1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 21:28:59.79ID:YDaunwhO0 作戦を練る薩摩藩士 これは分からない スフィンクスと侍 14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 21:37:25.05ID:0Vdq0qzKO >>1迫力がヤバイ顔つきも気合いはいりすぎ 18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 21:41:02.51ID:BuxSqYtBP >>1 3つ目はずり落ちてる人がいるはずだ 26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 21:45:12.17ID:G9ewznsr0 >>1の一枚目って西南戦争時の写真? 29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/26(日) 21:46:42.
幕末からざっくり150年。教科書に載っていた偉い人たちが好きだったお店は今でも営業されていたりします。お店の名物とともにご紹介します。 まずは、山岡鉄舟。 幕臣の超重要人物。歴史的な西郷・勝会談の先鞭をつけた業績は計り知れません。 そんな彼が愛したのは、 銀座木村屋總本店のあんぱん。 あんぱん発祥のお店として有名。 当時売り出したばかりのあんぱんを気に入った山岡鉄舟は、明治天皇が花見をする際にこれを献上。明治天皇も気に入ったことから皇室御用達となり、木村屋のあんぱんは人気が爆発することとなります。 ちなみに明治天皇とあんぱんが出会った4月4日は、今でも「あんぱんの日」になっています。 銀座の木村屋總本店は4Fがレストランになっていますが、そこに掛けられている「木村屋」という書は山岡鉄舟直筆なんです。 木村屋のあんぱん、5個入り893円なり。 山岡鉄舟のお気に入りで、もうひとつ。 海苔といえ
日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。
幕末に活躍した志士達の肖像を集めました。写真の量なら日本一(!?) だと思います。 ここには現在約450枚程あります。写真はまだまだ増やしていく予定なんでお楽しみに。 また、幕末写真館別館 もありますので、こちらの方も同様にお楽しみ下さい。
今でも根強い人気を誇る坂本龍馬。彼を演じた俳優をまとめてみたんですが、どうにも濃い人たちが演じています。 まずは坂本龍馬ご本人。 日本の未来を見据えているのか、キリリとした目元がとても印象的です。龍馬本人ってとくに濃い感じでもないですね。 さて、最近の坂本龍馬役で印象的だったのはこの方。 内野聖陽。 ドラマ『JIN‐仁‐』での名演はとても良かった!演技も顔も、いい意味でとっても濃かったです。 最近では、この方の坂本龍馬もCMでよく見かけます。 武田鉄矢。 昔からいろいろな映画やドラマで龍馬を演じているので、龍馬役として人気があります。 さて、過去を掘っていくと、いろいろな濃い人が演じています。たとえば、 ダウンタウンの浜田雅功。 この方が龍馬を演じると、 なんともいえん味はありますが、とりあえず写真怖いなー。 三谷幸喜脚本のドラマ『竜馬におまかせ!』(1996年)より。竜馬が土佐弁ではなく
徳川慶喜は大正2年、いまから約100年前まで生きていました。実は明治維新後の人生の方が長かった徳川慶喜の、“その後”は意外なものなんです。 徳川幕府最後の将軍といえば、徳川慶喜。 りりしいです。 在位わずか一年で幕府が崩壊。死罪必至でしたが、勝海舟らの交渉でなんとか免れました。さて、その後、慶喜は明治〜大正時代にどんな人生を送っていたのか? 最後の将軍は趣味に生きました。 本当に多彩な趣味を持っていたのですが、たとえば、写真撮影。 カメラを持って、よく屋外に撮影に出かけたそうです。実際に徳川慶喜が撮影した写真は現代にも残っています。たとえばこれ↓ けっこう熱心で、当時人気だった写真雑誌『華影』にもたびたび投稿していましたが、なかなか採用されなかったそうです。 そして、油絵。慶喜の腕前はこちら。 結構上手いように見えるが、どうなんでしょう!? そして、ちょっと変わった趣味では、慶喜はなんでも
授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を
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