分売を希望する読者が多かったため、昭和十二年に同社から改訂版として発行した経緯にある本のようだが、『世界地理風俗大系』の分冊として当初出版された本の編者には、佐藤ではなく同社の重役であった仲摩照久の名前が出ている。そのことから、佐藤定勝は、当時から世界の地理や歴
イギリスの真の姿とはいかなるものかを描いた本 GHQは外国人の著作も数多く焚書処分したのだが、今回は『ヨーロッパの悲劇―英国の戦争方法―』という本を紹介させていただく。 著者のドクター・フランツ・グローセという人物についてはネットで調べても良く分からないのだが、この本の訳者の序文に、この本にどのようなことが書かれているかについて次のように記されている。 本書はドクター・フランツ・グローセ著『イギリス人は最後のフランス人に至るまで戦う』(Engländer kämpfen bis zum letzten Franzosen)の全訳である。本書に示すところは、主として英仏関係、殊にイギリスの笛に踊らされたフランスその他の国々の悲惨な道化姿である。しかし読者はこれによって、かつての日本の同盟国イギリス、『紳士国』イギリスの真の姿を見ることが出来るであろう。思うに日英同盟が、前大戦後いずれかの意志
GHQ焚書の全リストの第二十七回目で、今回はタイトルが「む」から「ら」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
では『素描祖国の歴史』には室町期の邦人の海外発展についてどのように解説されているのであろうか。 室町時代における国民層の活動を最も鮮やかに我々に呈示するものはその海外発展の目覚ましさである。従来支那・朝鮮に出かけた人達は、海賊であり、内地に於いてその志を得ない者、例えば吉野朝廷側の敗残者のごとき者であるかのように説かれた。この考えは今ではまったく誤りとされるに至った。第一に海賊という中世の言葉は、我々が今日それによって考えているところとは異なり、単に海軍の意味で使われていることが甚だ多い。中世の遠隔地の商業が武装なしには行い難いこと、洋の東西を問わず同様で、まして支那・朝鮮への貿易商人が多少の武器なくしては叶わない。ここにこれらの貿易商船隊が当時海賊の名を以て呼ばれたことは甚だ理解しやすいところである。 次には支那政府が日本の商人を海賊視し、その正史にしばしば倭寇の襲来を以てした。これは当
GHQ焚書の全リストの第二十六回目で、今回はタイトルが「まんし」から「み」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
但馬妙見山の妙見信仰 昨年の秋にこのブログで大阪府にある能勢妙見山のことを書いたが、この能勢妙見山は、福島県相馬市の相馬中村神社、熊本県八代市の八代神社とともに日本三大妙見の一つに数えられている。しかしながら、かつては兵庫県八鹿にある但馬妙見山が日本三大妙見の一つであったのだが、なぜ能勢妙見山と入れ替わることになったのか。その理由は明治初期の神仏分離令が大きく関係しているのだが、本題に入る前に「妙見信仰」とはどのような信仰なのかについて簡単にまとめておこう。 紅葉の季節に能勢の古社寺を訪ねて~~妙見堂、今養寺、真如寺等紅葉の季節に能勢町を巡って来た。能勢町には小規模ながら由緒ある社寺が少なくなく、明治の廃仏毀釈の影響も比較的小さくて、古い仏像や昔ながらの風景がそのまま残されているところが魅力である。第1回目は能勢妙見堂とその本寺である真如寺などをレポートしたい。shibayan1954.c
十一年前に兵庫県丹波市内の紅葉名所を観光して旧ブログで記事を書いたのだが、その当時丹波市は『丹波もみじめぐり』と題して、市内の紅葉名所九ヵ所を紹介するパンフレットを作成していたので、それを参考にして五ヶ寺を選んで旅程を組んだ。 丹波古刹の「もみじめぐり」から香住へ~~香住カニ旅行1毎年カニ解禁になると日本海方面に旅行することにしているのだが、今年は3年前と同じ香住の宿にして、途中に通る場所でこの季節に訪れたい名所・旧跡を巡る計画を立てて先週(9-10日)に行ってきた。 大阪では紅葉はまだまだだが、山間部に行けばそろそろ色づいているであろうことを期待して、初日は丹波市のいくつかの古刹の中から紅葉で...shibayan1954.blog.fc2.com 久しぶりに丹波市の紅葉を見たいと思って、丹波市観光協会が制作した今年のデジタルパンフレットを見ると、紹介されている紅葉名所が十二ヶ所に増えて
GHQ焚書の全リストの第二十五回目で、今回はタイトルが「ほ」から「まんけ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。 GHQが焚書処分した「北進論」「南進論」関連書籍~~安達謙蔵『北進図南』昭和十六年(1941年)六月に、ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻すると、当時の近衛内閣では、四月に締結された日ソ中立条約を破棄してでも同盟国としてソ連と開戦すべきとする松岡洋右外務大臣と近衛文麿首相との間で閣内対立が起きている。近衛...shibayan1954.com2022.03.23 北方領土に関する書籍の多くがGHQによって焚書にされている~~『北進日本人』『守れ!権益 北方の生命線』千島や樺太に関する書物を「国立国会図書館デジタルコレクション」で探していると、思っ
「西山」とは 三方を山に囲まれた盆地である京都では、市街地北側に連なる山々を北山、東側に連なる山々を東山、西側に連なる山々を西山と呼び、「西山連峰」の一番北側に位置するのが愛宕山系の山々で、高尾山には神護寺や西明寺、高山寺などがあり、その南には嵐山があり、松尾山があり、さらにその南には長岡京市、向日市があって、西山には観光名所が数多く存在する。 ところが「京都西山三山」という場合は、楊谷(ようこく)寺、光明(こうみょう)寺、善峯(よしみね)寺の三寺を指し、それぞれ「西山連峰」の南方の大原野や長岡京市に位置している寺ばかりである。 観光目線から言えばほかに相応しい寺がいくつかあるように思えるのだが、宗教的見地からは「西山」は別のニュアンスで用いられることが多い。法然の死後教義の解釈を巡って浄土宗が分裂し、大原野の善峯寺北尾往生院(現在の三鈷寺)を拠点としていた証空の流派は「西山義」といい、の
