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増田文学に関するcat1228のブックマーク (48)

  • 美大生との合コンがやばすぎた。

    しがない大学生なんだけど最近免許の更新で二俣川の試験場にいったらエスペランサスポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされて髪型はあれだけど顔がめっちゃ美人だったからテンションぶちあがってラインを交換してその日はそれで別れたんだけどすぐにメッセージが届いてしかもそれが合コンの誘いだったからさらにテンション上がってすぐに学科の友達に声かけてメンバー揃えて昨日池袋の個室居酒屋で集まったらどういうわけか言い出しっぺのエスペランサスポルディングが来てなくてなんか急用ができちゃったから遅れて合流するとかでとりあえず男4女3で飲み始めたら女の子3人の様子が明らかにおかしくてみんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審でずっとうつむき加減でモジモジしてて絶対に目を合わせようとしないし何だよこの子達って不安になってきたんだけど俺はすぐにピンと来てようするに彼女達は全員処女でまったく男慣れしてな

    美大生との合コンがやばすぎた。
  • ストロングゼロを飲んだ

    昨年の冬、十年勤めた会社を辞めた。上司と揉めて、にっちもさっちも行かなくなり、最後はヤケクソで辞表を叩きつけた。 しばらく保険でいつないだあと、近所の倉庫でバイトを始めた。すでに33才。未来には何の展望もないが、特に悲しいわけでもない。そんな段階はとっくに越えてしまった。学歴もコネも才能もない俺みたいな人間は、石の裏に棲息する虫みたいにひっそり生きて、死ねばいい。たまに小さな幸福を拾えたら御の字だし、拾えなくても別にどうってことはない。 夏にSさんという男が入社してきた。俺よりひとまわり上の45才で、とにかく無口なおっさんだった。俺たちは同じ班で働くことになり、気づけば仕事帰りに飲む仲になっていた。 先週、終電を逃してSさんのアパートに泊めてもらった。その夜、彼は別人のように饒舌だった。 「そういえば、あるよ」 Sさんが冷蔵庫からおもむろにストロングゼロを出した。 「飲んだことない?」

    ストロングゼロを飲んだ
  • ゴリラに育てられた4年間の話

    小学3年から6年までの間、担任がゴリラだった。 もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。 北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。 北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。 算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。 比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。 円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その

    ゴリラに育てられた4年間の話
  • 義理の兄の中古自動車屋が潰れた話

    義理の兄が大手ディーラーを退職し、中古車自動車屋を起業することとなり、他社で整備工として働いていた私も一緒に働くこととなった 兄は大手ディーラーに勤務していたこともあり、周辺の中小企業の社長連中との繋がりがあった 中小企業の社長連中はなぜかレクサスではなくVWやアウディなどの外車に乗っている人たちが多かった ああいった外国車はちょっとした修理でも正規ディーラーへ持っていくと結構な額を請求される その点、うちは純正の部品を使用せず国産他メーカーの部品でどうにか修理するので正規の半値以下に抑えられるというのが評判になり、顧客は年々増えた 帳簿上は兄が800万円、私が500万円程度の給料を得ていたが、兄は接待交際費としてプラス数百万円のお金の自由に使っていたと思う 税務申告は全て兄に丸投げしていたのだが、売上をまともに申告していないことが分かったのは開業から3年目のことだった 車検費用等を口座振

    義理の兄の中古自動車屋が潰れた話
  • ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。 田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。 私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。 とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。 ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手

    ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。 よ..
  • 祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)

    この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい

    祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました)
  • 緊急事態宣言が解除になって初めての出社でクッソダルいと思いながら自席..

    緊急事態宣言が解除になって初めての出社でクッソダルいと思いながら自席でブクマと増田を1時間くらい眺めて書き込んでから席を立ってトイレに行こうとしたら溝口さんが久しぶりにいて、在宅勤務中どうしてたんすかと聞いたら、聞いてくださいよ、ヨガと筋トレで腹筋がバッキバキに割れてシックスパックになったんですよーというので、え当ですかじゃあちょっと見せてくださいよと言ったら、えーそれセクハラですよーと言いながら笑って、いやお前がその話題振ってきたんだろうがと思うが、最近外全然行ってないですねーという話に移ったので、じゃあ久しぶりにどっかべに行きますかと言ったら、いーですねーと意外にあっさりとOKしてくれたので、何がいいすかと聞くと、なんでもいーですと言う、いやそういうのが一番困るんだろうが決めろやと思いながらもちろん言わず、じゃあオメガラーメンとかでもいいんすかと言ったら、あーたまにはいーですねー

