今回は、宮本さんの関わり方が、 とても難しいプロジェクトだったように思います。 『マリオ64』のときのように、自分でディレクターをするわけでもなく、 東京制作部のスタッフとは気心が知れてるとは言っても、 京都からおよそ400キロ離れた場所にありましたしね。 でも、わりと快適に仕事ができました。 ディレクターとして現場に足をつっこんでいたら、 つくるのはムリだったと思うんですけど、プロデューサーですから。 開発ツールの環境がすごくよくなって、 僕の机にあるマシンは、東京といつもつながってる状態だったんです。