rintaro95.hateblo.jp アメリカ・フォーブス誌の統計によると2016年に映画でセリフを与えられている登場人物のうち女性の割合は28.7%。 また興行収入1億ドル以上を突破したいわゆるメガヒットと呼ばれる作品のうち女性が主人公の映画は2010年には25%。 つまり4本に1本の割合だったわけですね。ところが2018年になるとその割合は42.9%まで増加しています。それはなぜか? パティ・ジェンキンスが読み解く女性主人公映画が増えた理由 この理由について2007年「ワンダーウーマン」でメガヒットを記録したパティ・ジェンキンス監督こう分析しています。 「社会でも女性の活躍がめざましい今となっては、女性なのに強い、女性なのにこんなことができるという視点は必要なく、能力のある女性というキャラを特別なものとして扱う必要がなくなった」 これはまったく正しい分析だと思いますね。映画というエ
asagei.biz つい最近ネットを賑わせ賛否両論(否の方が圧倒的に多いようですが)のを意見が飛びかったこちらの話題。 加藤紗里さんのことはあまり知らなかったので調べてみるとこれまでにも何かと炎上騒ぎを起こしていたようですね。 まああの世界では芸人さん始め女優さんやタレントさんなど一度そういうキャラ付けをされると、もうどんなことでも何を言っても方々から切っ先鋭い手斧が飛んできます。 ただ過去の炎上騒ぎはさておき今回の彼女の発言や、批判コメントに対する彼女の反応は個人的に興味深く考えさせられる部分もありました。 ただ考えさせられたのは事実ですがその表現の仕方があまりにも稚拙でしたね。それはどういうところなのか。 大人は「言わずもがな」を理解していないと必要以上に敵を作ってしまう 「言わずもがな」とは言わない方がいい、言う必要がないという意味で、平たく言えば「そこまで言わんでええやん」フーテ
ビジネスシーンや友人関係など周りに「この人おしゃれだな」と思う人が必ず何人かはおられますよね。 ここでそんな人たちのコーディネートの特徴を思い浮かべてみてください。若い世代に限らずミドルエイジもおしゃれな人は「定番アイテム」をうまく取り入れたコーディネートをしていませんか? 定番アイテムをうまく取り入れるとおしゃれ度はアップします。特にミドルエイジになるとコーディネートに「無理してる感」だけは出したくないですね。 そこで今回は大人持っているべき定番アイテムについてのおさらいを! メンズファッションの定番と言えばまずスーツですが、スーツやネクタイについてはこれまでに何度か解説しているのでここではカジュアルシーンを中心としたアイテムについて解説していきます。 スーツについての記事はこちら ↓ ↓ ↓ rintaro95.hateblo.jp rintaro95.hateblo.jp 定番ア
「共感」とは?意味を調べてみると辞書にはこう書いてあります。 他人の考え、主張にまったくそうだと感ずること。 その気持。同感。 つまり相手目線でものを考えるということになりますね。 精神科医であり臨床心理士でもある和田秀樹氏も、現代精神分析でもっとも重要視されているのはこの「共感力」である言っておられます。 つまり観察手段としての共感ですが、一般的にも普段の生活やビジネスシーンでのコミュニケーションにおいて「共感力」がある方が対人関係を高めることは間違いないようですね。 「共感力」を得ることの大きなメリットはふたつ。 自分の感情をコントロール出来る。 それによって自己満足だけで理解を得られない言動が回避される。 自分の感情に振り回されず、共感することでコミュニケーション能力はアップするということになりますね。 例えば初対面の相手と話しているときなど、出身地や出身校が同じだと分かると親近感が
