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タモリに関するaqulosのブックマーク (4)

  • タモリに聞いた 「赤塚弔辞」白紙のワケ

    テレビウォッチ>「いいとも」の技術スタッフのお通夜が先日あった。そこでタモリに久しぶりに会った。 タモリは、「シェー」などのギャグで知られる漫画家の赤塚不二夫さんの葬儀で弔辞を読み、その内容が良かったとか、実は手にした紙は白紙で「勧進帳」だったのでは、と話題になっていた。そこで聞いてみた。 すると、やはり白紙を手にした勧進帳だったのだそうだ。タモリによると、紙に書いていこうと思っていたが、前の日に酒を飲んで帰ったら面倒くさくなった。「赤塚さんならギャグでいこう」と白紙の紙を読む勧進帳でやることにしたそうだ。 弔辞は約8分にも及んだ。「赤塚先生」と呼び、そのマンガ作品との出会いから上京後に始まったつきあいを振り返った。そして「私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません」「しかしいまお礼を言わさしていただきます」「私もあなたの数多くの作品のひとつです」などと話し

    タモリに聞いた 「赤塚弔辞」白紙のワケ
  • タモの恩返し - 考えごと

    赤塚不二夫が死んだ。 告別式でタモリが感動的な弔辞を読んだから、 ってわけではないんだけど、 実は、俺のなかで「赤塚不二夫」って言うと 『おそ松くん』や『ひみつのアッコちゃん』の作者としてではなく、 “タモリを発掘した人”って印象が強い。 星新一からはじまり、中高生時代にSF小説を読み漁ってた俺は、 当時、筒井康隆が大好きで、雑誌などの筒井のエッセイに書いてある ジャズピアニスト・山下洋輔やサックス奏者・坂田明なんかとの バカバカしい交友録なんかを憧れの思いで読んでた。 その流れのなかで、 『山下洋輔がタモリを発見し、 赤塚不二夫が東京に呼び寄せ面倒みていた』、 という話も知っていた。 おもしろいヤツがいる、ってだけで東京に呼び寄せるヤツ。 来いよ、と言われて、ほいほい上京しちゃうヤツ。 無責任で無計画と言えば確かにそうだけど、 60年代後半から70年代の彼らの破天荒な生活ぶりを、 書物越

  • YouTube - タモリ弔辞 ( ノーカット版 )

    弔辞 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに当に残念です。 われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから

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  • やっと「これでいいのだ」と言える - 訃報 - 赤塚不二夫&弔辞byタモリ : 404 Blog Not Found

    2008年08月07日23:00 カテゴリTribute やっと「これでいいのだ」と言える - 訃報 - 赤塚不二夫&弔辞byタモリ いつかその日が来るとわかっていたものとしては、この人の死もあった。 「これでいいのだ」と他人が言うには、いささか「面白からぬ」死だった。特に先、後双方に先立たれるというのは痛い。私自身、死神に「全財産差し出さなければこういう死が待っている」と言われたらほいほい差し出してしまいそうだ。 それでも、その日が来ることそのものが救いの一つでもある。そしてその日に捧げる言葉として、「これでいいのだ」は外しようがない。しかし誰がそれを言うと言うのか.... という気持ちを、まさにこの人が、という人が言ってくれた。 「赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文」話題!‐話のタネニュース:イザ! タモリさんの弔辞は以下の通り。 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年

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