ブックマーク / reki.hatenablog.com (5)

  • 【太平洋戦争】日本軍が起こした忘れられがちな虐殺事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    事実として認めたほうがいい過去 日軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日でも忘れられがちな「日軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア

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    daij1n
    daij1n 2018/08/16
    インパールで有名な牟田口の名前が、ここでも見られるとは…
  • 世界を変えた有名な戦場カメラマン18人の写真 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人々の意識と行動を変えた名写真 今やスマホで誰もが写真を撮影し、すぐにSNSにアップして数万・数十万の人に届く。写真を撮影し公表する「特権」は失われ誰もが表現者になれる時代です。 昔はそのような「時代を切り取る」仕事は写真家の仕事でした。新聞やテレビが大きな影響力を持っていた時代、彼ら戦場カメラマンの命がけの仕事によって人々の意識と行動が変わり社会を動かしていました。その写真は今でも我々の心を大きく揺さぶります。 今回はそのような時代を動かした伝説の名写真をピックアップします。 1. 「崩れ落ちる兵士」 1936年 ロバート・キャパ(1913-1954) Credit: ©Robert Capa © International Center of Photography/Magnum Photos 真偽について議論もある有名すぎる写真 ロバート・キャパはハンガリー出身の写真家で、フランス誌

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    daij1n 2018/04/02
    ジャーナリズムの優れた点
  • 国の擬人化キャラクターの女の子13名 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    最も美しい国の擬人化キャラはどれだ 自分の国に特徴的なキャラクターを設定してカリカチュアに描くことがあります。 日だとサムライの姿で描かれたりしますが、名前やビジュアルに固有のものがあるわけではありません。 特にアメリカとヨーロッパの国に多いんですが、自分たちの国の歴史文化、国土を擬人化し名前をつけて表現し、しかも美しく若い女性の姿として描きます。今回はそのような「美人キャラ」をピックアップしてみます。 1. バラート・マタ(インド) Photo by Gautam Beera ヒンドゥー・ナショナリズムを神の形に現したもの バラート・マタはインドの国土の女神とされており、通常インドの国旗を手に持ち、側には獅子が控えています。その顔はヒンドゥーの神ドゥルガーやパールヴァティと類似しています。 バラート・マタの起源は19世紀末、反英・インド独立の機運の中で創られた文学や演劇・詩にあります

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    daij1n 2018/01/16
    これは、日本でソシャゲになりそうだねっ☆
  • 大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    100年前に既に起きていた日の移民問題 日では移民問題はかなりセンシティブな話題です。特定のイデオロギーとつながりやすく、冷静で建設的な議論にならず、皆意図的にこの話題を避けている節もあります。 今後仮に日が移民を受け入れるにしても、 「日の社会に積極的に馴染む努力をし、日語が話せ、専門的な技術を有し、生活態度は真面目で勤勉な人」 であればみんな納得すると思いますが、そんな素晴らしい人達がわざわざ日を選んでくれる道理はありません。 さて、日は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日政府は「朝鮮人移民の日流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。 1. 日土を目指す朝鮮人 韓国で言うところの「日帝強占期」の間、多くの人々が朝鮮半島から日

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    daij1n 2017/12/12
    経済を維持するためには労働力が確保が必要で、周辺諸国が暴走すれば難民の発生は必然。であるなら、どう受け入れるか、というのは今から議論しても遅くても損はないだろう。
  • 羽地朝秀・琉球王国を大改革した男 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    琉球王国の政治改革を成し遂げた傑出した政治家 羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう 1617-1675)は琉球王国の政治家・歴史家。 1666年から7年間、国王を補佐する最高位である摂政に就き、琉球王国の行き詰った構造を打破し変革を成し遂げた人物です。 羽地が摂政に就く半世紀前、琉球王国は薩摩藩の支配下に置かれ、経済的に困窮すると共に、人心は乱れ勤労意欲は薄れ、どこもかしこも問題だらけの社会でした。 羽地は薩摩藩の支配下に置かれた現実を直視した上で、琉球王国の政治・財政・法制度の改革を行い、中世以来の琉球を脱し近代化に着手をしたのでした。 1. 王国を取り巻く厳しい環境 Photo by 663highland 薩摩藩による軍事侵攻 1609年、薩摩藩による琉球への軍事侵攻が行われました。 琉球王国も抵抗するも薩摩軍の圧倒的な軍事力の前に為す術なく敗れ、尚寧王や重臣たちは薩摩へ連行され、薩摩藩に

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    daij1n 2017/11/30
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