ブックマーク / note.com/hosodatetsuya (2)

  • ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。3|放送作家 細田哲也

    【大学生(21歳) 2001年 】 クリスマスが過ぎて大晦日になりました。僕は「こんな不安な気持ちでは年は越せない」と思い、作家のAさんに電話しようと決めました。こちらから電話をかけるのは初めて。相手は業界の人、何時に電話をかけるのが失礼にならないか、そもそも電話をかけて第1声、何て言おう。 「Bさん、まだ怒ってますかね?」 別にそんなことが聞きたいのではありません。 当時、僕は千葉市川市にある京成線の国府台という駅の近くに住んでいました。大通りを渡ればすぐに江戸川で、橋を渡ると向こうは東京都、江戸川区。Aさんに電話をかけたいけれど、何て言ったらいいのか。 晴れ空の下、ずっとそれを考えながら江戸川に掛かる大きな橋をケータイを握りしめてトボトボと歩いて渡り、東京都側へ。橋を渡りきると踵を返して、来た道を戻り千葉県側へ。そしてまた東京へ、千葉へ、東京へと何度も往復して、やっと歩き疲れて河川敷の

    ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。3|放送作家 細田哲也
    yasuke575
    yasuke575 2017/09/04
  • ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。1|放送作家 細田哲也

    2017年8月5日は、僕が人生で2番目にたくさん泣いた日です。 同棲していたカノジョが言った「お金、足りてるの?」という一言がきっかけでした。それは僕自身がここ1年ずっと気に掛かっていたことで、怖くて目を背けていた深刻な問題でした。カノジョにしたら、週に2日しか仕事に出ていかない僕を見て心配にならない方が不自然です。 しかし、僕の仕事フリーランスの放送作家という特殊な収入形態であること。つまらないプライドが捨てられずにいる僕の性格を理解して、ずっと言わずに我慢してくれていたのです。 16年前、深夜のラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』へのハガキ投稿をきっかけにディレクターに拾われ、僕は22歳で放送作家になりました。26歳で年収1400万円を越え、若くして身の丈に合わないお金を手にして、天狗になり調子に乗り、貯金もせずに夜の街で遊び呆ける毎日。 仕事をいただける感謝の気持ち

    ハガキ職人から放送作家、そして廃業へ。1|放送作家 細田哲也
    yasuke575
    yasuke575 2017/09/03
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