September 6, 2019 | Architecture, Design, Food, Travel | casabrutus.com | photo_Satoshi Nagare text_Housekeeper 〈ホテルオークラ東京〉旧本館が53年間の歴史に幕を閉じてから、4年。いよいよ9月12日、〈The Okura Tokyo〉としてリニューアルオープンする。父・谷口吉郎が生み出した無二のロビー空間が建築家・谷口吉生の手によって見事に引き継がれた。 〈The Okura Tokyo〉は、地上41階建て〈オークラ プレステージタワー〉と、17階建て〈オークラ ヘリテージウイング〉の2棟からなる。〈大倉集古館〉を加えた三棟が六角形の「水鏡」を囲む。
法隆寺(奈良県斑鳩町)で、中門(国宝、飛鳥時代)の修理が完了し、周囲の素屋根が解体された。中門は約3年ぶりに姿を現し、五重塔(同)も見える写真撮影のポイントが復活した。 中門は入り母屋造りで、幅約12メートル、奥行き約8メートル、高さ約14メートル。金剛力士立像(重文、奈良時代)が安置され、上層の高欄には「卍(まんじ)崩し」の意匠が施されるなど、飛鳥時代の建築様式を伝える。 しかし、明治36年の修理から約110年が経過。県文化財保存事務所によると、劣化が激しく雨漏りがしていたため、瓦屋根の葺き替え工事を進め、基壇の修理も行った。 中門は金堂(国宝、飛鳥時代)や五重塔などがある西院伽藍(がらん)の正面。観光客や修学旅行生らにとって定番の撮影位置となっている。 法隆寺の古谷正覚執事長は、「久しぶりに飛鳥時代の薫りが感じられる風景が戻り、うれしい」と話している。
日本庭園は雄大な景色を背景に取り込んだり、瀧や川の流れなど自然の風景そのものを表現したりするなど、日本人の自然観を表してきた空間だ。その中でも宿泊施設や美術館などにある、訪問者が利用しながら楽しめる名園を紹介しよう。 1000年の歴史を超えて 日本庭園の黎明(れいめい)期は、古墳時代にさかのぼる。それから1500年以上、連綿と続く歴史を持つ。寺院の庭のように作庭当時の姿をとどめる庭園もあるが、その多くは時代の移り変わりとともに姿を変えながら現在に至っている。数百年の時の流れを経て残された名庭園を、現代を生きる私たちが体験できることの至福。日本庭園とは、これほどまでに贅沢(ぜいたく)な体験ができる場所なのだ。 庭園の鑑賞法 私たちが見るべき価値のある庭園の代表的な例に、「特別名勝」や「名勝」の指定を受けた庭園がある。これは歴史的、文化的価値の高いものとして、まさに時代の荒波を乗り越え、残るべ
日露戦争後、関東州と南満州鉄道附属地を手に入れた日本は、満鉄主導で現在の東北地方の開発を進めましたが、いかにも日本らしいと思うのが、各地に温泉を開発し、行楽地にしたことです。 なかでも有名だったのが、湯崗子温泉(鞍山)、熊岳城温泉(営口)、五龍背温泉(丹東)でした。当時は「満州三大温泉」と呼ばれていました。 これら満州の温泉を世に広めるのに一躍買ったのが、明治の文豪たちです。 最初の話題提供者は、『満韓ところどころ』を書いた夏目漱石。彼が訪ねたのは日露戦争後わずか 4年目( 1909(明治 42)年)で、満鉄沿線は開発途上でした。それでも、漱石は熊岳城温泉と湯崗子温泉を訪ねており、兵士の療養小屋に毛の生えた程度の温泉宿の様子を「すこぶる殺風景」と評しています。 時代は移って大正期に入ると、紀行作家として有名な田山花袋のベストセラー『温泉めぐり』や『満鮮の行楽』などの読み物の中に、満洲三大温
この度,南区役所では,南区の新たな地域資源の創出と地域活力の活性化を図るとともに,国内外から訪れる観光客の皆様に区内の魅力を発信するため,花園大学との共同研究により平安京の正門「羅城門」等をコンピュータグラフィックス(CG)で復元し,スマートフォンやタブレットなどで見ることができる南区観光「AR羅城門」を下記のとおり配信しますので,お知らせします。 なお,本事業は皆様に頂いた「だいすきっ!京都。寄付金」を活用しています。 記 1 概要 京都市南区にある羅城門跡碑や周辺のバス停付近などにおいて,朱雀大路の南端に建てられた平安京の正門「羅城門」等を様々な角度から見ることができるよう,CGで忠実に再現することで,まるで目の前に存在しているかのような体験ができるアプリです。 2 主な機能 (1)表示内容 ス