    緊急事態宣言が解除になって初めての出社でクッソダルいと思いながら自席..
  • 乳幼児スナイパー vs ステンカラーズ

    来なら横のつながりのない乳幼児スナイパーの業界で、唯一ひそかに徒党を組んでいると思われる同業者たちがいる。この季節になるとなぜかステンカラーのコートを好んで着たがる女性だけで構成されたその部隊を俺は「ステンカラーズ」と呼び警戒している。 コートの色がそれぞれ違うのは、きっと彼女たちの中で仲間を識別するためと思われ、特にベージュのそれを身にまとう者は士官クラスであると俺は踏んでいる。 ステンカラーズの恐ろしい所は、俺のように鬼気迫る一瞥や、標的を恐怖のどん底に突き落とす表情や、特殊攻撃モジュールも必要とせずに、「にっこり」と笑顔だけで乳幼児の動きを封じてしまうスキルにある。おそらくは精神波による強制暗示の使い手だろう。射程距離は多少短めだが、その分至近距離から確実に乳幼児を仕留める恐ろしい奴らだ。この業界における、目的のためには恫喝も白兵戦も厭わない彼女たちの専横ぶりを同業者たちの警戒を促

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  • 乳幼児スナイパー母親に敗れる

    俺は交通機関の中で赤ん坊や幼児にちょっかい出すのが好きだ。言わば手を触れずに乳幼児を変顔だけであやすプロフェッショナルと言っていい。大抵のグズってる乳幼児は俺の厳しい視線や殺気に満ちた顔でぐずりを止める。あるいは極限の恐怖で命乞いのバイバイさえしてくる。 この業界横のつながりはないが同業者を見かけることがたまにあり、あるときに泣きじゃくる赤ん坊にまぶたのピアスをびよーんびよーんとやって見せてる男子高生くらいの同業者もいた。色々と攻撃の手段はあるものだと感心するばかりである。 さてここは終電まで一時間くらいの下りの電車。帰宅ラッシュが多少ひと段落した車内で一歳に満たないくらいの赤ん坊が泣いており、母親が周りを気にしながら一生懸命あやしている。プロの出番だな。 いいかガキよ。ここは電車の中で乗っているのは会社帰りの俺を含めたくたびれたリーマンやOLが家路を急いでるんだ。眠くて機嫌が悪いからって

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  • 特に好きでもない人と結婚して10年

    私は23のときに特に好きではない人と結婚した。 結婚の経緯は今どきあり得ないでしょ?って言う思惑がらみのお見合いで。 相手は干支が一回りしそうな男。この話が5年早かったら間違いなく犯罪。早くなくても人身売買じゃないのこれ?って言って良いような政略結婚。いやほとんど借金のカタじゃないの?当時の私はそう思ってた。せめてもの救いは彼もこの結婚に対して同じような気持ちであったことと、イケメンではないものの清潔感のある温厚な男だったこと(これがちびデブだったらもう当悪いけどダメ)。そして私たちに共通していたことは「親を守りたい」という意識だった。言ってしまえば彼は私に安定した生活の保証をする代わりに、私は彼に世継ぎ(である必要は必ずしもないと言われたが)を産む。暗黙の契約のような気持ちで私はこの結婚に同意し、いささか、いやかなりの格差婚を感じさせる結婚式を挙げると私は実家から飛行機の、夫の実家から

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  • 猫 数日前母が大量のキッチンペーパーを安かったからと言って買ってきた 今..

    数日前母が大量のキッチンペーパーを安かったからと言って買ってきた 今日ホルダーに備えつけていたものが切れたので母にあれはどこにあるの、と尋ねると冷蔵庫の上の開き戸の中だと言うので その冷蔵庫の上の天井に備え付けてある開き戸収納の中からキッチンペーパーの買い置きを出すのに 冷蔵庫横のシンクの台に乗るわけにいかないから卓の椅子を持ってきてそこにのぼって開き戸を開けたとき そういえば昔はが、人間みたいに衛生なんてことを気にもせずシンク台をステップにして冷蔵庫に飛びあがっていたなあ この開き戸を開けっ放しにしてやって収納スペースと冷蔵庫の上好きな方でのびのびが眠れるようにしてやってたなあということがばーっと映像で蘇ってきて そんな工夫のあったことも忘れるほどにはが冷蔵庫の上やサイドボードにひょいとのぼらなくなってからの年数がずいぶん経っていることに気がついて 急にものすごく寂しくなってスト

