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茂木健一郎と偶有性に関するAfroRayのブックマーク (2)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート 「書く」

    書く(1)『脳をやる気にさせるたった1つの習慣』(ビジネス社)は、「書く」ことの効用を巡るである。先日取材を受けて、書くことの意味について話していて、いろいろなことを思い出した。 書く(2)書くというと、すでに脳の中にある情報が出てくるだけだと思いがちだが、そうではない。「書く」という文脈を設定することで、その場で情報が生成される。出てきたものが、自分にとっても驚きということはしばしばある。 書く(3)何を書いてわからないから書かない、というのが一番もったいない。書いてみれば、自分が何を書きたかったかがわかるはず。とにかく、手を動かすことが大切なのである。 書く(4)私が生涯の研究テーマである「クオリア」に出会ったのも、「書く」ことと関係していた。理化学研究所からの帰り、ノートにものすごい勢いでアイデアを書いているうちに、突然、電車の「がたんごとん」という音が質感として聞こえた。その日は

    AfroRay
    AfroRay 2010/10/08
     書くことがないから書かないのではなく、書いているうちに新たなものが生成される
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「偶有性」忌避という「風土病」

    生きる中で、将来がどうなるかわからないということ。自分たちが置かれている状況に、何らの必然性もないこと。このような「偶有性」という名の時代精神を象徴するモンスターから、日人は目を逸らそうとしている。だからこそ、不安になるのである。 「偶有性」は、近代以降の日人にとって慣れ親しんだメタファーを使えば、まさに「外国」から来た「黒船」である。インターネットの登場によって、世界は「偶有性」のダイナミックスの中に投げ込まれようとしている。長い間固定されてきた秩序、システムが崩壊し、新しい、よりフレキシブルなものに取って代わられる。このような変化は、好むと好まざるとにかかわらず、一つの歴史的必然である。 世界中の人が、「グローバリズム」という「偶有性の海」に飛び込み、大競争し、胆力を鍛える。そんな時代に、日人は「偶有性」というモンスターに背を向け、惰眠をむさぼっている。当は、不可避な変化がすぐ

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