3月30日から4月3日まで、北京に行ってきた。中国(大陸)は六年ぶり、北京は12年ぶりである。 さて、今回、妻の希望により、鼓楼大街近くの胡同(北京の長屋)の中にある、古い家を改造したホテルに宿泊した。中国らしいホテルがいいというので、中国らしいステキホテルを提案したのが、見事に却下され、本当の意味でのステキホテルになってしまった。 最初の二泊は、竹園賓館といい、もと盛宣懐という人のお屋敷だそうだ。もとお屋敷だけに、庭が広く、客室も広い。 内装も綺麗になっている。 とはいえ、胡同なので、まわりは普通に庶民が住んでいて、ちょっと頑張ればこんな朝飯が食える。 これは「豆腐脳」といい、簡単に言えばとろみを付けたスープに汲み出し豆腐を入れて煮たものである。腹に優しいので、朝食にはぴったりだ。僕が北京で食べたかったものの一つ。 お値段は、豆腐脳二杯と写っている包子一皿で7元(120円ぐらい)だった。
政府は、首脳会談などで使われ、国宝にも指定されている東京・港区の迎賓館の年間を通じた公開に向けて、5日から試験公開を始め、多くの人たちが訪れて携帯電話で写真を撮るなどしていました。 この迎賓館について、政府は、観光立国の実現に向けて外交行事などに支障がない範囲で新年度から年間を通じて一般に公開することを検討していて、これを前に、5日から18日までの日程で試験的な公開が始まりました。今回、公開されているのは、前庭や本館および主庭、それに、これまで公開されてこなかった和風別館で、初日の5日は多くの人たちが訪れ携帯電話で写真を撮るなどしていました。見学を終えた人たちは「こんなにすてきだとは思わず、すごい華やかでした」とか、「オリンピックもまもなく行われるので、それに先駆けて、こういう機会を設けてくれることはとてもいいことだ」などと話していました。 菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「こうした施
日本の城はかつて存在した数をすべて合わせると、数万になると言われる。そのうち歴史的な天守閣が現存する城は12城しかない。戦禍や失火などで失われた後に再建されず、現在は遺構が「夢の跡」を忍ばせるだけという城がほとんどだ。城の数だけ滅亡のドラマがあったはずだが、中でも最もドラマチックで謎に満ちた最期を迎えたのが、白川郷(岐阜県白川村)を支配した戦国武将内ケ嶋氏の居城、帰雲(かえりくも)城だ。1586(天正13)年11月29日、保木脇(ほきわき)にあったこの城は、翌日の祝宴の準備に追われていた。内ケ嶋氏は本能寺の変の後、反秀吉勢力に加わったため、戦後は領地没収などの厳しい仕置きを覚悟していた。それが予想外に軽い処分で済んだので城主の無事帰還とあわせて祝おうと、一族郎党が集まったのだ。ところがこの夜、天正大地震が襲った。この地震が引き起こした山崩れのため、帰雲城と内ケ嶋氏は城主以下、城下町もろとも
Posted by: 青山 沙羅 掲載日: Nov 29th, 2014. 更新日: Jun 16th, 2017 便利で機能的という理由で、ホテルを利用することが多い現代。でも、歴史のある木造建築の和式旅館の良さを見直したいもの。文化財指定を受けた建物は、当時の職人技が凝らされており、この先同じように造ることは出来ないからです。 信州別所温泉 旅館 花屋 大正6年創業の有形文化財指定の全43室の宿。第39回プロの選ぶ日本のホテル・旅館100選「もてなし部門」「総合」で受賞。2013年トラベラーズチョイスアワード受賞。 大正モダンの世界へ 玄関を入って正面にあるのは、宮大工が建てたロビー。タイムスリップへの旅へいざないます。 ©旅館 花屋 趣のある回廊 総面積6500坪の敷地内に点在する建物を結ぶ渡り廊下。庭を眺めながら通る、この廊下を見る為に訪れる価値ありと評価高し。 ©旅館 花屋 一番
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