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ゲームとハドソンに関するtonkapのブックマーク (2)

  • 1978年の"gosub hudson"::Colorful Pieces of Game

    最近、知り合いから古いチラシなどをまとめてスキャンしたものをもらい、非常に資料性が高い内容なので、時間を見て、いろいろ紹介していきたい。 まず今回は個人的に一番資料性が高かった"gosub hudson"について。 "gosub hudson"は、1978年の多分初春~夏前ぐらいに配布された冊子だと思われる。 手元には8ページあるのだけど、これで全部かはわからない(多分全部だけど)。 これはハドソンがCQハドソン、つまりアマチュア無線を中心としたショップだった時代にマイコンショップを格的にオープンした時に作られた冊子だ。 このハドソンのマイコンショップCOSMOS SAPPOROは当時平岸にあったCQハドソンの2階にあり、PET-2001、APPLE II、TK-80BS、LKIT-16といった、当時のメジャーどころのコンピュータを取り扱っていた(と資料からは読み取れる)。 このあと数年

    1978年の"gosub hudson"::Colorful Pieces of Game
    tonkap
    tonkap 2015/09/20
    アマチュア無線ショップからソフトメーカーにシフトし始めた頃のハドソンの話。興味深い。
  • 高橋名人『1982年入社当時』

    世間では、500円硬貨が発行されたり、ホテルニュージャパンの火事や、JAL350便の墜落などが世間を騒がせた年に、私はハドソンに入社しました。 この当時は、家庭用のゲーム機も性能があまり良く無く、1980年に発売された「ゲーム&ウォッチ」や「カセットビジョン」などに人気が集まっていました。確かカセットビジョンは70万台ほど売れていたはずですし、ゲーム&ウォッチの人気は、ここに書くまでもありませんよね。 アーケードゲームでは、1977年に発売された「ブロックくずし」や、1978年に発売された「スペースインベーダー」、そして1980年に発売された「パックマン」で人気が絶頂期になっていましたが、同時に、不良の溜まり場になっていった事により、PTAから小中学生の入場を禁止されていた頃。

    高橋名人『1982年入社当時』
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