ひなげしみたいな白い花びら 黄色のしべ 細い茎に 形のいい葉っぱ。 シュウメイギク(秋明菊) 土を選ばず どんな所にも しっかり根付く。 根っこを掘り出すと 葛でも採れそうな しっかりした形をしている。 静かで可愛い花の 見かけによらない 逞しい生命力。 沢山の蕾が これから先 まだまだ咲き続ける。 訪ねてきた人が必ず 「ああ 綺麗だな」 と声を上げる。 気骨のありそうな 娘の様な花だ。
数分毎に天気が変わる と、言っても大げさではない。 そんな日だった。 明るい陽の光の中を シャワーの様に降る雨。 私は虹がどこかに出ていないかと 表に出て空を見上げた。 夕方には 霙が北風に吹かれて 斜めに降っていた。 体に温かい英気を注ぎたい。 九条葱 人参 青梗菜 生姜 干し椎茸 干し棗 そして 豚肉。 何でもいい。 家にある食材を切って鍋に入れ 熱湯を注ぎコトコトと炊く。 調味料はペルーの岩塩と胡椒だけ。 鍋の中で 食材がくったりとなると 出来上がり。 生姜と胡椒の軽い刺激 野菜と豚肉の深いこく 干しなつめの甘さ。 スプーンですくって飲む。 この熱いスープはまさに医食同源。 胃の腑に染み渡った。
Google画像より フレッド・ボルドウィンは アメリカの外交官の息子としてスイスで生まれた。 妻のウェンディ・ワトリスは若い時は ギリシャ、スペインで過ごしている。 ジャーナリスト、写真家として ヨーロッパ、中央アメリカ、アフリカの紛争を ニューズウィーク、ニューヨークタイムズに 載せる前の事だ。 その二人が1960年代に マンハッタンのパーティーで出会い 恋に落ち結婚した。 二人の回顧展が ベルギーのCharleroiの写真美術館で開かれる。 40年以上に渡り 写真家、ジャーナリスト そして 人権運動、社会的正義の活動家として 共に働いた写真の展示 「Looking at the U.S 1957~1986」だ。 公民権運動 KKK ベトナム戦争 アメリカの麻薬文化 フェミニズム 国内外の政治 キング牧師 ケネディ ピカソ テキサスの黒人農民 テキサスのメキシコ人のカウボーイ 黒人カウ
朴の葉 Cow Bell スイスの高原で 牛が首に着けている鈴 カウベル。 広い空間で よく響く様に 厚い鉄でしっかりと 作ってある。 このカウベルは 友達のスイス土産だ。 かれこれ30年程前の。 今はすっかり錆び付いているが 大きな固い音は健在だ。 熊除けのベルとして それを腰に巻き 久しぶりに林道を歩いた。 21号台風で 数えきれない程の倒木が 林道や谷にかぶさっている。 カウベルのリーンリーンが 山や谷に響く。 足元に気をつけて歩く。 久しぶりの林道歩きで 持ち帰ったのは朴の木の葉っぱ。 錆びたカウベルに良く似合う。
午後4時40分 台風21号の三日程前に チャックの畑のボランティアで フランスのリールという ベルギーとの国境沿いの街からやって来た 21才のフランス娘、アシュレッド。 大人も震え上がった21号台風にも 怖くなかったと強がった。 そのフランス娘が 今日ここを離れた。 小さな花束を持って 夕方うちのドアの前に立つ。 「ありがとう」と花を受け取っても 帰る様子もない。 そんな事で四回夕食を一緒に食べた。 どんなものでも おいしい、おいしいと食べる。 京都から東京までバスで。 そして 上野のユースホステルに泊まり 成田からフランスへ。 ボランティア達のファミリーネームも 住所も知らない。 若い彼らの人生の途中 山の村での思い出の一つになれば それで楽しい。
栗の木 私の住んでいる山の村には あちらこちらに 大きな栗の木がある。 足元を気をつけながら 山の中を歩いている時 道に沢山転がっている いが栗に出会う。 見上げると大きな栗の木が 枝を広げている。 私達が栗を思い浮かべる時 それはホクホクとした焼き栗だ。 しかし それだけではない。 かつての線路の枕木。 それには固い栗の木が一番。 手作業で一本一本作っていく。 林業が盛んだった頃の この村の特産品。 大きな栗の柱に穴をあけ それを土に立て竿を通し そこに刈った稲を架けて干す。 その柱は「ほだ」とこの辺りでは言う。 そして 我が家では栗の薪が大好きだ。 ストーブの中で パチパチとはぜる音をたてて燃える。 その上 焼き栗と同じ 芳ばしい香りまでする。
パックにいっぱいの ブルーベリーを貰った。 早速ガラスの鉢に入れた。 深い青に白く煙った様な色。 ブツブツ文句を言ってる様な口 どことなく気難しい顔をした果実だ。 アラスカの原野や フィンランドの山間に 自生しているブルーベリーを 見てみたい 食べてみたい という願望がある。 毎朝のカスピ海ヨーグルトに5粒。 今はこれでいいとしている。
武士が弓矢を入れて背負う バッグみたいな物、靫(ウツボ)に似ている。 だからウツボ草。 利尿 消炎 腎炎 脚気 目や口内の病気等々。 生薬の草だ。 その上 ハーブティで美味しく飲めるとか。 知らなかったよ。 こんなに綺麗で可愛い薄紫の花が 薬にもなりお茶にもなると言う事を。 道ばたにポツリポツリと咲いている。 私の目を楽しませてくれる それだけの花だと思っていた。
綺麗に整えられた庭だった。 姉さんかぶりをした奥さんが 小さなハサミで庭木を整え 鎌で草を刈っていた。 奥さんが亡くなり9年。 山仕事一筋だった夫のショウタさんは 花などには目もくれない。 紫陽花はわさわさと繁り 赤い花を附けたツツジは 枝を四方に伸ばし 花の終わったアヤメは 株を増やし続けている。 庭石も緑に覆われた。 人の手が入らなくなった庭。 緑が自由に枝葉を伸ばし 元の姿に戻るのに精を出す。 これはこれでいいものだと 前を通るたびに私は思う。
自然の造形の妙と言わずして どう表現すればいいのか。 草の陰に隠れていても 私は見つけたよ。 カタツムリの殻? それとも 家? ぐるぐる巻いて 柔らかな半透明の 砂の様な色。 私が編み上げ靴を履いた足で すぐ近くを行ったり来たり。 そんな時にも 一生懸命生きていたカタツムリ。 ところで 殻の中の主は 一体どこに行ったのやら。 手のひらの上の 殻に聞いても 何も語ってくれない。
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