ダニー・スチュワートさんはその日、急いでいた。ボーイフレンドとの夕食デートに向かうため、ニューヨークの地下鉄駅構内を走っていたが、床に何かが置かれているのが目に入った。ダニーさんはやがて、その「何か」を心から大切に思うようになる(文中敬称略)。 2000年8月28日の午後8時ごろのことだった。ニューヨークのラッシュアワーの混乱がようやく静まったころで、マンハッタン・チェルシー地区の14番丁目駅に、地下鉄が滑り込んできた。
バスマン☀️🇺🇦 @BUSMANTHEWORST 思った事を呟くだけです。無言フォローOKです。フォロバは適当な基準でします。質問があればお気軽にどうぞ。休みの日は完全にバスを忘れたいのでほとんど呟きません。 多分おひさまです。最近Buddiesです。連絡用アドレス:busmantheworst@gmail.com https://t.co/xrHub7m9R0 バスマン☀️🇺🇦 @BUSMANTHEWORST 今日は実家の亡くなった親父の部屋で寝ます。 認知症だったんですけど、 たぶん母ちゃんに怒られながら、 記憶と闘ってる親父のノートを見つけてしまい、 さっき病院で親父の亡骸を見ても余裕だったのに、 今は涙が止まらない😭 pic.twitter.com/Jeg8brZbrs 2019-12-05 00:17:48
なぜだろう。30代になってからふと、亡くなった家族のことを思い出すことが増えたように思う。もしかするとそれは、当時の兄の年齢を、私が追い越してしまったからかもしれない。 兄が亡くなったのは、中学卒業を間近に控えた春だった。「前を向いて歩きなよ。過去は変わらないんだから」。当時の友人たちが、私にそんな言葉をかけてくれたのを覚えている。落ち込んでいる私を、何とか励まそうという精いっぱいの言葉だったと思う。その気持ちには今でも大きな感謝を抱いている。 けれども「過去は変わらない」というその言葉が、なぜか心に引っかかり続けた。 私の兄は母親が違い、兄の母親は私が生まれる前に他界していた。13歳年が離れた兄は、なぜかいつも父に対して「です、ます調」の敬語を使っていた。「家族なのになんでいっつも敬語使ってるの?」不思議に思って幾度彼らに尋ねてみた。 父も兄も、ただ笑って私を見つめ、何も答えてはくれなか
子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私は本を読むのが大好きだったし、父はよく本を読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理のレシピ本くらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは本読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、
これは、そんな事でいいの?と思われるかもしれないんだけど、先生にメッセージを書くにあたり、病気の事は書かないでいいです。むしろ、あなたがいま何をしているか、なつかしい思い出はなにか、あなたが最近何で幸せを感じたか、楽しかったか、最近美しさを感じたことはあるのか、どこかに行ったか、なにか大変だったか、それを乗り越えたか、乗り越えようとがんばっているところか、将来何がしたいか、そういう事を書くべきだと思います。メッセージは、寄せ書きにするんでしょうか?もしできれば、間に合うのなら、寄せ書きじゃなくて、一人一人、短くてもいいから封筒に入れて、お手紙をたくさん渡すのがいいのじゃないかな。 なぜかというとどうしても短いメッセージってみんな病気や体調の事を書いてしまうからです。それって、まあ、がんという、あまり治らない病気に対しては酷なことだし、そもそも、「はやくよくなってくださいね」とか、たくさん書
都内に住んでて共働き。2DK賃貸マンションに猫一匹と。 同居して4年。式はしないで籍だけ入れたのが、去年の9月。 お互いに没頭できる趣味がそれぞれあって、共通の趣味はマンガと海外ドラマ。 ふたりとも無類の猫好き。 お互いいい歳。 だから子供はできたらできたで、できなきゃできないでいいよね〜ってスタンスで。 猫もいるし、趣味もあるし、って。 籍は入れたけど、それまでの生活と特に変わりなく。 朝起きて仕事行って、くたくたで帰ってきて。 一緒に晩酌しながらドラマ見たり、猫愛でたり。 家事は分担して。 休日はラーメン食べに行ったり、散歩したり。 平均より若干低い世帯年収で貯金もそれほどなく。 だけど質素に暮らして高望みもせず。 自己実現なんて遥か彼方。 何者にも成れず、でも時間と共にいつしかそんな自分も受け入れて。 SNSに載せられるような、魅力のある幸せではないけれど、幸せな暮らし。 先のことを
毎日夫を起こすのが離婚したいくらい苦痛です。 : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町 痛いニュース(ノ∀`) : 既婚女性「22時~2時帰宅、5時半起床の夫が朝全然起きません。毎日『離婚したい』と思ってます」 毎日夫を起こすのが離婚したいくらい苦痛なのは何が悪いのか - 情報の海の漂流者 1. 例によって、実家ではどうだったかと考えてみる。母は父を起こさなかった。「口でどういっているかということよりも、実際に起きられるかどうかが大切。お父さんのように仕事を頑張る意欲を持っている人が、それでも起きられないのなら、心身に無理がきているということよ。そのまま寝かせてあげたいわ」 一方、単なる怠惰で寝坊をする私と弟は、もちろん叩き起こされた。 母が父の稼ぎに不満を漏らしたことは一度もない。一時、父の勤務先の経営状況が危なくなり、年収が激減しても、母は動じなかった。父が病に倒れたときも
きのう、娘のボーイフレンドがやってきた。 僕は結城紬を着て和室で正座して、ふたりを迎えた。 カレと娘は二人並んで正座し、嫁がお茶を運んできて、湯のみに注ごうとしていたとき。 カレが唐突に、敷いていた座布団を横にはねのけ、がばっと両手をつき、「お嬢様と正式にお付き合いさせてください!」と言った。 そして、髭を触りながら、僕は思案する。 この男は、誠実だろうか? この男は、パチンコや競馬や女装や、そのほかもろもろの僕には言えない趣味はないだろうか? この男は、そもそも幸せになるチカラがあるのだろうか? この男は、どれぐらい稼げるのだろうか? この男は・・・・ 凍りついた雰囲気。 で、嫁が横から口を出す。 「まあまあ、先にお茶でも飲んでくださいな」 娘のボーイフレンドがやってきて、父の僕に挨拶するということは、昨今こういうことではない、ということは、ずっと前からわかっていた。 うちには娘がふたり
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