――まず、先生の研究について伺いたいと思います。先生はシカゴ大学社会学部の教授であると同時に、経済産業研究所(以下RIETI)の客員研究員としても研究をされていますね。それぞれの場所では、だいぶ違ったお仕事をされているんでしょうか? 山口 違うというよりは、RIETIでの研究がシカゴ大でのそれの応用になっています。私の本来の専門の一つは統計モデルの開発です。縦断的調査のデータを分析する手法で、主に従属変数がカテゴリー変数であるモデルを用いるのがその特徴です。その応用として、最初は社会階層化や社会的不平等の問題を扱っていたんですが、近年はほとんど就業と家族の問題が中心です。特にワーク・ライフ・バランス(以下WLB)という概念がキーですが、そのテーマで一連の研究論文を書く意思を固めたのは、VCASI主宰の青木昌彦先生がRIETIに招いてくださったのがきっかけなんです。それ以前は就業と家族といっ
June 19, 2014 社会学における実証主義批判の対象は論理実証主義だったか? 『現代思想』6月号の「ポストビッグデータと統計学の時代」に寄稿された太郎丸博さんの論考「統計・実証主義・社会学的想像力」(pp.110-121) を読んだ。全体としては同意できる点が多い論考なのだが、論理実証主義をめぐる論点でちょっと気になったところがある。 太郎丸氏は、論理実証主義を「経験的に真であることが検証された命題と、それらの真の命題から論理的に演繹された命題のみにもとづいて科学的な言明は構成されるべきである」(p.112)という立場としてまとめ、それがいくつかの側面から批判されてきたということを(ラカトシュ、ガーフィンケル、ラトゥール、ヘッシーらを文献として引きながら)紹介している。この論理実証主義のまとめは狭すぎる気もするが大きく外しているというほどでもない。 しかし、太郎丸氏は論理実証主義を
いぜん、ある先輩の研究者と、研究テーマの選び方や研究の進め方について雑談していたときのこと。あるテーマに関する文献をしらみつぶしに読みつくすことの重要性について、われわれの間には一定の合意があったのだが、その先輩いわく、 いったんカレーを食うと決めたら、一生食い続けなきゃダメだよね。 「一生」だったか、もうちょっとソフトな表現だったかは覚えていないが、非常に衝撃的で、今でも覚えている。カレーは好きだが、死ぬまでずっと3食カレーかと思うと、ちょっと躊躇する。しかし、問題の本質をうまくとらえていると思う。あるテーマについて発言するためには、それなりの準備と覚悟が必要である。カレーを食ってうまいかどうかは、プロの研究者には関係ないことである。まずくても必要とあらば、毎日食い続ける。それがプロの研究者だ。どうしても食えないならば、他のテーマを選ぶしかあるまい。私は相変わらず、ふらふらとテーマをかえ
本日、日本社会学会大会(熊本)より帰宅。気になったことを少し。 社会学において学説研究をする価値はなんだろうか。例えば、デュルケムが、実は第3共和制を転覆すべく暴力的な革命の準備のために地下活動に携わっていたことが、わかったとしよう。もしもそうだったら、ちょっとした驚きであり、かれがどんな意図で『宗教生活の原初形態』や『社会分業論』などの著作を書いたのか、これまでとは違った解釈がなされることになるだろう。 このような問題はデュルケムに慣れ親しんだ社会学者の一人として非常に興味深く、十分に面白い問題である。これを「著者の意図」問題と呼んでおく。 しかし、「著者の意図」問題の解明は、デュルケムという人の正しい理解に近づく道ではあっても、社会の正しい理解に近づく道とはいえない。仮にデュルケムが「神」のような超越的な洞察力の持ち主であり、社会についての真理にすでに到達していたとすれば、デュルケムを
社会学評論が届いたので、拾い読みしてみた。特集は「社会学教育の現代的変容」だったが、 野村一夫, 2008, 「社会学を伝えるメディアの刷新」『社会学評論』58(4):506-523. が興味深かった。私は最近、「社会学とは何か」といった問題を深く考えていなかったし、深く考える必要もないと思っていたのだが、やはり教育する上では重要だということを再確認させてもらった。話が難しいのは、「社会学とは何か」を語るためには、社会学が経済学や心理学や哲学や歴史学や文学とはどう違うのかを語らなければならない、という点である。そのためには、当然、経済学、心理学, etc. について正しい知識を持たなければならない。これには膨大な知識を必要とする。こんなことに力を費やすぐらいなら、自分の研究を分かりやすく紹介したいというのが人情であろう。 野村が言うように、近年、社会学の周辺諸分野は社会学化している。カルチ
This paper discusses the meanings of monopolization for the role of socializer, ie., child carer and also primary or nurturant socializer in the modern family, especially mothers. In modern societies, 1) the socialization process has become more discontinuous than in that of pre-modern societies. Children have their socialization experience not in the whole societies in which they live, but in the
