現れた二人の天才。――そして悲劇は訪れる 松下も、三洋も、なりふりかわまずソフトメーカーに誘致をかけた。その多数はろくな結果を生んでいない。オープンプラットフォームを標榜し、規制も弱かったため、18禁の実写取り込み脱衣ゲームも出た。カプコンがストリートファイターⅡXの独占販売(このゲームは長らく3DO以外に移植されなかった)をしてくれたことがほぼ唯一の優位性であった。 しかしその姿勢は二人の天才を呼び込むことに成功した。一人は飯野賢治である。 飯野賢治。彼はそのときはまだ無名の1クリエイターでしかなかった。その彼が独立し会社を設立したあと、選んだプラットフォームが3DOだった。それには理由がある。 当時圧倒的シェアを誇っていたのはスーパーファミコンだ。しかしスーパーファミコンで売れる人気ソフト、といえば続編ものであったりキャラクタものであったり、もしくはアーケードの移植作だ。飯野賢治の手元