障害者と健常者との大きな違いとは、なんでしょうか? からだやこころや気持ち、それに行動や認識などが、「ふつう」であるかどうか、でしょうか? だとすれば、そこで言われる「ふつう」とは、いったい、だれが、どのようにして決めるのでしょうか? だれが「そんなことをしてもよい」と言ったのでしょうか? ここでは、そうした視点とはすこし変えてものごとを見ていくことにします。 改札が2階にある駅舎を使おうと思います。両足があって、階段を上ることができる人なら、難なく階段を上っていくでしょう。 ここで、ちょっと考えます。いま、あなたは、階段があることを前提にしましたね? 「えっ、この人、何を言ってるの? 改札が2階にあるなら、そこにたどりつくための階段があって当然ではないか」、きっとそう思われたと思います。ではなぜそこに、階段があるのが当然なのでしょうか? そこに階段があるのは、両足があって、階段を上ること