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ブックマーク / note.com/papanda0806 (2)

  • 最初から1周目を捨てて、2周目にかける|市谷 聡啓 (papanda)

    アジャイル開発が必要」と声をかけられて行ってみたら、モノを作る以前の状態で、何を作っていくのか方向性がない、「必要なのはサービスデザインだった」ということが少なくない。 言葉の解像度があってない、で片付けるのには大きすぎるズレ。アジャイル開発を早期に何らかアウトプットしていくもの、くらいのイメージだけで捉えていると起きうる。どうやって、最初のアウトプットが生み出されるのか、がブラックボックス。タイムボックスという箱に蓋をして、外から眺めているだけでは、この解像度は高まらないままだ。 やむを得ないことだ。プロダクト作りのリテラシは関係者によって様々だ。アジャイルだの、サービスデザインだのが意味するところを理解するには時間も、下地も、関心も不足しがちだ。 では、目の前の立て込んでいるプロダクト作りはどうしたら良いのだろうか。何を作るのかの方向性について何ら確からしさがないところで、最初のイテ

    最初から1周目を捨てて、2周目にかける|市谷 聡啓 (papanda)
    akahigeg
    akahigeg 2021/07/23
    “人が物事を受け止めるには相応の時間が必要になる”
  • コミュニティは2回集まると死ぬ。|papanda|note

    昔から、さまざまなコミュニティをつくってきた。ただ、どれも長続きはしなかった。結局、今も残っているのは一つだけ。最初は集まってきたみんなもこれから始まることに期待でいっぱい。すごい盛り上がりを見せる。ところが、たいていの場合わずか2回目の集まりを経たところで、もう衰退期に入っていく。3回目には集まる人数が激減する。ここまで2-3ヶ月程度のことだ。コミュニティは2回集まると死ぬ。 長らく、その理由が分からないでいた。どういう工夫をとっても、たいてい死んでしまう。どういう集まりだったとしても。顔ぶれが違っていても。同じ道を辿る。まるで私だけタイムリープを繰り返しているかのように。2回目で死を迎えることになれてしまっているし、特に驚きもしない。ただ無力さだけはいつも感じていた。 ある時、一つの仮説に思い当たった。ヒントはリモートワークだった。仕事として、リモートワークを基とする日常を送り、組織

    コミュニティは2回集まると死ぬ。|papanda|note
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