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インタビューと人生に関するdddeeeのブックマーク (37)

  • 「病気を公開しながら、音楽を作っていく」――サカナクション・山口一郎、うつ病との闘い #病とともに(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    今年1月、サカナクションのボーカル・山口一郎は、千秋楽を迎えたソロライブツアーのステージ上で自身がうつ病だと公表した。不調に気付いたのは2年ほど前。朝から晩までベッドから出られず、ライブも中止し、不安と焦りでいっぱいになった。以来、一進一退を繰り返す体調と向き合う日々を過ごし、「ようやくここまで回復した」と取材に応えた。闘病の経過、周囲の支え、病と生きる現在を語る。(取材・文:内田正樹/撮影:後藤武浩/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 「最初は3カ月ぐらいですぐによくなると勝手に考えていた。でも3カ月が6カ月と延びて、1年を過ぎたあたりで、『これは一生付き合っていくのかもしれない』と思いました」 山口一郎(43)が自身の不調に気付いたのは2022年5月。サカナクション15周年の配信ライブを終えた頃だった。 「コロナ禍以降もアクセル全開でがんばっていて、その頃の僕はラジオのレギ

    「病気を公開しながら、音楽を作っていく」――サカナクション・山口一郎、うつ病との闘い #病とともに(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
  • 史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」(酒井俊作)

    「野球をやっていたことを知らない人が9割なので」 まだ桜がつぼみのまま閉じこもろうとしていた3月中旬、神戸の生田神社の近くにあるカフェで、ある翻訳家と話す機会があった。じっくりと向き合うのは久しぶりだった。あの頃をどのように過ごし、いまをどのように生きているのか……。彼と別れてから、ボイスレコーダーを聞き直した。ふと脳裏をよぎったのは、かつて読んだの一節だった。 《人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。》(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫、大島かおり訳) 翻訳家の朝は早い。彼とLINEでやり取りする時、メッセージが届くのはいつも午前4時である。海外と業務の打ち合わせをするために早起きするのだという。世の中が寝静まっている夜明け前に動きだすようになってから、ずいぶんの時が経つが、この

    史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」(酒井俊作)
  • 【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由

    甥の山上徹也が安倍晋三元首相を銃撃した2022年7月8日の事件から、まもなく1年が経とうとしている。 事件後、私はマスコミ関係者に事件の背景を説明してきた。徹也の幼い頃に父親(私の弟)が自死したことや、徹也の母親が旧統一教会に多額の献金をしたことが原因で一家が破産したこと、さらには障害者だった徹也の兄が将来を悲観して自死したことをなどである。そうした事件の背景を説明することが伯父としての社会的責任だと考えたからだ。 徹也の捜査は終了し起訴されたことで、私は、自分の任務を終えたと考えている。ところが事件から1年という節目が近づいているからか、最近、再びマスコミ関係者が私のところにやってくるようになった。その一つひとつに対応するつもりはないため、以下、徹也に関することを記しておくことにした。 海水浴場で見せた笑顔 まずは彼の少年・青年時代に触れておきたい。 彼の父親が自死したのは1984年、徹

    【独占手記】私が山上徹也との面会を決めた理由
  • 49歳の慶応大元教授が脳梗塞で陥った「超孤独」

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    49歳の慶応大元教授が脳梗塞で陥った「超孤独」
  • AKBに2000万を注ぎ込むも...岡田奈々騒動で「人生取り戻した」 グッズ大量破壊のファンに聞いた決別の背景