0.5秒! これが何を意味する時間だと思いますか?実は人間が初めて会った異性を「好き」か「嫌い」かを脳が判断する時間なんです。 会ったばかりで相手の性格など分かるはずはないですから、もうこれは男性も女性も完全に見た目で決めているということになりますね。 そうなるとよく言われる「見た目が9割」という言葉も正しいんだと納得してしまいます。 見た目が9割? 40男にファッションセンスが必要なワケ | editeur エディトゥール 異性によく思われたいモテたい気持ちは男女共通した思いですが男性、特に30代後半から50代のミドルエイジもパートナーがいるいないに関わらず、異性にはよく思われたいのは事実ですよね。 私も正にミドルエイジの一員ですがやはりまだまだそういう気持ちは当然持ち続けています。 さてここで世のミドルエイジの皆さん!もう一度今の自分を自分自身で冷静に見てみましょう。 ビジネス・シーン
ビジネスシーンでのドレスコードも多様化し、最近ではスーツにリュックという姿も当たり前のように見られるようになりましたね。 またその需要が増えるにしたがって各ブランドからも、ビジネスリュックが数多く販売されるようになりました。 そしてそうなると必ず起こってくるのがスーツにリュック「肯定派」と「否定派」の論戦です。 この点についてはてなブログにおいてずっと以前からお付き合いをさせて頂いている「千日のブログ 家と住宅ローンのはてなに答える」を運営されている千日太郎さん(id:sennich)も非常に鋭い考察をされています。 sennich.hatenablog.com そこで今回は私も極私的に考察してみることにしました。一方的に論じるのではなく肯定派否定派双方の意見をご紹介した上で私の個人的見解を述べてみたいと思います。 スーツにリュック肯定派の意見は? 2014年頃から増えだしたと言われるスー
静かな作品です。 戦場や戦闘シーンもなく戦死した兵士を遺族の元に送り届ける、その様子を淡々と描いただけの内容。 それでいて観る者に様々なことを問いかけてくるようで心を揺さぶられます。 「テイキング・チャンス」ストーリー 2004年イラク戦争当時。デスクワークに従事する自分に対して忸怩たる思いを抱いていたアメリカ海兵隊中佐マイケル・シュトローブルは、送られてくる戦死者のリストに知り合いの名前がないかをチェックする毎日を送っていた。 そんなある日戦死者の中にチャンス・フィリップスという同郷の20歳の若者がいることを知りその遺体を遺族の元へ届ける任務に志願する。 飛行機や車を乗り継ぎ数日かけて故郷ワイオミングに向かうが、その途中の空港やハイウェイなど至るところで多くの人によって示される戦死者に対する敬意。 そんな光景を見るうちにマイケルの心も徐々に変化が現れる。 そしてチャンスの埋葬の日。デスク
「オリオンピックの英雄、バロン・ニシ。君は立派に軍人としての責任を果たしたのだ!ここで君を失うのは惜しい。こちらに来なさい。われわれは君を手厚く取り扱う!」 ロサゼルスオリンピックで金メダル獲得! 1932年ロサンゼルスで開催された、第10回オリンピックにおいて8月14日の閉会式に先立って、10万の観衆の中で行なわれた馬術の大賞典障害飛越競技。 大小19もの障害は難易度が高く参加11名中、無事障害を飛越出来たのはわずか5名! その中見事金メダルの栄光に輝いたのは愛馬ウラヌスを駆った陸軍騎兵中尉で男爵西竹一。 そして優勝後のインタビューで西はウラヌスともに闘った気持ちをこう語りました。 「We won」(我々は勝った!) 後世まで残るこの言葉に当時日本人に対して、必ずしも良い感情を持っていなかった、アメリカの観客も万雷の喝采を送ったと言われています。 伊達男の男爵(バロン) 父の死後10歳
ビジネスシーンでスーツに履く靴。 もしかしたら消耗品だと思っていませんか? スーツや時計にはお金を掛けても靴にはそれほどこだわらない。そんな方も多いようですね。 身だしなみでまず目にはいるのはスーツや時計だと思いがちですがちょっと待って下さい! 人は思っている以上にあなたの足元を見ています! 本来足元こそ全体を引き締めるポイントです。 欧米では足元こそ身だしなみのキモと考え、おしゃれなイタリア人もノーブランドのスーツを着ても、靴にはお金を掛けている人が多いですね。 事実それほど高級なスーツではなくても靴が上質なら値段以上に見えます。足元はそれほど重要なんですね。 それにスーツの流行は変化しますが、クラシックな靴にはそれがありません。またスーツやシャツは年齢と共に変化しますが、足のサイズは変わりませんね。 ではどのような靴で足元を飾ればいいのでしょうか?タイプ別のおさらいをしてみましょう!