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  • おーいお茶にションベン入れて持ち歩いていた

    人生で一番きちがいだった時期。小便をおーいお茶のアルミペットボトルに入れて街を散策した。 女にぶっかけてやりてえ、なんて思いながら。 それを持っているとバタフライナイフを持った中学生みたいな感じで、無敵感に包まれてた。 女子高生、女子大生、OLなどいろいろ物色しながらポケットのおーいお茶しょんべんを握ってた。 こいつらを汚す権利が俺にはあるんだと思って、当にウキウキしてた。なんでもできる。 ギャルを汚すか清楚系を汚すかエリートっぽい女を汚すか。街を歩いているだけで楽しくて、ニートの 俺がしばらく感じたことのない高揚感。 しばらく歩いたのち、ちょっとおーいお茶の様子を確かめようと人影でポケットから取り出した。 激臭がした。え? 蓋閉じてるのにめっちゃ臭いんだけど。って思って一気に萎えて捨てて帰ってきた。 ■追記 思ったより反響があった。 文章がこれで完結してたら綺麗なのは理解できるんだが、

    おーいお茶にションベン入れて持ち歩いていた
  • お母さんの自転車

    夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。 そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車の運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。 私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないからモスバーガーをべて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかにおかしくて反省した。 思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借

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  • デリヘル嬢に説教されるから生き方を変えたい

    風俗嬢に説教するおじさんというのがいるらしいけど、客に説教する風俗嬢というのも確かにいる。 仕事論から人生論へと話は続き、プレイ時間のほとんどが説教で占められる。 60分を90分にしたところでチンコをいじられる時間は変わらず、説教が延びるだけ。 昔から私は口下手で、聞き役にまわることが多かった。 学生時代やってたパート先でも先輩パートタイマーから仕事論や人生論を延々と語られた。 仕事終わりに先輩の奢りで飲み屋で聞かされるなら喜んで聞いただろう。 けれど仕事中にされていたからかなり迷惑だった。 話の内容は先輩がこれまで酷い目に逢ってきたこと、そしてこの先君も酷い目に遭うだろう、君は俺みたくなるなよという内容で、聞いていて辛かった。 先輩が“40代”で、“男性”ってところと私が“年下”だからこの関係になってしまったのだと思っていた。 しかしこれが40代女性に変わっても同じことが起こる。 雑談で

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  • LINE、やってないんだよね

    彼がそう言ったのはちょうど今日みたいな蒸し暑い雨の夜のことだった。 営業部の人との合同の飲み会。暑さとアルコールに当てられ、一息つこうと外に出たところ、彼がいた。 同期だった彼とは、部署異動ですぐに別々になり、話したのは久しぶりの事だった。 背の高い彼、爽やかな彼、笑うとえくぼのできる彼、密かに憧れていながらもなかなか話しかけられなかった彼。何度か話せたのは彼と私の好きな洋楽バンドがたまたま一緒だったから。思えばいつも彼から話しかけてくれていた。自分から話しかけられたことは一度だったなかった。 だって彼はいつも素敵で、彼の周りには沢山の人がいつもいたから。 思い切って話しかけられたのはきっとさっき飲んだカシオレのせいだった。 かき集めた勇気と勢い。けれど彼の気さくな笑顔と「大好きな洋楽の話」という共通項のお陰で、あの時解けなかったぎこちなさは舌の上のかき氷のようにすんなりと溶けた。 「あの

    LINE、やってないんだよね
  • 初めて風俗に行きました

    風俗店を利用する同級生あるいは同僚を、心の中で「俗物」と罵っていた。先輩社員の奢りでピンクサロンへと吸い込まれていく同期を、心の底から軽蔑していた。私は今日、その男根への承認という勲章を求めて風俗店を利用する許されざる「俗物」となった。最もなりたくなかった存在へと身を落としてしまった。それだけではない。下らない自尊心と間違った配慮、そして醜い自意識によって、正常に風俗店を利用する彼らよりも程度の低い存在へと成り下がったのだ。そして、自分の汚れた心の言い訳にこのような俗物的な文章を書き残すことが、さらに私自身を俗物へと貶めるのだ。 私は病だった。毎日のように精神的発作を起こし、衝動的な自傷行為――主に私が許し難いと感じている非道徳的な行為を私自身が行うこと――に明け暮れ、一人孤独に単調な日々を過ごしていた。それでも、他者を私の精神的安定の材料として利用しない、という規範を自分に課していた。

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  • [追記あり] 結婚はしたくないといったらじゃあ別れて友達にもどろうと言わ..