    AKB48メンバーらの写真などのグッズが大量に破られて、家の床一面に散乱している――こんな写真がツイッターに投稿され、ファンらの間で衝撃が走った。 投稿したのは、その界隈では有名な「けいすけ」さん(38)だった。AKBとともに14年間過ごし、グッズなどに約2000万円を注ぎ込んできたというが、一体どんな心境変化があったというのか。(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 野口博之) 写真などを買った自分に戻るのが怖くなり、2、3時間かけて破いた 「俺の人生を取り戻した スキャンダルから色々考えた 14年間楽しかったです」 「さようなら、たくさんの思い出よ」 けいすけさんは2022年11月20日、ツイッターでこうAKBファンなどに別れを告げ、写真を投稿した。破いたときの動画も、後に載せている。 AKB48を巡っては、センターにも抜擢された中心メンバー岡田奈々さん(25)の熱愛が前日に週刊誌

    AKBに2000万を注ぎ込むも...岡田奈々騒動で「人生取り戻した」 グッズ大量破壊のファンに聞いた決別の背景
    dddeee
    dddeee 2023/01/07
    本心を言ってるようで言ってないような気がする。
  • ひろゆき氏に「汚い字」と言われた掲示板 作った住民、母を殺された過去「腹を割って話してみたい」【動画】 | 沖縄タイムス+プラス

    ひろゆき(西村博之)氏が「0日に」とやゆして有名になったゲート前の掲示板は名護市辺野古の住民、金城武政さん(65)が作った物だ。母を米兵に殺害された。生活のため、新基地建設事業の警備員になった時期もある。土の基地押し付けに人生を翻(ほん)弄(ろう)され、それでも現場で反対の声を上げ続ける金城さん自身、そして多くの人々の思いが、掲示板には込められている。(編集委員・阿部岳) インターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき氏は3日、米軍キャンプ・シュワブゲート前を訪れた。2014年7月の座り込み抗議開始から「3011日」を刻んだ掲示板の横で写真を撮り、「0日にした方がよくない?」とSNSに投稿した。 「普通はそんな心情にならないと思うんだけど」と、金城さんは不思議そうだ。「この日数は、基地押し付けと抵抗がこれだけ続いていることを示している。土の人が見れば、放置してきた恥ずかしさが出て

    ひろゆき氏に「汚い字」と言われた掲示板 作った住民、母を殺された過去「腹を割って話してみたい」【動画】 | 沖縄タイムス+プラス
  • Vチューバー“日雇礼子お姉さん”の中の人に聞く 大阪・あいりんは「どん底から再起させてくれた街」 | 47NEWS

    Published 2022/10/12 07:00 (JST) Updated 2022/10/12 11:33 (JST) 日雇い労働者の街として知られる、大阪市西成区の「あいりん地区」(通称・釜ケ崎)。ユーチューブでこの街の飲店や、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所などを紹介するVチューバー“日雇礼子(ひやとい・れいこ)お姉さん”の「ドヤ街暮らしチャンネル」がゆるりとした魅力で人気を集めている。チャンネル登録者数は7万人を超えた。 Vチューバーとは、ユーチューブの動画内で案内役を務める、CGなどで作ったキャラクターのこと。ご覧の通り、礼子お姉さんもアニメ風の美女で、実在はしない。 ロングヘアに白いタンクトップ姿で、寝起きするのは3畳ほどのドヤ。日雇い労働で生計を立て、仕事終わりにはカップ酒をたしなむ―。そんなお姉さんの生みの親で、動画制作を担う“中の人”は、元日雇い労働者の男性(37)=大阪

    Vチューバー“日雇礼子お姉さん”の中の人に聞く 大阪・あいりんは「どん底から再起させてくれた街」 | 47NEWS
  • 逮捕、無罪判決、そして厚生労働事務次官へ。彼女が続けた地道な歩み|村木厚子の履歴書 #ぼくらの履歴書 - ぼくらの履歴書|トップランナーの履歴書から「仕事人生」を深掘り!

