[ cinema , photo, theater, etc... ] イーストウッド自身の説明によればアメリカ側から硫黄島を描いたのが『父親たちの星条旗』、日本側からが『硫黄島からの手紙』ということだ。だが、この2作は、同じ戦争の両面を描いたものではない。『星条旗』が「英雄」たちの後日談を中心に描かれたのに対して、『手紙』が描くのは、硫黄島の戦いではあるけれども、そして守備隊長の栗林中将(渡辺謙)の話でもあるけれども、それらは口実に過ぎず、単に生きることと死ぬことだ。 このフィルムを見たものなら誰でも感じているとおり、このフィルムの主人公は、栗林中将でもバロン西(伊原剛志)でもない。もちろん常に鉛筆画を描いている栗林の姿や、瀕死の米兵を手当てし、彼に「メアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスを家に招待した」話をするバロン西の話は感動的ではあるが、それらエピソードを支える極めつけ
[ book , cinema ] 泥沼化するイラク戦争、自民党の首脳による核装備論議容認論、北朝鮮による核実験──かつて西谷修が言った戦争の棚上げに当たる冷戦時代が終結し、グローバリズムというむき出しの資本主義の時代になると、見えなかった戦争がはっきりとその姿を見せるようになる。日本の教育基本法改正についての議論でも「愛国心」の問題がその中心になっているが、なるべくその輪郭を薄くしようと自らに課してきた国民国家が、戦争が可視化された時代に、自らの存在を強烈に主張するようになっている。「愛国心」に溢れる行動とは、国家という忠誠の対象に対して英雄的な行動をとることである。そうした行動を実践した人を国民国家の権力を握った者は英雄と呼ぶだろう。 そうしたときクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』は、極めて政治的なフィルムであると言うことができる。硫黄島の擂鉢山に偶然、星条旗を上げてしまっ
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