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永井均に関するabortionのブックマーク (3)

  • 人を殺してはいけない理由が思いつかない(追記 27 15:00)

    頭の良い増田たち、ブクマカ達なら分かるのだろうか。 私には「人を殺してはいけない理由」というのが説明できない。 「自分がされたら嫌」「怖い」「遺族が悲しむ」という理由で私はするつもりもない。 とはいえ、この理由は人を殺してはいけない理由として説明することが出来ない。 「自分がされたら嫌だから」→「死にたいけど自分で自分を殺すのは怖いから他人を…」っていう人居るよね。 「怖いから」→「怖くなければ良いというわけでは無いよな」 「遺族が悲しむ」→遺族が悲しまないような、恨まれている奴だったら殺しても良いってことになるのか。 良くある『種の保存』と言われてもピンと来ないのだ。 動物は弱肉強で、「獲物」と判断した時点で狩り、生きるために殺す。 人を殺していけない理由があるとすれば、動物を殺して良い理由は何なのか? 最近色々考えすぎて訳が分からなくなってきた。 皆はどういう考えで「人殺しはダメだ」

    人を殺してはいけない理由が思いつかない(追記 27 15:00)
    abortion
    abortion 2018/03/27
    社会契約説が一番、腑に落ちるが、これも原初の契約が成立するか否かの問題がつきまとう。とりあえず永井均の「-倫理とは何か- 猫のアインジヒトの挑戦」あたりを読ませると良いと思います。
  • 『なぜ私は私なのか - Wikipedia』へのコメント

    ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有

    abortion
    abortion 2018/02/02
    “〈私〉の問題のはずが、それなりの人数の人が同じようなことを考えていて、実は一般的な問題である”云々は、こちらを単独性として、独在性と区別していた記憶が。(最近読み返してないしうろ覚えw)
  • なぜ私は私なのか - Wikipedia

    「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「

    なぜ私は私なのか - Wikipedia
    abortion
    abortion 2018/02/02
    意識については受動意識仮説で納得はしてる。(ただし、自由意志は建前上あるとしてます)永井均の示した<私>は意識とは無関係であり、氏の著書は何冊か読んだが、最近のは私の頭じゃついてけないので放置気味っす。
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