シン・エヴァの(特に後半以降に関する)最大公約数的な解釈として「この映画は虚構!」「もう何も残っているものはない」「お前らも現実に帰って結婚したら?」という見立ては、おそらくおおむねその通りの解釈が可能だと思います。それは至極まっとうな話ではあるんですが、しかしそれを物語や登場人物に託すことなく、また映像演出的にも暗喩をもちいることなく、かなり直接的な表現(具体的には特撮の撮影スタジオで動くエヴァンゲリオンや登場人物たち・あるいは宇部興産)として出してしまう(ゴルゴダオブジェクトなる代物を出す、あるいはマイナス宇宙なんて大層な世界まで行ったのに!)、そういうことをやってしまう制作者たちがこれから手掛けるであろう「映画」や「物語」がつく嘘は信用することが出来るのだろうか。 映画/物語の作り手・物語世界に対して最も重い責任を負う立場の人間が、映画/物語のもつ現実やその確からしさを一切合切放棄す