    長年に渡り官僚として女性政策や障害者政策に携わりながら、予期せぬ逮捕で罪に問われ、裁判で無罪が確定し、復職。その後、女性としては史上2人目となる厚生労働事務次官(国家公務員の最高位)を務めた村木厚子(むらき・あつこ)さん。こうした履歴を目にすると、私たちはその人に「不屈の人」という印象を抱きます。しかし、村木さんはご自身を評して「平凡」と語ります。 「平凡な人間でも、職業人生を全うできることを証明したかった」と語る村木さんの言葉から見えてきたのは、激動と呼べる半生とは裏腹のしなやかさ、そして逆境にあっても決して失われなかった信念でした。 「志なんてなかった」消去法で選んだ官僚への道 ──村木さんが労働省(現・厚生労働省)に入省されたのは1978年。男女雇用機会均等法が成立する以前のことで、村木さんのように地元を離れて就職されるのは珍しかったのではないでしょうか。 教育に理解のある家だったの

    逮捕、無罪判決、そして厚生労働事務次官へ。彼女が続けた地道な歩み|村木厚子の履歴書 #ぼくらの履歴書 - ぼくらの履歴書|トップランナーの履歴書から「仕事人生」を深掘り!
  • 「時代が求める“高嶺の花”を演じるべきだったけど……」君島十和子が語る、所在なかった20代の頃 | 文春オンライン

    商人には馴染みの深い酉の市。11月になると神社仏閣へ参拝し、商売繁盛と家内安全を祈り熊手を買い求める。商売が大きくなるように、毎年少しずつ大きくするのが流儀だ。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ 世界に誇るメゾンの御曹司と、金屏風の前で婚約会見 1980年以前に生まれた女なら、君島十和子のことは少なからず知っている。美容家として認識する人もいれば、90年代半ばの喧騒で記憶が止まっている人もいるだろう。 「神様にお願いするとか、宗教に関心がある環境で育ったわけではないんです。でも、長く人生を重ねていると、もう人の努力だけではどうにもならないことって当にあるなって」 1995年12月。女優の吉川十和子はファッションデザイナー君島一郎氏の息子である君島明氏(のちに改名し君島誉幸)と金屏風の前で会見を行い、世界に誇るメゾンの御曹司と美人女優の婚約は大々的に報道された。 「一緒に人生を生き

    「時代が求める“高嶺の花”を演じるべきだったけど……」君島十和子が語る、所在なかった20代の頃 | 文春オンライン
  • 〈写真あり〉「1日100匹近くは食べている」見世物小屋でミールワームを食べまくる女が訴えた「唯一の健康被害」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

    〈写真多数〉ほっぺたを串刺しにする男、口から火を吹く女…「日最後の見世物小屋」のリアル から続く 〈衝撃写真〉生きた昆虫をべるヤモリ女、ほっぺたを串刺しにする男…世にも怪しい「見世物小屋」のリアル 「日最後の見世物小屋」である大寅興行社からオファーを受け、演出から出演までを一手に担う劇団「ゴキブリコンビナート」に、見世物小屋の裏舞台を聞くインタビュー。 今回は「ヤモリ女」を演じるホリー・ポッターさんに、知られざる苦労や楽しみについて聞いた。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む) ◆◆◆ 彼女はなぜ「ヤモリ女」に変身したのか?――動物愛護団体に抗議され、中止になったヘビ女もニワトリをいちぎる芸もホリーさんが担当予定だったと聞きました。 ホリー・ポッターさん(以下、ホリー) もともとヘビ女をやっていた小雪太夫と劇団の折り合いがつかなくなり、私が代わりにやることになっていたんですが

    〈写真あり〉「1日100匹近くは食べている」見世物小屋でミールワームを食べまくる女が訴えた「唯一の健康被害」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
  • 【小泉悠】元大使の一本の電話、道を開く 目指すは「オタク」を束ねるプロジェクト:朝日新聞GLOBE+

