ハフポスト日本版ニュースエディター 特集「#だからひとりが好き」ディレクター News Editor, HuffPost Japan
・「負けたけど勝ったんだ論」とは何か 8月15日。72年目の敗戦の日である。戦後の右派、保守派を「支える」あの戦争に対する戦争観の主流に「負けたけど勝ったんだ論」というのがある。これは私が勝手に名付けたものだが、要するにこの「論」とは次のようなものだ。 「太平洋戦争(右派は大東亜戦争と呼ぶ)は、軍事的にはアメリカに敗北した。が、アジア解放という戦争大義は正しいものであり、実際に戦後、欧米の植民地であったアジア各国の独立の切っ掛けを作ったのは日本だったのである。よって日本は戦争には敗れたが、結果的には戦争目的を達成したのだから、これは戦争に勝利したと同じなのである」 というものである。繰り返すように私はこれを「負けたけど勝ったんだ論」と呼ぶ。この理屈は、90年代後半に大ベストセラーになった小林よしのり氏の『戦争論』にも通底して色濃く反映され、その後のネット右翼の世界観にも大きな影響を与えてい
富永恭次陸軍中将フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。 菅原道大陸軍中将陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。 敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。 倉澤清忠陸軍少佐菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日 「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。 戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。 玉井浅一海軍大佐フィリピンで特攻隊
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