信仰心と聞くと、多くの人が、ちょっと引いてしまうと思いますが、結構大事だと思っています。 別に仏教やキリスト教などの特定の宗教を信じろと言っている訳ではありません。 僕自身、宗教心は全くありませんので、天国も地獄も信じていませんし、豚も牛も普通に食べます。あーでも家は真言宗みたいですけどね。 ここでいう信仰心とは、自分の信念を持つということです。ちょっとカッコつけすぎでしょうか?(笑) 物事にプラスの意味を持たせる 信念というと、中二病全開に感じる方もいらっしゃいますが、要は自分の考えが大事だよって話です。 多くの人が、自分の考えより、物事を重視しています。 仕事を失った。 入試に落ちた。 彼女に降られた。 これらのことって一般的にはネガティブな物事ですが、そこからどういう意味を持たせるかは人それぞれ違います。 入試に落ちたから、「もうだめだ。」と思うのか「もう一回頑張ろう」と思うのか。
昨日とある新入社員がこんなことを言っていました。 「将来どうなるか分からないっすから、資産運用しないといけないっすねー。」 生意気な奴だと思っていましたが、意外にしっかりしている新入社員でした(笑) 僕も頑張らないとなー。 気づいている人はこっそりやっている。 新入社員の彼もそうですが、最近の若い人は、頭がいい人が多いので、漠然と将来の不安を感じて何かしら動いている人が結構いるんだなと感じています。 見るからに、投資とか関係のなさそうなパーティーピープル風の後輩も、聞いてみると、ドル建てで積み立て貯金をしていました。 全然中身はパーティーピープルじゃありませんでした。 でもこういう人の方がいいですよね。何もしてないように見えて実はしている人の方が。逆だとやべー奴ですけどね(笑) 聞いた話ですけど、香港のHSBC銀行には、日本のモデルような女性が、何百万もお金を預けにくることもあるそうです。
勝てる選挙演説のような“伝え方” 「大事なことは最初に伝えたほうがいいんです。最後まで“結局どうなったの?”と結論がわからないのはよくありません。」 たとえば桜の花を眺めているとしよう。 (普通)私は桜の木を見ています。 ↓ (倒置)(私は)見ているんですよ、桜の木を。 「私はどうした」から入ることで行動がくっきりして、あとの対象をイメージしやすくなる。実はこの形、英語の文法そのままだ。 私は 見た。彼を。昨日。 I saw him yesterday. 日本語では、話をさんざん聞いたあげくに「私は昨日彼を ……見なかった」と最後まで結論がわからない。話が長くなるほどに、「結局どうなんだ」とじれったくさえなるし、ひっくり返った結論にガッカリする。だから、英語のように「結論」から伝えてあげることで明快な話ができるわけだ。 「たとえば、紅白歌合戦でご一緒したこともある笑福亭鶴瓶師匠のトーク術は
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