タグ

伊藤剛に関するsoylent_greenのブックマーク (3)

  • 「ユリイカ」東浩紀×伊藤剛「マンガの/と批評はどうあるべきか」

    「ユリイカ」東浩紀×伊藤剛 「マンガの/と批評はどうあるべきか」 ある人から「『ユリイカ』の東浩紀×伊藤剛対談でお前批判されてるぞ」と言われたのでびっくりして買って読んでみると、批判というか言及がされている。しかも対談の冒頭から中頃まで話題というかネタにされている。 しかし、対談において東が紙屋という名前をきいて「だれそいつ」状態であることにみられるように、ぼくみたいな若輩をよくもとりあげていただいたものである。『テヅカ・イズ・デッド』を上梓した新進気鋭の漫画評論家・伊藤と、「知の最前線」とやらを走る東にとって、こんな「狭いブログ論壇」(東)のカスみたいな存在をとりあげるのもお手をわずらわせるようで申し訳ない。また、多くの人にとっても紙屋ときいて「だれそいつ」状態ではないか、そんなもので対談の冒頭のモチーフにして大丈夫なの、と他人事ながら心配する次第。 伊藤剛は「思想地図」vol.1で大塚

  • 博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡

    昨秋の発売直後に買って読んだものの,途方に暮れていたのが伊藤剛(id:goito-mineral)『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』(ISBN:4757141297)。 平易な文章で書かれているのに,どうにも理解できないでいた。昨日,文学部の院生が開く読書会での題材に取り上げられていたので,討議に参加させてもらった。3時間ほど話し合って,ようやく着眼点らしきものが見えてきたので,備忘録として書き残しておくことにします。 このが提示したマンガの分析枠組みは,次の2つ。 キャラ/キャラクター フレームの不確定性 後者については,別な参加者が論文のネタにしているところのようなので,ここでは触れないでおきます。 端的に言ってしまえば,概念の不確定性と射程範囲の不明瞭さが書の分かりにくさを生んでいる理由でしょう。 例えると,鍛冶師が多機能スイスアーミーナイフを売り出したけれど,

    博物士 - 『テヅカ・イズ・デッド』をめぐる逡巡
  • 大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』

    大塚英志・大澤信亮 『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』 「なぜ敗れるか」などという表題の問題提起とはまったく別に、一読して伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』が頭に浮かんだ。 これは、伊藤自身がブログで告白していることでもある。 最近でも、ある雑誌(※1)の鼎談のなかで、伊藤は大塚のについて、「問題意識が近いところがいくつかありました」「〔伊藤の書いた『テヅカ・イズ・デッド』が――引用者注〕あと三ヶ月遅れていたらやばかったと思う」とのべている。 また、これも伊藤自身が告白していることだが、「結局、僕も大塚さんの『記号的身体の呪縛』や『アトムの命題』(徳間書店)を下敷きにしているわけなので、モデルが似るのは当然なんですね」と述べているように、既視感があって当たり前なのである。 ただ、結論からいえば、ぼくは、伊藤にない、非常に大事な点を大塚に見た。 大塚が日の戦後史を広く反映させた立論をし

    soylent_green
    soylent_green 2006/01/05
    夏目は「ひとが真剣に話しているのに、横むいて笑っている」
  • 1