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historyとアメリカに関するaqulosのブックマーク (5)

  • なんでも評点:心電図を取り付けてから銃殺される実験に志願した男

    1938年10月30日、米国ユタ州ソルトレークシティ近郊で、キジ肉料理している男がいた。一度もべたことのなかったキジ肉を最後の晩餐の材として選んだのだ。明日、彼はある実験の被験者となる。心電図を取るだけの実験なのだが、状況が状況だけに前例のない実験となる。 実験を企画したのは、ディアリングが収監されていたシュガーハウス刑務所の監獄医ステファン・H・ベスリー医師。処刑される死刑囚の心電図を取れば、被弾した心臓が停止するまでのプロセスがわかる。しかし、ベスリー医師の目的は、むしろ、迫り来る不可避の死が被験者の心臓にどのような影響を及ぼすかに関する貴重な情報を得ることにあった。 10月31日午前6:30、ディアリングは職員に伴われ監獄内の一室に入った。死刑執行室である。中には75名もの立会人が集まっている。執行室の外にも野次馬が集まっているため、窓ガラスを毛布で覆う必要があった。最後の一

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    aqulos 2012/06/09
    平静を装っていても、心電図には心拍数の急上昇が現れていた。心停止してから絶命するまでの長い長い1分間。久しぶりに更新された Miccckey氏 (@nandemohyoten) の記事。読み応えがあります。
  • 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~NHK_1

    原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ ◆「毒をもって毒を制する」 第5福竜丸事件で反核・反米の世論が高揚する中、日米が協力し民間から行った世論形成の全貌を明らかにする。(現代史スクープドキュメント 1994年放送)

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    aqulos 2011/04/14
    なぜ日本政府は原子力発電所の導入に踏み切ったのかを検証するNHK製作のドキュメンタリー。
  • 命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち

    1945年から1962年にかけて米軍が実施した原水爆実験を、極秘裏に映像や写真で記録していたカメラマンたちの部隊がいたそうです。 冷戦中に原水爆の開発に携わった科学者たちの多くが名声を得たのに対し、命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていったとのこと。半世紀を経て情報が公開されつつある中、その極秘撮影チームの数少ない生存者の一人George Yoshitake氏が当時を語っています。 詳細は以下から。Capturing the Atom Bomb on Film - Audio & Photos - NYTimes.com Secret Corps of Filmmakers Documented Nuclear Bomb Tests - NYTimes.com 原水爆実験を撮影したカメラマンたちのほか監督やプロデューサーなど

    命がけとは知らずに米軍の原水爆実験を記録し、歴史の闇に葬り去られたカメラマンたち
    aqulos
    aqulos 2010/09/29
    『爆発が始まった直後の原爆』の写真が、不気味です。
  • 問い:何故学ぶのか? → 答え:自由になるため

    南北戦争以前のアメリカ合衆国南部では、奴隷に「読み書き」を教えた白人は厳しく罰せられた。 フレデリック・ベイリーは奴隷だった。 1828年、ベイリーは、農園からメリーランド州ボルティモアの街に連れて来られた。 彼の新しい「主人」は、ヒュー・オールドという男だった。 仕事は、野良仕事から内働きに変わった。 周囲の環境も、単調な農園からにぎやかな街へと変わった。 街には、店の名前を記した看板やポスターがあった。 それから、文字を読める人間がいた。 ベイリーはある日、彼の運命を変えるような発見をした。 壁や紙の上に書かれている「模様」と、それ見ている人間の唇の動きに関係があることに気付いたのだ。 そこから、彼がその国の歴史を変えるまでには、まだまだたくさんの時間が必要だった。 しかし、それからは坂を転がり降りるようだった。 苦難や危険がなかった訳ではない。 だがもう、ベイリーは元に戻ることはなか

    問い:何故学ぶのか? → 答え:自由になるため
    aqulos
    aqulos 2010/07/20
    人として生まれても教育を奪われれば、人に隷属する生き方を強いられても気づけない、と。
  • 米国がビザンティン帝国に学ぶこと - himaginary’s diary

    Foreign Policy誌にエドワード・ルトワックが、米国はローマ帝国ではなくビザンティン帝国を範とすべし、と書いている(The Big Picture経由)*1。 ルトワックに言わせれば、ローマ帝国の容赦無い拡張主義や外国人支配や全面戦争の手法を米国が真似たら、却って没落を早める、むしろローマ帝国よりも8世紀長続きしたビザンティン帝国の方を手にすべし、とのことである。また、ローマ帝国はあまり戦術・戦略に関して文献を残さなかったが、ビザンティン帝国はすべて書き残しているという。ルトワックは過去20年間にそれらの文献を渉猟して、以下の7つの米国への教訓を引き出したとの由。 戦争は可能な限り避けよ。ただし、いついかなる時にも戦争が始められるかのように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦闘準備態勢にあるべきだが、戦争を望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争を余儀なくされる確率を減

    米国がビザンティン帝国に学ぶこと - himaginary’s diary
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