たぶん高級すぎるのだろう。大学院の私のゼミは閑古鳥啼く。あと2年で閉めるのだが、この1冊。600頁を超える大著。博士論文をもとに出来上がった、この力作を書いた多田光宏先生が、社会学界にデビューしたということで、私のゼミがあったということにも意味が結びつく。「こういうのが社会学って言うんだよ」と、論理、思想、分析を敬遠する社会学徒たちに、言わねばなるまい。 学問をするかぎり、それは本物でなければならない。大学では、本物の学問を学ばねばならない。そういうことがわかる人間か、そうでないか、世界は、この二分法でなっている。ただし、著者は勉強ばかりしていた学生ではない。学部の頃は、インカレに出ていた体育会学生だった。 卒業論文は、「言語行為論に関する考察」(1997年度)、修士論文は、「ニクラス・ルーマンにおける社会システム理論と時間の関係」(1999年度)であった。やはり一人前になり頂点に立つには
2013年12月28日10:58 カテゴリ科学/文化 シュッツと生活世界の自明性 山内志朗氏はなぜか飛ばしているが、「存在の一義性」についてとことん考えた哲学者は、フッサールである。彼は初期には存在の自明性を「括弧に入れる」手法として現象学的還元を考えたが、晩年には逆に自明性を説明する概念として生活世界を考えた。彼がその後継者と考えていたのがシュッツである。 シュッツの出発点はウェーバーで、彼の社会学が認識論的にはお粗末な新カント派にもとづいているのを現象学で厳密に基礎づけようということだったが、次第に独自の現象学理論を構築するに至る。その全貌は、主著"Structures of the Life-World"を読まないとわからないが、本書は社会学者でもわかる論文集である。ウェーバーの宗教社会学の鍵になっているのは「他者理解」である。異なる宗教に出会うとき、研究者はそれを理解不能な「呪術」
本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部) もう十年以上前にもなるだろうか、ある夜遅く、テレビのニュース番組に、天野祐吉が出ていた。キャスターは筑紫哲也だったように思う。イランだかイラクだかの話をしていて、筑紫が「そこでけが人が」と言ったとき、天野が小声で「毛蟹?」と言った。筑紫は「いえ、けが人です」と答え、ああそう、という感じで、そのまま話は進んでいった。 私は社会学というものを仕事にしている。特に、人びとに直接お会いして、ひとりひとりのお話を聞く、というやり方で、その仕事をしている。主なフィールドは
「理論と実証」について考えるときに、しばしば忘れられてしまうのは、理論と実証以前に、その両者に意味を与えるもっと大事なことがある、ということです。それは「問題関心」です。そして多くの実証研究は、この問題関心から出発しています。階層研究であれは公平性、都市研究であればコミュニティの価値、などが一例になるでしょう。そういった(根本的には日常の社会生活に根ざしている)問題関心があるからこそ、それに関わる問を立て、答えていくという研究活動が成立するわけです。ほとんどの実証研究はこの枠組みに沿って行われているはずです。(そうではないものはちょっと想像しにくい。) 要するに、研究は実証するために行うものではありません。理論を構築するために行うものでもありません。理論を実証するために行うものでもありません。特定の問題関心から発する問いに、説得力をもって答えるために行うものです。(だから、日常的なコミュニ
プレスリリース 発信者 代表取締役社長 塩浦 暲 株式会社 新曜社 〒101-0051 東京都千代田区神保町 3-9 TEL 03-3264-4978 FAX 03-3264-8959 shioura@shin-yo-sha.co.jp 学術書出版社、新曜社とSAGE社が、社会科学分野におけるテキストの共同出版で提携 2013年10月31日――学術書出版社、新曜社と社会科学分野の世界的学術書出版社の一つであるSAGE社は、本日、社会科学分野の日本語版テキストを共同出版するため提携したことを発表させていただきます。社会科学分野のテキストへの要請がますます高まるなか、この提携によって重要な英文研究法関連書籍が日本語で提供され、勉学者に役立つと期待されます。 新曜社とSAGE社は、指導的な著者・研究者による社会科学分野の各種テキストを共同出版してゆきます。まず学生・大学院生向けの研究方法論のテキ
マックス・ウェーバーのプロ倫を巡る研究は本ブログでもここやここやここで紹介したことがあったが、また新しい研究をUDADISIが紹介している。論文のタイトルは「Does a Protestant work ethic exist? Evidence from the well-being effect of unemployment」で、著者はAndré van HoornとRobbert Maselandというオランダはフローニンゲン大学の2人の研究者。 以下は論文の要旨。 Evidence on Weber's original thesis on a Protestant work ethic is ambiguous and relies on questionable measures of work attitudes. We test the relation between
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く