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コーヒー沼
twitter.com/NatsukiYasuda
茂木大臣の「日本語分かっていただけましたか」発言。例えば関東大震災直後、濁音がうまく言えない人々が「朝鮮人だ」と殺害されたことが指摘されている。言葉の問題は、差別と根深くつながり、身体的な暴力となってきた歴史がある。今日の追悼集会… https://t.co/Fk9q6G0jtw
ほんの先日まで「誹謗中傷は人の命を奪うほど深刻な問題」と伝えていたメディアで、「嫌いな女優ランキング」といった「ここに叩いていいターゲットがいる」と旗振りするような特集が組まれる。「それが読者にウケる」と思われているなら、「求めてません」の意思を示すことも大切なんだろうな。
アウシュビッツでの収容を生き延び、35年間アウシュビッツ・ミュージアムの館長を務めたカジミエシュ・スモレンさんは、今を生きる若い世代にこう、語りかけていたという。「君たちに戦争責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」。
アウシュビッツ収容所のガイドの方が「ホロコーストはヒトラーが一人で起こしたのではなく、”ユダヤ人は出て行け”という街角のヘイトスピーチから始まった。今の日本はヘイトスピーチと直接の暴力の間のどこに立っているか考えてほしい」と語ったのを思い出す。歴史を見つめた、大切な警鐘。
「写真家がなぜ政治に発言?」と時折聞かれる。似たような言葉が溢れている。「ミュージシャンがなぜ」「映画監督がなぜ」と。逆に表現者がもっと、活発に発信してもよいのでは、と思うことがある。少なからず芸術が戦争や弾圧を助長してきた歴史がある。積極的に、ときには関与しない、という黙認で。
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