    突然かかってきた電話の主は、元ウズベキスタン大使の河東哲夫さんだった。 河東さんは、外務省を辞めて評論家として活動していた。面識はなかったが、小泉さんが軍事雑誌に書くものを読んでいた。 「彼には、事実関係を丹念に拾い出すだけでなく、それが意味することを概念化する力があった。他の著者とはちょっと違っていたんです」 「一度、会って話さないか」と河東さんに誘われ、都内のホテルで事をした。 「大学ではアカデミックな研究が出来なかった」と打ち明けた小泉さんに、河東さんは言った。「アカデミックではない研究をやればいいじゃないか」 そうか、大学でなくても研究はできるはずだ。ニッチなことをやれば仕事の需要はあるのかもしれない、と思うようになった。 2018年にパリの武器展示会「ユーロサトリ」で=人提供 2009年、河東さんの推薦で外務省国際情報統括官組織の専門分析員になった。ロシアの軍事関係の分析レポ

    【小泉悠】元大使の一本の電話、道を開く 目指すは「オタク」を束ねるプロジェクト:朝日新聞GLOBE+
  • 【小泉悠】研究者は挫折、就活はことごとく失敗 無職で気づいた自分の天職:朝日新聞GLOBE+

    小泉悠さんにとって、夏は一つの思い出がよみがえる季節だ。 毎日のように通っていた図書館のある市民センターの2階で、母親が有志と原爆展を開くのだ。 両親は、二人とも反核・反戦運動に熱心だった。母親らが主催していた夏の原爆展では、小泉さんも投下直後の悲惨な写真を毎年見ていた。 『風が吹くとき』『トビウオのぼうやはびょうきです』……。当時読んだ原爆をテーマにした児童書の題名は、いまでもいくつもそらんじられるほど。その恐ろしさは、深く脳裏に刻まれた。 母親らが原爆展をしている階下の図書館で、息子は軍事も、読みあさっていた。自衛隊員と遊んでいることも、親は快く思わなかった。 「両親とはさんざんもめました」 だが、両親との確執は、独特のバランス感覚とさまざまな素養を養うことにもなった。 意見の異なる相手にどう耳を傾け、どうしたら納得してもらえるのか。自分のやっていることを両親に説明しようと必死で考え

    【小泉悠】研究者は挫折、就活はことごとく失敗 無職で気づいた自分の天職:朝日新聞GLOBE+
  • 【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人:朝日新聞GLOBE+

    手元に置いた携帯電話がひっきりなしに鳴っている。ほとんどが取材依頼だという。2月24日のロシアによるウクライナ侵攻後、時の人になった。 引っ張りだこになるのには訳がある。相手に目線を合わせつつ、複雑な事象をわかりやすく説明する力。ロシアにもウクライナにもくみせず、膨大な軍事情報をつないで全体像を描き出す分析力。 「彼は言葉の力で一種の社会現象を起こしている」。そう話すのは、2019年、小泉さんを東大先端科学技術研究センター(先端研)に誘った先端研教授の池内恵さんだ。 「彼が話すと議論が整理されていくんです。いろんな人が投げた球を一つずつ拾い、それに答えつつまとめるという、非常に高度なことをやっている」。だが、人気の理由は、明晰さだけではなさそうだ。ときおり垣間見せるユーモアや、硬軟とりまぜた引き出しの多さ。自ら「軍事オタク」ぶりを見せて、楽しんでいるふしもある。 東京大学先端科学技術研究セ

    【小泉悠】「いいところなし」の少年に、「細部から全体像を描く」を教えてくれた人:朝日新聞GLOBE+
    dddeee
    dddeee 2022/08/18
    「なぜユーゴスラビアと松戸がこんなに似ているんだ?」
  • 旧統一教会2世の元セクシー女優が語る半生「初体験のとき『地獄行きが確定した』と思った」 | 日刊SPA!