    [追記あり] 結婚はしたくないといったらじゃあ別れて友達にもどろうと言われた。まあそれでべつにいいと思っていた。僕も彼女の事を愛すべき恋人というよりは気の置けない友人のように思っていたしすべての接触はその延長線上にあった。それで問題なかった。結婚したくない理由はそこではなく単純に結婚が嫌だから。僕は死にたいとは思わないが生まれてこなけいほうがよかったのではと思うことの方がずっと多いから子供だってほしくない。子供をつくらないなら金がかかるだけだし結婚だってする意味はないと思ってる。彼女に不満があるわけじゃなかったのだが、結婚する気がないなら終わりにしようと言われて結婚すると言えなかった。彼女はなら友達に戻ろうといってくれたのでホッとしたがすぐに泣きだしてしまった。さすがに罪悪感を感じたので彼女をホームまで見送ろうとしたが「いらない」といってタクシーに押し込められてしまったのが5カ月前だった。

    [追記あり] 結婚はしたくないといったらじゃあ別れて友達にもどろうと言わ..
  • いじめ加害者を自殺に追い込んだ話

    つい先週のことだ。妹をいじめていた主犯格がようやく自殺した。 苦節7年、長かった。 私と妹は一回り以上年が離れている。兄弟喧嘩が起こる年の差でもないので私は溺愛している。そんな妹が学内でレイプ未遂にあったのは中学の頃だ。 何とか最後の一線を超えられる前に助けが入ったようだが、そんなことは関係ない。快活だった見る影はなくなり、家族以外の異性は見ることどころか声が聞こえることさえ怖がるようになってしまった。きっかけは、他の女子が片思いしていた子が妹に告白したとかそんな話だった。それで嫌がらせが始まり、次第にクラス全体が悪ノリし、下半身しかない糞が調子に乗って犯そうとした。そんな次第だ。 許せなかった。そんな人未満共もそうだが、離れて住んでいるとはいえ2ヶ月近く気づいてやれなかった自分や同居していたはずの両親がだ。 正直な話、私自身もいじめられたことがある。帰国子女として小学5年のとき日の公立

    いじめ加害者を自殺に追い込んだ話
  • 何がしたいのか分からないまま人生が終わった

    小さい頃から逃げてばかりいた。 近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。 家の中でばかり遊んでいた。ゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビはアニメか特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマや歌番組には興味がわかなかった。 幼稚園と小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。 教室にいると何が飛んでくるかわからないから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからないから、まばたきするのも怖かった。 このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないとい

    何がしたいのか分からないまま人生が終わった
  • もしも桃太郎が一行がITのスタートアップだったら

    恵比寿駅の喫茶店。イヌ、サル、キジが張り詰めた空気でテーブルに同席している。 喫茶店のドアを開けて、桃太郎が入ってくる。 桃太郎「おつかれーっす」 イヌ、サル、キジ「……っす」 桃太郎「ごめんごめん、遅くなっちゃったわ。いやね、きのう金太郎と浦島太郎と飲みがあってさ」 キジ「え、あの有名な……」 桃太郎「そうそう。お互い名刺交換して。まぁやっぱ視座の高さが違ったわ。特に浦島太郎なんて玉手箱開けた経験者だし。金太郎は店にクマで乗り付けてた。ツキノワグマ」 サル「はー、すごいっすね」 桃太郎「浦島太郎、酔って乙姫に今から店こいよ!ってLINEしてたわ。ま、来なかったんだけど」 イヌ「……」 桃太郎「で、今日は何の話だっけ?」 サル「えーっと、それがっすね……」 桃太郎「来月の、鬼ヶ島ロンチの話?」 キジ「いや……」 イヌ「……俺から話すわ。実は、四人の座組みの件で、もう一回ちゃんと話したくて」

    もしも桃太郎が一行がITのスタートアップだったら