今年も残すところあと一日になりました。もうすっかりお正月の準備も終えてゆっくり過ごされている方も多いでしょうね。 個人的にどんな一年だったかと言われたら、良くも悪しくも振れ幅の大きな一年でしたが、今年もまた去年に引き続き地元のいろんなところを巡って京都の魅力を再認識しました。 2017年・京都・冬 二時間ドラマでおなじみの世界遺産東寺五重の塔! 雪の中でも威風堂々ですね。ちなみに我が家は東寺の近くですがこれまで一度も、船越英一郎さんや山村紅葉さんを見かけたことはありません。 犬も喜び駆け回っておりました。 2017年・京都・春 毎年恒例東寺のライトアップ!今年も安定の美しさでした。 続いて行ったのは平野神社!満開には若干早い様子でしたが途中から桜そっちのけで昼飲みに突入しました。 個人的には美味しい食べ物の屋台が一番揃っているのは平野神社だと思います。お酒が好きで一流のヒルノミストである私
日本政府が将棋の羽生善治竜王と囲碁の井山裕太7冠に国民栄誉賞を授与する検討に入ったと言うニュースが話題になってますね。 個人団体合わせて過去に24名の受賞者がいますが、国民栄誉賞は主に首相が発案して内閣府が検討し決定という流れで授与されます。 世論の動向も加味され明確な基準もないために「政権の人気取りに利用されている」との批判もありましたね。 今回の将棋と囲碁の抱き合わせ授与は一部から批判の声が上がっているようですが、そのあたりは政府の判断なので仕方のないところなのでしょうか? そもそも国民栄誉賞って? 1977年に国民栄誉賞表彰規程が定められ、時の首相福田赳夫によって創設されました。そしてその定義は政府によると。 「広く国民に敬愛され社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉をたたえること」とあります。 曖昧すぎて果たしてこれを定義と呼んでもいいものか微妙なと
立石斧次郎。 この名前を聞いてピンと来る方はおそらくそんなに多くはないと思います。 しかしこの斧次郎こそ1856年、日米修好通商航海条約が時の駐日総領事ハリスと幕府の間で締結されて以来、今日に至るまでアメリカでもっとも愛された日本人。驚異のモテ男でした! 始まりは万延元年遣米使節団 日米修好通商条約の締結後、批准書交換はワシントンで行うとされたため、新見正興を正使に村垣範正の副使にそして小栗忠順を目付とする一行77人は、ジョサイア・タットノール司令官が艦長を務めるアメリカ海軍「ポーハタン号」で渡米することになります。 また万一の事故に備え幕府は護衛目的で「咸臨丸」を派遣、軍艦奉行木村喜毅をはじめ勝海舟や福沢諭吉そして通訳として中浜万次郎(ジョン万次郎)を随行させます。 その中に見習い通訳としてポーハタン号に乗り込んでいたのが立石斧次郎でした。 ポーハタン号のマスコット 斧次郎は渡米前に横浜
今年も12月に入っていよいよ残すところあと一ヶ月になりました。この時期になるともう毎年恒例の街中がクリスマス一色になりますね。 通りはライトアップされどこに行っても趣向をこらしたツリーが飾られ、一気に華やいだ雰囲気に変わりましたね。 ハロウィンの大騒ぎといいクリスマスといい、クリスチャンでもないのにけしからん!というような声も最近では聞かなくなるほどこのふたつのイベントは日本に定着しましたね。 ところでハロウィンは比較的新しく1997年、東京ディズニーランドで「ハッピーハロウィーン」というイベントが開催されたことで認知度が高まりましたが、クリスマスが日本に定着したのはいつ頃からでしょうか? 日本におけるクリスマスの起源は? 日本におけるクリスマスはやっぱりこの人でした。 フランシスコ・ザビエル。 1552年に信徒を集め12月24日に行ったミサがクリスマスの始まりだったと言われています。 ち
天下の副将軍と言えば真っ先に葵の印籠でお馴染みの水戸黄門を思い浮かべますね。しかしあれは完全にフィクションの世界で、水戸藩主は江戸に常駐することが義務付けられていただけで「副将軍」という役職も光圀がそうであった事実もありません。 ところが実際に実質的副将軍としての役割りを唯一果たし幕政を取り仕切り、江戸幕府の礎を築いた人物がいました。それが今回の主人公会津藩主保科正之その人です! どこの国でもありうることですが歴史を俯瞰して見ていると天がこの人物を選んで、地上に送り出したとしか思えないような奇跡的人物に出会うことがありますね。 一般的知名度はそんなに高くはありませんが保科正之こそ、日本史上天が送り出した奇跡的人物のひとりであることは間違いないと私は思います。 その保科正之とはいったいどのような人物だったのでしょうか? 運命的な出生の秘密 ! 慶長16年神田白銀町で生まれた正之幼名は幸松、母
