ブックマーク / nyaaat.hatenablog.com (3)

  • 社会問題の解決よりも、提起者の「落ち度」「不公平」叩きを優先する現象 - ニャート

    先日の「駆け込み寺を作るために仏教を学ぶことにした」を読んでも、「心を病んだ人の逃げ場を作るために、私がなぜ宗教を必要としているか(なぜ政治を見限ったか)」は分からなかったかもしれません。 今日の記事でも書きつくせませんが、これから少しづつ書いていきます。 社会問題を提起する「資格」を問われたはあちゅう氏 2017年12月に、有名ブロガーのはあちゅう氏が、電通在職中の上司だったクリエイターの岸氏から受けたセクハラ・パワハラを、実名で告発しました。 はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」 はあちゅう氏は炎上ブロガーとして位置づけられることが多く、私もあまり彼女を好きではありません。 それでもこの告発には、個人的な好き嫌いを吹き飛ばすだけの力がありました。 私は、心からの尊敬と絶賛をはあちゅう氏に送ったのです。 ですがその後、「お前も過去に童貞いじりをしただ

    社会問題の解決よりも、提起者の「落ち度」「不公平」叩きを優先する現象 - ニャート
    tfourth
    tfourth 2018/02/19
    わかる
  • ちがう時代の地縛霊は満員電車みたいにギュウギュウだったりしないのか - ニャート

    私は幽霊を信じている(見たことはない)。 正確に言うと、怒りや恨みといった強い負の精神エネルギーは、当人が死んでもこの世にとどまるのではないかと思っている。 たとえば、突然殺された人の死の瞬間の強い思念が、その土地に焼きつくように照射されて地縛霊になるのではと、根拠もなく勝手に思っている。 それで、疑問に思うことがある。 たとえば、平安時代末期の古戦場と、戦国時代の古戦場が同じ土地だった場合(そんな土地あるか知らにゃい、ただの仮定)。 その場合、ちがう時代の無数の地縛霊は、同じ土地に共存しているのか。 物体ではないからあり得ないけど、負の思念がごく狭い土地に照射されていたら、その部分が地縛霊で満員電車のようにギュウギュウ詰めだったりしないのか、エネルギー的に。 負の精神エネルギーは、時がたつにつれ薄れてゆくんだとは思う。 実際、「ここは縄文時代の幽霊が出る」とか聞かないし。 政敵を呪い殺し

    ちがう時代の地縛霊は満員電車みたいにギュウギュウだったりしないのか - ニャート
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    tfourth 2018/02/12
  • 駆け込み寺を作るために仏教を学ぶことにした - ニャート

    もう2月も中旬なのに、これが2018年最初の記事となる。 去年の夏ごろから持病が再発したため、1月は気力がなくて、物忘れ進行中の母の相手と仕事以外はずっと寝ていた。 は読めるので、寝ながらkindle電子書籍をひたすら読んでいた。 そこで、今までぼんやり考えていたことを代弁してくれるような文章に出合った。 お寺が「人生の受け皿」として機能していた時代があった (お釈迦様が説いた仏教が、集団という形態をとったことの意義の一つとして) それは、苦しんでいる人の人生を丸ごと受け入れる「人生の受け皿」としての機能です。サンガというのは、単に修行の志を持った出家者の集まりであっただけでなく、人生に絶望した人や心を病んだ人、社会生活に耐えられない人たちの受け入れ先としての機能も持っていたのです。大乗仏教一辺倒の日でも、その機能だけはあるときまできちんと存在していました。ところが、いまのお寺はほと

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    tfourth 2018/02/12
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