    いま親の信仰で生きづらさを感じてきた宗教2世の人たちが続々と声を上げ始めている。両親が旧・統一教会(世界平和統一家庭連合)の家庭で育った元AV女優のももゆりさんもその一人だ。教義と親の愛のはざまで揺れ動いてきた半生を語ってもらった。 「抑圧されて育ってきた反動か、大人になって爆発したんです(笑)」 そう明かすのは元AV女優のももゆりさん、’15年から4年間、200以上のAVに出演してきた。 「合同結婚式で出会った両親の間に生まれ、“神の子”として育てられました。私も二世として清く正しく生きなきゃと信じていました。父は学者で母は看護師、共働きですが家はボロボロで習い事もできませんでした。それでも献金はするし、何度も韓国の集会にも参加しましたね」 小学校2年生のとき、一家で渡米。その後11年間、米国で暮らした。「当時のアメリカと日では、事情が違うかもしれませんが」と前置きした上で、次のよう

    旧統一教会2世の元セクシー女優が語る半生「初体験のとき『地獄行きが確定した』と思った」 | 日刊SPA!
  • 時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

    山下達郎は今年、69歳を迎えた。1975年、シュガー・ベイブの中心メンバーとしてデビューし、翌年にソロシンガーとしてスタート。半世紀近く経った今も新作を世に送り出し、ライブツアーで全国を回る。「制作方針は、風化しない音楽」と語る通り、代表作の「クリスマス・イブ」をはじめ、多くの曲が時代を超えて愛されている。青春時代の苦労、自身の音楽表現、夢を追う若い世代への思い。歩みを振り返りながら、存分に語ってもらった。(文中敬称略/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 「僕らの世代は、日のロックミュージックの黎明期で、『DON'T TRUST OVER THIRTY』の時代だったことも相まって、30歳から先のロックシンガーの展望なんて全くなかった。僕に限らず将来に関してはみんな探りながら悩みながら、何とか30代40代と、がんばってくぐり抜けてきたんですけど、でもまさか70近くになって、現役

    時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
    dddeee
    dddeee 2022/06/12
    「勝ち負けではなく、その人の身の丈に対する充足を、哲学的、倫理的に教えないと。」
  • 18歳から母親を介護し続けた町亞聖が語る、日本で「介護殺人」が無くならない理由(小泉 カツミ) @gendai_biz

    記事前編【18歳で始まった親の介護…ヤングケアラーだったフリーアナウンサー町亞聖が伝えたいこと】はこちら 10代のヤングケアラーたち テレビ局を退社した町亞聖さんは、様々な活動に積極的に取り組んでいく。 まずは、ヤングケアラーについて聞いてみた。 「私が両親の介護をしてきた15年間に起きた事は、今起きているすべてのことを内包しているんですね、未だに。しかも、最近ヤングケアラーという言葉が出てきましたが、私はずっとヤングケアラーの話をしてきたので、逆に言うと、言葉が出てきたことで定義づけられていくというか、まあ、中身に関してはこれからだと思うんですね、ヤングケアラーの問題にしても。 私が知っている限りでは、若年性認知症の親御さんをお子さんが介護しているという現状がある中でその言葉が出てきたように思います。 30代、40代で若年性認知症を患う事はあるので、そのお子さんたち、まだ10代で中学生だ

    18歳から母親を介護し続けた町亞聖が語る、日本で「介護殺人」が無くならない理由(小泉 カツミ) @gendai_biz
  • 18歳で始まった親の介護…ヤングケアラーだったフリーアナウンサー町亞聖が伝えたいこと(小泉 カツミ) @gendai_biz

    低年齢層でも家族ケアに追われる実態 ここ1、2年ほどでよく耳にする言葉に「ヤングケアラー」がある。 「ヤングケアラー」とは、「ヤング(若い)」、「ケアラー(世話をする人)」の意味だ。つまり、「来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども(18歳未満)のこと。それにより、子ども自身がやりたいことができないなど、子ども自身の権利が守られていないと思われる」などと言われている。 例えば、障害や病気のある家族に代わり、家事や世話をしたり、幼いきょうだいや両親、祖父母の世話をしたりする子どもたち——ここ近年、その存在が知られるようになった。 昨年行われた厚生労働省と文部科学省の実態調査によると、中学生のおよそ17人に1人、全日制の高校生の24人に1人が「ヤングケアラー」だとわかったとされる。また、今年4月に政府が発表した実態調査によると、全国の公立校に通う小学6年生の

