<バーチャルボーイ失敗の原因> バーチャルボーイは、全世界で1億5千万台も売れたゲームボーイの生みの親、横井軍平氏が手がけたゲーム機である。同氏は、これを最後に任天堂を去ろうと思っていたという。 1995年5月発行の「寿現夢」創刊号にて、横井氏はバーチャルボーイについて100点中130点の出来と評しており、そうとう自信があったことがうかがえる。 しかし実際は不振に終わり、その後、横井氏はゲームボーイポケットを手がけて任天堂を去っている。では、なぜバーチャルボーイは不振に終わったのだろうか!? その原因は当時のテレビゲームを取り巻く状況にあったと見られている。 94年末にセガサターン、プレステが発売され日本は空前の次世代ゲーム機ブームとなった。バーチャルボーイが発売されたのはその翌年の95年であり、いわば日本中がゲーム熱にうかされていたような状態だったのだ。 そもそもバーチャルボーイはテレビ
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