タグ

ゲームとWikipediaに関するwata300のブックマーク (3)

  • 機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン - Wikipedia

    2001年3月26日(AC) 2001年9月14日(AC DX) 2001年12月6日(PS2) 2002年4月11日(DC) 『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン』(きどうせんしガンダム れんぽうバーサスジオン)は、2001年3月26日に発売され[1]、翌27日より稼働が開始されたアーケードゲーム。開発・カプコン、販売バンプレスト。略称は「連ジ」。以後、『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』としてシリーズ化された。 項では、シリーズ第2作として登場した、アッパーバージョン『機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオンDX』(きどうせんしガンダム れんぽうバーサスジオン デラックス)についても解説する。 概要[編集] アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するモビルスーツが、地球連邦とジオン公国にわかれて戦う3Dアクションゲームである。広義では対戦型アクションゲームに分類される。2対2の戦闘を基として最

    wata300
    wata300 2023/11/11
    開発から発売までの経緯おもしろすぎるw /《「富野さんも来られてるから大丈夫」》→《「富野由悠季個人にガンダムの権利を他に渡す権利はない」》/ 製作途中でバンダイに聞けよw
  • Wikipediaに「アタリショックという言葉を初めて使ったのはトイザらスの副社長」と書くことはできない: Runner's High!

    2022年12月現在、日語版Wikipediaにおける「アタリショック」の項には、次のような記述が存在します。 「アタリショック」という言葉そのものは米国最大の玩具小売業者トイザらスの副社長だったハワード・ムーア(Howard Moore、発言時は同社役員)の発言として1990年の『日経エレクトロニクス』に初めて登場した。 〇アタリショック - Wikipedia (更新日:2022年10月8日 (土) 06:44) 文中でも触れられているように、この記述の原典は日経エレクトロニクス。具体的には、1990年9月3日(第508)号に掲載された「任天堂アメリカ、ソフト管理と消費者情報の収集で40億ドルの市場を築く」が該当します。 最初に結論を述べると、この記述はWikipediaのガイドラインに反していることに加えて、事実に反する不適切な内容であり、直ちに修正されるべきであると考えます。理由

    Wikipediaに「アタリショックという言葉を初めて使ったのはトイザらスの副社長」と書くことはできない: Runner's High!
  • 岩崎啓眞 Ysについて

    PCエンジン YsⅠ・Ⅱを製作された岩崎啓眞氏の記事、 『僕がYsを作った頃』 を勝手に抜粋してしまいした Ys好きには興味深い真実がいっぱい!(>ω<) (上のブログタイトルクリックで氏のオリジナルブログにGo) 01 21年前の事を書いておこうと思ったワケ 02 1989年2月 - イースの許諾を取りに行く 03 1989年3月 - 移植準備始まる 04 1989年3月 - 足りないスタッフ、合わないアレンジ 05 1989年3月 - 山根ともおとの出会い 06 Wikipediaのイースの項目について(1) 07 Wikipediaのイースの項目について(2) 08 Wikipediaのイースの項目について(3) 09 オリジナルスタッフのイースの設定(ゲーム以前) 10 オリジナルスタッフのイースの設定(アドルがつくまで) 11 1989年4月 - スーパーイースというタイトル 1

  • 1