ブックマーク / parupuntenobu.hatenablog.jp (6)

  • 続々 アメフト観戦者から見る日大アメフト騒動 ある記者の質問 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    引き続き、日大アメフトの話題です。 当は他の記事もアップしたい気持ちは多々あります。ただでさえ書くべき記事が溜まりに溜まっている状態ですが、これだけは書かないといけない、そんな気持ちに初めてさせるのがこの事件。そう、正直これは「事件」なのです。 昨日の日大の会見、正直、突然の設定だったとは言え、見た方も多いかと思います。 私は動画サイトで見たのですが、その視聴者数が最高で10万人越え。他サイトの動画でも数万人単位だったので、正直、ざっくり計算でもネットだけで20万人が見ていたこととなります。しかし、後で書きますがこの20万人を「どうでもいい」と鼻で笑った予想外の伏兵が、この会場に潜んでいました。 あの会見がどうだったのか、それはもはや私が書くまでもないでしょう。まだ逃げに走る首脳陣を見て怒りを感じた人も、正直多いと思います。 その上、ブチギレ司会米倉久邦という新キャラまで現れ、鎮火のつも

    続々 アメフト観戦者から見る日大アメフト騒動 ある記者の質問 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    yuuhinooka
    yuuhinooka 2018/05/24
    今回も、読み応えのある記事、ありがとうございます!
  • アメフト観戦者から見る日大アメフト騒動 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    日大のアメフトの「殺人タックル」が世間を騒がせていることは、テレビ・ラジオ、そしてネットでも話題になっていることから、知っていることでしょう。 実は私、大学に入ったらアメフトをやりたかったと希望していたほどでした。ランニングバック(RB)希望とポジションまで決めていたほどでした。 まあ、アメフト部以前に大学に入れなかったというオチなのですが、島流しならぬ「大陸流し」で中国に留学した際、同期(っても年上)に偶然、大学アメフトの元選手がおり意気投合。アメフト?何それおいしいの?と知名度ゼロだった当時の中国に、せめて防具が要らないコンタクトプレー禁止のタッチアメフトを啓蒙させようと地元の体育大学に殴り込んだこともありました。 大学でアメフトをやるという夢は潰えたものの、その後NFLを見たりして目を肥やし、観戦歴は20年以上。アメフトのルールはそこらへんの一般人よりは知ってるぞとは思っています。

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  • 日本軍=丸坊主!?【昭和史万談】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    「日軍=坊主頭」というイメージ 私が高校に合格し、さて入学式と校門をくぐった時、そこには今まで見たことがなかった、少し異様に思えた光景がありました。全員ではないものの、男子のだいたい半分からそれ以上が、坊主頭だったのです。 中には丸刈りな男子もいたのですが、私の中学時代、つまり一般中学生の常識の範疇では「丸刈り・坊主頭=野球部」。特に野球部が強いというわけでもない、ごく普通の公立高校でしたが、こんなに野球部入部希望の男子がいるのかと。 しかし、その認識は大きく間違っていました。 良くも悪くも地元ローカルの高校だったのですが、入学する生徒も地元の中学出身が大多数。その大多数の中学が、実は校則で丸坊主だったのです。 私の中学はそうではなかったのですが、仲が良くなった友達に中学の卒業アルバムを見せてもらうと、揃いに揃って男子は全員丸坊主。 今の中高生には考えられないと思います。いや、今でもある

    日本軍=丸坊主!?【昭和史万談】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    yuuhinooka
    yuuhinooka 2018/05/18
    何回かに分けて、ゆっくり読ませていただきます。読み応え、十分ですね(^^♪
  • 恐竜が斃(たお)れた時ー小売業界の盛者必衰 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    今から約6,600万年前、地上の王者であった恐竜が滅亡しました。 恐竜は一億年にわたって地上の生物の頂点として君臨していたそうですが、その滅亡はまことにあっけないものでした。 で、恐竜が我が世の春を謳歌していた頃、吾等が祖先の哺乳類は何をしていたか。ネズミほどの大きさで、巨大な恐竜に怯えながら暮らしていた小さな、とてもか弱い存在でした。あまりに怯えていたのか、昼は外で動けず夜行性だったそうです。 そんな矢先、こんなまとめサイトが目に入ってきました。 matome.naver.jp かつては小売業の恐竜として怖いものなしだったダイエーが、イオンの連結子会社に吸収されて久しいですが、あのダイエーの屋号も今年で消滅するとのこと。 そうか…ダイエーがついになくなるか…。母校が廃校になるような、一筋の寂しさがこみ上げてきました。 小売業界の「恐竜」 私の幼少期は、ダイエーが最後の輝きを放っていた時期

    恐竜が斃(たお)れた時ー小売業界の盛者必衰 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    yuuhinooka
    yuuhinooka 2018/05/14
    ダイエーからジャスコに至る業界のストーリー、面白く感慨深く読ませていただきました。
  • 君は、日本初の冷房車を知っているか - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    非冷房車があった頃 冷房車…そんなの当たり前の時代になりましたが、昔は「そうじゃない時代」もありました。 昭和50年代、母親に手を引かれてよく祖母の家へ行っていました。 当時の住まいは南海線沿線だったのですが、祖母の家が阪和線沿線だったので、東羽衣から阪和線の支線(羽衣線)へ。鳳で乗り換え堺市で下車。そこからタクシーに乗っていました。 いつからか下車駅が浅香駅になり、タクシーが徒歩となったのですが、あの時は家の経済状態が悪くなったんだなと大人になって悟ることもあります。 当時の冷房率は南海の方が断然上でした。当然、南海も非冷房車はあったのですが、それ以上にヤバかったのが阪和線。快速(主に113系)の冷房車率は高かったものの、各駅停車の103系はほとんど非冷房。真夏でも天井に扇風機が、カラカラと音を立てて回っているだけ。たま~~~に冷房車に当たると、ガッツポーズをして喜んだものです。 それ

    君は、日本初の冷房車を知っているか - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    yuuhinooka
    yuuhinooka 2018/05/08
    大論文、ひたすら敬服いたします!
  • BEのぶの語学論 第二章ー英語はEngrishを目指せ - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    以前、語学屋さんとしての矜持、というか語学を勉強する基を書かせていただきました。 parupuntenobu.hatenablog.jp おそらく、外国語に対する誤解が日人の中にあるのだろうなと感じて書いたのですが、特に「レアリア」は新鮮だったようです。外大で外国語学を勉強すればまず叩き込まれる基中の基なのですが、やはりここがわかっていなかった、と我が意を得たりでした。 その記事を、女装家(←私が勝手につけました)の美奈子さんのブログで言及していただきました。 www.utsu-joso.com 言及されてまた言及返しなんて初めてですけど、言及のキャッチボールはブログの書き手にしか出来ない「ブログコミュニケーション」の一つでしょうね。 美奈子さんは、 「英語は国際共通語にあらず、ブロークン・イングリッシュが国際共通語である」 と書いています。 結論から書くと、それは正解です。 国連

    BEのぶの語学論 第二章ー英語はEngrishを目指せ - 昭和考古学とブログエッセイの旅
    yuuhinooka
    yuuhinooka 2017/11/23
    読み応えのある素晴らしい記事。勇気を出して英語を使ってみようと思いました。
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