    18歳で始まった親の介護…ヤングケアラーだったフリーアナウンサー町亞聖が伝えたいこと(小泉 カツミ) @gendai_biz
  • レギュラー13本を捨てて結婚、夫は「俺の年収を超えるな」と…上沼恵美子(67)が語る、理不尽すぎた“結婚生活” | 女芸人の今 | 文春オンライン

    今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。 ◆ この「女芸人の今」連載で、たくさんの女性芸人にインタビューをしてきた。芸風や年代に関わらず、女性芸人が女性芸人を語る時、必ず出てくる「上沼恵美子」という名。 かつての女天才漫才師は、レギュラー13をあっさり捨てて関西テレビ社員だった夫と結婚、そして出産。なにわのヤング主婦としてタレント業を始め、いつしか「西の女帝」と呼ばれるようになった上沼恵

    レギュラー13本を捨てて結婚、夫は「俺の年収を超えるな」と…上沼恵美子(67)が語る、理不尽すぎた“結婚生活” | 女芸人の今 | 文春オンライン
  • 演歌歌手・伍代夏子、カメラ沼を語る。「好き」をとことん追求する“執着心”に圧倒されまくった #ソレドコ - ソレドコ

    「これは間違いなくカメラ沼の住人……」 着物姿でにこやかに受け答えするその手には、SONYのハイスペックフルサイズミラーレス一眼カメラ「α9」と、“バズーカ”と呼ばれている白い望遠レンズ……。2020年夏に『徹子の部屋』(テレビ朝日)に演歌歌手・伍代夏子さんが出演した際、カメラ沼の住人がざわつきました。「沼メディア」を自称するソレドコ編集部としては、伍代さんの「沼」にスポットライトを当てない理由がない! そこで、某カメラショップの販売員経験があり知識豊富なフリーカメラマン&ライターのつるたまさんを聞き手に迎え、伍代さんのカメラ愛をとことん語っていただくという沼沼しいインタビュー企画を実施しました。最初に断っておきますが、相当、沼です。 オジロワシとシマフクロウを夜通し3,000枚撮りました つるたま こんにちは、フリーカメラマンのつるたまです。ミノルタから始まりCanon、Nikon、OL

    演歌歌手・伍代夏子、カメラ沼を語る。「好き」をとことん追求する“執着心”に圧倒されまくった #ソレドコ - ソレドコ
    dddeee
    dddeee 2021/07/11
    よく知らない分野だけど、趣味の話はきいててとても楽しいので
  • 昭和26年創業のお菓子屋をパンクロッカーが継いだ結果→地域で愛される名スポットとして繁盛 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    のパンクロックに詳しい人なら、そのバンド名を一度は聴いたことがあるのではないだろうか。 「ニューロティカ」。 1984年1月に結成され、1990年にメジャーデビュー。世のバンドブームにも乗り、ライブの集客やCDの売り上げはうなぎのぼり。バンドブームが終息してメジャーとの契約が切れると、インディーズに拠点を移して地道な音楽活動を継続。メンバーの移り変わりはあるが、ボーカルのATSUSHI(アツシ)こと“あっちゃん”は唯一のオリジナルメンバーとしてグループの顔であり続けている。 ▲写真提供/ATSUSHI 2015年にはドキュメンタリー映画『あっちゃん』を公開。2019年は、結成35周年のメモリアルイヤーを迎えた。そして今でも精力的にライブ活動を続け、2022年1月3日には初の日武道館単独公演も決まっている。 子どものころからお菓子屋を手伝っていた あっちゃんはバンド活動を行う一方で、八

    昭和26年創業のお菓子屋をパンクロッカーが継いだ結果→地域で愛される名スポットとして繁盛 - メシ通 | ホットペッパーグルメ