かなの発明 『素描祖国の歴史』には政治史や外交史についてはあまり記されておらず、わが国の文化史が中心に描かれていて、平安時代については「かなの発明」について一章が設けられているだけである。 紫式部像(土佐光起画、石山寺蔵) わが国の文化史において「かなの発明」はかなり大きな出来事だと思うのだが、例えば『もう一度読む 山川の日本史』には、「平安初期の漢文学に対し、和歌がふたたびさかんになり、物語や日記があらたな文学として登場した。これは表音文字としての平がな・片かながつくられ、日本的な感情が自由に表現できるようになったためでもある」と書かれているだけだ。この程度の解説を読んだだけでは、「かなの発明」がすごいことであることを理解することは困難である。 漢字輸入当時には漢字ほど、自己の意志を他に伝え得る完全かつ便利な利器は存在しなかったに違いない。といっても、猶、漢字を以てわが国語を的確に表現す
利権大安売 次は「利権大安売」という作品を紹介しよう。 『支那利権大安売!』 支那利権いらぬか 大変安い! 大安売! 大支那大利権いることないか 南京政府の蔵相孔祥熙が 一生懸命哀れ深い表情で 支那乞食のように 欧米の国々を 憐れみを乞いながら 悲しい声で歩いているではないか 自国の民衆を 如何に悲境に沈まそうと 自国の領土を 切売りに捨値で売ろうと 彼らにとって それが何であろう 英国の袖にすがり 米国をくどき フランスの袂をつかみ ロシアに泣きを入れ 何という立派な 紳士的態度であろうか かかる蒋介石政府の態度こそ 支那全土を挙げて 白色人種の好餌にかかり 白色人種の為には 支那領土を全部でも提供するが 同色の日本人の為には 吠えつくではないか 噛みつくではないか 喰いつくではないか 何という結構な 憐れな態度であろうか この支那犬の主人こそ 主人である英国こそ まこと東洋人種の為には
GHQ焚書の全リストの第十一回目で、今回はタイトルが「しに」から「しょ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
GHQが焚書処分した詩集や句集には戦意高揚させるような作品が多いのだが、世界情勢や国内の情勢について記された詩集も存在する。今回は田中喜四郎という人物が著した『戦争と戦争』の中から、いくつかの作品を紹介させていただくこととしたい。 著者の田中喜四郎についてはネットで検索しても経歴など詳しいことはよくわからないのだが、戦前には多くの詩集や句集を出しており、戦後も『ここは寂しき処』『苦悶の花』などの詩集を出している。戦後の著書の奥付に簡単な略歴が書かれていて、彼は広島市天神町に生まれて、明大英法科、東洋大哲学科、早大英文科に学んだことと、いくつかの作品が列記されているのだが、その中にはGHQに焚書処分された二冊の詩集はなぜかカットされている。 英国の人道主義 あまり長文の作品の紹介は難しいので、簡単に読める作品を案内させていただく。最初に紹介するのは「英国の人道主義」である。 英国の労働党よ
GHQ焚書の全リストの第十回目で、今回はタイトルが「し」から「しな」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
GHQの焚書リストの中には、小学校低学年向けに書かれたと思われる絵本が少なからず存在する。今回紹介させていただくGHQ焚書は昭和十九年に刊行された『ジンギスカン』という絵本なのだが、わが国の偉人の伝記でもなく、蒙古帝国を築いた英雄について書かれた絵本がなぜ焚書処分されたのだろうかと誰でも考えると思う。本文は、当時の尋常小学校の教科書のように、カタカナと平易な漢字で書かれているのだが、読みやすいようにカタカナをひらがなに変え、地名ややさしい表現は漢字に変えて、内容の一部を紹介させていただく。 母の教え 昔から世界にできた国の中で、蒙古帝国ほど土地を広く持っていた国はありません。 ジンギスカンは、その蒙古帝国を創った人です。 ジンギスカンは今から七百八十年ほど前、蒙古のオノン川の近くで生まれました。その時手には血のかたまりを握りしめ、目は火のように輝いていたといいます。はじめ名前をテムジンと付
GHQ焚書の全リストの第九回目で、今回はタイトルが「こくま」から「さ」で始まるGHQ焚書全リストに国立国会図書館のURLを付記してまとめたものである。 このリストの本の中で、以前このブログで採り上げたことのある書籍は以下のとおりである。
GHQは様々なジャンルの本を焚書処分して戦後の日本人に読めなくさせたのだが、焚書リストの中にはどうしてこのような本をGHQが焚書したのかと不思議に思うようなタイトルの本が少なくない。 多忠龍 今回紹介したいのは、昭和十七年に多忠龍(おおの ただたつ)氏が著した『雅楽』(六興商会出版部 昭和十七年刊)という本であるが、なぜGHQが焚書処分しようとしたかはタイトルだけでは見当もつかなかった。 雅楽の多くは外国から伝えられた Wikipediaによると著者の多忠龍氏は、古代以来の宮廷雅楽家の家に生まれた雅楽師で、この本を出版された二年後に亡くなられたとある。この本には、雅楽の歴史について詳しく記されているのだが、雅楽は推古天皇の御代以降奈良時代にかけて朝鮮や支那などの音楽がさかんに渡ってきたということはこの本を読んで初めて知った。 私どもがうかがっているところによりますと、推古天皇さまの御代のこ
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