最近は多忙を極めそれに加え生来の横着怠惰な性格も相まってブログを更新が長期間疎かになってました。 まぁよく言えば満を持していた、平たく言えばサボっていたわけですがそろそろまた再開したいと思っております。 当ブログの更新はまだかと一日千秋の思いでお待ち頂いた読者の皆様には(そんな人いるのか?) 大変お待たせ致しました。そして再開の第一弾はどんなテーマにしようか考えに考え抜いた結果他のブロガーさんのアイデアを頂くことにしました(笑) 参考にしたのはこちらの記事! www.cobalog.com いつも楽しく記事を拝読してツイッターでもやり取りをさせて頂いている「コバログ」のコバヤシマサキさん(id:gaou2)のこの記事に触発されてこれは自分もやってみようと思い立ったわけですね。 読者数も記事数も遠く及ばない私がこんな記事を書くのは甚だ僭越だとは思いながら自分もやってみようと思います。 自分で
京都は繁華街でも比較的古い街並みがまだ残っていて、祇園や先斗町でも昔ながらの路地がたくさんあります。 そんな路地の奥に隠れた名店があって自分だけの店を発見するのも楽しみのひとつでもありますね。 それとは逆に良く言えば昭和の香りがする、悪く言えば「これはどう見ても怪しいやろ」というお店が集まっている路地も存在します。 そしてそんな怪しい路地の中でも飛び切り怪しいお店に飛び込みで入り、その怪しさとスリルを大いに満喫しようをコンセプトに、「アブナシュラン」と勝手に命名した遊びを友人たちと行っているわけですが、先日久々に4人のオヤジが集結し「アブナシュラン」を敢行。 今回はその決死の突撃レポートをお送りします! 参加メンバーの紹介 オヤジ一号 中学時代からヤンキー道をまっしぐらに進むも三流高校入後、なぜかいきなり医学への道をこころざし、悪戦苦闘紆余曲折の末どうにか三流医大に進学し無事三流医師にな
た 日本の小説に初めて「冒険」という言葉が使われたのは1896年、森田思軒が「十五少年漂流記」を抄訳し「冒険奇談 十五少年」とタイトルをつけたことが始まりなんですね。 その後文壇は純文学全盛になり冒険小説(ハードボイルド)が小説のジャンルとして扱われたのは1958年大藪春彦の傑作クライムノベル「野獣死すべし」が最初だと言われています。 そして1959年に高城高が「微かなる弔鐘」62年には結城昌治が「死者に送る花束はない」、そして65年に生島治郎が「黄土の奔流」を上梓し冒険小説が一般的に認知されるようになりました。 そして80年代きっかけは日本冒険小説協会 1981年熱狂的冒険小説ファンでボードビリアンの内藤陳さんによって「日本冒険小説協会」が設立され82年には「日本冒険作家クラブ」創設され様々な細かくジャンル分けされていたエンタテインメント小説が冒険小説と総称されるようになりました。 そこ
司馬遼太郎原作の「関ヶ原」が岡田准一主演で映画化され公開されましたね。歴史好きとして見逃せない作品です。1981年加藤剛、森繁久弥主演で放映された8時間ドラマは当時のオールスターキャストでかなり見応えがありました。 ただ今回は映画なので秀吉死去から天下分けめの決戦まで、この間の政治的ドラマを果たして映画という時間枠でどう描いているのか、これは興味のあるところですね。 ところで現在では関ヶ原の戦いは「徳川対石田」という図式が通説になっていますが、果たしてこの解釈は事実に基づいたものでしょうか? 関ヶ原前夜の状況をざっとおさらい 司馬遼太郎の原作では秀吉死後家康の専横の数々、とりわけ目の上のタンコブだった同じ五大老の前田利家が死去するにいたって野望むき出しで、五大老筆頭でありながらもうルール破りまくり! この頃豊臣政権下では官僚派と武断派の対立が激化、加藤清正はじめ武断派による三成襲撃計画が発
「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」 幕末ペリーの来航で初めて黒船を目の当たりにした幕府はビックリして大混乱、その挙句開国を迫られアメリカの武力に屈し開国した。 幕府の弱腰外交と今でも揶揄されている事件ですが、本当に弱腰だったのか本当にペリーによって開国させられたのか? その答えを導き出してくれる男がいます。それは林羅山から数えて11代目にあたる儒学者林大学頭(だいがくのかみ)号は復斎。 彼の冷静沈着にしてタフなネゴシエーションが、どのようにして幕末日本を救ったのか!当時の幕府そして林大学頭は手強い相手だったようですよ。 ペリー来航の目的は? 1853年7月アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる4隻の蒸気船が、アメリカ大統領フィルモアの親書を携えて浦賀にやって来ます。 しかしこれは親書とは名ばかりで早い話しが、アメリカが幕府に要求を突きつけたと言ってもいいでしょう
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