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ブックマーク / diary.uedakeita.net (7)

  • 美容師が悟りをひらくとどうなるか? - 真顔日記

    十年前、まだ美容院に行っていた頃のこと。 その美容院は大きなところで、数十人の美容師が在籍していた。だからなのか、ランク制をとっていた。いちばん下っ端は普通のスタイリスト、すこし偉くなるとトップスタイリスト、その上にはサロンディレクターがいて……という感じだった。それぞれに料金が違うわけだ。私を担当している人のランクは「トップスタイリスト」で、名前は藤村さん(仮)といった。店に行くたび、次のように挨拶されていた。 「よろしくお願いします、トップスタイリストの藤村です」 これでいつも笑いそうになっていた。「すげえ自画自賛してくるじゃん」と思ったからである。自分のことをトップ扱い。まあ、自分のランクだから名乗らなきゃ仕方ないということなんですが。 藤村さんは謙虚な人だったので、その後は普通に髪を切られるだけだったが、いっそのこと自信満々でいてほしいと私は思っていた。ひたすら自画自賛する美容師を

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    Re-KAm 2016/10/05
  • 物語に向かない遺伝子 - 真顔日記

    自分に父親の血が流れていることを実感している。二十五歳あたりから意識しはじめた。それ以前は気楽なものだった。遺伝子をナメていたと言ってもいい。自分はたいして親の影響は受けずに勝手に成長したと思っていた。しかし今、ふっと鏡を見ると、父親に似た顔の男が映っている。 数年前、両親が京都に出てきて、いっしょに事をした。レストランに行く途中、小道から車が飛び出してきて、父親が反射的にパッとよけた。そのときの車をかわす動きがどこかで見たことのあるもので、なにかと思えば自分の動きにそっくりだった。そのことに愕然とした。 私は忍者の家系ではないから、幼少期に父親から車をかわす手ほどきを受けたわけではない。こんなものは親から習うわけじゃなく、反射的にかわすだけだろう。なのにその動きが似ている。これが遺伝子の力じゃなくて何なのか。 私には、驚くと亀のように首がニュッと伸びる習性がある。これ自体は長いこと自覚

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    Re-KAm 2016/07/13
  • マンガのセリフだけが有名になるのは問題だと思う - 真顔日記

    これだけ情報の流通する社会になると、見たことがないのに知っているものはどんどん増えていく。それはマンガやアニメも同じで、作品そのものにはふれていないのに名場面や名ゼリフだけ認知しているものが非常に多い。これは問題なんじゃないだろうか。 というのも、以前、あだち充の『タッチ』を読んだんだが、すでに色々な情報が頭にあったものだから、私は「名場面待ち」の意識になっていたのである。具体的には和也が死んだときの以下のセリフ。 「きれいな顔してるだろ、死んでるんだぜそれで」 このセリフが来るのを待ち構えながら読んでいた。第一話の時点でこのセリフがいつ出るのかばかり気にしていた。みもふたもない言い方をしてしまえば、「はやく和也が死ぬところを見たい!」と思っていた。ひどい欲望である。 そして読んだことのある方はご存知だろうが、和也はすぐに死ぬわけではない。序盤はピンピンしている。元気に野球をしている。私は

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    Re-KAm 2016/05/17
  • あまりにも惜しいスーパーの店員 - 真顔日記

    2015-07-05 あまりにも惜しいスーパーの店員 上田の日常 近所のスーパーに新しく若い男の店員が入ってきたんだが、この店員の接客ぶりがすばらしく爽やかである。外見もいかにもな好青年で、サラサラの髪を中央で分け、いつも笑顔だ。 私はそこらへんほとんど主婦みたいなものだから、どうせなら爽やかな男に接客されたいと思い、そちらの列に並ぶ。多少、人が多いように見えても気にしない。 しかし、ひとつだけ欠点がある。この男、最後の最後で、唐突に接客が雑になるのである。おそらく、あの爽やかさは天性のものではなく、かなりの意識的集中によって生み出されているのだろう。そして一人の客を接客し終えた瞬間、正確にはその数秒前に、集中が切れてしまうらしい。 レジ台にカゴを置いた時の反応は爽やかである。ひとつひとつの商品にバーコードリーダーを押しつける手つきも爽やか、「お会計1025円です!」も「5円のお釣りです!

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    Re-KAm 2015/08/25
  • 酔うとゴリラの話ばかりしてしまう - 真顔日記

    2014-06-06 酔うとゴリラの話ばかりしてしまう 筋肉・ゴリラ・原始人 どうも、酒を飲むと、すぐにゴリラの話をするらしいんですね。 これは、31歳女性が言っていることなんです。酔った上田は、異常にゴリラの話をする。悪酔いするほどゴリラの話が多くなる、とまで言われている。 正直にいって、これは納得がいかない。 たしかに私はゴリラに好意を持っていますが(特定のゴリラではなく、ゴリラという生き物全体にです)、だからといって、ゴリラについてそんなにアレコレと話ができるとも思えない。たとえばゴリラの学名がゴリラゴリラだとか、そういうちょっと笑ってしまうようなやつなら知っていますが、これも、ずいぶん手垢のついたトリビアだって感じがしますよね。 「いや、だから、同じことばっかずっと言ってるよ。壊れた機械みたいなもんだよ、かなり面倒くさいよ」 31歳によれば、「ゴリラはすごい、ゴリラはかっこいい、ゴ

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    Re-KAm 2015/07/05
  • 古語として出会いたかった言葉 - 真顔日記

    2015-06-13 古語として出会いたかった言葉 真顔で考える 罵倒に使われることばというのは、たいてい響きが面白いものである。 しかし、罵倒のことばというのは感情と強烈に結びついているものであるから、その響きの面白さを味わうことは、むずかしい。響きの面白さを味わうためには、言葉の意味には、いったん退場してもらわねばならない。 たとえば「バカ、アホ、死ね、クソ」などの言葉は、感情と強烈に結びついている。たいていの人は、耳に入った瞬間(あるいは文字として目に入った瞬間)に、感情が反応するだろう。 感情が反応すると意味が生まれる。意味が生まれれば響きは消える。「バカ」という言葉の響きだけを楽しむことは、現代の日人にはなかなか難しいことだろう。しかし、小説なんかで古い罵倒の言葉を見ると、あまり感情と結びついていないから、その言葉の響きが、すばらしい迫力であらわれる。トウヘンボク、とか好きであ

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    Re-KAm 2015/06/19
  • B'zの稲葉と同居しても自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記

    今の家に住みはじめるまで、私は一人のネコ好きを自認していた。なんせ実家でもネコを飼っていたし、犬とならば迷わずネコを選ぶほどのネコ好きである。 しかし、三十一歳女性と同居するようになり、この女の圧倒的なまでのネコ好きぶり、というかネコ狂いと言ってもいいような日常を目にした瞬間、気軽に自分はネコが好きだと言えなくなった。 「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。 このズレから「古参ファンとにわかファン」のような揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と同居人は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。 そして圧倒的な存在と同居したとき、人は自分の半端さを思い知らされる。私はこの数年、もう気軽にネコ好きを自称できなくなってお

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    Re-KAm 2015/06/19
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