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日本と歴史に関するH1ROのブックマーク (6)

  • 驚きの連続「性差の日本史」展 歴博、売買春にも切り込む | 47NEWS

    驚きの連続だった。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の企画展示「性差(ジェンダー)の日史」(~12月6日)。もうすぐ閉幕する展覧会だが、ぎりぎりに行けてよかった。男性による正史の中から女性の姿を拾い上げ、果たしてきた役割と女性への抑圧に光を当てた。その象徴ともいえる売買春にも迫っている。(田村文=共同通信記者) 歴博の来館者といえば、ふだんは中高年の男性が目立つが、今回は若い女性やカップルが多い。新型コロナウイルス対策で事前予約制にしたが、連日満員となっている。 図録は既に4刷、計7千部を発行しており、5刷も視野に入っている。歴博史上、こんなことは初めてだという。 ▽洛中洛外図の女性は2割 プロジェクト代表の横山百合子教授に話を聞いた。 歴博の企画展示は、共同研究の成果を発表する形で開く。「ジェンダー」はテーマとして初めてで、22人もの研究者が集まった。 「今まで一度もジェンダーの研究をし

    驚きの連続「性差の日本史」展 歴博、売買春にも切り込む | 47NEWS
    H1RO
    H1RO 2020/12/05
    “考古学による埋葬例の分析からは、弥生時代末期の女性首長は全体の3割から5割いたと推定されている”
  • 日本歴史学協会 - 公文書の不適切な管理に対して厳重に抗議する(声明)

    近年、国による公文書管理について、次々と重大な問題が生じている。 発端は、南スーダンのPKOに派遣されていた自衛隊の日報について情報公開請求があった際に、一度は廃棄したとされたものの後に存在が判明した件である。その後、安倍総理夫人が関わったとされる森友学園への国有地売却問題では、財務省が決裁文書を廃棄しただけでなく、改ざんを行っていた事実が国土交通省に存在した文書との相違から発覚した。なお、この改ざんに関わったとされる近畿財務局の職員が自殺していたことも報道されている。また、加計学園の獣医学科新設に際して、安倍総理の知人である同学園理事長の加計氏に対する便宜供与があったとの疑惑の件では、柳瀬元安倍総理秘書官が愛媛県職員と面会し、その際に「首相案件」と発言していたことが県側の公文書に記されていたにもかかわらず、柳瀬氏は面会を含め一連の発言は一切なかったと主張した。これらのことは、いみじくも国

    H1RO
    H1RO 2020/03/28
    “国立公文書館に移管・保存され、非公開期限を越えて公開される流れは、「公文書管理法」に規定されているとおりであり、将来の国民がこれらの公文書を閲覧できる権利を保障しなければならない”
  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • 大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    【読売新聞】 8月15日は終戦の日。先の大戦での軍部の独善・ 欺瞞 ( ぎまん ) の象徴として語り継がれるのが「大営発表」だ。当時、最高レベルのエリート集団だった大営はなぜ、繰り返しウソの戦果を並べるに至ったのか。真相を探ると

    大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    H1RO
    H1RO 2018/08/20
    “情報軽視と軍内部の対立という欠陥は放置されたまま、空気を読んで戦果を忖度そんたくし、でたらめを発表する仕組みができ上がった。”
  • 焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか(大前 治) @gendai_biz

    間もなく3月10日を迎える。73年前(1945年)のこの日、アメリカ軍が東京の下町を空爆し、約40平方キロメートルが消失した。死者は10万人以上、被災者100万人以上、焼失家屋は27万戸にのぼった。 なぜこれだけの被害が生じたのか。直前まで国民は空襲をどのように予期していたのか。 政府による指導方針の問題点は過去記事で触れたが、さらに東京大空襲の直前期に焦点を当て返ると、開き直ったフェイクニュースと国民統制の恐ろしさが見えてくる。 焼夷弾は「手掴み」で投げ出せ 東京大空襲の前年、1944年の6月以降には沖縄や九州が空爆の標的になり、同年11月には東京都心部も頻繁に空爆を受けるようになった。一度に数百名の死者が出ることもあり、各地に焼け跡が広がった。 ところが政府は、その被害実態を国民に知らせず、従来どおり「逃げずに消火活動をせよ」と指導し続けた。新聞紙面には次のような見出しが並んでいる。

    焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか(大前 治) @gendai_biz
    H1RO
    H1RO 2018/05/24
    “防空法により避難と退去は禁止され、消火活動の義務も課された”"空襲の実害よりも「戦争継続意志の破綻」が最も恐ろしい"
  • 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz

    頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや

    10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz
    H1RO
    H1RO 2018/03/11
    "自民党が2012年4月に発表した憲法改正案は、国民は誇りと気概をもって自ら国を守るものだと明記""こうした体質の政府が... 国民に向けて正しい情報と判断材料を提供するだろうか"
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